眼帯問題 ・ 上
久々の更新です。
「ええ~……んなアホな……」
ユキの情け無い声が上がったのは、シンが目覚めてから二週間ほど経った昼下がりのことであった。
今日は良く晴れており、絶好の洗濯日和であることは疑いようが無い。雲ひとつ無いものだから、雨が降る心配だって全く無いのである。
空には鳥が数羽、その大きな翼をのびのびと広げていた。
「別に隠す必要すらねぇだろうが」
「傷は恥だよシン。恥を晒したまま生きるなんて、よくできるね。僕には無理」
フンとキャッツの馬鹿にしたような笑い。
しかし、シンはまるっと無視をしてひたすらに書類の処理をしていた。
「見ていて痛々しいので隠してほしいのですが」
「俺の前髪は元から長いんだ。隠れちまうさ」
「風が吹いたら見えますよ!!」
一体ユキとシンが何についてもめているのかと言えば、視力を失った目についてであった。その目はドロドロに溶けていたこともあり、シンは保護されてからすぐに摘出手術を受けていた。
その時の包帯がつい今朝取れたばかりだったが、シンは大きな傷の入った目をそのままに職場へとやってきたのである。
それを見て騒ぎ出したのはユキだ。
「ったくお前はうるせぇな」
段々面倒になってきたシンがそうポツリと言えば、しっかりと聞き取ったユキが顔をしかめる。
「あのですね、この際だから言わせて頂きますけど――」
勢い良く言ったユキ。
静まり返る部屋。
ユキが『あれ、もしかして自分はとんでもないことを言いかけているのでは?』と思ったときには全てが遅すぎた。
「言えよ。続きを」
ドスの聞いたシンの声。
ゴクリと部屋に響くユキが生唾を飲み込む音。
「あのー……えー……」
助けの手が差し伸べられたのは、ユキが再び生唾を飲み込んだときのことであった。
「ユキ、シン隊長は子供なんだから無理よ。そんなやり方じゃなくて、もっと可愛くお願いしないと。アタシみたいに!」
「仮にテメェが可愛くお願いしたとしたら、明日からテメェは朝日を拝むことができねぇだろうな」
フンッと忌々しげに息を吐き、シンはくしゃくしゃに丸めた書き損じの書類をゴミ箱へ放った。
「いいか、ユキ。騎士は少なからず傷つくものだ。傷は勲章。勲章を隠す騎士はいねぇ。ま、それが背中の傷なら別だがな」
「…………」
そこのところの美学がイマイチ分からなかったものの、ユキは渋々シンから目線を外した。そして書類処理へと移る。
「ま、お前の気持ちはありがたく受け取っておく」
チラリとシンの方へ視線をやると、独眼がやわらかい視線をよこしていた。口角は上がっており、少しだけからかうような表情になっている。
これ以上言っても無駄だと思ったユキは、シンを無視して仕事を続けた。
* * * * * *
「ユキ、こっちよ」
昼休憩。
食事を取った後に移動していると、物陰から聞き覚えのある声がかけられた。視線を向ければ、草陰にレディスが隠れている。
「……え? 一体何を……?」
「いいから来なさい!」
怪しさ満天ではあったが、レディスの気迫におされて辺りの様子を伺いながら近づいていく。
レディスが忍んでいるようなのでユキも自然と隠れるように近づいてしまったが、一体誰から隠れているのだろうと不思議に思う。
「何してるんですか?」
「アンタ、まさかアレで諦めたわけじゃないでしょうね」
「は?」
ユキにはさっぱりだったが、レディスは小鼻をピクリと膨らませるとユキの胸倉をつかんでギリギリと締め上げた。
「ぐぅぇっ……!?」
「シンに眼帯をつけて欲しいんでしょう? だってそうしないと、いつまでもあの事件を思い出すものね。まあ、つけてもつけなくても思い出すと思うけど、つけたほうが気持ちが和らぐと思ったんでしょう?」
「ぐっ……レディ……スッ……さんっ!!」
「まーったくアンタはなんて乙女なの!? これが乙女心ってやつなのね……!! アタシ全然そんな思考に思い至らなかったわよ……!! アタシもまだまだだわ……」
「レディスさんっ……! 首っ!!」
「でもそれは我がままよ」
「知ってます……! 知ってますから、首……!!」
レディスはもはやユキのことなど忘れ去っていた。
このようにしてレディスが暴走したのにはわけがあった。レディスは図書室で“ヴェルデイユ宮殿の薔薇少女”という少女向け小説を読んだばかりなのである。
その本の主人公は、自分のせいで傷ついた騎士に対し、傷を隠すための手袋を用意したいと相談するのだ。そこで騎士はこう言った。
“これはお嬢さんを守ったという私の勲章です。騎士は勲章を隠したりしない――……”
レディスはこの一文を見た瞬間、雷で打たれたのかと思ったほど衝撃を受けたのだ。
そしてあの時、ユキとシンのやり取りを見ながらレディスはこの小説を思い出していた。
「行くわよ」
レディスはようやくユキを放し、ユキはどさりと音を立てて地面に落ちた。
「ゲホっ……うえぇ……げほっげほっ……どこ、にですか……」
むせながらもなんとか返事をすれば、レディスは満面の笑みを浮かべてユキの手を握った。
「アタシに任せて起きなさいな」
どうも良い予感がしないまま、ユキはレディスに引っ張られていくことになったのだった。
* * * * * *
「ごめん下さーい」
引っ張られてやってきたのは、街の中央にある衣類店。中には木でできたトルソーが建ち並び、最新ファッションの洋服が着せられている。店は全体的に木でできており、温かみのある品の良い装飾だ。
ショウケースには小物も収められていて、ビロードのシートの上をアクセサリーや手甲などが彩っている。
「あの、レディスさんここは……?」
「アタシの行き着けよ。あ、いたいた。店長この子!」
そう言いながら店の奥へ歩いていくレディスの後を追うと、店の奥に眼帯をしたスキンヘッドのいかつい男が立っていた。
「こわっ……」
とっても小さい声で遠慮気味にそう言うと、その声が聞こえたレディスが思いっきり背中を叩いた。
「大丈夫よ。取って食ったりしないわ。店長、ほら前に言ってた――」
「ああ、おめーか小娘! 話はレディスから聞いてる。なんでもシン隊長の良い人らしいな? シン隊長好きのレディスがこんなに面倒を見るなんて珍しいと思ったが、なるほどなー! そうかそうか! はっはっは!」
ユキはまるで雷のような声だと思った。
ぐわんぐわんと鳴る耳鳴りに思わずレディスの方を見れば、いつの間に用意したのか耳栓がはめられていた。
「ほら、用意しておいたぜ」
店主はドカリと大きな木箱をカウンターの上に置いた。
中には色とりどりの眼帯が沢山入っている。
「これは……?」
「手に取って見てみな。俺の自信作だ」
確かにそのデザインも質感も大変に素晴らしかった。柔らかく、目に付けていても痛まないようなつくりだ。縫い目や金具は一切あたらない構造のようで、手触りも非常に良い。
「実際につけると良くわかる。つけられるか? ああ、これなんて試しにつけるには丁度いいぜ? なんせここでホラ……こうして……紐の長さが調整できるようになってる」
そう良いながら、店主はユキに眼帯をつけた。
店主の言うようにそれは非常に柔らかく、金具がついているにも関わらず重さはほとんど感じなかった。
「耳のところはどうだ? 何もあたってねぇみたいだろ?」
「はい、これなら確かに擦れないかも」
「ここの店のいいところはね、値段が安いのに質が良いトコなのよ。まあ、このオヤジがこんなだから若い女の子はほとんど逃げちゃうんだけどね。だからいつも店番は奥さんがやってるわ。今は買い付けでいないけど」
いささか辛らつなレディスの評価に、店主は照れたように頭を撫でる。
「まあ、俺は乱暴者だからなあ」
「照れるトコじゃないわよ。どう? ユキ。彼自身が眼帯を使う人だから、色々とこだわっているのよ。これなら受け取ってもらえると思うけど。それにアンタ、今まで貰った給料、一度も使ってないでしょ?」
その言葉にユキはわずかに目を見開いた。
「ま、まあ……使うような用事もないですし……ご飯も宿代も無料だし、洋服は父上が買ってくれるし、休みの日は図書館で本を読むから……」
「まったく年頃の乙女が泣けるわねー。枯れてんじゃないわよバカな子。でも今回はそれが武器よ」
「ぶ、武器?」
「今まで大事に取っておいた給料で、初のお買い物……そしてそれは愛するパートナーへの贈り物……それもただの贈り物じゃないわ。二人の思い出にまつわる傷のための眼帯……!!」
ユキは高揚しているレディスを見て、なにやら雲行きが怪しくなってきたのを感じ、一歩だけ後ずさりをする。しかしレディスは逃がすまいと腕をつかみ、ついでにひねり揚げて拘束する。
「アタシからシンを奪ったんだから、楽しませてもらうわよ? ユキちゃん」
ニヤリと笑ったレディスから逃れる手立ては、何一つなかった。