嘘が吐けなくなる呪い
嘘を吐けなくなる呪い、というのにかかった。誰がやったのか分からないけれど、どうやら僕はもう嘘を吐くことができないらしい。
昔から嘘を吐くのが好きだった。自分が受け入れられているのだと一番深く実感できる瞬間。それが、自分の嘘を信じて貰えた時だ。
だから嘘でお金が貰える職業として、作家を志すことにした。タメになる内容、意味のあるテーマなんてものはいらない。ただただ、楽しく嘘を吐く。読者に信じてもらうために、ちゃんと物事を調べておくけれど、あえてそこからずらして嘘を書く。
嘘に嘘を重ねて出来上がった僕の物語は、そういう世界観として受け入れられた。ファンの間でどこまでが嘘でどこからが本当なのかの検証が盛り上がったりした。嘘はみんな見破られて、それどころか嘘のつもりじゃなかった部分で僕の勘違いが見つかったりもした。
気付けば僕はそこそこ名のある作家になっていた。
上にのし上がるというのは、他の人を蹴落とすということで。僕に恨みを持っている人がいても別におかしくない。中身が薄っぺらいだの、世界観だけの話だ、だの、批判は山ほど聞いてきた。実際、僕の書く物語には特に理念も無ければ、売り上げのために命を賭けるほどの覚悟も無い。ただ嘘を綴るのが心地よくて。見破られるのが悔しくて。書き続けたら人気になった。
そんなわけだから呪いをかけた犯人の候補を考えて行けばキリが無いし、第一呪いを解く術があるのかも分からない。だから犯人捜しは諦めることにして、嘘無しでこの先どうやっていくかを考えることにした。
僕は嘘が大好きだ。だから、低俗な嘘はつきたくない。ありとあらゆる手を尽くしてもっともらしい嘘を吐くのが僕のやり方だ。だから、締め切りの約束を「ごめん嘘」で済ませるのは嫌だ。くだらないものを書くのも、読者を悪い意味で騙すことになるから嫌だ。どうにかして納得できるものを書きたいのだけれど、それはようするに納得できる嘘を吐きたいということなので、僕は八方ふさがりだ。嘘を吐かないで物語を書くなんて、これまで考えたことも無かった。
嘘を吐こうとすると、身体が止まってしまう。言葉に出すこともできないし、ちょっとしたアイディアとして書きとめることもできない。これでは書けない。
これまで通りに書こうとして、一文も書けないまま一時間が過ぎた。
もう幾分か大きく成功していたなら、その残りの財産で暮らしていくことを考えただろう。もう少し名の売れていない三流作家だったなら、別の仕事を探したかもしれない。でも、今の僕は作家業を止めるなんて考えられなかった。
仕方がないので書き方を変えることにして、有名な作品の冒頭を模写してみることにした。これまた大部分は書けなかったのだけれど、中には書けるものもあった。
「この街が霧の都と言われたのは一世紀以上も前のことで、しかもそれは工業汚染の生み出したスモッグに過ぎない」なんて書き出しが嘘でないのは分かる。けれど「冬は残酷な季節だ」とか、「渡り鳥の翼は四季を知っている」「あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません」が嘘でないというのはどういうことなのだろう。「夜空から全ての星を取り去ったら、きっとこんな闇が出来上がる」「或る人は、一度も生きることなく死んでいく」とか、詩的だったり哲学的だったりする文章は嘘が無いことが多いようだ。そう思って詩や哲学書を写してみると、すらすらと書けた。そのまま僕は、嘘の無い文章を探すことに明け暮れた。
嘘が無い物語というのも、しっかり存在しているらしい。しかも意外と面白い。初めから名著を呼ばれているものを読んでいるのだから当然ではあるのだけれど、嘘しか書いてこなかった僕には新鮮な体験だった。
今の僕にも、何か書ける気がした。
――
「この作者、『たとえば~~としよう』って言い回しが好きですよね」
「そうだね。『林囃子』とか、そこから始まるくらいだし」
「『たとえば森が喋るとしよう。風が吹くたびに言の葉が散っていくのだ』ですね」
「好きなんだ?」
「はい。嘘が無いところが良いです」
「面白いこと言うね。僕には嘘だらけに見えるけど」
「仮定をおいて、そこから考えていくのは数学の基本ですよ? 仮定法は嘘を炙り出す手段です。仮定に嘘はありません。そーいうことが分かってないから先輩は数学ができないんです」
「なんだって放課後にまで数学の話をされなきゃならないんだ。君が文学を語りたいというから君の入部を許したというのに」
「先輩の嘘吐き。廃部になるから名前だけでも、って土下座してきたのは先輩じゃないですか」
「嘘じゃないよ。活字に興味の無い人間の名前を借りるのが嫌だったから、廃部寸前までいったんだ」
「じゃあそういうことにしてあげます。仮定法です」
「うん。それでいいよ。僕の中の本当が、君と共有できるとは限らない。ちなみにこの真実の多面性を扱った名著として、芥川龍之介のあれは知っているかな?」
「馬鹿にしないでください。知ってますよ」
「じゃあ『嘘の吐けなくなる呪い』は知ってる? そっちの方で、真実が書かれた話として『藪の中』を挙げてたりするのは面白いよね」
「あれだけ自伝風になってるんですよね。他の話と違って、どこか真実味が薄くて、私はあんまり好きじゃないです」