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哀れな巻き込まれ体質。

「早くもお前の奴隷が真価を発揮しつつあるようだ」


 男の低い声が、石造りの部屋に響く。

 声を発する者の姿は見えないが、その声に聞き覚えがあった牢の中にいる男――アルージャは、動揺することなく答えを返す。


「……困ったな。随分と早い」


 ため息をついたアルージャは、天を仰いだ。

 両手と首、それから両足には(かせ)がつけられており、その枷には魔封じの呪文が刻み込まれている。体温と同じ温度になったそれは、ジャラリと音を立てて石の床を滑った。


「本当に困ったな……助けてやることができない」

「だからあの男に任せたのだろう? あの……お前のお気に入りに」

「……ああ。だが、あいつにばかり任せてもいられないだろう」

「例の奴隷には随分と感情移入しているようだな?」


 そう言われて、アルージャはすぐに答えを返すことができなかった。


「奴隷登録ではなく、養子登録の方がよかったのではないか?」

「……そう、かもしれないな」


 苦笑したアルージャを見ることもなく、男はその場を去っていった。




* * * * * *




「仕事? ああ、基本的にはないんだよ。この部隊は」

「え……?」


 部屋が瞬きする間に直った日の翌日。

 朝の出勤時間は8時だと聞いていたのに誰も仕事場には来なかった。その時間を5分過ぎてから、慌てたように入ってきたのがグラス。グラスは部屋の中にユキしかいないのをみとめると、『内緒だよ』と照れくさそうに笑ったのだった。


「戦争がない時は特にないんだ。みんな好きに起きて好きに訓練して……まあ、王家専用の部隊だから、国王陛下や王族の方から任務が来れば戦争以外でも仕事はあるかな?」

「専用部隊であれば、王族が起きる前から警護しなくちゃ駄目なのでは……?」

「それは近衛がいるから。僕らは戦争時、及び緊急時の専用部隊、かな?」


 だから一応、出勤時間が決められてはいるんだけどね、とグラスは笑う。

 全く笑えない状況になっているのではないか、という台詞が喉元まで出かかったものの、ユキはなんとかその台詞を飲み込んだ。


「つ、つまり……決められているけど、今はめったに仕事がないから誰も来ない……ですか?」

「そう」

「それって……」

「職務怠慢かもね」


 苦笑するグラス。

 かもね、の一言で片付けられる問題ではないのでは……と思いつつも、ユキにはそう発言する勇気がなかった。


(そう言えば……アルージャさん、どうなったんだろう……私のせいで捕まったって……)


 昨日のヤクーの言葉が思い出され、ユキは胸が締め付けられるような思いになった。


(私のせいで……どうしたら助けられるんだろう……)


 そもそも、どうしてユキのためにアルージャが動いたのか、ユキには全くわかっていなかった。

 奴隷を買うということも、召喚落ちの扱いも、無色のことも、情報を得たとは言え自分の存在があまり重要だとは思えなかった。だからアルージャが捕まってまで自分を助けた理由が理解できない。

 ただひとつわかっているのは、どうやら自分が返せそうもない程に大きな恩を受け、そしてその恩を返す機会が今のところはない……ということだ。


(……どうすれば……恩返しができるんだろう……)


 受けた恩は必ず倍以上にして返す。これはユキの祖母の教えで、今までの人生、割と忠実に守ってきたつもりだ。

 しかし、今回は受けた恩が大きすぎる上に、当の本人がいないのだからどうしたらいいのかわからない。なかば呆然としていると、ドアがノックされた。


「はい、どうぞ」

「失礼するよ。……ああ、やはり君しかいないのか。やれやれ、全く……」


 入ってきたのは高圧的な……キリッとした表情の男だった。

 ユキは、入ってきた男の頬に少しだけウロコが生えているのを見つけ、目を見開いていた。


(ウロコだ……魚か龍? 綺麗な色……)

「他のやつらはいつくるんだ」

「えぇと……運がよければ昼頃には来ると思います……」


 その返答を聞いて男は舌打ちをする。

 気持ちは良くわかる。ユキとて用事があるから来たのに、相手が出勤していないと知れば怒るだろうと思った。しかもこの態度から見るにサボリであると知っているようだ。

 みんなが当たり前のように守っている出勤時間だ。来ない方が悪い。


「急ぎなんだが、連絡は取れないのか」

「ここへよくいらっしゃるドラゴニスさんならご存知かと思いますが、難しいです……」


 そういった瞬間、ドラゴニスと呼ばれた男は大きなため息をついた。


「毎回そう言われるな」

「申し訳ありません……」


 ドラゴニスは『ならばこいつに……いやしかしこんな平凡な男には……』とブツブツ言い始め、グラスは苦笑しながらその姿を見守る。

 どうやらこれも毎度の光景らしいとユキが気付いたのは、グラスが来客用のお茶を準備し始めてからだった。


「……仕方あるまい」

「あれ、今日は早いな。結論が出ましたか?」

「無理やりひねり出したのだ。いいか、グラス。お前は――ん? なんだそれは」


 ドラゴニスの視線がユキに向く。「まさかとは思うが自分の存在に気づいていないのでは……」と思いつつも「気付いていないならいないでいいか」と無遠慮にドラゴニスのウロコを観察していたユキは、突如(とつじょ)自分の方へ向いた視線に慌てて立ち上がると緊張した面持ちで礼をする。


「新入隊員のユキ、いいます」

「新人……? ああ、そう言えばそんな話が出ていたな。異国の者だと聞いた。私はドラゴニス。青豹部隊の隊長をやっている。良かったな、グラス。お前のほかに平凡な人間ができたわけだ」

「ハハ……そうですね」

「あ、いや、そんなことはどうでもいい。それよりも任務だ。平凡なお前に頼むのはいささか……というか相当に心配ではあるが、能ある鷹は爪を隠すと言う。お前も黒豹部隊に選ばれる何かがあってこその引き抜きだったのだろう。期待しているぞ」

「待って下さい。話が見えませんが」


 グラスは嫌な予感がしていた。

 そして、グラスの勘は良く当たる。

 例えばわかりやすい例で言えばシンの笑顔だ。あれは笑うことが少ないが、他人の不幸には満面の笑みを浮かべる。つまりシンが笑って近づいてきたときは要注意である。

 今回に限って言えば、ドラゴニスの表情であった。苦虫なんてレベルではないくらいに顔は歪み、渋々、苦渋の決断、やむおえず、仕方なしに、といった言葉がよく似合う顔になっていた。心なしか声のトーンも低い。


「隣国の王子が我が国に来ることになってな。道中、何者かに襲われたらしい」

「……まさかその護衛なんて言いませんよね」

「相変わらず勘が良いな。そのまさかだ。幸いにして王子は無事であるが、自分が連れてきた護衛だけでは心許(こころもと)ないからと応援要請が来た。まあ、つまりは『お前らの領地内で起こった事件なのだから、早くなんとかしろ』ということだ」


 言いはしないが、ドラゴニスは非常に面倒なことになったと思っている。

 この程度であれば自分の部隊に所属する騎士達でもこなせるが、王子からは『一等立派な騎士をよこせ』と要望があった。

 一等立派……といえばまず間違いなく目の前にいるグラスが所属する黒豹部隊だが、性格に難がある者ばかりがいるため、そう簡単に表に――ましてや他国の王族に紹介できる人物達ではない。しかし肝心の王族が黒豹部隊を貸し出そうなんて言ったものだから、ここに来るのに胃を痛めながら歩いてきたのだ。

 だから、ある意味ほとんど誰もいなかったというのは嬉しい誤算だ。

 しかし、唯一いたのはド新人と頼りないグラス。まだレディスあたりであれば……と思わなくもない。いくらか迷ったものの、もはやこれしかないだろうと思っての采配(さいはい)だった。


「いますぐ出立してくれ。これが詳細だ。頼んだぞ」


 そう言って手の中に紙切れを押し付ける。

 それを嫌そうにながめたグラスは、ため息を押し殺しながら出立準備のために倉庫へと入っていった。


「…………」

「…………」


 倉庫をジッと見つめるドラゴニス。そしてそのドラゴニスを見つめるユキ。

 ユキの視線に気づいたドラゴニスは、片眉を器用に上げると無言でユキに話を(うなが)す。


「ジロジロ見る、すみません……でも、その……」

「あいつには荷が重いと思うか?」

「…………」


 何も、言えなかった。重いと言えるほどグラスのことは知らない。しかし、ドラゴニスの評価で不安になったのは事実だ。

 黒豹部隊がエリート集団であることを、ユキはなんとなく理解していた。そしてそんな部隊に依頼がくると言うことは、相当に難しい任務であると思ったのだ。

 あの変人達はたぶん強い。なんとなく、ユキはそう思っていた。しかしグラスはどうだろう。そう考えた時に、多くの人と同様に、ユキにもグラスが普通の騎士であるようにしか見えなかった。


「あれは平凡と言われ続け、自分でもそうだと思っている。私もそう思っていた。前まではな」

「前まで、ですか」

「アレの才能に気づき、活かすことができなかったのは、上官である私の力不足だったということだ。ところがあの男(シン)にはアレの才能を見抜く目があった。そしてそれを上手に利用する力もな。全く、忌々しい男だ」

「上官……? ドラゴニスさんはグラスさんの元上官ですか?」

「ああ、少し前まではな。今はもう違う。だが、あの男が信頼したアレの才能に期待したいのだ。私は」


 そう言って微笑むドラゴニスの笑顔は、とても柔らかかった。




* * * * * *




(期待? 誰に対して?)


 ユキはあせっていた。あせって、1人の男の子の手を引きながら森の中を走っている。これが隣国の王子であった。

 そして走り続けていると、『期待している』といったドラゴニスの言葉がリフレインし、イライラしながら頭の上に浮かんだドラゴニスの幻影をあいている方の手で振り払う羽目になった。


「な、な、何をしているのだ……! 早く走れ……!」

「わかっていますよ、王子……!」


 遅いのは王子の方であった。

 女であるユキよりも遅いのは、単に子供だからであろう。王子は先ほどから何度もこけそうになり、それを阻止するのがユキの役目だ。


「くっそ……こんなっ……ことなら……! 来なければ良かったぞ……!!」


 悪態をつく王子を横目で見ながら、『私もそう思う』と内心で思いつつ、ユキはただひたすらに走っていた。

 あの後、準備が整って現場まで駆けつけた瞬間に襲われたのだ。黒ずくめの忍者のような格好をした獣人が4人。木の上からふってくると、あっという間に王子の付き人達を殺してしまった。

 思わず息を飲み込んだユキだったが、次の瞬間にはグラスの『子供を連れて走れ!!』という声を聞いて、反射的に王子の手を持って走り出したのだった。

 てっきりグラスが足止めをしてくれるのだと思った。なのに、心配して後ろをふり返ると、あっけなく地面に転がされているグラスと、目を血走らせてこちらに向かってきている黒ずくめの獣人が見えた。

 このとき、ユキは悟った。

 ドラゴニスはグラスのことを買いかぶりすぎていたのだと。


(こんなことなら、来なければよかった……!!)


 王子と同じ言葉を心の中で叫ぶと、王子とつないだ汗のにじむ手に、思いっきり力をこめた。

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