10. エリゼーラとの散策
〈さて、街だ、街であるぞ、我が契約者よ〉
空中でふわりと漂いながらエリゼーラは嬉々と言う。
前の前には中規模港都市オルダスの賑やかな光景だ。
四大国家の一つアリアスル王国。その東方地方の玄関口とも言える都市の一つ。
大通りに軒を連ねる商店。
道行く探索者の姿。
喫茶店の呼び込みをする娘、武具の値切りに熱心な若者。
占い師、地図師、鍛冶師、調合師――様々な人間が往来を闊歩している。
〈ほう、数千年の間でなかなかに賑々しいものよ。我の全盛期とはまるで違う〉
「まあ、その間にギルドや探索者の制度が出来ましたから。栄えた街は大体このような感じでは?」
〈我の時代では人間は細い体つきで、貧弱な武具で闊歩しておった。建物も低く、みすぼらしい。この数千年でよくここまで栄えたものよ〉
なるほど確かにエリゼーラの言うとおり、街には三階建て以上の建物が多数ある。
装飾もなかなか華々しく、王国の威厳や威信といったものも感じられる。
極めつけは宿屋の壮麗さだろう。遠目からでも見える中央の大きな塔は、看板に大きく『ホテル ファリアールの麗宴亭』と書かれている。他にもいくつもの宿屋が、港からでも見える巨大さを誇っている。探索者とギルドという制度が確立し、人が集まり、繁栄した一つの光景である。
〈くふっ。宿場よ! 宿場よ! 美しい! なあ我が契約者よ。あの最も壮麗な宿場に泊まろう! 我はそれを望む〉
「何を言っているのですか。僕は探索者なのですよ? あんな貴族たちが好む場所は拠点に相応しくありません。内装の豪華さよりも、利便性を追求すべきです。というより僕は、壮麗な場所より質素な方が好きですなのです。却下ですね」
〈何を言うか。ぬしは我が至高なる契約者。人の格とはまず形から。ぬしの格を上げるため、まずは壮麗な建物にて居を構えるべきだろう!〉
「格? 案外とエリゼーラは俗っぽいのですね。そもそも僕は疲れてクタクタなのです。落ち着かない場所より好きな方を選びます。……あ、あちらに良さそうな宿屋がありますね。『水の鳥亭』、よし、あちらにしましょう」
〈待つのだ我が契約者よ。本当にあの宿場にする気か? みすぼらしいあの宿場にか? 待て、待つがいい我が契約者よ。ええい、このいけずが!〉
エリゼーラが叫ぶ。
何と言おうと、フォードは落ち着ける場所の方が良かった。
頭上でエリゼーラ文句を言うのを聞き流し、フォードは素朴な宿屋に入った。
† †
〈我は一人で外に行く〉
宿屋の部屋に入るなり、エリゼーラは不機嫌にそう言った。
長い黒髪が気のせいか細かに揺れている。目は呆れとも不満ともつかないもので彩られており、その柳眉も微妙に逆立っている。
もしかして怒っているのだろうか。
「何か不機嫌ですね?」
〈ふっ。我に不機嫌などという概念はない。あるとすればぬしの心に罪悪というものがありその影響でそう見えるのだろう。我はいたって平常よ〉
「僕の妹が怒ると似たような顔だったのですが、悪霊王も案外子供っぽいですね」
〈人間の小娘と我を一緒にするな! 良いか? 我は己の格を陥れるぬしの選択を悔いておる。じつに浅ましき選択だとなっ〉
「それはすみません。でも一人で行くなら気をつけてくださいね。僕は寝ますので」
〈ふっ。我が気をつけることなど何もないが、一応忠告は受けとっておこう〉
「いえ、エリゼーラが人間の街に迷って、戻れないのではないかと心配しまして……」
〈我は出る! ぬしは寝ていろ、永遠にな!〉
それでは死んでいるのでは、とフォードは思った。
エリゼーラが柳眉を逆立てて、扉の方に向かおうとする。いかにも憤然とした顔だ。そのまま浮遊し、彼女は外へ出ていくと思いきや――
〈ぐあっ!?〉
直後、エリゼーラが視えない壁にぶつかったように悲鳴を上げた。
まるで紐で引っ張られたかのごく、その体ががくんと引き戻される。
一瞬驚いた顔をしたエリゼーラだったが、彼女自身の体と、フォードの姿を見渡して、忌まわしげに語る。
〈おのれ。どうやらぬしと契約したためか、ぬしから遠く離れられぬ〉
「え、そうなのですか?」
どうやらエリゼーラは移動に制限があるらしく、一人では遠出できないようだった。
その行動範囲はおよそ一メートル半。ほぼフォードの周囲しか回れない。
エリゼーラは口惜しそうに、納得できかねて何度も外に行きかけるのだが、その度に視えない紐に引っ張られるように、前進を妨げられていた。
訊けばエリゼーラは精霊として初めて人間と契約したらしい。
精霊とは人間と契約して得難い絆を得るものだが、代償に行動に制限が課せられる。
そのことを、彼女は失念していたらしかった。
〈むう、おのれ、口惜しい契約めが!〉
「気の毒ですね。それでは僕はあなたの仰せの通り、ここで寝ますから」
〈待て。待つがいい我が契約者よ。本当に寝る気か。我を放っておいて。外出を後回しだと? この愚か者っ、ええい起きよ!〉
起きろと言われて起きる馬鹿はいない。フォードは連日の疲れもあり、エリゼーラの罵声を子守唄代わりに、夢の世界へと旅立っていった。
その間、エリゼーラは「つまらん」「暇だ」「いけずな契約者め」「暇だ……」とぶつぶつ呟き続けていたのだった。
† †
〈我が契約者はいけずである〉
三時間後。フォードは無愛想な悪霊の声に笑った。
「おはようございますエリゼーラ。良い目覚めですね」
〈もう日が暮れ真っ暗だがな。我が契約者は焦らせるのが好きらしい〉
「すみません。ではそろそろ外出しますので」
悪霊王をなだめるようにそう告げると、冥王臓剣や荷物袋を携えながら外に出る。
夕刻は過ぎ夜の帳が降りていたが、街には繁華街を中心に夜の喧騒が走っている。
フォードは街のギルド支部へ行こうとして、悪霊に呼び止められた。
〈我が契約者よ。せっかくの夜の散策なのだ。ここは繁華街に行くのが常道ではないかね?〉
「繁華街ですか? 別に興味ないですが。それよりギルドで登録を済ませたいのです。僕は何者かに嵌められて投獄されましたからね。まだ登録証すら持っていませんし」
〈登録? ぬしは『オルトレールの兄妹』の片割れであろう。であるならばとうにギルドとやらの登録を済ませたはずであろうが〉
「残念ながら妹の下僕にされた際、両親が僕の資格を剥奪しましてね。今の僕は単なる一般人ですよ。業腹ですが、また一からやり直すしかないです」
〈不憫だな……〉
エリゼーラは空中でふわふわとドレスを揺らしながら、気の毒そうな顔をした。
しかしそれとこれとは別である。悪霊王としては自身の欲望も満たしたいのだ。
〈登録は後でも良かろう。我は人間の街を見てみたいのだ。たっぷり焦らされた苦境、ここで晴らせてもらわねば、我慢できぬというものよ〉
気のせいか頬を僅かに膨れさせながら、悪霊王はそんな事を言う。
フォードは苦笑しながら、言う通りの場所へ向かうことにした。
† †
〈おおっ、これぞ人の欲望! 金が飛び理性が飛び、願望が渦を巻いてゆく姿よ!〉
街外れの繁華街。金や銀で着飾り、壮麗な建物を前に、エリゼーラは興奮していた。
踊り子が舞う。色店の呼び込みが飛ぶ。巨大なダンスホールでは棒をよじ登り情熱的な踊りが披露されている。賭博場で響く、悲喜こもごもの声。広場に向かえば、真剣を用いた闘技大会が開催されている。逆巻く喧騒を肴に、エリゼーラは笑む。
〈良いものよ。やはり人とはこうでなくてはならぬ。美麗に、華麗に、燦然と。咲き誇る情熱の嵐。くふっ、楽しいのう〉
どうやらエリゼーラは人の営みや街の喧騒といったものが大好物らしい。
以前にもこうして街を散策しては夜の街のすみずみまで立ち寄ったとのこと。
悪霊とは欲望の化身。すなわち感情が激しく揺れ動く瞬間が大好物。極限まで人が気持ちを昂ぶらせるとき、それがすなわち彼女の幸福なのだった。
〈我が契約者よ! 次は我らが賭博をしよう。我が《憑依》を用い、千金を得るのだ〉
「……まあ、少しだけならいいでしょう」
フォードは、ここに来るまでに、《憑依》のルールを決めた。
基本、人殺しや犯罪の類には使わない。
迷宮の探索や、自衛、世話になった人間の危機にのみ行使する。
これは当たり前だ。自分は殺人鬼でも快楽主義者でもない。妹メリルとの『一流の探索者へ』という誓いを破る気はない。《憑依》は、然るべき時のみ使用する。
が、エリゼーラが強く望む場合は別である。彼女はフォードの契約精霊。命を救ってくれた恩義もある。一日くらいならば、目を瞑って彼女の我儘に付き合うと決めていた。
〈おお、我が契約者よ、あの男ならどうだ?〉
試しにフォードは適当に賭博参加者の体に乗り移り、三時間ほどゲームをする。
カードにダーツにダイス――大当たりするまで十五のゲームを繰り返した。
コインを交換すれば、金貨六十枚ほどの景品となる。
〈くははははははは! 見よこの金銀宝を! 我が契約者は輝きに溢れておる!〉
「変に絡まれる前にずらかりますよ。面倒ですし」
《憑依》がバレることはないだろうが、賭博場で急な大当てするとろくなことがない。
以前フォードは、メリルと小さな賭博場で大当たりを出したが、絡まれた事がある。
その時は妹と一緒に撃退したのだが、こんな大賭博場で絡まれるのも面倒だ。
すでにいくつか嫉妬の目を感じている。さっさと元の体に戻り、換金してしまう。
【フォード 新しく獲得したもの】
固有特技:『悪霊王の憑依術』Lv1 → Lv2
新所持品:緋影の篭手、ヘルドレイクの炎牙、麒麟の霊髭、ラクシェルの腕輪、煉獄石の結晶、古代樹の翠枝、エルダーバロンの邪牙、水竜の小鱗 アポーピスの神胃】
賭博場でいくつか強力な品物と換金した。ガルグイユ監獄の宝物庫で得た物と合わせて、探索の助けになるだろう。
その中で最も重宝するのは『アポーピスの神胃』だ。
これは黒と灰色の斑袋であり、空間を湾曲させ、道具を収納する効力を持つ。
この袋により、フォードはこれまで得たアイテムを一括収納する事ができた。
もちろん、不正で得た物をずっと使い続ける事には抵抗がある。
だからいつか、探索者として安全な地位と財産を築いた時点で、この賭博場には金を『落とす』と決めた。
そして、最後に――最も重要な変化。
フォードはここに至って、『憑依術』の技量が上がった事に気づいていた。
表面的にはさして変わらなかったが、もしかすると《憑依》も、使えば使うほどその力が増すのだろうか。
今以上に強くなる――その姿を想像して、フォードは思わず身震いした。