龍の御礼
活動報告から移動した、web拍手からのリクエストです。
その日、古の龍が慌てた様子で龍舎から出てきた。
その顔はキラキラと輝いて見え、苔龍は珍しいこともあるものだと目を瞬いた。何故なら彼は年をとってからほとんど動かないでいたからだ。
最近では覇気をなくし、世話係の兵士たちの間でも『もう駄目か』という話になり、戦闘にも駆り出されなくなっていた。
そんな古の龍は、苔龍を見とめると『アッ!』という顔をして駆け寄ってくる。
「おい、知っているか」
「おー、どうした? じーさん。そんなにはしゃいでっと、心臓が止まるぞー」
「そんなことを言っている場合ではないのだ。なにやら我ら龍のことを好きだと言う者がいるらしい。先ほど見たのだ」
やたらと興奮している古の龍を見ながら、苔龍はわずかに顔をしかめた。
「見た? アモンか」
「いや、あの間抜けな世話係ではない。異世界の者だ。夢で見た」
「異世界? それはまた……夢ってぇと、予知夢とかその類か。じーさんの夢は昔からよく当たるんだよなー」
しかめられた苔龍の顔が驚きに変わる。
「しかも、毎日“らんきんぐ”とか言うのを押しているらしい」
「らんきんぐ? 押す……ってぇと、人の子が作った“ボタン”とかいうやつと同じなのか? でもよー、あれは何かが発動する仕掛けだったような……」
「いや、よくわからん」
苔龍は『わからねーのにはしゃいでンのか』と言うと、鼻息が荒い古の龍をなだめながら言葉を続けた。
「それで、それは押すと何が凄いンだ?」
「いや、凄いだろ。毎日だぞ? 押すという作業はきっと大変なはずだ。大岩を動かすほどの労力だろう」
「は? あの小せーボタンはそんなに重いのか? 大岩って人間が1人で押せるもんじゃねーだろ?」
「だから大変だと言っているのだ。しかも、それだけじゃない」
「まだあンのか」
「ああ、まだある」
古の龍は胸を張って、もったいぶったように大きく息を吸い込んだ。
「なんと、“ふじみしょぼー”に推薦してくれたようだ。“我ら”を」
「推薦? ふじみしょぼー、とかいうのは軍なのか?」
「いや、それもわからぬ。だが推薦してくれたのだから、凄いだろう。我らは推薦されたことなどないからな」
「まあ、そうだな。いつもテキトーに配置されるからな」
苔龍はいまいち分かっていないものの、年長者の古の龍がそう言うのであれば凄いのだろうと自分を納得させた。
しかし、古の龍から発せられた言葉に我が耳を疑うことになる。
「だからな、王都を出ようかと思う」
「は?」
「推薦してくれたのなら、その恩に報いねばな」
「いや……いやいやいや、それはまずいだろう! 王になんて説明する気だ!」
「別に我が根城はここだけではない。それまでの話だ。他にも出ていく龍は今までにもいただろうが」
「じーさんと若龍が出ていくのはわけがちげーンだよ! おい、じーさん!」
慌てて止めるも、古の龍はすでに飛び立つ準備を始めていた。
年々動かしにくくなっていく翼を懸命に動かす。
「ま、待て待て! おい、誰か! あ、黄龍! ちょっと手伝え!!」
「やかましいぞ! 私はまだ飛べる!! それに受けた恩を仇で返すなど、貴様は龍として――ぐあっ!」
突如、うめきながら倒れた古の龍の周りに、何事かと様子をうかがっていた龍達がわらわらと集まってくる。
尻尾を甘噛みしたりとちょっかいをかけるが、古の龍はピクリとも動かなかった。
「おかーちゃーん。じーじ、どーしたのー?」
「あらあら、またぎっくり腰なのかしらねぇ? 坊や、痛いのだから、触ったらダメよ」
苔龍はその様子を見ながら、大きくため息をはいた。
「なあ、じーさん。別に恩に報いる方法は直接仕えるだけじゃねーンじゃねーの?」
「ど、どう、いう……ことだ……」
苦しげな古の龍を見て、苔龍は『この調子ならまだまだ死なねーな』と苦笑した。
実のところ、覇気がなくなってから、いつ死ぬかと気が気ではなかったのだ。
「オレらで礼を言うのさ。オレらの咆哮は、世界を超える。そうだろう?」
一瞬、目を見開き、古の龍は苦笑した。
「そう、だな……」
「あまりみなに心配をかけるな。おいぼれ」
「一言余計だ」
それから、古の龍の呼びかけで龍達が一列に並び、空を見上げる。
「では、ゆくぞ。手を抜くなよ」
一瞬、龍達が静かになり音が消えた。
辺りは鳥のさえずりしか聞こえない。
普段誰かしらが鳴いているはずなのに何事かと龍の世話係が様子を見ようとした瞬間、何十もの龍達の咆哮が大空へと響き渡った。
空気がビリビリと振動する。
「……我らの礼は、異世界に届いただろうか」
「そりゃ届いただろーよ」
「……そうだな」
嬉しそうに笑う龍達の横で、世話係の兵士は腰を抜かして座り込んでいた。
青い空の向こう側に向けて、再び龍の咆哮が響く。




