伝令鳥。
「……黒豹部隊を収集しろ」
手に伝令鳥を持ったアルージャが、頭を抱えて指示を飛ばす。
慌てたように走っていく騎士を見ながら、アルージャは大きなため息をついた。
「1週間も連絡がないから何をしているのかと思えば……」
シンが長期任務へ出て行ってから、すでに2週間が経っていた。
最初の1週間は毎日連絡が来ていたものの、それから先、ちっとも連絡が来なくなったのだ。他の者に探らせてはいたものの、シンの足取りは全くつかめない。それが今日になって、シンから伝令鳥が送られてきた。
その手紙は救援要請。それも、何も書いていない赤紙が1枚。これは最終手段として使われるもので、これが使われる時は一刻を争うレベルであった。
「黒豹部隊、到着しました」
息を切らせた騎士が転びそうになりながら入ってくる。もう来たのかと感心していると、不機嫌な顔を隠そうともしない黒豹部隊が勢ぞろいしていた。
「表にいたかのような速さだな」
「表にいたのよ国王陛下」
レディスが足早にアルージャの前へやってくると、アルージャも椅子から立ち上がる。
後ろについてきた者は、退屈そうだったり不機嫌そうだったりするものの、みな一様に心配げな表情が見えた。
「単刀直入に言うと、シンから救援要請がきた」
「救援? 応援ではなくて?」
キャッツの目が細められる。
「ああ、赤紙救援だ。ヌーラが現れたらしい」
その一言を聞いた瞬間、ユキの息をのむ音が部屋に響いた。
「紙には軽く魔力が込められていた。それによると、現在交戦中。相手の位置がわからず、見つかったり隠れたりしながらなんとかしのいでいるようだが、そろそろ危ないようだ。近くに村があるようでな、そこで休んだりはしているものの、そこが巻き込まれぬように出立したらしい」
「ヌーラ……って……魔物に魂と体を売ったというヘドロという裏名を持つ者のことですよね」
グラスがポツリと呟けば、アルージャから肯定の返事が上がる。
「今すぐ出られるか」
「当たり前よ。アタシ達を誰だと思っているの」
「……頼む」
呆然として立っているユキを誰かが引っ張る。よろめきながらそれについていこうとすると、後ろからアルージャに呼び止められた。
「ユキ、こちらへ来なさい」
「……はい」
ユキから手が離れていく。それが結局誰だったのか確認できず、ユキはただその場に立ち尽くしていた。
「ユキ」
「…………」
「呪をうけたと聞いた。まだ体はなんともないようだな。体調が悪くなったらすぐに言いなさい」
「はい」
「……せっかく親子になったというのに、私が王になってからは、全然お前と話す時間が取れないな」
「……はい」
「ユキ」
「…………」
「ユキ」
揺さぶられて、ハッと顔を上げる。
そこには、心配げな表情をしたアルージャがいた。それを見て、ユキの目にジワリと涙が浮かぶ。アルージャは困ったような顔をすると、ユキから視線を外してユキの後ろ側へ声をかけた。
「おい、ベンジャミン。私が今日の公務を始めて何時間経つ」
「4時間ほどでございますな」
「では少し休憩を。お前も休め」
「かしこまりました。ありがとうございます、国王陛下」
足音が遠ざかっていく。
それと同時にアルージャは再びユキに視線を戻すと、ゆっくり抱きしめて大きく息をはいた。
「私はお前のことが心配で仕方がない」
「……すみ、ません」
「怒っているわけではない……ただ……ただ、お前は……何と言うか、お前には、幸せになって欲しいと思っているのだ」
「…………」
「……なあ、ユキ」
名を呼んだアルージャの声が震えているのに気付き、ユキは思わず顔を上げようとした。しかし、その動きが制され、よりきつく抱きしめられる。
「私は王になって護れるものが増えた。しかし、同時に同じくらい自らの手から零れ落ちていくのを感じるのだ。どうか私の手足となり……国を、護って欲しい」
アルージャは、忙しくてここ最近ずっとユキと会えずにいた。ユキはそれを気にしていたが、王においそれと近づいてはいけないのだと思い、会いに行こうとしなかったのだ。だから、声を震わせるほどアルージャが何かに思い悩んでいるだなんて気付きもしなかった。
しかし今、それに気付いてしまい、ユキは罪悪感を感じていた。
自分はアルージャを護るはずだったのではないかと。
「……お父、さま」
「!」
「あの、私、弱いけど……国を護ります。お父様が大事にしているものを、私も護りたいから。でも、一番守りたいのは、貴方なんです。私が一番大事だと思っているのは、貴方なんです」
ボロボロとこぼれる涙をアルージャのマントに押し付け、思いっきり深呼吸する。
そしてゆっくり離れ、なんとか笑顔を作るとアルージャに一礼した。
「……ユキ、これを持っていけ」
アルージャから渡された指輪をつまみ、ジッと見つめる。
「これがお前を護ってくれるだろう」
「……行って参ります」
わずかに目元を赤くしたアルージャは、力強く頷くと椅子へ座る。
ユキは二度と振り向くことなく、部屋をあとにした。
「あー……ユキ」
部屋を出てすぐ、ベンジャミンと呼ばれた男の声に呼び止められた。
振り向けば恰幅のいい優しそうな男が立っている。50代くらいの男で、その頭には白髪が混じっている。
「忙しいところ申し訳ないのだが、一つ昔話をさせてほしい」
「はい」
「私は国王陛下の――アルージャの幼馴染と呼ばれるポジションにいた。あれは昔から非常に情け深い男だ。それは君が良くわかっていると思うが」
ユキは無言で頷く。そうすると、ベンジャミンは薄っすら微笑んだ。
「あれが今まで一番大事にしていたのはシンだ」
「シン……さん?」
「シンは……可哀想な子供だった。シンだけじゃない。黒豹部隊の者達は、みな国に利用されていた」
「それは……生贄のことですか?」
「ああ、そのことも知っているのか……しかし私が言っているのは生贄のことではない。もっと大きな、黒い部分がこの国にはある。その被害者の寄せ集めが黒豹部隊なのだ。これはこの国の最大の罪……しかしその中でも最も罪深いことをしてしまったのがシンだ」
剣呑な空気が流れる。
思わずあたりに誰もいないかを確認しようとすれば、『賢い子だ。だが魔法を使っているので安心しなさい』と微笑まれた。
「シンは、龍になる資格を持った男だったのだ。しかしそれは、国のせいで無きものとなった」
「え……」
「あれが下種で鬼畜な男だと思うか? 大体の者はそう思うであろうな。できれば関わりたくないと。極悪非道だと」
「…………」
「しかし、シンの過去を考えれば……それも仕方がないと思ってしまうのだ。もちろん、やっていいこと悪いことがある。それでも……他人との付き合い方がわからなくなってしまったあの男が、君に少しずつ心を開いていくのを見て、私は――……明るい未来を、期待してしまったのだ」
ユキはわからなくなる。果たして自分が、そんなに大きな影響を及ぼしているのだろうかと。
しかしベンジャミンの顔は驚くほど穏やかであった。
「シンが結構前から『なるほど』だとか『そういうことか』と呟くようになったのに気づいたか? ああ、君は一番酷い時のシンを知らないか……実はな、面白いことに、あれは今、感情というものを学んでいっているらしいのだ。自分でも良くわかっていないようだが、君といることで、少しずつ感情を知っていっているようだ」
「感情……?」
「ああ。何故そうわかるのかと言えば、あれはある特定の人物が関わっている時にだけそう言うからだ。私やアルージャにすら嫉妬を――いや、これは野暮か」
静寂があたりに落ちる。
今ベンジャミンが言ったことは、全て聞き間違いかと思った。しかし、ベンジャミンの顔は真剣そのもので、とても嘘を言っているようには思えない。それに、確かにその単語には聞き覚えがあった。確か、記憶が正しければ一番初めに『なるほど』を聞いたのはキャッツとの決闘の時だったような……とユキは思い出す。
「今はまだ全てを話すことができない。だがきっと、君は真実を知る日が来るだろう」
「……ベンジャミン……さん……」
「……先ほど王は『国を護って欲しい』と言ったな」
「……は、い……」
「ようやく、国王としての自覚が出てきたようだが……私は優しすぎるあれが潰れてしまうのではないかと心配している」
「…………」
「本当は、シンを助けに行きたいのだ。大事な娘をやらず、哀れな者共をやらず、自らの手で助けたいとそう思っている。だがあれは王だ。今、王がいなくなるわけにはいかない」
ベンジャミンの目が、段々と赤くなっていく。
それを見たユキの目も、おさまったはずの涙がじわりと浮かび上がっていった。
今ベンジャミンがユキのことを力強く『娘』と呼んだのを聞いて、ユキはアルージャとベンジャミンの絆に気づいた。恐らくは自分のことを相談しているに違いないと思い、胸の奥になんとも言えない思いがわき上がってきた。
「アルージャには大事なものが増えすぎてしまった」
「…………」
「アルージャが……シンを盗られてしまい、それを自分で助けることもできず、代わりのものを行かせることにどんなに心を痛めているか……!」
悔しそうにそういうベンジャミンは、怒りで顔を真っ赤にしながら目を伏せる。
アルージャは、個人を指して騎士を動かすことができない。王であるがゆえに、勝手に行動することもできないのだ。大切なものを護ることが難しいから、アルージャは王になるのを嫌がった。しかし、国がそうさせない状況になってしまった。
アルージャなりに考え抜いた結果、アルージャは大切なものを使って大切なものを助けに行くという選択肢を選ぶしかなかったのだった。
「頼む、どうか……どうかシンを助けて、無事に帰ってきてくれ……」
消え入りそうな声を出すベンジャミンに、ユキは深く深く礼をして無言でその場を後にした。その台詞は、本当は王が一番言いたかった台詞だとわかったからだ。
風にゆらぐカーテンが、2人の間をさえぎる。
その姿が完全に見えなくなるまで、ベンジャミンはユキに頭を下げ続けた。
* * * * * *
「ほら、これアンタの旅道具よ。長期任務には行ったことなかったでしょう?」
ユキが戻ってすぐ、レディスがユキの目の前に少し大きめのリュックを突きつけた。
「私のために……?」
「アタシが準備してあげたの。感謝なさい」
「あ、ありがとうございます……! レディスさん優しい!」
すでに他の人物は荷造りを終え、すぐにでも出る準備が整っていた。
やや緊張した面持ちのグラスが、小さく息を吐き出すと硬い声で、しかしはっきりと聞こえる音量で告げる。
「では、先ほど大臣から依頼がありましたので、今回は僭越ながら自分が指揮をとらせて頂きます」
「僭越? 適材適所でしょ。僕じゃ普通の判断下せないし」
「え?」
キャッツの言葉に、グラスがキョトンとする。
「ああ、そうだな。シン隊長が言ってただろ? 俺がいない間の指揮はグラスに任せるって」
「僕は殺すことしか知らない。ヤクーは馬鹿。レディスは興奮したら抑えられない。ユキは経験不足。今この部隊で冷静な判断が下せるのは……グラス、お前だけだよ」
「アンタ、自分のこと普通だって言ってるけど、結構そうでもないわよ。自覚なさいな。あのシンが推してるんだから、自信をもって頑張るのね」
グラスの顔が赤くなっていく。
先ほどより小さい声で『頑張ります……』と言うと、咳払いをして挙動不審気味に資料をめくり始めた。
「ええーと……我々がいない間の王、及び王族の警護は青豹部隊に任せることになりました」
「なんだそれ! 不安だな!」
ヤクーが一番に噛みつけば、それを予測していたグラスが苦笑する。
「この中の誰かが残ることも考えたのですが、作戦上、誰一人として欠けられては困るんです」
「ほーう。ではその作戦とやらを聞こうか」
「まず、伝令鳥の発信された地域へ出向きます。ここからなら騎龍を使った方が早いでしょう」
グラスはそう言いながら地図を広げ、山が連なる場所へ赤ペンで丸をつけた。
「ボンゴレ山脈じゃない。いいところだこと」
「いいところ、なんですか?」
ユキがそう言えば、キャッツが『険しすぎて死人が多発するんだ。この世の地獄だよ』と笑う。
「キャッツさんは偵察、レディスさんは補助魔法、ヤクーさんは薬による援護。そしてユキ……」
そこまで言って、グラスの顔がしかめられる。
「あ、あの……私は……?」
ユキが恐る恐るそう聞けば、痛ましい表情のまま、搾り出すようにしてグラスが言葉をつむぐ。
「敵を見つけるための……囮に……」
「囮? こいつソッコー死ぬんじゃないの?」
キャッツのあざ笑うかのような声に、ユキは情けなくなりながらも頷いた。
「逃げることしかできません」
「ユキは呪を受けていたね」
「はい」
「あ~……なるほど……そう言うこと」
レディスが舌打ちをすれば、グラスの顔はますます強張っていく。
「呪は、打ち消そうとしなければ術者の居場所を特定することができる。つまり誰もその術に手をつけず、純粋に術者の魔力を感じられる状態と言うことなんだ。そうして細い糸をたどるようにしながら魔力を追いかける……だから、ユキがそこにいれば、おのずとヌーラのいる場所に行くことができる」
「ああ……! なんだ、ビックリした! 私が囮になっている間に皆さんが叩くのかと思った……よかった~。それならできそうです。私はそこにいるだけでいいんですよね? あ、戦わないってことじゃないんですけど、皆さんほどは動けませんし……いざという時は、龍体になって援護します。それから――」
「なあ、お前わかってんのか?」
ヤクーの低い声に、ユキはキョトンとする。
「今、このグラスがめちゃくちゃ黒豹部隊っぽいことを言ったんだぞ?」
「え……?」
「わかってねぇな。いいか、“打ち消そうとしなければ”術者のところにいける。つまり、お前は呪を消す類の処置が一切できねぇんだ。お前の呪はどういう呪だった?」
ユキは、目の前が真っ暗になったような気がした。
「つまり……お前の命は、もしかしたらヌーラに会う前に尽きるかもしれねぇってことだよ。見つけるのが遅くなればなるほど、お前は確実に死に近づく」
「で、でも……ほら、黒龍って命をいくつかにわけられるんですよ! だ、だ、だから、少しくらい――」
「それが全部尽きたら? そうなったら、お前は死ぬ。つまり、テメェの命を差し出せってことだ」
「…………」
「ま。この任務は急いでやらないといけないやつだから、そんな何日もかける気はねぇけどよ」
ゆっくりグラスに視線を向ければ、気まずそうな顔をしつつもしっかりと視線を合わせてきた。
それを見て、ユキは『ああ、この人はなんて強いんだろうと』思う。
「グラスさん。そんな顔、しないで下さい」
ユキが困ったように笑えば、グラスは大きく息を吐きながら下を向く。
「……こんなこと、言いたく、ないんだ……」
「わかってます。わかってますから」
静まり返る部屋。
グラスが小さく『10分後に龍舎で』とつぶやくと、各々解散した。その部屋に、グラスとキャッツが残る。
「ちょっと。指揮官がそんなのでどうするわけ。お前はシン隊長みたいに『テメェの命を国のために捧げろ』とだけ言って平然としていればいいんだよ。お前だって分かってんでしょ。シン隊長が本当は一度だって平然として仲間を傷つけるような指示を出していないってこと」
「…………」
「だから今回お前がそういう態度を取ったって、誰も何も言わない。ユキが黙って受け入れたのは、そういうことでしょ。なのに命令を出した本人がそんな顔でどうするのさ」
「……自分は、指揮官に向いていない気がします」
「優しすぎるからね。あ、言っとくけど褒めてないから。覚悟が足りないって言ってるだけ。まあ、あの男は感情を隠すのが上手すぎるけどね。それでいらない反感も買うし、ちょっと外れたことをやれば『やっぱり黒豹部隊か』なんて言われるし。素行が悪いから仕方ないけど」
グラスが顔を手で覆う。
「あと10分もあるんだから、それまでには冷酷非道な顔ができるように頑張りなよ。みんな期待してるんだからさ」
「……はい」
「あ。言っておくけど、叱咤激励とかじゃないから。お前にプレッシャーをかけて、潰そうとしているだけだから」
そう言ってシッポを揺らしながら、キャッツが遠ざかっていく。
その後姿を指の隙間からみつめながら、グラスは小さく笑った。