ニーレイとヌーラ。
「で、誰なんだよ。その“ヌーラ”ってやつは」
事情を知らないヤクーだけが不機嫌そうな顔をしている。
ユキは場所を変えた方がいいと提案し、客室へ連れて行くと防音装置のスイッチを入れた。
「アレは……ニーレイの全てを奪った男です。良くありがちな物語で、しかし非常に残酷な話」
「ニーレイさんは……ヌーラに――」
「ああ。元々僕らは幼馴染だった。兄として慕っていたのに、ある日突然、あの男はニーレイを襲った。僕はそばで……それを、見ていることしかできなくて……服をはがれ、泣き叫ぶニーレイを、僕は――」
シュウが、拳を握り締めて震える。
「シュウさん……言いにくいことを聞きますが……お姉さんはその後――」
「ユキ、勘違いしているようだから言うが、アレは男だ」
今まで黙っていたシンの言葉に、時間が止まる。
ヤクーは『へ?』と間抜けな声を出し、口をポカンと開けた。ヤクー自身、ニーレイの世話になったことはないが、店で何度か見かけたことがあったのだ。『あんなに綺麗なやつが男……』と小さく呟くとヤクーは大きくため息をついた。
「ニーレイはね……男であることが嫌になったんだ。ヌーラは同性愛者だった。だから、自分が男であったがために襲われたと……男であったがために、ヌーラを血迷わせてしまったと後悔していたんだ……」
「そんな……ニーレイさんは悪くないじゃないですか!」
「そんなの分かってる!! ニーレイは……! ニーレイは……馬鹿なんだ……」
シュウは大きく息を吐いて頭を抱え込み、震える声で続ける。
「故郷の医学で体を造り替えた。それも死ぬほど辛い治療だ。それで体をすっかり女の姿にかえ、ニーレイはあの日から“女”として過ごすようになった。二度と、ヌーラのことを忘れないように……自分の罪を、忘れないように……そして何より、自分を汚した“男”になっていく自分が、気持ち悪かったのだろうね」
ユキは何もいえなかった。
あまりも壮大すぎて、なんと言ったらいいのか、なんと言えば、安っぽい同情に聞こえないか分からなかったのだ。
「……シンさんは、知っていたんですか……」
「ああ」
ユキの問いかけに即答する。
「隊長殿……貴方は、ニーレイの過去に気づいた時から、毎夜ニーレイを買っていましたね。あの話をニーレイが他人にしたのは、後にも先にも貴方だけでしょう」
少し顔をしかめたユキを見とめ、シュウは苦笑する。そして再びシンに向き直ると、震える声のまま、絞り出すように続けた。
「ニーレイを買い続けたのは、ニーレイが……兄が、怖い思いをしないようにでしょう?」
「…………」
シンは答えない。
「男に買われて、あの日を思い出さないようにですよね? 兄は、『シンは私を買うが手は出さない』と苦笑していました。それは、貴方が兄を――」
「別に。買ったはいいが、興味がわかなかっただけだ。お前らがどう思おうと勝手だがな」
「貴方は本当に……ニーレイが『最近買ってもらえなくなった』と嘆いていましたが、こんなに可愛い恋人がいるなら、いりませんね。ニーレイも男を拒めるほどに強くなりましたし」
クスクスとシュウが笑う。『強くなるまで、護ってくれたのでしょう?』という質問に、シンは答えなかった。
「それで、テメェはなぜニーレイを避けてんだ? もしかしてまだ“ヌーラと同種の自分”を悔いてるのか?」
「……隊長殿は意地悪だなあ」
困ったように笑うシュウに、シンはニヤリと意地悪そうな笑みを向けた。この時、ユキはこっそり『え、ヌーラと同種……? それはつまり……』とソワソワしていたが、口に出す空気ではないので黙りこむ。
「ま、何がなんだかわかんねぇけどよ。俺らは与えられた仕事をこなすだけだ。そこには情もなんもねぇ。ただ、任務成功しか見ずに前へ進むのみ。だからお前は俺らに口出しするんじゃねぇぞ」
「ええ、わかっています。貴方がたの任務成功率は高い。それを見込んで、ニーレイも黒豹部隊を指名したのでしょう。手段は問いません。ヌーラを見つけたら、殺してくれてもいい」
そう低い声で言ったシュウの目に、光は一切なかった。
* * * * * *
「ヤクー。今回お前をこの任務に加えたのは、お前の薬が必要だからだ。部屋に戻って突入用の薬をそろえて来い。それから毒抜きと気付け」
シンに指示を飛ばされ、ヤクーは短く返事をすると部屋へと戻っていく。
「ユキ」
「はい」
「お前はニーレイの保護を優先」
「はい」
「それから――」
そう言ってユキの方へ手を伸ばす。伸ばされた手は首の後ろに回され、グイッと引き寄せられた。
慌てたユキがたたらを踏むと、もう一方の手で腰をつかまれ、額と額を合わせるようなかたちになる。
「あ、あの――」
「これが、ヌーラの顔だ」
そういった瞬間、泣きボクロのある色の黒い男の顔が見える。金色の髪を後ろに撫でつけ、血走った目で何かをわめいていた。そして取り出した銃をこちらに向け、銃口から火柱が上がる――……
「……今のが……」
「よく覚えておけ。こいつの顔を見たら、すぐに逃げろ。報告は後でいい。絶対に、こいつに、近寄るな」
「……どうしてですか?」
シンは少しだけいいよどみ、低くポツリとつぶやいた。
「これはもう魔物に犯されている。脳が、溶けちまってんだよ」
「溶ける……?」
「溶けた脳は元に戻らねぇ。つまり……もう魔物と大差ねぇってことだ」
「では……ヌーラは罪を償うこともできないってういことですよね」
無言の肯定。
「そんな……そんな、酷いことが……」
何も言えなくなったユキを、シンはただ黙って見つめていた。
* * * * * *
「こんなところでどうやって探すんですか?」
3人がやってきたのは、街の中央にある噴水のところである。
普段表に出ない黒豹部隊が3人もそろっているところから、みな遠巻きに何があったのかと様子を伺っていた。ユキは少し居心地の悪いものを感じていたが、他の2人は少しも気にしていない。
「敵は黒豹部隊が出てきているのを知っている。であれば、こそこそ戦わずに正面から堂々と伺おうって魂胆だ」
「でも場所が分かりませんが」
「そこでお前の登場だ」
シンが持っていた手袋をはめ、手を何度か握ってユキを見る。
その手袋には魔法紋章がかかれており、ユキにはそれが何か分からなかったが、ヤクーにはそれが何かすぐに分かった。
「げぇ。超拡大探査魔法かよ。エグ……」
「な、なんですか、それ」
「この国を丸ごとサーチできる特殊な魔法だ。まあ、大体は5人くらいの魔術師が手袋に魔力をためて――もって10分だな。それ以上やると魔力切れを起こして使い物にならなくなる」
「無理でしょう。私1人しかいませんが」
フッとユキが笑えば、シンの手がゆっくり近寄ってきた。
「……え、いや。無理でしょう。死にたくないです」
「死にゃしねぇよ。むしろ街の中央に来たんだ。人が多いんだから楽だろ。魔力を吸い取れ。軍部じゃなくて良かったじゃねぇか。あんな国の端っこからやったら、国を全部探すのに馬鹿みてぇに力を使うぜ?」
ヤクーがケケケと笑いながら、ユキの肩をおさえた。
その瞬間、映像が頭に流れ込む。
その映像は、たった1人でその手袋を使ったヤクーが1分持たずにひっくり返っている映像であった。
「……い、いや、おい! 無理でしょう!! 離して! 離してくださ――」
「ちょっと黙ってろ」
シンによって口をふさがれる。
その瞬間、大量の何かが体の中から抜けていくのが分かった。
「うあっ……!?」
手袋が鈍く光る。
それを見て、ヤクーは興奮したような声をあげた。
「クソ……これが黒龍の力か……! 相変わらずスゲェ……」
周りに配慮して小さく呟いたその声は震えており、ヤクーの額からは大粒の汗が垂れる。
「き、気持ち悪いっ……」
「ユキ、もう少し頑張れ」
シンの額からも汗が流れ、ユキの口を塞ぐ手はかすかに震えていた。
「……ゲホっ……ゲホッ……シ、シン……さ――」
空気が抜けるような音がして、ユキの体を衝撃が襲う。ヤクーがその衝撃を殺し、倒れ掛かったユキを支えた。
「おい、生きてっか? 大丈夫か?」
「……だ、だめ、です……」
「大丈夫だな、よし」
震えるユキを噴水のヘリに座らせると、ヤクーはシンに向き直ってため息をついた。
「で、どうなんだよ」
「ここから10分ほど歩いたところの廃屋だ」
「へー。灯台下暗し……つーか、隠れる気ぃすらねぇとは恐れ入るぜ。なめやがって。すぐ突入するんだろう?」
「ああ」
そう言いながらユキを引っ張り立たせるヤクー。
今度は触られても映像が流れてこなかったのに気付き、ユキは内心で『いつも映像が見られるわけではないのか』と知った。
「ん? おいおい、なんだぁ? 大丈夫かよお前」
「はいぃ……」
倒れそうなほどではない。しかし、疲労しきったユキは立っているだけなのに少しフラフラしている。
「ふざけんな嘘つくんじゃねぇ。そんなんで敵から逃げられるとでも思ってんのか? アホの極みだなお前は。おぶるか?」
「だ、大丈夫、です」
頭を軽く振って気合を入れると、シンに手を引かれる。
「ん、あれ……え、ちょっと……ちょっとシンさん」
慌てながらもついていく。
ヤクーの方を振り返ってみてみれば、呆れた顔でシッシッと手を払われた。ユキはそれがどういう意味なのか分からず困惑する。
「あの、シンさん……どこに行くんですか?」
シンは答えない。
迷うことなく路地裏に入っていくと、建物と建物の隙間にユキを押し込み、多いかぶさるように口づけた。
「んあっ……! ちょっ……と……!」
その瞬間、映像が頭に流れる。
それはユキが初めてシンに押し倒された時の映像で、シンの視点で観えている。ユキの顔は真っ赤に染まり、瞳はうるんでいて、いつもの自分とは大違いだと知った。今もこんな顔をしているのかと思うと、消えてしまいたいくらいに恥ずかしくなってくる。
「ユキ」
シンのかすれた声。
ゾクリと腰の辺りがむずがゆくなる。
「…………」
一旦離れた距離は、再び近づいて鼻先がくっつきそうな距離になる。
「俺の魔力をわけてやったのがわかるか?」
「……魔力、を……わけるだけでアレは必要ですか……」
若干ぐったりしているユキを見て、シンは楽しそうに笑った。
「俺の味を覚えているんだろう?」
自信たっぷりに『忘れるわきゃねぇわな』とシンが笑う。
「なあ……何か見えたか?」
ピクリとユキが反応したのを見て、シンは『やはりな』と呟いた。
「どういう、ことでしょうか……」
「ひとつ分かったことがある。お前が他人の過去を見るのは、そいつがお前との接触時に、最も強く心にある過去が影響するらしい。ヌーラの顔も、それで見ることができただろう? ちなみに俺は今、お前を初めてお仕置きしたときのことを考えていたんだが……ああ、その顔だと成功したようだ」
「……もっと普通にわけてもらえたりしないんですかね」
「この方が手っ取り早いんだよ。色々と、な」
含みを持たせた物言いに、ユキは言葉を詰まらせた。なぜなら色々の意味を何となく察してしまったからだ。身を持って体験したとも言う。ユキは魔力以外も満たされていた。
「行くぞ」
まるで何事もなかったかのようにスッとユキから離れると、シンは路地裏から表へと歩いていった。