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嵐の夜。

「んー……」


 寝返りをうってうっすら目を開け、何も考えずにボーっと空間を眺めるユキ。外からはかすかに雨の降る音がしている。

 窓のない石造りの部屋にはベッドが1つあり、そこにユキは転がされていた。特に手錠はされていない。しかし、それでも逃げ出せるほど意識がハッキリしているわけでもなかった。

 天井には灯りが1つ。


「……んー?」


 何かを考えようとするも考えられず、『ここはどこだろう?』という疑問すら浮かばない。

 チーのせいでいまだに頭はぼんやりとしていた。

 チーと言うのは依存性も少なく体への害も少ない。しかも酒に酔った幸せな気分が過ぎ去ると、何も考えられない状態になってしまう。その状態で話しかけられると、深く考えずになんでも言ってしまうため、“とっても健康的な自白剤”としても用いられるくらいだ。

 しかし、それが過ぎると、()()()()()()()()()()()()()()を味わうこととなる。それがどんな感覚なのかは人によって違うため、ある種ロシアンルーレット的な要素も含んでいる。


「おはよう。気分はどうだい」


 いまだぼんやりしているユキノもとに現れたのは、ユキを連れ去った男であった。

 逆光になっていてユキからは顔が見えない。ただ、すっかり酔っていたユキにはそんなことは関係なかった。そもそも誰かがいる、という感覚すらぼんやりとしていて、今自分が話しているのかどうかすらわかっていなかった。


「だい……じょーぶ……」

「具合は悪くないかい?」

「はいぃ……なんか……なんか、あの、ふわふわします……」

「そう。大丈夫そうだ」


 男は呂律(ろれつ)が回っていないユキを見てクスクス笑うと、丁寧に頭を撫でた。


「キミを尋問したりはしないよ。その次の段階をまっているんだからね――……気持ちよくなれるといいね」

「つ……ぎ……?」


 ユキの問いに男は答えない。

 ただ楽しそうに笑い、静かに部屋を出て行った。




* * * * * *




「はいはいはいはい……全く雨の日は店はやっていないって言ってるでしょ」


 ドンドンとドアが壊れそうなぐらいに叩かれるノックの音を聞きながら、遊女はイライラした声を隠そうともせず店のドアを開けた。

 そしてヒュッと喉がなる。


「店主を出せ」


 目の前に突きつけられた銃口。

 それを向けているのは、店の常連であるシンであった。外は雨だというのに雨具を持っていないシンは、ずぶ濡れのまま立っている。遊女は『このままでは銃なんて使い物にならないのでは』と冷静に思ったものの、シンが黒豹部隊であることを思い出してすぐにその考えを打ち消した。

 これは、必要であれば、銃なんぞなくともたやすく人間を殺せる男だ。この男が街では猫をかぶっているのを、ハノンの従業員たちは全員知っている。それどころか、黒豹部隊の全員がそうであることも知っている。

 一度空気の読めない従業員がどうして猫をかぶっているのかを聞いたところ、ニヤリと笑って『プロが小者の相手してどうすんだ』と言われた。この話はあっという間に店中の従業員が知るところとなり、その時は『ああ、ちゃんと手加減を知っているのか』という話になったが、よくよく考えてみれば『相手が小者だとやりがいがないからではないか』という結論に至った。

 この遊女は、自分がその“小者”であると認識している。その小者の自分が、なぜ銃を突きつけられているのだろうか。黒豹部隊が武器を用いるのは犯罪者のみである。ちょっと前まで、確かにそうであったはずだ。


「て、店主……は、あああ、あんたなら知ってるでしょ……て、て、店主は、雨の日は具合が悪くなるって……起きられないんだよ! だから店だって……あああ雨の、日はっ……休みじゃないか……!」


 その声に、イラついた表情を隠そうともせず遊女をにらみつける。

 舌打ちをすれば、遊女は『ヒッ』と小さく鳴いた。そんな遊女を突き飛ばし、シンは店の奥へと進んだ。そのたびに床は雨水で濡れていく。遊女は慌てて起き上がると、シンの肩をつかんで引っ張った。

 この時、遊女はまだ“黒豹部隊が自分に武器を向けてきた”ということが、よく理解できていなかった。


「ちょ、ちょいと! 勝手に入ったら店主に怒ら――」

「死にたくなかったら、その口を閉じろ」


 口にねじ込まれた銃口をくわえながら、女は何度も(うなづ)く。

 シンは何事もなかったかのように階段へ向かい、足音一つ立てずに登っていく。その後姿を見つめながら、女はヘナヘナと床へ座り込んだ。


「なん……なのよ……なんなのよぉ……」


 涙声になりながら、遊女は握り締めた拳を額につけて大きく息を吐いた。




* * * * * *




騒々(そうぞう)しい」


 ベッドに横たわった店主が、激しい音を立てて開けられたドアに向かって視線をよこさないまま声だけ放つ。


「まあ、玄関ドアもこの部屋のドアも壊さなかったのは及第点か。成長したじゃないの」


 男が大きな音を立てるものだから、シンが店に来たことを店主は知っていた。しかし具合が悪いのは本当で、ベッドに潜り込んだままジッとしていた。そんな店主にかまうこともなく、シンは毛布をはぐと腰から抜いた軍刀を店主の首横5mmのところへ深く深く突き立てた。


「うちの所有物を返してもらう」

「手紙は見ただろう? あれは男娼で引き取ると。変わってはいるが可愛い顔をしているからね、お店で売れっ子になるのも時間の問題さ」

「聞こえなかったか? 俺の所有物だ。勝手に手を出すんじゃねぇ」

「前そうやって軍隊から人を引き抜いたときには、文句一つ言わなかったじゃないか」

「あれは俺の所有物じゃねぇからな」


 店主は青ざめた顔をゆっくり上げると、具合が悪いのを押し隠してニヤリと笑った。

 それはとても妖艶(ようえん)な笑みで、顔色さえ良ければ非常に魅力的であった。


「もう遅い」


 シンの顔から表情が抜け落ちる。

 店主の髪を持って無理やり頭を引き寄せると、シンは低い声でポツリとつぶやいた。


「いいか。俺がテメェを殺さねぇのは、役に立つからだ。だが殺さずともテメェを苦しめる方法はいくらでもある」

「随分と……乱暴なことだ」


 ギリッとシンの手に力がこめられ、店主の顔が痛みに(ゆが)む。


「痛いのが好きか? 得意だぜ?」

「あたしは痛くする方が好きだよ。よく知っているだろう?」

「口の減らねぇヤツだな。次に俺の逆鱗に触れてみろ。テメェの四肢を1本ずつ切り落とすぞ。体の部品は山ほどあるんだ。その数だけ苦しむことになると思え」


 『少しいじめすぎたか』と思いながら、店主は口角を上げる。

 視線だけベッド横のチェストを示せば、シンは店主の髪から手を離してチェストの引き出しを開けた。そこには1本の鍵が入っており、それに見覚えがあったシンは舌打ちをすると懐から瓶を取り出し、それを店主の口へとねじ込んだ。

 店主はむせ、口の端から瓶の中に入っている液体を(こぼ)す。それを見てさらに舌打ちしたシンは、自分で瓶の中身をあおると、自ら店主の口へ注ぎ入れた。

 そこに色っぽさは全くなく、店主は離れていく直前にシンの唇を思いっきり噛む。殴られることを覚悟していれば、シンは振り上げた手を拳に変えて体の横に下ろす。シンの手は震え、射殺さんばかりの視線が向けられていた。

 この時、シンが手を上げなかったことに店主は酷く驚いていた。


「おやおや、牙が抜けたかい?」

「うちの仔犬が暴力を嫌うんでな。せめて一般人には暴力をふるわないようにしてやろうかと」


 シンは、先ほど遊女に銃を突きつけたのも、そして店主に乱暴を働いたのもすっかり忘れてそう言う。


「へえ……仔犬、ねぇ? なんだい、隊長殿もあれがお気に入りなのか」

「テメェの見舞いに上等のチーを持ってきてやったぞ」

「……病人にチーを飲ませるなんざ、どこまで鬼畜なんだい」

「良い夢が見られるといいな」


 ニヤリと笑い、シンは鍵を持って部屋を出る。

 その後姿をにらみつけながら、店主はドアの外からこっそり覗いている遊女に水を持ってくるように伝えた。遊女たちは跳ねるようにして飛び上がり、水を持ってくるために厨房へと駆けて行く。


「あたしがチーを飲んでも悪夢しか見ないと知っての言動なんだから、良い根性をしてる」


 ぼんやりと熱を持ち始めた体を抱きしめ、店主は深く深く息を吸い込んだ。

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