狂犬、現る。
「なあ、シンってやつは来るのか?」
牢屋の外から、見張りの声がする。
「来るだろう。なんせ相当に大事にしているらしいぜ?」
「でもコイツ、男だろ?」
「男がいいって奴もいるってことさ」
「そんなもんか」
そんな理由では来るわけがないと思った。
ユキは確かにシンに面倒を見てもらっている。しかし自分の命と引き換えに来るほど強制された命令ではないとも思っていた。来るとしたら“黒龍を助けるため”に“軍”が動くはず。
(助けてくれるのは“シンさん”じゃない……助けられるのは、“私”じゃない……)
自分の中にある黒龍のことはバレていない。であれば、今のうちに自ら命を絶った方がいいのかもしれないと思った。
しかし、命をいくつにもわけられるという枷が邪魔をする。そう気づいた時、最後まで自分は誰の役にも立てないのかと絶望した。
(……あれ……私、どうして悲しいんだろう……)
どうしてこんなつまらないことで悲しくなるんだろうと考えるも、答えは出てこない。
これは前にレディスを見ていたときと同じような気持ちだ。
(どうして……? なんで私はこんなに悲しいんだろう……弱っているから?)
「にしても……酷い傷だな。生きているのか?」
「……胸が動いてる。まだ生きてるみてぇだな。つったって……この傷とこの寒さならもう時間の問題だ」
「そうしたら取引できないんじゃないか?」
「死んでたって取引はできるさ。それがあのお方達だ。まあ、シンってやつも、この男も殺しておしまいだな」
「そりゃあ怖い……くわばらくわばら」
シンが殺される。
そう思ったら、ジワリと涙が浮いた。そこで、ユキはようやく気づいた。
(ああ、そうか……私は、あのめちゃくちゃな男が気になって仕方がないんだ)
レディスのときは嫉妬だった。
押し倒された時も、キスをされた時も、自分の意思を無視されたようで悲しかった。助けに来ないだろうと思ったときは、本当は来てほしいと思っていた。
そんな男が自分のために死ぬかもしれない……そう思って、初めて気になり始めていたのかと気づいた。
それがどうしてかはわからない。ただ、まるで元から自分の半身であるかのような、本能が求める強い思い。
これをなんと表すればいいのだろうか。
(馬鹿だ……気づくのが遅すぎた……馬鹿だ……本当に……お願い、シンさん……どうか来ないで……)
ポロリとこぼれた涙は、地面に吸い込まれて消えた。
「ん……なんだ、ありゃ」
「ああ? ……ん……あれは……! お、おい、逃げろ!! 龍だ!! あいつここに体当たりする気だぞ……!」
その瞬間、物凄い破壊音とともに石の欠片がバチバチとユキの頬へあたる。高速で飛んできた龍が、壁に体当たりをして色々なものを巻き込みながら室内へと入ってきた。それと同時に、1つの人影が地面へと降り立つ。
しかしユキには立ち込める砂煙で前が見えなかった。もともとボヤける視界のせいで、今はほぼ何も見えなくなってしまったのだ。
(誰……)
「な、なんだテメ――」
何かを、それも結構重量があるものを殴る音が2回。続いて、ドサリという音も2回聞こえた。
「…………」
影が近寄ってくる。
その影は強引に牢屋の扉をこじ開けると、ユキのそばまで歩いてきて止まった。影はしゃがむと、ゆっくりユキの頭を撫でる。
「生きてるな?」
ユキの目に、涙が溢れた。
「……死ぬんじゃねぇぞ、俺の番」
シンの声が少し震える。
ユキは『ああ、来てしまった』と思った。しかし、同時に心が満たされてゆく。
そして聞きなれない“番”という単語。今まで悩んでいたものがしっくりくる表現。人であった時には気にもとめなかったその言葉は、龍という身になってなんとなくわかるような気がした。
本能的に相手を求める思いが、強くなっていく。
なるほど、これは呪いだと思った。相手と長い時間をかけて愛を育んでいく人間とは違うのだと思い知らされる。
だが、なぜその言葉を人間であるシンが使うのだろうと気になったが、今は物事を深く考えるのが難しい。
「ひでぇ顔だな。死体かと思った」
『そのようですね』そう言ったはずなのに、それは音にならなかった。
ユキの頭がボンヤリしていく。『ごめんなさい、なんか、声が出ません』そう言ったそれも、音にならなかった。
「痛いところは?」
どんどん、シンの声が遠のいていく。
「……ユキ?」
触れられた部分が温かく、その温度はユキを安心させた。
「ユキ」
ユキは、大きく息をはいた。