18. エルフ王族と伝説の神玉
「さ、あまり広くはない部屋だけれど、くつろいでくれ」
エルフの王イルサールから屈託のない笑みが向けられる。
森の外れにある屋敷。エルフの王と姫に案内されたフォードは、貴賓の部屋に招待されていた。
煌びやかな彫刻と優雅な絵画が目を引く。天井にあしらわれているのは動物をかたどったシャンデリアで、床には緑色の絨毯が敷かれている。壁やテーブル、椅子は全てが木製であり、自然で統一した優しい色調の部屋だった。森を愛するエルフに相応しい。
「元は隠居していた老探索者の屋敷だったのだけどね、私たちが買い取って改装したんだ。エルフ式の部屋は慣れないだろうが、喜んで貰えれば嬉しい」
物珍しそうに木彫りの一角獣を見やるフォードを見て、イルサールが言葉を添えた。
「いえ。身に余る光栄です。エルフの王族とこうしているのが夢みたいです」
イルサール達は人好きしそうな笑みを浮かべた。
フォードの対面の席には、イルサール王。その両隣には白いドレスを着る王女ルルカと、ピンクのドレスの王女リリカが腰を下ろしている。
ルルカは楚々とした様子で、リリカは爛々と目を輝かせ、フォードを見つめていた。
部屋の奥には、三人の――近衛隊だろう、軽鎧をつけたエルフ兵がいる。
すでに道すがら、フォードは自身のあらましを王と王女に告げていた。
実家から逃げて来たこと、冤罪で投獄されたこと、牢獄で詐欺師に会ったこと。
恥ずかしい話ではあったが、ルルカやリリカたちはそれを聴くと悲しみ、同情し、暖かい言葉をかけてくれた。
その優しさ、温かさ。
この世にはこんな柔らかな人たちもいるのだと。
捨てる神あれば拾う神もあるのだと。
フォードは二人のエルフの姫と王に囲まれて、胸が一杯に満たされていた。
「まずは食事といこうか。フォード君の口に合えば良いのだが」
イルサールがそう言うと、侍女たちが食事を運んでくる。
その数々の料理も、森の民の気質を現している。
木の実と山菜のシチュー。リンゴとぶどうのゼリーに、植物の葉や根を揚げたもの。香草のたっぷり入ったポトフに、その隣にはイチゴのタルト。メロンを用いたスープもあればカボチャとナス、ニンジンでできたケーキが色とりどり並べられる。肉には野菜からとった汁がかけられており、人里のそれより香ばしい。
大地と密接な関係を築くエルフの料理は、見慣れないものも多かった。
しかしフォードが口に含むと甘みと歯ごたえが程よく、食べやすい上に芳しい香りが食欲を刺激する。
それほど大食ではないフォードでも、もりもりと食すことができた。
時にはあまりの美味に絶句し、時には匂いに魅了され、脇目も振らず食していく。
ルルカやリリカの料理解説や楽しそうな笑顔もあって、フォードは気づけば大半の皿を空にしていた。
「珍しい料理ばかりで美味しいです。しかも食べやすい。こんな料理があるとは」
「気に入ってくれて良かったのだ! もっと食べても良いのだぞ!」
「もうリリカったら。もうお腹いっぱいでしょう、フォードさんは」
リリカが笑顔ではしゃぎ、ルルカも楚々としながらもくすくすと微笑を見せている。
自国のエルフ料理が褒められて、誇らしいのだろう。その口元は終始、緩んでいた。
しばらくどの料理が美味だったか、味付けは何でしていたのか、歓談する。
「さて。食事も済んだところで、改めて、娘たちを救ってくれて感謝する」
イルサールは胸の前に重ねた両手を添え、頭を下げた。エルフ式の礼らしい。
「窮地を救われ、勇敢なる戦士と会えたことを光栄に思う。エルフの王として、また一人の父親として、深くフォード君に感謝する」
「いえ。僕も行きずりでしたので。……護衛の方々を救えなかったのは悔やまれます」
イルサールは少年の慈しみの心に感激するかのように口元を和らげる。
「いや、君が悔やむ事はない。彼らは戦士だった。死も戦士には仕事だ。命を賭して娘たちを守ったからこそ、君という勇者の推参に繋げられたのだよ」
「……それならば、良いのですが」
「フォード君。今は娘達の命の恩人だよ。それで良いではないか。出会いを喜ぼう。大地の女神と運命が、我らを結ばせた」
イルサールが快活に声を張り上げる。
若々しく、聡明な王。加えて優しさに富んでいる。エルフの長は、誠意ある人物だった。
「……失礼を承知で、一つ聞いても良いでしょうか」
ふと、気になる事をフォードは聞いてみる。
「なんだい。何でも聞いてくれたまえ」
「エルフの王族が、なぜこのような人里に来たのでしょうか」
フォードが問うと、王族の者たちは複雑そうなに顔を見合わせる。
もっともな疑問だった。エルフとは森の民。遥か西方に棲む種族だ。探索者として少数が《迷宮》に挑むことはあっても、それですら稀。王と姫君が辺鄙の森で屋敷を構えるなど、並々ならぬ事態があると見える。
「……当然の疑問だね。フォード君は、最近の《迷宮》事情は、どこまで?」
「恥ずかしいことですが、ごく最近のことはあまり」
投獄されていたゆえに世知には詳しくない。この三日は、ほぼエリゼーラとの交流が主だった。
「なるほど。ガルグイユ監獄に投獄されていたのだったね。ならば知っているはずもないか。それなら……ふむ、古代の『大戦』のことは?」
話が飛んだな、と思いつつもフォードは記憶を手繰り寄せる。
実家の伯爵家の図書館で得た知識を紐解いていく。
おとぎ話や、伝承でいくらでも聞く事のできる話を思い返した。
「古の神々の時代、人や精霊、エルフは神々の庇護のもと繁栄をほこっていました。七柱の神、十二の王国。古代人はあまねく神の寵愛を受け、幸せを欲しいままにしていたとされます。――しかし、ある時、正体不明の《災厄》により神々は滅ぼされ、王国も壊滅。残った人間、精霊、エルフの英傑たちは《災厄》へ戦いを挑み、見事打ち破った――そう聞いています」
「うん。やはり人間にも同じ事が伝わっているようだね」
イルサールは檜の香りのするテーブルに肘をつき、手の甲に顎を乗せた。
「神の加護がはこびし古代世界。それが『何か』によって終焉を迎えたのは明白だ。人には成し得ない、大地の巨大な爪痕。瘴気で立ち入れない島々。『災厄神像』と呼ばれる禍々しい壁画。フォード君もいずれかは見聞した事があるだろう」
「ええ」
「誰もが知る古代の時代の存在。けれど問題は、人間にもエルフにも精霊にも、それら『大戦』の情報がほとんど伝わっていない事だ。我が王家の中にすら、関連文献はほぼ皆無。わずかな化石や詩篇くらいしかない。神を滅ぼせるほどの『災厄』が何者なのか、いかなる経緯で倒されたのか、我々は想像の中でしか語れない」
「そうですね。それは僕たちの歴史の共通認識だと思います」
古き時代、神々は『何者か』の存在によって滅ぼされた。その仇を討つべく人間、エルフ、精霊が力を合わせ討滅し、今の時代に繋がっている――とされている。
しかし当時を詳しく語る媒体は皆無に等しい。
書物も、絵画も、遺跡も、正確なものを記したものが少な過ぎる。
空白の歴史。それが存在することは世界の誰もが周知の事実である。
「でもだからこそ僕たちは『探索者』というものを確立させたのですよね? 地に潜む太古の宝、武具の発見。のみならず、古代世界の片鱗でも伺える遺物を手にするため。日夜探索をしていることは陛下もご存知と思います」
「そうだね。最近では八割の人間が探索者を望み、そのうち五割が関連活動を行っているらしいね。我がイェルリーテ王国でも民の一部は探索者として名を馳せている。時には人との諍いを呼ぶこともあるが、世界の謎を解く一員として、恥のない活動をしていると自負しているよ」
「ええ、僕もその一員です。まだ復帰して一度も探索できていませんが」
フォードが苦笑すると、そのおかげで私達は出会えたのだよ、とイルサールは笑った。
彼は果実のジュースを軽く煽り、語りを続ける。
「そしてその中には確実な成果も出ている。フォード君は、『迷宮七大宝具』の存在は?」
「はい、実家で聞き及んでいます」
「ではその封印場所も、知っているかい?」
「いえ、そこまでは。僕は落ちこぼれ扱いだったので、両親から教えてもらえず……確か、それぞれの王族や超一流の探索者の間の秘密なのですよね? 古代世界の希少な宝のため、管理されているとか」
「うん、その通り」
探索者は日夜《迷宮》に挑んでいるわけだが、当然、一定の成果は出ている。
古代、世界に王国は十二あり、神は七柱いたこと。《災厄》を倒したのは人間、エルフ、精霊の英傑たちであるらしいなどは、探索者の持ち帰った成果だ。
それらが記された石版、《大戦》で使われた兵器、英傑の武具――最も希少な遺物のことを、『七大宝具』と言う。
「七大宝具はその名の通り全部で七つ存在する。『ウイユヴェールの石版』、『アトラシアの神玉』、『神聖剣エクリゼーレ』等々……。いずれも最古の魔術具だね。時の流れに朽ちることなく、現代の私たちに大いなる知識を授けてくれる至高具」
「ええ、それも存じています」
七大宝具は全て最高の品々である。歴史の断片、世界の宝と言っていい。
特に古代の英傑が用いたという『神聖剣エクリゼーレ』や『アトラシアの神玉』は、大陸規模の絶大な破壊力を持った神具と言われている。
「その七大宝具は希少かつ人間とエルフと精霊の王家が固く封印しているんだよ。最高の騎士と最高の結界と最高の宝物庫、それらに護られている」
「なるほど。興味深い話ですね。しかしイルサール王、それがどうしたのです? そのことと僕へ最近の《迷宮》の事情を絡めて、いったい何の関連が?」
「ああ、前置きが長くなってしまったね。これを語るのは王家の者として恥なのだが、今更か。フォードくん、心して聞いて欲しいのだが――」
そして、語った。イルサールは、フォードが心を悩ますその一言を。
「――じつは七大宝具の一つ、『アトラシアの神玉』が、何者かに盗まれたのだよ。我らはそれの行方を追って、この地へ赴いた」
「え……」
背筋に震え上がるほどの衝撃が走った。
顔は強張り、目は大きく見開かれ、硬直する。
「我がイェルリーテ王国は元々、『アトラシアの神玉』の封印を司るために建国されてね。強大な兵器であり、使えば大陸の一つや二つが吹き飛ぶと言われているかの神玉を、災いから遠ざけるべく封じていたんだ。戦争を嫌うのはエルフの特徴。ゆえに、長きに渡り、我々は神玉を護ってきたのだが――これを、不覚にも奪われた。約一ヶ月前にね。私たちはその行方を追っている」
「まさか……」
アトラシアの神玉と言えば、実家の図書室でメリルと共に伝承を読んだ事がある。
大陸を一瞬にして消滅させる『滅びの魔具』。
ひとたび力を解放すれば竜も、巨人も、何者をも滅ぼす破壊の超兵器。
それが、盗まれた。
フォードの唇がわななく。冷たい汗が、滴ってくる。
「賊の場所は? 判明していないのですか?」
「口惜しい事にね、判らない。賊は地下に広がる十一の迷宮、いずれかに姿をくらましたらしい。その奥底に、潜伏していると」
「それはつまり……大陸を破壊する兵器が、野放しになっていると?」
「残念ながら、そういう事になる。……つまりは、『アトラシアの神玉』は、第一迷宮《紅蓮》、第二迷宮《氷河》、第三迷宮《惑乱》、第四迷宮《紫電》、第五迷宮《岩窟》、第六迷宮《水殿》、第七迷宮《流転》、第八迷宮《砂楼閣》、第九迷宮《冥府》、第十迷宮《回帰》、第十一迷宮《天獄》、――いずれかに隠されているという事になる」
「そんな……」
階層三百を超える迷宮が、世界中の地下に広がっている。
その中で、神玉を特定し、確保するのは不可能に等しい。
よしんば無事に確保できたとしても、迷宮には無数の魔物。生還するのは夢のまた夢だ。
「いや、賊は《迷宮》の奥深くに逃げたらしいから、すでに最上級の魔物に殺されていてもおかしくない。ゆえに『アトラシアの神玉』は、今すぐ発動してもおかしくない」
「何てこと……」
古代の英傑が、『災厄』を倒すために用いたと言われる『アトラシアの神玉』。仮に今この瞬間に発動した場合、どのような被害が出るかは語るまでもない。
世界は、まさしく薄氷の上の平和で成り立っているのだ。
「それでは……対策は? 何かないのでしょうか」
「ある。『アトラシアの神玉』には《聖獣》という、王家のみが召喚できる守護獣が憑いている。代々の王妃や王女が召喚した強力な存在だ。上位魔術をも掻き消せる強さだよ。だから今すぐ大陸が吹き飛ぶという状況は、おそらくない」
フォードはほっとした。自分の住む大陸がいきなり吹き飛ぶなど冗談である。
しかしイルサールの声音はいまいち優れない。
「しかし、封印の《聖獣》も絶対ではない。最上位の魔術に晒されれ続ければ耐えられないだろうし、《迷宮》には魔物どもがいる。知能が高い悪魔系や、妖魔系といった魔物が『アトラシアの神玉』を発見し、計略を用いて発動させる可能性は十分に考えられる」
「……それは、確かに……」
魔物には当然ながら暴力のみを振りかざすものばかりではない。
時には人間のように、隊列を組み、神算鬼謀で苦しめてくる知恵者も存在する。
「さらに悪い事に、賊は人間たちに強奪を喧伝していたらしい。探索者の一部が、覇者となるべく『アトラシアの神玉』を探し求めている。まだこの大陸の一部だけだが、ここ数日で、『聖会の主龍団』、『コーベル大旅団』、『葬竜響会』など、大規模かつ野心的なパーティや、名のある裏社会の人間たちが活動を始めている。その全容はとても把握できない」
「……僕が投獄されている間に、そんなことが……」
「強大な力に魅せられ、太古の兵器を我が物とせん者たち。幾多の野望を秘めし荒くれ者どもが《迷宮》に跋扈している。それを見過ごすことはできない。我が王家の失態を精算するためにも、世界の平穏を取り戻すにも。そのために我が王国の他、エルフの王国の多くが兵を派遣している。私も自ら兵を率い、娘たちと遠征している最中なんだ」
瞠目するフォードに、彼は言葉を続ける。
「しかし度重なる探索と野盗からの被害で、エルフ各国の兵たちは疲弊。私の親衛隊もほぼ壊滅。今日の野盗の襲撃で、残るは三人となってしまった」
「そんな……」
フォードは唖然とする。部屋の隅に佇立していた、三人のエルフ兵。
もはや彼らが最後の兵士達だと言う。
補充兵を編成し増援を呼ぶにしても、一月は掛かるという話。早急な対策が必要と言える。
「その……人間の各国からの協力は?」
「当然、その要請も行っている。だが国というものは鈍重でね。情報の精査や組織の編成、各種会議など、実動にはまだ多くの時が掛かる。事情を知っていて足が軽い私たちがまず立ち上がるしかなかったのだよ」
「傭兵を雇い、当座の戦力とすることは……」
「無論、傭兵や志願兵も何人か募ってはいるのだけどね。いかんせん実力や信頼性に欠ける。そこでだ、フォード君。私から君に、一つ提案がある」
イルサールから真摯な目がフォードに向けられる。ルルカ、リリカらも同じ瞳を向ける。それは切実で、懇願するような瞳だった。
「私たちが《迷宮》へ潜る際、手助けをしてほしい。具体的には、襲い来る盗賊や魔物の魔の手から、我々を護衛してもらえないだろうか?」
フォードの体に雷撃のような衝撃が突き抜けた。
「それは……しかし」
「今日、野盗を完膚なきまでに叩きのめした君の力、素晴らしいものだよ。その力があれば《迷宮》攻略での大きな助けとなる。もちろん武技だけの話ではない。娘たちが君を気に入っている。君は信頼できる人格者だ。 不躾な頼みで申し訳ないが、どうか、頼む。フォード君。私たちに力添えし、共に《迷宮》への探索をしてくれないだろうか?」
フォードは絶句するしかない。
そんな依頼、とても即答できることではない。
エルフの威信や名誉が掛かった依頼。いわば世界の命運の一角を担う役割だ。
ルルカやリリカ、イルサールの事は好ましく思う。優しい人柄だし、助けたいとは思う。
しかし事態が大き過ぎる。急過ぎる。フォードとしては言葉を噛みしめるようにして、こう答えるしかなかった。
「少し……時間を頂けますか」
「……当然だね。君としても色々と考える事があるだろう。本音を言えばすぐさま受けてもらいたいが――どんな結論に至っても、私は構わないから」
「判りました、では明日、朝食の後に」
七大宝具、『アトラシアの神玉』の喪失。
迷宮へ隠された破滅の魔具の捜索。
エルフ王族の護衛という話に、フォードは自分の在り方を問いかける。
何のために力を使うか。誰のために力を振るうのか、と。