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トラブルメーカー、ユキ。

「さて、どうするか」


 店主はアゴに手をあてて考え込んでいた。とは言え、火種を巻いたのは自分だ。なんとかしてあの小さな少年を慰めてやらねばと考えた店主は、『よし』と小さく呟くと机の引き出しから便箋(びんせん)を取り出す。


「あれが来たのはもうだいぶ前のことだと教えてやりたいけど、次に会ってもあの子はまともに顔を見てくれないだろうね。さて……ちょいとシンの奴にお灸をすえてやるか。可愛い少年をたぶらかした罰だ」


 ところで、この店主は非常に他人の心の機微に敏感で、よく気がつくしフォローも上手な方であった。だが、こと恋愛となるととたんにおせっかいになるのだ。それこそ近所の世話焼き婆も真っ青になるくらいの。


「相変わらず優しいな、あたしは」


 店主は楽しげな表情でサラサラと筆を走らる。

 一通り書いてざっと目を通しながら鳥小屋に向かい、鳥小屋に付く頃までには見直しを終えて胡蝶の蝋封をした。

 そして店主は一羽のハトの足に手紙をくくりつけると、それを大空へと放つ。


「さあ、頼んだよ」


 飛び去っていくハトを見送りながら、店主は2通目の手紙をハトの足へとくくりつけ始めた。

 もし店主が常識人であれば、これが非常に余計なことであると気付いたはずである。

 覆水が盆に返らないように、飛び去ったハトは戻ってこない。




* * * * * *




あんなトコ(ハノン)に行くんだったらさぁ……ばれないようにやれってのー!」


 ユキは前後不覚になっていた。まだ昼間だ。

 そしてその周りには困ったような顔の男が3人。

 彼らは先ほどまで加害者になろうかとしていたが、今は間違いなく被害者だった。男達は、瓶を抱えて昼間から飲んでいたはずだ。珍しい飲み物が手に入ったからと、1人の男が持ってきたのだ。

 これは“チー”という魔物の血をろ過し続けて作った上等な飲み物で、お酒を飲んだときのような心地よい気分になれるものだ。しかしながら製造するのに時間も手間もかかるので、1瓶はやたらと高い値段になる。

 そしてそこに現れたのは身奇麗にしているユキであった。黒豹部隊の制服を着ているのを見て、そしてその制服を着ているのが弱そうな子供であるのを見て、男達はニヤリと笑った。

 ()()()()()と。


「なあ、もうやめねぇか? 悪酔いするぞ。飲んだことねぇんだろ? な?」


 しかしどうだろう。

 現れたユキは瓶を取り上げると、一気に飲み干して投げ捨て『他にないんですか』と据わった目で低い声を出した。

 まあ、飲んで気分がよくなってもらった方が都合がいいと他の瓶を渡せば、それもいっきに飲み干しておかわりをねだる。それを何度か続けるうちに、男達は急に不安になった。そして控えめに『何歳なんだ? これは飲んだことあるのか?』と聞けば『飲んだことがあるかどうかは問題じゃないんですよ』と言われて血の気が引いた。

 こいつ、絶対に飲んだことがない、と。


「うるさーい! さっきはタダで飲ませてくれるって言ったじゃないですか! 男に二言があるんですか!?」


 これは飲んだことがない人が飲んでいいものではないのだ。黒豹部隊にちょっと悪戯をするつもりが大変なことになってしまった、なんて事態になれば、自分達は確実に牢屋の中だ。


「どうする……?」

「逃げるか」

「でも……放っておいて大丈夫なのか? それに、こいつもう給料3か月分くらいの量を飲んだぞ。こいつを売り飛ばしたって、そんなに金にゃならないだろうに」


 男達はしばし見つめあった後、ゴクリと唾を飲み込んで一気に走り出した。


「どこ行くんだバカー!」


 ユキは追いかけようとして派手に転ぶ。

 グワングワンと揺れる視界。慌ててどこかつかもうとするも、その手は空を切った。


「あれれれ……?」


 グッと手を伸ばすと、その手がはるか彼方まで伸びていくのが見えた。

 正確に言えばチーに酔っているだけだが、ユキは『わー! すごーい!』とはしゃぐとクスクス笑って転げまわる。


「すごーい! 足も伸びるー! このままどこまで行くん――」


 サッとユキの表情が曇る。

 上に伸ばしていた両手両足をバタリと地面に倒すと、大きく深呼吸してポツリとつぶやいた。


「仕事の途中だった。帰らないと」


 よっこらしょ、と立ち上がる。


「あらららら……」


 そして、ふらふらとよろけて倒れこむ。


「あるけなーい……なんでぇ……?」


 ジワリと浮かんだ涙。


「あるけない……なんで? なんでだろー、あるけない? 不思議……」


 涙はとうとう溢れ出し、ポロポロと流れて地面へ吸い込まれていった。


「あるけない……あるけないよぉ……」


 完全に面倒くさい酔っ払いの完成である。

 そしてここは路地裏。人通りはほぼない。そんなユキに1つの影が忍び寄るも、いまだ地面の上でもがいているユキは気付いていない。

 影は音を立てずに少しずつ少しずつ忍び寄り、そしてとうとうユキの肩へと手をかけた。


「ねえ、坊。こんなところでどうしたの?」


 ユキに声をかけたのは、くすんだ青の中華服を着た若い男であった。くすんだ金の髪が風に揺れ、鋭い一重が優しそうに細められている。

 紫色の目はキラキラと輝いており、それはそれは楽しそうな表情をしていた。


「んあー? あれ? お兄さん、知り合いでしたっけ? 知り合い? 知らない人? 私、会ったこと、ありますか? 私はユキですけど」

「あるよあるよ。ユキくん、だろ? ねぇ、こんなとこで何をやっているの?」


 先ほどまでの優しげななりは引っ込み、ニヤニヤと意地悪そうな表情を浮かべた男は、ユキを優しく引き起こすと立たせてやった。

 この男はユキと会ったことなど一度もない。しかし、前後不覚のユキは全く気付かなかった。


「ああ、どうも……どーもすみませんっ、本当に! 立てました! おかげさまで立てましたー。いやー、まいった」

「昼間からどうしたの? チーなんて飲んで」


 落ちて割れているチーの瓶に目をむけ、男はニヤニヤと笑っている。


「親切なお兄さんにもらいましたー。いやー、めんぼくない! 立てました!」


 ユキはうんうん、と頷きながら、再び倒れそうになってたたらを踏んだ。


「ああ、ユキくん、それじゃ駄目だ。歩けないよキミ」

「えぇ? そうかな? そう見えますか? 結構、地面にはえてるんじゃないかなってくらい、しっかり立ってるつもりなんですけどね」

「いいや、駄目だね。駄目としか思えない。全然立てていないよ、キミ」


 事実、ユキはフラフラで、支えてあげなければ立ってすらいられない状態だ。


「うーん……どうしよっか……?」

「ユキくんは仕事中だろう? おぶって職場まで連れて行ってあげようか? それとも、()()()なのがバレたら怒られるというのであれば、しばらくうちで休んで行くといい」

「お兄さん、やさしー! 行く! 怒られたくない!」

「そう……じゃあ、行こうか」


 素面(しらふ)であれば、この男について行ってはいけないことぐらいすぐに分かったはず。だが、酔っ払ったユキにはそれがわからなかった。

 ニヤリと笑った男は『背中、おじゃましまーす!』と大声で笑うユキをおんぶすると、路地裏の奥へと消えていった。




* * * * * *




「ねぇ、遅くない」

「ユキのことですよね。自分もそう思っていました」


 レディスとグラスの声に、キャッツがチラリと窓の外へ目を向けた。

 日はすでに沈んでおり、かすかに美味しそうな匂いがただよってくる時間になっている。


「やーっぱあのバカ、問題起こしやがったな」

「まだそうと決まったわけでは……」

「いや、十中八九そうだろ」


 ケケケ、とヤクーが楽しそうに笑った。


「……あの、自分、探しに行ってきます」

「いい」


 グラスが立ち上がった瞬間、シンから鋭い声が上がる。

 全員の視線がシンへ集中した。


「グラス。てめぇはあれの面倒を見すぎだ。あれだってガキじゃねぇんだぞ」

「しかし……」

「行くな。放っておけ」


 納得いかないものを感じながらも、グラスは渋々椅子へ腰掛けた。

 窓の向こうで、分厚い雲の隙間がピカッと光る。やがてポツポツと窓に水滴が当たり始め、数分もしないうちに外はバケツの水をひっくり返したかのような大雨になった。


「雨か。かーえろっと」


 ヤクーが立ち上がれば、『あたしもー』とレディスが続き、キャッツも何も言わずに立ち上がる。

 グラスは何か言いたげにシンを見るが、シンは一切視線をよこさない。やがて諦めたようにため息をつき、『お疲れ様です。お先に失礼します』と言って部屋を出て行った。


「…………」


 扉が閉まってしばらく。

 シンは手の中の紙を握りつぶすと魔法で火を焚いて燃やした。胡蝶の蝋封がジワリジワリと溶けていく。


「…………」


 濃厚な殺気が部屋を満たしていった。

 ギラギラとした目のまま、シンはスッと立ち上がると部屋を出て行った。

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