箱入り娘 3
「ユキ様、背中が丸まっていますわよ」
ピシリと音がして、ユキの背を教師が叩く。
ユキは慌てて背筋を伸ばすと、コルセットで締め上げられた体の窮屈さに顔をしかめる。
「眉間にしわを寄せない!」
「は、はい……」
「“はい”は、しゃっきりと一回!」
「はい……!」
「大声で言わない!」
「はい……」
「覇気がない! 返事くらいまともにできないのですか、あなたは!」
「申し訳ありません、マダム・モア」
丁寧な礼をとると「謝罪は随分と上手くなりましたわね」と嫌味が返ってくる。
ユキはやや顔を引きつらせながらも教えられたとおりの“淑女の笑み”を浮かべた。
「大まかなものはご存知のようですから、お国ではそれなりのご家庭で育ったのではないのですか? 教育中でこちらに来られたとか? まあ、なんにしても、まだあなたには学ぶべきことが沢山あります。可憐で美しい所作は一日にしてならず。しかしもう時間がありません。付け焼刃でも美しく見せるために、本日より全ての言動に気を遣って頂きましょう」
教育係である教師――マダム・モアの言葉に、ユキは目を見開いた。
「全ての……と言うのは仕事中もでしょうか?」
「当たり前です。あなたはボロがでやすいのですから」
「……言葉もございません」
「ええ、そうでしょうとも」
ユキはばれないようにため息をつく。
今、仕事はほとんどやっていない。やったとしても事務くらいである。とにかく怪我の無いようにし、ほとんどの時間を王女としての勉強に使っているのだ。ユキは正直、仕事が死ぬほど楽しいと思えるほどにはこれが苦痛であった。
そしてその数少ない息抜きである仕事の間も王女らしく過ごすとなれば、あの同僚たちが自分にどのような態度を取るかなど火を見るよりも明らかだ。
おそらくは、確実にからかわれる。
「やだなあ……」
「言葉!」
「も、申し訳ありません……!」
別にお嬢さま育ちでは無い。ユキは極々普通の一般家庭育ちであった。それでも王女のような振る舞いが多少なりともできるのは、ひとえに本や映画から得たおぼろげな知識からだ。
多少なりとも基盤があったことには感謝するものの、やはりそれをずっとこなすとなると非常に苦痛である。
この日の授業中はずっと暗い顔のままだった。
* * * * * *
「…………」
教師から常日頃王女らしい振る舞いを、と言われた翌日。
ユキがただ歩いているだけで、すれ違う人がギョッとして廊下の端に避けて頭を下げる。
こんな光景は今まで見たことがなかった。
しかし、伸びた髪の毛を綺麗に纏め上げて王族らしい歩き方や表情を作れば、今まで新人騎士だったユキは多少なりとも“高貴なお方”に見えたのだ。だから、今まで頭を下げもしなかった同僚や先輩騎士なども戸惑いながら礼をとる。
後ろの方から「そう言えばあいつ王族だったな」なんて声も聞こえてきて、ユキは小さくため息をついた。
「…………」
目の前には自分の職場に通ずる扉。
「……はあ」
ユキは再びため息をつくと、四回ノックをして返事を待ってから扉を開けた。
すでに出勤していたメンバーはユキの方など見向きもしないが、グラスだけユキの方へ視線をやると不思議そうな顔になる。
「あれ、ノックなんかしてどうしたんだい? それに今日は随分綺麗に髪の毛を編み上げているね」
ユキが不思議そうな顔をしているグラスに向けて微笑めば、グラスは動揺したように頬を赤らめて視線を彷徨わせる。
「え、ユキ――」
「おはようございます、グラス様」
「……は!? え……? なんっ……様……!?」
先ほどまで微塵も興味を示していなかった面々が、今やみなユキを見ている。
「頭打った?」
キャッツがいぶかしげにそう聞けば、レディスもいぶかしげな表情のままユキを上から下まで何往復も見つめる。
ヤクーは席から立ち上がるとユキの傍まで来てグルッと一周ユキの周りを歩いた。
「……本物のようだな」
「あら。いやですわ、ヤクー様。わたくしが偽者に見えますでしょうか?」
ゴクリとヤクーの喉が鳴る。
その顔は苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情だ。
「……おいおい、喧嘩を売るにしてももう少しマシな売り方があるだろうが……その売り方は萎えるぞ……」
「まあ、喧嘩なんて野蛮な。わたくしは喧嘩など致しませんよ」
「……なるほど。今日はその体でいくのね。“ユキ王女”」
レディスの全てを察したような顔に、ユキは少しだけホッとした。
「今日、だけではありませんの……」
「……当分、なのね……」
「……ええ」
若干引きつった顔を見て、ようやく他の面々も理解する。
「ははあ。さしずめ教育ババアに躾けられてるってトコか」
ヤクーの呆れたような顔に、ユキは死んだ魚のような目で「ええ」とつぶやいた。
「高貴なお方はこのような汗臭い場所にいらっしゃって窮屈でしょうなあ」
からかうようにしてそう言うヤクーにユキの顔が引きつる。
しかしそれを見咎めるように「お? なんだその顔は」とヤクーが言えば、ユキはすぐ満面の笑みを浮かべて「なんでもありませんわ」と言った。
「黒豹部隊に王女とかウケるんですけど」
馬鹿にしたようなキャッツの声に、ユキの顔は再び引きつった。
「私だって好きでこんなことをしてるわけじゃないんですってば……」
ボソッとつぶやいた言葉を聞き取ったキャッツがクスクスと笑う。
「あれぇ? なんか今、王女様っぽくない言葉が聞こえた気がするけど」
「そうでしょうか? 気のせいではありませんか?」
「ユキ」
シンの低い声が部屋に響く。
そちらの方を振り向けば、大層面白そうな表情を浮かべたシンが頬杖をついてユキを見つめていた。
「なあ、こっち来いよ。遊んでやるから」
「…………」
ユキは非常に嫌な予感がした。
アノ手の表情を浮かべているシンに近づいて、良い思いをしたことなど無いからだ。何か悪戯を思いついた悪ガキのような顔になっている。
「今日こちらに寄ったのは、資料を取りに来るためですの。ですから、大変申し訳ないのですが、すぐに失礼させて頂きます」
そう言いながら早足で机に近寄り、引き出しの中から一枚の資料を取り出す。
そして急ぎ足のまま部屋を出ようとしたその瞬間。
「……その手を話して頂けますか、シン隊長殿」
「できかねる」
ニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべたシンは、ユキの手をがっちりつかんで離さない。
「俺は前々からお嬢様って人種と仲良くしたいと思っていたのさ。ユキ、お前もそう思うだろ? 俺と遊びたいよなあ?」
「わたくしは――」
「そうだろ?」
顎にかけられた手に力がこめられる。
心なしか骨がきしんだような気がした。
「わ、わはくひは……!」
今やシンの手はユキの頬をつかみ、口が無理やり突き出すような形になっている。
そのせいで上手く話せず、シンは大層困ったような意地悪そうな笑みを浮かべながらポツリとつぶやいた。
「ああ……残念ながら高貴なお方の言葉は、下賎の俺にゃあ理解できねぇようだな。これは困った。王族を警護するにあたり差し障りがある。どうやら俺は、相手をよく知る必要があるようだなあ。隅から、隅まで」
ギシっときしんだ顎の骨の音を聞きながら、ユキはごくりと生唾を飲み込んだ。
「おほーはまおよいまふよ……!」
「おとーさまを呼ぶ? ほお? 七光りと言うわけだ。こりゃあ初めて見たなあ。これが七光りと言うやつか。そう言えば前にもそんなことがあったなあ。エライ怒られた記憶がある。ああ、思い出したら腹が立ってきた」
最後の方はユキにしか聞こえない音量で言い、シンは部屋の外へとユキを引っ張り出した。
「い、いたっ……痛いですって……ぐあっ!!」
部屋の外に出され、扉を閉められて壁に押し付けられる。
喉の奥から取りの首を絞めたような声が出たユキを見ながら、シンはクスクスと笑った。
「お嬢様らしくねぇ声ですなあ」
「ちょ、ちょっと……」
「いいか、ユキ」
急に真面目な顔になるシンに、ユキも思わず真剣な表情を作る。この男は冗談を言っているかと思えば急に真面目なことを言うので、この時もそうだと思ったのだ。だからユキは真面目な表情を作った。
それなのに――
「夜、俺の部屋に来い」
「は? なぜわたくしがシン隊長殿の部屋に行かなければいけないのですか。淑女はむやみに殿方の部屋へは行きません」
「俺がいかに腹立たしい説教をされたか、お前にも味わわせてやるって言ってんだよ」
「なっ……それって八つ当た――」
「いいな。来なかったらどうなるかわかるだろう?」
目を細めて襟首のところをジワリジワリと締め上げるシンに、ユキはシンの腕を叩きながら拘束を解こうと暴れた。
「絞まってます……! 絞まってますから……!!」
「楽しみにしてるぜ、ユキ」
そう言ってチュッと鼻先へキスをすると、顔を真っ赤にさせるユキを満足げに見つめて部屋の中へと入っていった。
それを見送ったユキは鼻の頭をゴシゴシとこすり、閉まる扉を前に大きなため息をついたのだった。
効果的な呪文“お父様”はそう何度も使えるわけではないのです。
しかしプロットなしで書き始めてしまって全く終わりが見えない……