眼帯問題 ・ 下
「仕事中に寝るたあ、いい度胸だな新人」
ゴンと鈍い音。そして激痛。
この2コンボにユキが飛び起きれば、非常に意地悪そうな顔をしたシンがユキを見下ろしていた。
シンはだいぶ前からユキの部屋に侵入してだらしない寝顔を見ていたが、十分に堪能してから拳骨を落としのだ。しかしユキはシンが来たことなど微塵も気づかなかったので、拳骨を落とされるまでグーグーと寝息を立てていた。
「……あれ……ん?」
「まだ寝ぼけてンのか?」
「……寝ぼける……?」
飛び起きては見たものの、何が起こったのかはサッパリわかっていなかった。いまだユキがボーっとしていると、ふっと上に影が落ちる。反射的に上を向けば、ユキ唇にチュッとシンがキスをした。
「……え」
次第に赤くなっていく顔、そしてクリアになっていく頭。
「ご、ごめんなさい……」
「ンな嬉しそうな謝罪は初めて聞いたなあ? 本当に悪いと思ってンのかテメェは?」
しかし、そう言っているシンの顔もなかなかにゆるんでいた。だが一応は仕事中で、そして一応は上司なのでいかめしい顔を作る。
「お前は表を10周してこい。レディスは後で反省文と外20周だな。ん? そうか……こりゃあ罰か。いいな。悪くない。おい、今後俺は部下にペナルティを設けることにしたぞ」
「10周……」
軽く言ってはいるが、その距離は10kmほどである。
そして急に罰を設けることにしたらしいシンは満足げな顔をしているものの、ユキはグラス以外の全員から文句が出るだろうなと思った。そして自分がこれからその距離を走らないといけないのを思い、肩を落とす。
「走るのが終わったら声をかけろ。飯食うぞ」
「はい……」
小さくため息をついてベッドを降りる。するとバサリと何かが落ちた。
下を見れば、いかにもプレゼント用と言った紙袋。店主はあのなりで可愛らしいリボンまで巻いてくれて、誰がどう見てもプレゼントであるとわかるようになっていた。
「…………」
「…………」
ゴクリとユキが唾を飲み込む。
シンは何も言わないが、きっとこれが自分用であると気づいたはずだと思った。ちょっとだけ視線を上に向ければ、真顔のシンがユキを見つめていた。
「…………」
そして何も言わない時間が、たっぷり2分はすぎたときのこと。とうとうしびれを切らしたシンが口を開く。
「これは?」
「あ、えー……」
ユキの心臓は口から飛び出しそうなほど脈打っている。えー、とかあー、とか言いよどんでいると、シンが少しずつユキの方へ近づいてきているのに気づいた。
「あのー……そのー……」
「俺のか? それともお前のか? 3番目の答えって可能性もあるなあ?」
意地悪そうにそう言って笑うシンを見て、ユキは観念して口を開いた。
「……いらない……と、は……思ったんですけど……」
「俺のか?」
「はい……」
シンはガサガサと袋をあけ、なかから眼帯をつまみ出した。
そしてそれをジッと見た後に、ユキへと視線を移す。うつむいているユキを見て、シンはフッと鼻で笑った。しかしその笑いに嘲笑は含まれておらず、愛情に満ちた柔らかいものであった。
だから、ユキは少しだけほっとして上を向く。
すると、いつの間にかシンが眼帯をつけてユキを見下ろしていた。
「え? あれ……」
「仕方のねぇやつだな、お前は」
ギュッと力いっぱいユキを抱き寄せる。
かぎなれたシンの匂いを、ユキは肺いっぱいに吸い込んだ。実はこれ、ユキはバレていないと思っているが、シンにはバレバレであった。そして抱きしめるたびにユキが自分の匂いをかいでいるのに気づき、わざと長めに抱きしめるのだ。
自分の匂いを覚えさせるために。
どんなに離れても、絶対に忘れないように。
「ありがとうございます……」
「そりゃこっちのセリフだ」
「でも、シンさんは……」
また下を向いてしまうユキに、シンは内心でため息をつく。
「まあ、眼帯なんざいらねぇとは思ってたけどよ。お前が買ってくれたんだからな。それにまあ、つけてみりゃ案外落ち着くもんだ」
「……私、その眼帯を買ったお店の店主も眼帯だったんですけど、その人から大事なことを教わりまして……」
「どうせ“放っておけ”とかそんなことだろ」
「エスパー……?」
「お前のことなんざ、目をつぶってたってわかるさ」
得意げにそう言うシンに、そういうものかと何度か頷くユキ。
「ええと、私、自分のことしか考えていませんでした。でも、その傷は……そのー……」
「お前の脳内ではこんがらがってるだるけどな、この話は実に簡単だぜ?」
「は?」
「お前は俺に申し訳ないと思ってんのさ」
そう言われて、ユキはストンと何かが落ちたのを感じた。
「でもそう思う必要はねぇ。なぜならこれは俺がお前に“押し付けた”思いやりの結果だからだ」
暗に“眼帯と一緒”と言っているのだと気づいたユキは、少しだけ救われたような気がした。
そしていつも優しく諭してくれるシンに、何とも言えない感情がわいてくる。
「相手に何かしてやりてぇと思う気持ちは、そんなもんなんだよ。偽善って言い換えることもできるがな、それは恐ろしく寂しい考えだと思わねぇか? だって相手が厚意に対して感謝したいと思う感情を、感情として成り立つ前に潰しちまうんだからよ」
「潰す?」
「ああ。偽善なんて言葉はな、妬みとか恥じらいとか恐れから出来上がった単語だ。そんなマイナス感情は早いトコ捨てるに限るぜ」
そう言ってニヤッと口角を上げると、徐々にユキの顔にも笑顔が戻った。
「好きな女のくれるもんは何でも嬉しい。それに、お前が俺の目について真剣に考えてるのもな。まあ、俺としては、もっと俺本体に興味を持ってほしいが。ああ、本体だけじゃなく、俺の――」
「ちょっと……!」
尻を撫でるシンにどうも嫌な予感がしてきたユキは、慌ててその拘束から逃れるとゆるんだ襟元を直して咳払いをする。
「わ、私は、罰があるので……これで」
「俺の女は冷たいねぇ」
「誰のせいで走るはめになったと思ってるんですか!」
「お前だろ」
「そうか……」
しょんぼり肩を落としながら、ユキが部屋を出て行く。
その後姿をニヤニヤしながら見送って、シンは「今日は一緒に寝て慰めてやろう」と決意したのだった。
これにて眼帯騒動はおしまいとなります。
次の更新は未定ですが、早くもネタ切れで……(笑)
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