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覚えた言葉は使ってこそ価値が出る。

「……なんだよ」


 キャッツは意地悪そうな顔を引っ込めて困惑していた。

 目の前にはペノップ。小さなペノップを差し出すのは、自分よりはるかに小さな手。それを差し出しているユキは、眉間にシワのよったキャッツの顔を恐る恐る見つめた。


「キャッツさん『あの、これ……食べたいんですよね……? 私のでよければ……ああ~、言葉通じないんだった……えーと、言葉表、言葉表……』食べる、ペノップ。キャッツさん、食べる」

「……あ、ああ……キャッツさん、ユキがオヤツをくれるそうです……」

「……僕に? 僕がオヤツ? ()が? コイツ、僕に言ってるの? 本気で?」


 キャッツは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、目の前の小さな手とユキの困惑顔を交互に見つめる。

 少なくとも、今までキャッツにオヤツをあげようとした生き物はいなかった。いなかったし、キャッツもオヤツがもらえないからといってごねるようなことはしない。

 例えば誰かが気まぐれにその手を差し出してオヤツをあたえたとしたら、女子供関係なく、冷たい眼差しを向けられているだろう。運が悪い者なんかは手首から先がなくなったはずだ。

 別にオヤツが憎くてそうしているのではなく、キャッツが単に人付き合いを嫌っているため、“誰にも関わって欲しくない時間”というのが普通の人間よりも非常に多いのだ。そしてその“誰にも関わってほしくない時間”に接触するものは、例外なく排除される。


「あれ……違う? 私、間違えた……? 意味、言葉、通じない?」

「い、いや、間違えてはいないよ……! ちょっとびっくりしているだけだと思う」

「びっくり? びっくりの言葉の意味、わからない。どういう意味?」

「驚くってこと。『わあ!』って……わかる?」

「わあ? 『驚いたのかな?』なぜ?」

「な、なぜ……?」


 改めて問われ、グラスも困惑する。確かにキャッツの見た目は若い。それこそ、ペノップを食べてもおかしくない年齢だ。

 だが、グラスは『黒豹部隊の奇人変人にオヤツを差し出すのは、一番近い例えで言えば殺人鬼に花を渡すようなものだ』と思った。


(い、いや、殺人鬼なんて失礼か……)

「あのさ」


 憮然(ぶぜん)とした表情でキャッツがユキを見る。


「お前、早く言葉覚えてそのタメ口やめろよ。僕、お前より偉いんだけど」

「タメ口? タメ口……グ、グラス、タメ口わからない……! あと、エライの意味……!」

「えぇ……!? えっと、つまり……」


 どうやらキャッツが不愉快になったらしいというのはわかったものの、ユキにはわからない言葉が多すぎた。

 こそこそとグラスに意味を聞くものの、さらに眉間のしわが濃くなったキャッツに気づいて慌てて差し出していたペノップを引っ込める。


「キャ、キャッツさん、私、言葉、頑張る……! 早く覚える! わからない、ごめんなさい! あと、ペノップ、おいしいけど、キャッツさん、ペノップ、いらない……!」

「そうだよ、覚えるんだよ。なるべく早くね」

「はい……! 覚える、早く覚えて――え?」


 キャッツはユキの手の中のペノップを取り上げると、口に放り込んで「甘っ。何これサイテー」と文句を言いながら去っていった。


「……キャッツさんがオヤツを……ユキ、キミ凄いよ……!」


 ズレた感覚でユキを褒めるグラス。誰もグラスには言わないが、このズレた感覚こそが黒豹部隊の一員としてドップリ肩まで浸かってしまったという証拠であった。

 ところで、先ほどの出来事はグラスからすれば結構な衝撃であった。そして恐らくは誰が見ても口をポカンと開けるくらいには衝撃で、すでに去りつつあるキャッツですら、『そういえばなんでコイツにオヤツもらってんだろう』なんて考えているところであった。

 2人はキャッツの背を見送りながら、とりあえず危機的状況(ピンチ)は去ったらしいと知った。




* * * * * *




「じゃあ、今日はここまでにしようか」

「ここまで? 終わり?」

「そう、終わりだよ。よく頑張ったね」

「グラスさん、ありがとう! ――じゃない、ありがと、ございます」

「うん、どういたしまして」


 キャッツと言う嵐が去ってからしばらく、言葉の勉強を続けた2人は夕日に照らされた図書館をあとにした。

 その道すがら、グラスは注意深くユキを観察する。


(……あれ……この子、魔力が無い)


 それに気づいた瞬間、背筋が寒くなる。

 魔力がない人間は、この世に存在しない。それはグラスの、いや、この世界の常識だ。

 どうしてアルージャがこんな子供をと思っていたが、ようやくその謎が解けたような気がした。


(アルージャ総統はこの子を戦闘に利用する気か……?)


 横を歩くユキは普通の子供に見える。

 奴隷商から買い取ったと言うだけあって痩せてはいるが、普通の13歳くらいの男の子に見えるのだ。

 軍事的な利用のためだけに……そうは思ったが、グラスはイマイチ信じられなかった。それほどにアルージャの真面目さはグラスの中で定評がある。


(……試してみるか)


 グラスは魔法が苦手だ。しかし、全く使えないわけではない。

 戦争に出れば絶対に怪我をする。小さな傷をいちいち医療班に見せていては医療班の仕事が増えてしまうので、簡単なものであれば自分で処置をすることもあるのだ。


(ごめんな……)


 心の中で謝って、少しだけ右手に魔力をこめた。

 そっと手を近づけ、指を軽くはじく。小さな電撃はユキに向かって放たれ、当たったと思った瞬間フッと消えた。


(……そんな)


 このとき、グラスはようやく自分が相手をしていたのが、ただの子供ではないと確信したのだった。


「ほーう、こりゃあすげぇ」

「わあ!?」


 声をあげたのはユキ。

 急に目の前へ現れたヤクーに、飛び上がらんばかりに驚いて心臓を押さえている。


「ヤクーさん……気配を殺して近づくのはやめて下さい。ユキが驚いているじゃないですか」

「別に気配を殺したつもりはねぇさ。それよか今のだ。お前の魔力、吸い込まれなかったか?」

「……ええ」

「やっぱ予感は大当たりってことか。こいつ、召喚落ちで無色だ。あーあ、隊長も面倒なガキ押し付けやがって……少しはキャッツから聞いただろ?」

「押し付けやがってって……ヤクーさんは面倒をみないじゃないですか」


 ユキは未だに混乱していた。全くヤクーの気配を感じなかったのだ。

 言葉の勉強をしながら、また自分が置かれている環境を見ながら、今自分がいるところは軍のような場所だということはなんとなく理解していた。そしてすれ違う人の表情から、自分を取り巻く人達が、軍の中でも距離を置かれているのだということも理解していた。

 さらに言えば、軍人とは思えないみてくれの人達を見て、『ああ、ここは変人が集まるところなんだ』というところまで察していた。


(変人をとりあえず所属させておく部署かと思ったんだけど……もしかしてこの人達凄く強い……? でもグラスさんは平凡――普通に見える……)

「なあ、こんな噂は知ってるか?」

「噂?」


 剣呑な表情を浮かべるヤクー。嫌な予感を感じ、グラスはそっとユキの前に立ってヤクーから遠ざける。


「無色の体液はどんな蜜より甘いんだと。飲めば飲むほど癖になるってな。体内に溜め込まれた魔力が濃いから、止まらなくなるらしい。なあ……ちょっと舐めさせてくんねぇかなあ? なあ、おい? どうせアルージャの爺さんは牢屋にぶち込まれてんだ。俺がちょーっと舐めたからって、お前の保護者にゃバレやしねぇさ。いいだろ?」

「な、なに……? ヤクー、さん、言っている意味、わか、らない……アルージャ、さん……なぜ牢屋? 牢屋って悪い人が入る、とこ……」

「お前のせいだよ。お前を助けたから、牢屋にぶち込まれたんだ。お前を買うのに随分と高い金を出したらしいぜ? なのに牢屋行きたぁ、笑えるな。正式な手順を踏んでいれば、牢屋にぶち込まれることもなかったのによ。ま、そしたら貴族や王族に美味しいとこどりされて手に入らねぇって話か」


 わからないなりに、身の危険は感じているらしいユキは、じりっと後ずさりした。

 そして今知らされたアルージャのことが、グルグルと頭の中を駆け巡る。


「ヤクーさん、あまり怖がらせないで下さい。彼は隊員ではないんですから」

「隊員じゃない? いや、なったぜ? 隊員に。ん? ああ……お前は知らないんだな。一日コイツと図書館に引きこもってたから。てっきりキャッツのやつが言ったかと思ったぜ。お前らンとこに行くって言ってたからな」

「どういうことですか……?」

「国が認めたのさ。こいつは我らが黒豹部隊の隊員だってよ。それと同時に貴重な兵器であるとも」

「ヤクーさん……! そんな言い方……」

「なんだよ、そういうことだろう? 貴重な兵器を放っておけるか? 答えはノーだ。だから、俺らの部隊に入隊させた。極自然な流れだろ? なあ、そう思わねぇか?」


 そういったヤクーの目は死んでおり、濁った色がグルグルと渦巻いているように見える。

 薄っすら殺気が漏れ、重苦しい空気にユキは思わず息を止めた。


「俺ら以外には無理なんだよ。この扱いの難しい兵器を誰が管理するか……俺らだ。見張るんだよ、こいつを。何か変なことをやらかさないか、敵国に盗まれないか……それから、“死なないか”をな」

「そんなのは所有主が……国が認めたのであれば、アルージャ総統は解放されるでしょう」

「それとこれとは話が別なんだよ。オトナってのは難しいんだ」

(何を……もめているんだろう……でも、たぶん、私のことだ……なんか……怖い……)


 上手く息が吸えない。

 酸素が足りない。それが、ゆっくりゆっくりユキの意識を遠のかせていく。


「つまりユキは……なんの抵抗力も持たないこの子供は――」

「想像のとおりだ。明日、戦があれば、当然のごとく最前線に送られる。黒豹部隊ってのはそういうトコだろう? まあ、でも死なれたら困るんだ。危険のないトコで箱詰めじゃねぇの?」

(息……吸えない……)


 ニヤリと笑うヤクー。苦々しげな表情をするグラス。

 その2人を見ながら、ユキは我慢できずにとうとう膝から崩れ落ちた。

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