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名無しのミズチと謎多きククル  作者: じゃんきー
1/1

名無しの男と小さな異変

「大丈夫ですか? 気を落ち着けて、ゆっくりと深呼吸してください」


 学校の制服だろうか、高校生らしき恰好をした男は、タクシーの横で運転手に優しく語り掛ける。

 タクシーは横転しもはや車としての機能を失っているように見えた。

 キョロキョロと辺りを確認しながら、運転手に語り掛ける男は焦っていた。


 非常にまずい状況だ、と。


 旧国道六六号線。メイン・ストリート・オブ・アメリカ。

 シカゴからサンタモニカを繋ぐこの道路の長さは約四千キロ。

 日本の直径よりも、千キロも長い。そこで、車を失った。


「聞こえますか。運転手さん」


 再度優しく語り掛けるが、返事はない。

 アメリカ基準の小太りと言った所だろうか。

 道路で仰向けになった運転手は、とても速いペースで腹を上下させていた。

 過呼吸。

 幸い、男にも、運転手にも、怪我一つ無かった。

 だが男は嫌な予感を拭うことができなかった。

 こんな、ただまっすぐの道で車がひっくり返るほどの事故が起きるだろうか?

 他に車もいないのに?

 道路に何も障害物がないのに?

 男はこの留学期間中何も起こらなかったから油断していたのだ。


「安全な旅とは行かないか」


 その言葉は思考の切り替え最中にふと漏れた言葉だった。

 留学生としての、落胆。

 一族の一人としての、覚悟。

 男は切り替えた思考で必死に考える。

 タクシーごと、殺す力は持っていない。ひっくり返す程度だ。

 視界が暗くなるようなこともなかった。つまり、相手はそこまで大きくない。

 鳴き声も聞こえなかった。つまり、特徴ではない。

 ――何かの羽ばたく音。

 その音に、男は慌てて振り向く。

 固そうな鱗。空を飛ぶ羽。爬虫類のような顔。

「まじか……ドラゴン、かよ」

 幼竜。

 だが、幼いと言ってもドラゴンはドラゴンだ。とてもじゃないが、勝てるわけがない。

 何か、何かもっと特徴はないのか。なんでもいい、特定できる何かが。

 幼竜はこちらの様子を伺っている。逃げないから、警戒しているのか。ならば好都合だ。

 男はジリジリとすり足で、運転手のそばから離れる。

 ブレスを吐かれては、運転手を巻き添えにしてしまうからだ。

 ひび割れた道路から離れ、乾ききって同じようにひび割れた大地へと舞台を移す。


「来いよ」

 ドラゴンは言葉を理解できる。だからこそ、あえて口に出したのだ。

 ドラゴンは、息を大きく吸った。腹が風船のように膨らみ、息を強く吐き出す。

 口から、緑や茶色が混ざった奇妙な息が出てくる。

 もしも、当たればひとたまりもないだろう。

 男はドラゴンが口を開けた瞬間に、ドラゴンの真下に向かって走り始めた。

 やがてドラゴンは自分の真下に来た男に向かって息を吐くことができず、息を吐くのを止める。

 空を飛んでいるのだから、頭を下にすればいいのに、息を吐くのをやめたのだ。

 自分の体が邪魔で。

 男は笑みを浮かべた。薄らと。

 ドラゴンの真下を陣取った男は、ゆっくりと振り返る。

 そして、ブレスの痕を見て、言葉を発する。

「クエレブレ」

 銃弾をもはじき返すほどの固い鱗。

 大きくなり続ける体を宙に浮かせられるほどの強靭な羽。

 そして、クエレブレは、毒の息を吐く。

 ぶくぶくと泡立つブレス痕は、酸のようにも見えなくはない。

 だが、間違えてはいけない。

 他のドラゴンなら勝てないが、クエレブレになら、勝てる。

 男を覆っていた影が動く。どうやら移動しているらしい。


「クエレブレよ、腹は減っていないか? ほら、ご飯だぜ」

 男は近くにあった石を両手で持ち上げると、適当に空に放り投げた。

 ほんの少し、高さで言えば三mも行っていないだろうか。

 クエレブレの高さに全く届いていない、その石は地面に落ちることはなかった。

 砂埃が舞い上がり、その後何かが地面に落ちる音がする。

 男はゆっくりと振り返ると、そこには苦しそうに呻くクエレブレがいた。

 あろうことか、クエレブレは大きな石を飲み込んだのだ。

「さあ、かわいいクエレブレよ。まだまだ食事は終わらない」

 何の歌だろうか。口ずさむように言ったその言葉はゆったりと空気に乗っていた。

 歌に合わせ、一つ、二つ、と大きな石をクエレブレの口に放り込んでいく。

 それを、クエレブレは全て飲み込んでいた。

 やがて、クエレブレが石を飲み込まなくなった時、クエレブレは死んでいた。


「さて」

 息絶えたのを確認した男は、ようやくクエレブレから目を離す。

 タクシーの運転手は大丈夫だろうか、と。

 振り向いた男が見たのは、音も無く滑る犬と、それに連れていかれた運転手の姿だった。


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