誘拐事件、勃発。
「遊女がさらわれている?」
ややくたびれた様子のグラスから告げられたのは、通常、黒豹部隊にまわってくるような話ではなかった。
「その問題解決のために黒豹部隊が出るわけ? 王が代わってもアタシ達の仕事内容はかわらないと思っていたのだけど。王と王族に関すること以外の任務はしないわ」
「ええ、そのはずだったのですが、王からの許可が下りたようです。なんでも、ニーレイさんから直接指名で依頼があったと言う話を聞いた国王陛下が、それであればと許可を出したそうで」
「おいおい……あのじーさん、自分の護衛を外に出しちまってどーすんだよ……アホか」
呆れたようなヤクーの口調に、グラスが苦笑する。
王の護衛といえど、誰もアルージャの近くにはいないのだ。グラスは『緊急時になんの役にも立たないから、何人か外任務に出ても問題ないと思われたんだろうな』と思いながら言葉を続けた。
「まあ、とにかく詳しい事情を聞きにいく必要がありますので、今からでも行った方が良いかなと思いまして」
「誰が行くのさ」
キャッツの声に場が静まり返る。
あそこは春を売る店だ。全員男ではあるが、向き不向きがある。それで言えば、満場一致でキャッツはなかった。誰も言いはしないが、行けば問題しか起こらない気がしたのだ。そしてそれは当たっている。
「……まあ、キャッツ以外なら誰でもいいんじゃねーの」
ポツリと呟いたヤクーの言葉。
キャッツの眉間にシワがよった。
* * * * * *
「店主、夜は何時からあけますか?」
受付をしている男から声をかけられ、ニーレイは少し考える。
最近、遊女の誘拐事件が多発しているせいで、遊女達は不安がっている。最初に消えたのは、客の相手をしていた若い遊女であった。朝になって、いつまでも出てこない遊女をからかい半分に呼びに行けば、その部屋はがらんとしていた。
前金を払っているから、外に見送りにでも行ったのかと思ったが、そんな時間でもない。では男と逃げたかという話になった時、受付も、外にいた護り番も『昨日は誰一人としていなかった』と言い張るのだ。
結局、その遊女は帰ってこなかった。
「……今日は、休みますか?」
「いつもどおり、あけるよ。遊女達を1時間後に呼んでおくれ。話をしないとね」
「わかりました」
礼をして受付が出て行く。
それを見送りながら、ニーレイは謎解明の依頼を出した黒表部隊について思いをはせていた。
先ほど依頼を請ける旨の手紙が届いた時、少しばかり驚いたのだ。まさか希望が通るとは思っていなかったのに、王が一国民のために自分の部隊を貸してくれたと。
「……次の王は随分と変わっているねぇ」
うっすら微笑む。
すると、窓の方からコンコンと音がした。振り向くも、誰もいない。
「…………」
黒豹部隊が伝令鳥を使うことがあると言うのを知っていたものだから、先触れを出したのかと思い窓へと寄った。
窓に手をかけ、少しだけ開ける。
その少しの隙間から太い手が差し入れられ、あっという間にニーレイは床へと押し倒されていた。素早く口をふさがれ、何がなんだか分からず混乱するニーレイ。
しかし、目の前に現れた何者かの顔を見て、ニーレイは大きく息を吸い込んだ。
「ヌーラ……!」
口をふさがれたまま、くぐもった声が漏れる。
ユキの見た過去に出てきた男、ヌーラ。彼はニヤリと笑うと、ニーレイの首に手をかけて締め上げた。
「……ぐっ……うあっ……」
ギリギリと締め上げ、ニーレイの顔がドス黒く変わっていく。
やがてダラリとその腕が垂れたのを確認すると、ヌーラはニーレイの心臓がかろうじて動いているの確かめ、そのまま抱えあげて窓から出て行った。
部屋のカーテンがユラユラと揺れる。
* * * * * *
「ですから、今はキャッツさんが向いているとか向いていないとか、そういうことでもめている場合ではなくてですね――あ、ハイ」
馬鹿にされたと感じたキャッツが静かに怒り、それをグラスが慰めている頃、黒豹部隊の部屋のドアがノックされた。
入ってきたのは軍部受付の若い騎士だ。
「伝令。黒豹部隊任務のご依頼主のご家族がお見えです」
「家族? 弟か」
シンがゆっくり立ち上がる。
少しだけ緊張した様子の軍部受付は、再度敬礼をすると体の向きをシンの方へと変えた。
「はっ。誘拐されたとおっしゃっていまして……」
「また? 遊女がか」
「いえ、ご依頼主である姉上だそうです」
それを聞いた瞬間、部屋の温度が下がる。軍部受付はゴクリと生唾を飲み込むと、自分が殴られる前に部屋を出たいと思い、ソワソワ居心地が悪そうにする。
「そ、それで……中継ぎを……えーと、まだ、受付におられます。電話を使っての連絡でも良かったのですが、資料を見ると王承認依頼だったので直接……」
「……そうか」
シンはそれだけ言うと部屋を出た。
そして再び戻ってくると、部屋を見回して『ヤクー、ユキ、ついてこい』とだけ言って再び部屋を出て行く。黙ってそれに従う2人を見ながら、軍部受付は自分が殴られずに済んだのだと悟る。
「……殴られなかった」
「そりゃそうよ。アンタが何をしたって言うのよ。何もしてなかったら殴らないでしょう?」
「え、あ……そ、そうで、ありますね……」
喉元まで出かかった『でも気に入らなかったら殺しかけるじゃん』という言葉を一生懸命飲み込み、軍部受付は一礼をしてシンたちの後を追って部屋を出た。
* * * * * *
「隊長殿!」
シンたちが受付まで行くと、真っ青な顔をしたシュウが駆け寄ってくる。
「状況は」
「店の受付によると、店を何時に開けるかの話をして、遊女へ開店時間を伝えるために部屋を出たそうです。報告のために10分程経ってから部屋を訪れると、ニーレイはすでにいなくなっていたと……窓には男のものと思われる足跡があり、窓枠にも同じものが」
「白昼堂々やるじゃねーか」
ヤクーが鼻で笑えば、シュウの顔が曇った。
「ええ……まさかこうなるとは……いつも被害は深夜だったものですから、ニーレイも油断していたのでしょうね」
「心当たりは」
短い言葉でシンが問う。
一瞬、シュウの顔が曇った。
「あの男かと――……部屋に、彼の魔力の臭いがしました。それから“黒豹のシンによろしく”という書置きが……」
ポツリと呟いた言葉。
シンの顔が歪む。
「あの、男って……誰ですか?」
ユキは嫌な予感がした。
「まさか……ヌーラ、ですか?」
「キミも知っているんだね……そう、ヌーラだよ。奴が……また現れたんだ」
青い顔のシュウを見ながら、ユキはゆっくり目を閉じて細く息を吐いた。