おっさんラーニング
芸能人のゴシップばかりが載っている世界で最も必要のない雑誌を眺めていると、非合法スレスレの金融屋の広告の合間に、『おっさんラーニング』と明朝体で大きな見出しのついた広告があった。
その下には、アメリカ大統領の面をこれでもか、と言うほどに俗っぽくした(元からそうだが)イラストが真っ正面から描かれ、その口の辺りか吹き出しがつけられて、その中に『Hey,you!』と申し訳程度の英語要素を組み込んでいる。
これだけで汲み取れ、と言うのは流石に無理だと思ったのだろう。ページの半分を使ったそれらの下に、老眼が入りかけたおっさんの目にはいささか細かすぎる文章がぎっしりと書いてあった。
喜びの声『私はおっさんラーニングの御蔭で、五か国語をマスターしました! 現地から連れてこられたおっさんたちは、日本語を一切使えないネイティブな外国人。コミュニケーションを取る為には、意地でもその国の言葉を覚えなくてはなりません! おっさんラーニング最高! 他のラーニングは要らんかったんや!』
――いきなり喜びの声を書き込まれても困る。多分、この記事を書いた奴は、英語の知識もなければ、日本語の知識もないのだろう。あとの文章も回りくどく、酷く読みづらかったが、つまりは、喜びの声として取り上げられた名も知らぬ誰かの話が全てを集約していたようだ。
・おっさんラーニングとは、他国の言葉を覚える教育講座である。
・その土地の言葉を話せる人間を連れてくる。
・おっさんは日本語を一切喋れない。
・他のラーニングは要らない。
以上である。四つ目の他のラーニングとは何のことなのか全く解らないが、それ以上のものを提供してくれる、と言うことなのだろう。
しかし、その費用は割と高額だった。そりゃ、他の国からおっさんを連れてくるのだから、当然だろう。
私は少々悩んだが、文末に記載された番号に電話を掛けてみることにした。
正直、金ならある。孫子の代まで食わせることが出来るだけの金はある。何より、英語に興味がある。今まで、色んな教材に手を出して、諦めてきた私だが、今回は良いタイミングかもしれない。
二日後、私の家の隣のアパートに、一人のおっさんが引っ越してきた。
ぺらぺらぺーら。
おっさんはネイティブな発音で喋りかけてくるが、全く言っていることが解らない。酷く焦っているようで、その為、早口なこともあるのだろうが、恐らく、ネイティブ過ぎるのだろう。英語を話せるおっさんを頼んだのだが、アラビア語を喋るおっさんと間違えたのだろうか――そんな錯覚を起こすくらいネイティブである。
「ごめん、解らんわ。ごめん」
こちらに何かを伝えようと言う意志は感じるが、しかし、その意志と発音が全く噛み合わない。多分、このおっさんはアメリカとかの片田舎から来たのではないだろうか。ニューヨーカーと話していても、『ごめん、お前の話、方言きつすぎてわからへんわ』と言われるレベルの崩し方をしてるんじゃないだろうか。そうとしか思えない。
おっさんは焦りながらも、努めて平静であろうとしているらしい。その態度は嫌いではない。私も彼の言葉に必死で聞き耳を立てているのだが――駄目だ。解らない。
「とりあえず、今日は。うん。今日は、帰ってや」
ごめん。ごめんな?
と、言いながら、玄関の戸を閉める私に、彼は必死で食い下がっていたが、無理だと気づくと、肩を竦めて、クールに溜息を吐いて見せた。何かイラッとした。
その翌日もおっさんは現れた。
おっさんなりの努力だろう。彼は和英辞典を片手に持ってきていた。――良かった。おっさんはアラビアの人ではなかったらしい。ちゃんと英語圏の人だった。
そして、指差し指差し伝えようとするのだが――意味は分かる。しかし、おっさんの発音はやはり癖が強すぎるらしい。おっさんの話す言葉に俺も続いて話してみるのだが、これはもしかしたら、英語圏ではチンピラ扱いされるようなアクセントなのではなかろうか、と思うレベルである。
とは言え、おっさん自体は別段ガラが悪いと言うわけではない。言うなれば、広島の人の気性が特別荒いわけではないが、その言葉の響きで何か損をしてる、と言う感じだろうか。しかし、業者のおっさんチョイスはちょい間違いだったのではなかろうか。
何度か言葉を交わしたものの、和英辞典を使った交流はどこか自分の想定とは違うものだった。
おっさんが満足げに帰った後で、私は業者の連絡した。おっさんのチェンジを頼んだが、それが出来ないと言う。それなら初日に言ってくれ、と。初日ならクーリングオフが効きましたけど、と。
そうですか、と電話を切った後で、いや、クーリングオフ効くなら初日じゃなくても効くだろ、とは思ったが、再度電話する気力もなく、おっさんが家に残した和英辞典を流し読みした。役に立つ気はしない。
その翌日もおっさんは現れた。
おっさんは少し怒っていた様子だった。和英辞典を差し出すと、少しあっけにとられた顔をした後で、頭を振った。使うつもりはないらしい。
もしかしたら、私がクレームを入れた所為で、おっさんは和英辞典を使うことが出来なくなったのではないか、と少し罪悪感を覚える。
「使っても良いよ」と言うのは簡単な話だが、私も和英辞典を使った交流は本筋とはあっていないように思えていたし、おっさんの矜持もあるだろう。和英辞典は使わないでおこうと思う。しかし、おっさんの発音はやはり難解だ。何度聞いても英語だとは思えない。ゆっくりと話されても解らない。それが何を意味しているのか、まるで解らない。
何度となく同じ言葉を話しかけているのにさっぱり伝わっていないと気づいたおっさんは和英辞典を指さしだが、私はきっぱりと『NO!』と答えた。NOと答える日本人になるのは私の隠していた夢だった。今、それが現実のものとなった、と言える。これだけで高い金を払った甲斐はあったかもしれない。
おっさんは苦虫を噛み潰すような顔をして、少々語気荒く出て行った。捨て台詞に吐いた言葉すら癖が強すぎて解らない。…もしかしたら、やっぱり、あのおっさんはアラビア人なのでは。いや、別にアラビア人でなくても解らないけれども。
その翌日、おっさんは現れなかった。
二日後、おっさんはうらびれた姿で現れた。幾分か痩せたように見える。
「Are you okay?」と尋ねると、おっさんは少々びっくりしたようだったが、苦笑いを浮かべ、「No」と答えた。それだけははっきりと聞き取れた。もしかしたら、私のリスニング能力も上がっているのでは、と思ったが、そんなわけはなかった。そこからの(恐らくは)おっさんの愚痴も、一切解らず、「ははは」と私は感情のない笑いで応える他は無かった。おっさんも、私がその愚痴を理解しているとは一切思っていないだろう。もしかしたら、私の悪口も含まれているのかもしれないが、理解出来ないので、そこらへんは考えないようにした方が良いだろう。
ひとしきりしゃべり終えた後で、おっさんは「ガンバルヨ!」と握りこぶしを作って笑った。
私もそのおっさんの前向きな姿勢には甚く感銘を受けて、「頑張ろう!」などと応えてしまった。
おっさんと私の間に、友情の種が蒔かれた気がする。気の所為かもしれないが。
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「いや、私も初めは日本に来た時にはどうなるものかと思っていたけど、住めば都って奴だね。人々は親切だし、食べ物は美味い。仕事も割とあるし、東欧に居た頃よりも充実した生活を送っているよ」
「そうか。いや、君が満足してるなら良いのだけど」
おっさん――ハンスは酒を呑んでることもあってか饒舌だった。彼が日本に来て一か月の記念として、私は彼を高級居酒屋に連れてくることにした。そこで美味しい料理など食べながら語らいたいと思ったのだ。
「殆ど誘拐と同じような形だったからね。しかし、就業パスは用意されていたし、不法入国ではなくて助かったよ。ははは。正直、東欧では仕事もなくて、家族を養うことも厳しい状況だったから、今は仕送りも出来るし、幸せだ」
「そうか」
ハンスが日本語をしゃべり出したのは、出逢って五日後のことだった。たどたどしい日本語に、私も戸惑ったものだが、彼は必死の努力で日本語を覚えていった。必死だったに違いない。生きるためには、そうするしかなかったのだろう。
そして、今の彼がある。完全にネイティブな日本語の発音をマスターしている。文章にも妙な誤りなどはない。生まれも育ちも日本です、と言われても信じられる。
「いやー、幸せだ」
「何よりだ」
私は異国の友人の幸せを噛み締めるように呟いた。
(´_ゝ`)私が未だに英語を話せないのは些細なことだ。