藪をつついて蛇を出す。
「ごめんくださー……い……」
訪れた店は赤提灯がたくさんつけられ、まるで台湾の九フンのような雰囲気だ。
風鈴が風に揺れてチリチリと綺麗な音を奏でる。
「白檀の匂い……?」
辺りには妖艶な雰囲気が漂っており、ユキの嫌な予感が強まっていく。
先ほど飴屋の店員から言われた『男共はみんなあの主人を怖がっている』という台詞が思い出される。そこから連想できるのは、多くの男が訪れる店であると言うことだ。
妖艶な雰囲気の店。多くの男が訪れる店。
(もしかしてここは……)
ふわりと、店内を風が走った。
「ごめん……くだ……さー……い……」
先ほどより小さな声を出し、それから思い切って店の中へ入った。
店外よりも濃厚な香のかおりがして、ユキは少しだけむせる。何かを隠すかのような濃い匂いだ。
「あのー……どなたかいらっしゃいませんか」
店内は物音一つせず、思わず一度帰ってしまおうかときびすを返したまさにその時のことだった。
「おや、帰る気かい? 女の支度には時間がかかるんだから、黙って待つのが良い男ってもんだよ。覚えておきな」
突如かけられた声に驚き、小さく飛び上がる。
慌てて声のほうに向けば、そこには着物のようなものを着た気だるげな女が立っていた。髪の毛は綺麗に結い上げられているが、真っ赤な着物はネグリジェのようなものの上から羽織っただけという露出の高い仕様になっている。簪やら足輪など、豪華で品の良い飾りが山ほどつけられていた。
何より一番目を引いたのは、大きく開けられた襟ぐりから見える鬱血痕だ。いくつも散ったそれは、それが何かなんて教えてもらわなくともわかるほどに濃く、そして多い。
「…………」
「おやおや、せっかくでてきたやったのに、挨拶もなしかい? 人の休みをさえぎっておきながら? お前が街の男でなかったら何度か殴って放り出すところだよ。騎士であることをありがたく思いな。まったく、ジロジロ見ているだけじゃなくて、あたしに何か言うことがあるだろう?」
「あ……う……す、すみっ……ません……! お邪魔をしてしまいまして……」
カーッと顔に熱が集中する。
そうすれば、女は『おや?』という顔をしたあとニーッと不気味な笑顔を浮かべた。
「その制服は黒緒豹部隊か。シンから面白い新人が入ったと聞いているよ。お前のことかい?」
「は、はい! ユキ、と申します! シンさ……たい、ちょうの、お遣いで参りました。店主様はいらっしゃいますか?」
「あたしがそうだ」
ニコニコ笑う女。
まさか最初から当たりを引くとは……そう思わずにはいられない。
だが、その笑顔を見ていると、飴屋の店員が言った『死ぬほど機嫌が悪い』というのは嘘ではないかと思うほどだった。しかし、この店主のことを知るものが見れば、裸足で逃げ出すほどの恐ろしい笑み。
それを見破るには、ユキは経験が浅すぎた。
「一体なんの用だい? 遣いってのはシンのだろう? よくも私のところに顔が出せたもんだね」
「え」
店主が、ドスドスと勢い良くユキに迫る。
そのままユキの後ろ頭の毛を思いっきり引っ張り、首がきしむほど強引に上を向かせる。苦しさに思わず『グッ』と声を漏らせば、店主は満足げに舌なめずりした。
(こ、この人、背が高い……苦しい……!)
「自分は安全なところに隠れて新人をよこすたあ、良い度胸じゃないかい。え?」
噛み付かれるのではないかと危惧するほどに近寄られ、思わず身を震わせた。
ドスの聞いた声が背筋をゾクゾクさせる。
「あ、あ、あの……は、発言、を、してもよろしいでしょうか……」
思わず弱気の発言が出たのは、ユキが第六感で『この人に逆らってはいけない』と感づいたからである。
なんとか搾り出した声は震えていた。
「ああ、良い子だ。ちゃあんとお伺いを立てられるンだね。勝手に喋って勝手に帰って行くお前のご主人とは大違いだ。ご褒美にキスしてやろうか? そりゃあもう評判がいいんだよ? それを無料でやってあげるんだから、今のあたしは相当機嫌がいいんだろうねぇ」
「あ、ありっ……がとう、ございます。でも、キス、は、しなくても、大丈夫、です……」
「おや残念」
「……あの、に、任務を、遂行させて頂きたいのですが……!」
いい加減に息が苦しくなってきて、思わず身をよじる。
店主はフンと鼻を鳴らすと、ようやく手を離した。その手には何本か毛が付いており、それを見たユキは少しだけ涙目になった。
「で、お前の頼まれたお遣いってのはなんだい。あたしは今日機嫌が悪いんだから、八つ当たりされないうちにさっさといいな」
(え、今のは八つ当たりじゃなかったというの……?)
若干理不尽なものを感じながらも、ユキはカバンの中から預かった荷物を取り出した。
「こちらをお渡しするように言われています。確認して頂けますか?」
そう言って荷物を差し出した瞬間、店主とユキの手が触れる。そこから、店主の背後に膨大な量の映像が流れた。
「ッ!?」
思わず息を飲み込んでその映像に目を走らせる。
小さな女の子が走っている。その顔は必死で、今にも転びそうな勢いだ。そしてとうとう転んでしまった女の子は、身なりの汚い男共に捕らえられた。そこからは目を塞ぎたくなるような惨状で、ユキは思わず顔を引きつらせた。
『ヌーラ! ヌーラ! やめて! 離して!!』
女の子は泣きながら暴れ、男共は笑いながら押さえつける。
布の裂ける音がした。
「酷い……ヌーラ……?」
そう発した瞬間、ユキは激しい衝撃とともに地面に転がされていた。
「どういう意味だ」
ユキは冷静に、『ああ、店主に転がされたのか』と思った。そしてあの映像の少女が、この女の人なのだとも。
小さく発したはずの言葉を聞き取った店主の目は、酷く血走っている。
「どういう意味で、その言葉を言った。誰から聞いた」
ギリギリと締め付けられる首。息ができず、言葉を発することもできない。でも店主の泣きそうな目を見て、ユキは酷く心が乱された。
魔力で知識を得るというのには、記憶も含まれるのかもしれないと思い、そういった考えに至った瞬間、自分がハノンの店主に対してとんでもないことをしてしまったのだと知った。
「早く言わないと首の骨を折る」
そう言う店主の声が震えているのに気づき、そこでユキの意識は落ちた。
* * * * * *
「……ッ」
ユキの意識がぼんやり浮上していく。
歪む風景を眺めていると、目の前を白い何かがフワリと通り過ぎていく。
「起きたかい」
声をかけられ、声の方に顔を向ければ、こちらには少しも顔を向けていない店主の姿。
出窓に腰掛けて煙管を吸っている姿を見て、ユキは『ああ、さっきの白いのは煙か』と思った。
「悪かったね。今日は夢見が悪くて、朝から機嫌が悪かったんだ」
ユキはゆっくりと体を起こす。自分が何かトラウマらしきものを刺激した自覚があるため、何も言えずにいた。
自分の体を確認すれば、胸元が少しだけ開けられているが、胸が見えるほどではなかった。それに安心して、揺れる脳をなんとかしようと頭をふる。
「お前は弱いんだね。まだ子供とは言え、女ごときに黒豹部隊が負けるんじゃないよ。このまま黒豹部隊を倒した女として宣伝しちまおうか?」
「……いや、女ごとき、とは思いません」
ようやくおさまった揺れにため息をつきつつ、ユキはしっかり店主のほうを見た。
店主の視線は、まだこちらに向かない。だが、少しだけその横顔に微笑みのようなものが浮かんでいるのに気づいた。
「……胸糞悪い言い方しやがって。前におんなじことを言った奴がいたよ。殺してやったけどね」
本当か嘘かわからない台詞に、ユキは思わず閉口した。それも気にせず、店主は再び口を開く。
「あたしを怒らせたくなかったら、さっきの言葉は二度と口にするんじゃないよ。お前がどうしてそれを知っているのかは黙殺する。その代わりに、絶対にその言葉を口に出すな」
「……はい、申し訳ありませんでした」
「首の……アザが少し残っちまったね。シンの所有物に傷をつけたと怒られそうだ。おいで。薬を塗ってあげよう。東の国に伝わる怪しい薬だから、すぐによくなるよ」
言われて窓ガラスに映る自分の姿を見てみれば、確かに首元にポツポツと赤いアザがついていた。
それはどこか店主と同じモノのようで、窓ガラスに映るユキの顔が少しだけ顔が赤くなる。
するといつの間にか近くまで来ていた店主のクスクスという笑い声が聞こえた。首にはわされた手がくすぐったいと感じる。それと同時に、薬草のような香りがした。
「あたしのコレと……おそろいだねぇ?」
「!」
クイッと店主が人差し指で自らの襟元を広げれば、胸元まで開いた着物からさらに赤い痕が覗く。そして、ユキの顔にはさらに熱が集まった。
「おやおや、純情な子に悪いことをしっちまった。ごめんよ。でもお前の顔を見ているとからかいたくなるのさ。ついでにもう少し付き合っておくれよ。可愛がってあげるから、さ……」
そう言ってにじり寄ってくる店主。それにあわせて下がれば、『男が女から逃げるんじゃないよ』と手を引かれた。
抱き寄せられた先には豊満な胸。『うっ』と言いながら顔をうずめると、『息がくすぐったい』と店主は笑った。
「あ、あ、あの……!」
「ほら、黙って。いいことを教えてあげようか? お前の鬼畜な上司の話なんてどうだい? 弱みを握れば、お前だって少しは抵抗できるだろう? その分じゃ、どうせ何も言えずにいるに違いない」
「……え?」
「本当は教えちゃいけないんだけどね、お前になら教えてあげるよ。だからこのアザのことは、何を聞かれてもこう言うんだよ」
グッとアゴを持ち上げられて、店主との距離が近くなる。
「『ハノンの女主人に慰めてもらった。シン隊長がよくやるのと同じだ』ってね」
「……!」
それから先の記憶はなかった。
気が付いたらユキは、街の中を走っていた。
息を切らして、汗を流して。
「はぁ……はぁっ……ごほっ……」
心臓がドクドクと脈打つ。
ブルブルと震える手を見て、ユキは先ほどの店主の言葉を思い返していた。
『ハノンの女主人に慰めてもらった。シン隊長がよくやるのと同じだ、ってね』
両手で顔を覆えば、少し気が楽になった気がした。
* * * * * *
「……なんだか悪いことをしたようだねぇ」
店主の目が、大通りを全力で駆けて行くユキの小さな背中を追う。
ユキにちょっとだけ意地悪をするつもりで、その可愛い頬に口付けをするつもりで、店主はユキに近づいた。しかし次の瞬間には、たたらを踏むほどの力で突き飛ばされたのだ。
唖然としてその顔を見れば、今にも泣き出しそうな、傷ついたような顔。店主はそれを見て初めて、『ああ、もしかすると、この子はシンのことが好きだったのか』と知った。それと同時に、自分の言葉を歪めて理解してしまったことも。
「あの言い方だと、これをシンがつけたと思ったかもしれないね。『昔、お前とやったのと同じことをしてきただけだ』と言えという意味だったんだけど……」
その昔、シンは任務中にハノンの遊女に少しだけちょっかいを出したことがあった。もっともあれは任務の一環ではあったが、結構楽しんでいたのではないかと店主は思っている。最後まではいかなかったが、とてもご満悦と言った顔で店を出て行ったのを、店主は良く覚えていた。
「まったく。あんな男に入れ込まなくても、可愛い女の子と一緒になった方が幸せだろうに」
小さなため息は、煙草の煙とともに空へ消えた。