箱入り娘 2
「え、じゃあアンタいよいよお偉いさんの娘になるってことなのね! いやだわあ~」
レディスがつまらなそうな声をあげたのは、ユキが「黒龍のお披露目があるらしいので、しばらくはそっちの準備をする必要があって仕事ができない」と言ったときのことだった。
「すみません、私もまさかこんな大事になるだなんて思っていなくて……」
「まあ、お前どう見ても庶民だからな。げっ……ってことは俺らも当日お前らの護衛として出ないとならねぇんじゃねぇのか!?」
嫌そうな顔をしながらヤクーがそう漏らせば、「あの似合わない正装をするのね」と楽しそうにヤクーを小突いた。
正装というのはいつもよりもちょっと豪華な制服である。他の部隊は装飾が増えただけで大差は無いが、黒豹部隊だけは待ったく別の装いになるのだ。それは王家の護衛をするために他国の目に付きやすいという点が一番の理由である。
「自分は好きですけどね。なんか恰好良いじゃないですか」
「馬鹿だね、お前。制服は恰好良いかどうかできるもんじゃないんだよ」
「わ、わかってますよ……」
「というか国はあんな動きにくい服でどうやって敵から守れって言うわけ? 見栄を張るのも結構だけど、あれで王族が死んでも文句は言えないと思うけど」
キャッツの嫌味に言葉が詰まるグラスだったが、ユキが不思議そうな顔をしているのを見てふと気づいた。
「そうだ、ユキはどんな制服なのか知らないんだっけ?」
「は、はい……そんなに変な制服なんですか?」
「変って言うか……」
「これだ」
その声とともに部屋の奥から出てきたのは、苦い顔をしたシンであった。
そしてその姿は――
「武士!?」
ユキがそう叫べば全員が不思議そうな不思議そうな顔でユキを見る。
しかし、ユキはその視線を気にする余裕は全くなかった。洋風の部屋に突如現れた和服。それはどう見ても新撰組と呼ばれる男たちが着ていた服装と同じであった。色こそ違うが、そのつくりはほぼ一緒。
一体何故こんな事になっているのか全く分からなかったが、キャッツが動きにくいと言ったのも頷けた。
「ユキ、これはブシじゃなくて軍服よ。一応ね。アタシこれダサいから着たくないのよねぇ……」
「い、いや……! 何を言っているんですか……! これは凄く恰好良い衣装なんですってば……! ただこの国の人間には似合わないと思いますけど……顔の彫りが深すぎるとなあ……なんかあの日本人の薄くて切れ長の顔が一番良いと言うか……」
やや切れ気味のユキに若干引きながら、レディスが「そ、そうなの」とつぶやく。
それをまるっと無視して、ユキはシンへと歩み寄った。そしてその周りをクルクル歩き回りながらそのつくりを確認する。
「凄い、本当に和服だ。どこからこんな知識を……でも確かにこれだと動きにくいよなあ……こっちの人はこれを来て動き回ることなんてないんだから」
「知っているような言い方だな」
「知ってるんですよ。私の国で大昔に着られていた服ですから。武士と呼ばれる人の戦闘衣でした。彼らは世界一強い男ですよ。まあ、これは強い人しか着られないでしょうね。だってこれを着て戦場で動き回るのは難しいもの」
別に嫌味ではない。嫌味ではないし、最後の方はポツッと漏らしただけであった。
しかし、その一言が、ここにいる全員の心に火をつけた。
「別に着たから動けないとか一言もいってないし」
「え? なんです――」
キャッツの低い声にユキが振り向けば、その場にいる全員が、あの温厚なグラスまでもが、ギラギラと光る闘志に燃えた目でユキを見ている。
「……あれ?」
「どれだけ動けるのか見せてあげるわよ。新人で箱入りのお嬢ちゃんにねぇ」
フンッと鼻で笑うレディスに、ユキは自分が失言をしたことに気づいた。
「なあ、シン隊長。それって袖通しだろ? 穴とか開いてねぇか見るやつ。丁度いいじゃねぇか。それを着て、俺らがどれほど動けるか見せてやろうぜ」
ヤクーの据わったような目を見ながら、ユキはごくりと生唾を飲み込んだ。
売られた喧嘩を買っているのは前に見たことがある。売られていない喧嘩を買う場面もだ。しかし、それは卒業したのだと思っていた。だからユキは、今この場で闘志に燃えている男たちがどれほど本気で発言しているのか理解していなかったが、それでも1つ分かったことがある。
「当然、相手をしてくれるのよねぇ?」
自分が巻き込まれ、逃れられる可能性が全く無いということを。
* * * * * *
《ごめんなさい、やっぱりやめましょう……私、ほら、授業がありまして……》
闘技場の中央で情け無い声を出しているのは、龍化したユキであった。そのウロコは薬剤によって紫色になっている。
そしてその前には和装の騎士たちが5人。みな同じ色の和装に身を包み、その手には抜き身の刀を持っていた。サーベルじゃないんだ、とユキが内心で思っていると、非常に好戦的な目をしたヤクーが刀で自分の肩をポンポンと叩いた。
「うるせー! ほら、手加減してやっから。そっちから来いよ」
《やめて下さい、そんな不良みたいなこと……ねぇ、止めましょう。無意味ですよこの争いは》
「争いじゃないわよ」
もう何を言っても駄目だと思ったユキは、小さくため息をつくと前を見据えた。
《……知りませんからね、どうなっても》
ポツリとつぶやいてから空中へ飛び上がる。そして天井ギリギリまで行くと、ユキは場内を旋回しながらシンたちに向けてブレスを何発も放った。それは追跡機能があり、次々と障害物を避けながら対象へ向かう。
普通の龍ではありえないブレスに、全員冷や汗をかきながらもニヤリと笑った。
「上等じゃねぇか! そうこなくちゃなあ!!」
ヤクーのキンキンした声が場内に響く。
そして刀でブレスを一刀両断すると、ユキの《え、ブレスって切れるんですか!?》と驚いたような叫び声を聞いてさらに笑みを濃くした。
「どこ見てンのさ間抜け」
ユキの耳元でキャッツの声がする。
ハッと気づいた時には、ユキは地面へと叩き落されていた。そしてレディスの魔力によって地面に縫い付けられ、龍体でも動きづらいと感じるほどの重力を受ける。
《ぐあぁ……! 重いっ……!!》
「対黒龍用の重力魔法よ。グラス!」
「はい!」
その声にユキが視線だけ寄越せば、そこには刀を構えながら全力疾走でユキに向かってくるグラスがいた。
《なっ!?》
本気で殺されると思ったユキが暴れる。しかし、レディスが“対黒龍用”と言うだけあり、その拘束はなかなかとけない。
《やだぁあぁぁぁぁ……!》
情けない声をあげながらユキが暴れれば、やがて魔力がバチバチと音を立て始める。それに顔を青くしたのはレディスであった。
「やだこの子体内の魔力使って押し返してンだけど!? 馬鹿力ね……! 早くしなさいグラス!!」
「わかって、ますっ……よ!!」
ズンっと一層ユキに圧力がかかる。
ユキはビクリと痙攣しながらも、なんとかその拘束から逃れようと必死にもがいた。もうグラスは目の前で、レディスが魔法で作った踏み台を飛び越えてユキの脳天へと刀を付き立てようとしていた。
しかし次の瞬間――
「ぐあっ……!?」
グラスの蛙を踏み潰したような声が場内へと響く。
そしてグラスの鼻先1cmもしないところを黒龍のブレスが爆音爆風、そして凄まじい熱量で通っていき、グラスの前髪を焦がしていった。
「なんだグラス。危なかったなあ?」
シンがグラスの襟元を強く引いていた。
グラスは踏み台から転げ落ちて痛そうな音を立てているが、そうしなければグラスは確実に黒龍のブレスに飲み込まれていた。そうなれば命がどうなったかは分からなかったが、寸でのところでシンがグラスを助けたというわけだ。
それを理解したグラスの背に冷たいものが走る。
「ほ、本気で殺されるところだったのか……」
ポツリとつぶやいたグラスのつぶやきは誰も聞いていなかったが、すでに立ち直ったレディスは「ちょっとユキ! あんた何本気出してんのよみっともないわねー!!」と怒鳴っていた。
《み、み、みなさんがっ……その気なら……! わわ、私にだって……! 考えがあります!!》
「聞かせてもらおうか」
シンの低い、そして楽しそうな声にユキが怯む。
しかしユキはレディスの重力魔法からなんとか逃れると、よろけながら飛びのいて息を整えた。
《えっと……えーっと……》
「ないのかよ」
《あ、ありますよ……》
しらけたようなヤクーの声に焦るユキ。しかし実際には特に何も考えておらず、どうしようかとウンウン唸っていた。
「早くしなさいよねー」
《あ、はい! ちょっと待って下さいね。どうしようかな……えーと……》
飽きっぽいレディスに急かされ、ユキはどんどん混乱していく。
《えー……あ! お父様!》
「お父様ぁ~? 随分な技名じゃねぇ――」
ゴンと鈍い音がして、ヤクーが一言も発さないまま地面に倒れる。
「え」
そう発しながら振り向いたレディスが、顔面に攻撃を受けて地面に倒れる。
「……何を、やっているんだ?」
そこに立っていたのは、鬼の形相を浮かべたアルージャであった。
「げ。僕知らない」
一目散に逃げるキャッツに、グラスが「卑怯者!」と叫ぶも、その時にはすでに脱出後であった。
「グラス」
「はっ……!」
「ユキは大事な用事があるから仕事ができないと言わなかったのか?」
「い、いえ……言っていました……」
「これは仕事か?」
「しご、と……ではないのですが……その……」
「いいか、グラス。騎士の仕事には怪我が付き物だ。だから私は仕事をしないように命じた。どの国に、顔に生傷をつけたままお披露目をやる王女がいると思う?」
なぜ、なぜ俺が……と思いながらも、グラスは「はい……」と小さくつぶやく。
そっとシンのいた方を見れば、想像通りそこには誰もいなかった。
「私が言うことには理由があるのだ。決して……決して娘の顔に傷がつくのが嫌だとかそういう話ではない。騎士であれば傷がつくのは当たり前。それは仕方が無い。だがせめて、披露目の場まで傷を作らぬようにしないと他国への印象が悪くなるだろうという考えが、お前にはわからんのかグラス」
「あ、はい……いや、あの、わかるのですが……なぜ自分だけ……」
「自分だけ? 言い訳をするのか? お前はこのくだらんお遊びに混ざっていなかったとでも言うのか?」
「いえ、あの……入ってはいたのですが……」
「そうだろう」
「……そうでした……」
ネチネチと真顔で文句を言い続けるアルージャを、グラスが止めることはできなかった。
そしていなくなったキャッツとシンは国王により手配書が配られ、捕まえた者には褒賞が出るというお触れとともに指名手配された。しかし二人を捕まえられるものなどおらず、結局は部隊内に無謀者の屍が散らばることとなったのだった。
ゆき は じゅもん を となえた!
ユキ「秘儀、お父様!」