それは、規格外の化け物。
「ご、ごめん、なさい……」
「全くだ」
シンは眉間にシワを寄せている。
しかし、その不機嫌そうな表情とは裏腹に、かつてないほどの高揚感を感じてもいた。この扱いにくい暴走列車が自分の手元にある。それは平和ボケした日々の中において、非常にワクワクする出来事であった。
「お前だけ溜まったもん吐き出してすっきりか。溜まった魔力を定期的に抜く必要があるらしいなあ? 見てみろ、この青空。お前のせいだぞ」
「え……? 吐き出す、意味、わからない。何?」
何もわかっていないユキを見ながら、シンはニヤリと口角を上げる。
「は? え? 何――うあっ!?」
グッと後頭部の毛をつかんで無理やり上を向かせ、人差し指と中指を無理やり口内に押し込む。
勢いでユキの首がグキッと音をたてたが、シンは全く気にしなかった。
「ぐえっ……!?」
「ほら、しっかりくわえろ。噛むんじゃねぇぞ。あと吐くなよ」
嫌でもわかる。何か熱いものがユキの体をかけめぐり、ドッと全身から汗が噴出してくる。
その何かは口から入ってあっという間に体をかけめぐると、確実に脳へ刺激をあたえていった。そして体の中から何かがスーッと抜けていく感覚がする。
『んんっ……あっ……あにっ……やえて……!!』
「国の言葉で喋るな。もうわかるだろう?」
「わかっ……んなっ……」
「わかる、だろう……?」
耳元に口を寄せられて発せられた低音が、ユキの全身にゾクゾクと響く。
思わず身を震わせれば、クックッと意地悪そうな笑いが聞こえた。
「~~やえてっ!!」
「っ!?」
ユキの絶叫と同時に、シンはユキを突き飛ばして口内に入れていた指を引き抜く。
その指には、唾液と一緒に赤い液体が滴っていた。
「噛みやがった」
嬉しそうにそう笑い、シンはその指をペロリと舐めた。
「ちょっ……ちょっと、ちょっと!! わけわかんないわよぉ~! シン! とりあえず私に舐めさせなさいよその指を!!」
「うえ、気持ち悪……意味わかんないんだけど」
「ああ……なんてことを……! ユキ、大丈夫かい!?」
荒い息のユキを心配してグラスが駆け寄った瞬間、戦場でしか感じたことのない殺気に包まれ、思わず足が止まる。
「おい、そいつに何をした? なんでそいつにシンの魔力が溜まってんだ」
後ろからヤクーの殺気があふれる。それは間違いなくユキに向けられており、慌ててユキを見るも、前に殺気を当てられたときには震えていたユキが、平然としているのに気づいた。
顔は引きつっているものの、辛そうではない。かたやヤクーは肩で息をしており、今にも笑い出しそうな――……酷く興奮し、楽しげな顔をしている。
「何、とは?」
「とぼけんな。そいつの氣が変わった」
「飼い主が誰か教えてやっただけだ。俺の味を覚えさせておけば、腹が空いたときに戻ってくるだろう? あとお駄賃をもらった。魔力抜きを手伝ってやったからな」
「飼い主? 飼い主はアルージャのじいさんだろうが」
「おい、ヤクー。お前、その興奮すると殺気を放つクセを何とかしろ。戦場でいつも居場所がバレバレなんだよ」
「あ? 今はそんなこと関係ねぇだろうが」
剣呑な空気が流れる。
そこへ、気の抜けた声が上がった。
「あ、あれ……なんか……言葉、わかるんですけど……シンさんとヤクーさんって、結構口悪いですね」
ポカンとした顔で座り込むユキに、今度こそヤクーの本気の殺気が向けられた。
* * * * * *
「ふーん? つまり、本当に魔力で学習するってことなのね、この子は」
「魔力から情報を引き出すなんて……そんなことが……」
「私、そんな便利人間じゃないです」
荒ぶるヤクーをおさえながら、『用事』と平気で嘘をついて部屋を出て行こうとするシンからようやく聞き出したのは、今までの常識ではありえないことだった。
説明ともいえない説明をしてすぐに部屋を出て行ったシン。それを気にするでもなく、残った面々はユキの顔を見ながら、ああでもないこうでもないと論議をくり広げていた。
「僕も詳しくはないけど、無色は水を吸う前のスポンジだって聞いたことがある。必要だと思うこともなく、全てを吸収するんだ……ってね。まあ、まだなんか発音おかしいけど、そのうち色んな奴から知識を得るんじゃない?」
「そんなこと言ったって……じゃあ、今のはシン隊長の魔力から語学力を引き出したってことになるのかい?」
「そうなんでしょ」
ユキにはもう何がなんだかわからなかった。
あの苦行とも言える謎の行動は、つまるところ自分に言葉を教えてくれていたのだと。
(もっと簡単な方法があっただろうに……! なんで人の口に指をつっこんだんだあの人は……!!)
色々な意味で精神力を削られたユキは、床につっぷしてブツブツと呪いを吐く。
「あ、そうだ」
パンッと手を打ち鳴らしてニヤリと笑うレディス。
その流れでがっつりユキの肩をつかむと、力をこめながら距離をつめた。
「この壊れた部屋を直してみましょうか? アンタ、無色なんでしょう? 自分の後始末は自分でつけないと、ね? あと単純にシン隊長の指を舐めたってのが気にくわないわ。あれはアタシのものよ」
「えぇ!? む、無理です……! 私、魔法、使うない……! しかも、指、舐めたくて舐めた、違う!」
「あーら、アンタが魔法を使うんじゃないわよぉ。アタシよアタシ。アンタは魔法使えないでしょ。こう見えてエルフだから、魔法は得意なの。ホラ、さっさとコッチ来る。他人の魔力を使うんだから楽でいいわ~。しかもいっぱい溜め込んでるんでしょ? 魔力を抜いたって言ったってまだ残ってるでしょうし。干からびるまでたっぷり使わせてもらうわよ」
グイグイと手を引かれて部屋の隅に連れて行かれる。
豊かな胸の谷間から筆記具を取り出すと、さらさらと瓦礫に魔法文章を書いていった。その後を情けない顔のユキがついていく。
「あの、一体何を……」
「んん~? 良いコト。瓦礫の素材に宿った魔力を活性化させて――まあ、面倒だから説明ははぶくわ。筆記段階から魔法文章に大量の魔力をこめられるってんだから、贅沢な使い方よねぇ?」
再びニヤリと笑ったレディスは両手を突き出すとボソボソ何かを唱えた。
ユキからすれば“何か”であるそれは魔法呪文で、段々とレディスの周りに濃密な光りの粒子が集まり始める。
「こりゃあ……すげぇ……」
離れたところで見ていたヤクー達にも、その濃密さは確実に伝わっていた。
味わったことがない程に濃くふくれ上がったレディスとユキの魔力。ただでさえ濃いそれは、今や押しつぶされそうなほどにふくれ上がっていた。
「ああん、素敵! これが無色? なるほど、これはいいわ。欲しい……なるほど……欲しいわ、これ欲しい。欲しい……欲しい……!」
(あれ……この人、大丈夫かな……死ぬ?)
段々と目の色が変わり、息が荒くなっていくレディス。目は充血していき、額の血管は切れんばかりに浮かび上がる。
それは死ぬ直前の動物のように見え、ユキは思わず手を伸ばした。
「駄目よ触っちゃ……食べちゃうわよ?」
今にも発狂しそうな声でそう言われ、慌てて手を引っ込めるユキ。
離れたところにいる3人の方を見るも、3人とも手を出そうとはしない。
(だ、駄目だ……このままだと……この人がおかしくなってしまう……!)
焦ったユキは、恐怖で縮こまった手をなんとか伸ばし、レディスの両頬を思いっきり自らの両手で打った。
パァン……と乾いた音が辺りに響く。
「…………」
シーンと静まり返った直後に、ボフンと間抜けな音がして部屋が元通りになった。
「えぇ!? なぜ!? 部屋!? 一瞬で直った……! なぜ!? 凄い……! これが魔法!?」
すっかりパニックにおちいったユキに、4人の視線が集中する。
「ど、どうして、今、部屋が……? さっきまで……えぇ!? なぜ……! どういう仕組み!?」
「……瓦礫の素材に宿った魔力を活性化させるって言ったでしょ。木材とか土の成長をうながして加工しただけよ」
「え? あ、レディスさんっ……大丈夫ですか? 体調、悪い、ないですか?」
パニックのまま大騒ぎするユキを見て、逆立っていたレディスの毛が落ち着いていく。
「アホくさ」
「僕、帰る。レディスが暴走するなら殺そうかと思ったのに」
(え!? 帰る!? 嘘でしょ……お給料貰ってるのに……!? うわ、本当に出て行っちゃった……残ってるのレディスさんとグラスさんしかいない……)
次々と部屋を出て行くのを見ながら、ユキはその自由さに戦慄することとなった。