レディ、ユキ。
「アルージャの爺。聞いたか? ユキが何者かに囚われた。敵は俺の命が欲しいらしい」
「なんだと!?」
ノックもせずに部屋へ入ってきたシンから、執務室で仕事をこなしていたアルージャは衝撃の事実を聞かされていた。
シンの表情は動かない。
「これから向かう」
「待て、どういうことだ……!! ユキは大丈夫なのか!?」
シンは立ち止まらない。
時間が惜しいとばかりに早歩きで部屋を出た。アルージャは慌ててそのあとを追う。
「待て、シン! どういうことか説明しろ!」
「なあ、人と接するにあたって、一番普通の接し方ってのはどうやるんだ?」
「はあ?」
アルージャは思わず立ち止まり、そして口を開けっぱなしでシンを見つめる。
「俺は普通の生き方をしてきてねぇから、わかんねぇんだ。だが、あいつは普通の生き方をしてきた」
「ま、待て……お前はいったい誰のことを言って――というかようやくまともなことを……タイミングは悪いが……それは後でゆっくり話すとしよう」
「なるべく早めに頼むぞ」
そういうシンの目に温かな光を見つけ、アルージャは再び言葉を失った。いったい、この男になにがあったのだろうと考える。
しかし颯爽と歩いていくシンを見失ってはいけないと慌てて追いかけ、その肩に手をかけてシンをとめようとしたときのことだった。
「ああ、そうだ」
突如立ち止まったシンに、アルージャは急ブレーキをかけるはめにな。
「まだユキを預かった礼を貰ってなかったな」
「今はその話ではなく、まっとうな生き方の話でもなく、ユキの安否と現状報告を――」
「礼はあいつだ。ユキを俺にくれ」
「はあ? 何を言っているんだ。あれは男だ。一生部下として使うというのなら、それはそもそもそのつもりでいる。それより、ユキの安否を教えてくれ」
シンはニヤリと笑った。
「違う。嫁に欲しいんだ」
「嫁? 何をふざけたことを――」
「なあ、アルージャの爺。アイツは女だぜ?」
時が止まる。
動かないアルージャを置いて、シンは龍舎へと向かった。
* * * * * *
「おい……じゃない……えーと、シン、隊長殿」
オーロクが目の前を凄いスピードで歩いていくシンを見つけたのは、騎龍の世話を終えてユキの様子を見に行こうか迷っていた時のことだった。ユキとのことが気になっていたオーロクはシンを呼び止める。しかし、シンはそれを無視して歩き去って行った。
「お、おい! 無視するな! おい! ユキはあの後どうなったんだ! まさか酷いことなどしていないだ――」
目にもとまらぬ速さで胸ぐらをつかまれ、壁に押し付けられる。息が詰まって喉の奥から情けない声を出したオーロクは、状況を理解するなり怒りが湧いてきてシンを睨みつけた。
しかし、一瞬にして怒りがなくなり、再び喉の奥から妙な声が出る。
「いいか、犬っころ。アレに手を出すな。アレは俺の番だ。ユキがむやみやたらと殺すなと言うから殺さねぇ。だが……わかるな? わかるだろう?」
オーロクには、目の前の凶悪な顔に見覚えがあった。間違いでなければ戦場で敵に向けている顔だ。一度だけ見たことがあるそれは、一度だけであるのにあまりにも強烈すぎて脳裏から離れない。それが戦場のような不特定多数ではなく自分にだけ向けられている。
黙って去って行くシンの後ろ姿を見つめるオーロクの尻尾は、完全に足の間に巻き込まれていた。
オーロクが呆然とシンを見送っていると、その横を駆け抜けて行く金髪が見えた。そしてその金髪は『あ!』と叫ぶとシンの方へ走っていく。
「シン隊長! お一人で行くつもりですか!」
ちなみに、この時グラスはドラゴニスのことなどすっかり頭から抜け落ちていた。なぜなら、ドラゴニスの怪我の心配よりもシンを止める方が重要だと判断したからだ。鉄砲玉のように飛び出したシンを追って走りだし、行く先々でシンの行方を聞きながらようやく王の執務室へついた時には、呆然と立ち尽くすアルージャしかいなかった。放心状態のアルージャからシンの行き先を聞き出し、ようやくシンに追いついた頃には、懸念していた通り自らの騎龍を龍舎から引っ張り出しているところであった。
そもそもドラゴニスに関して言えば、直前でシンが銃から拳に切り替えたのだから、凄い音はしたものの生きているだろうと気にも留めなかった。それにユキへの仕打ちを考えれば、あのくらい当然である。シンはきっとドラゴニスを殺すだろうと思っていたグラスは、『殺されなかっただけでもありがたいと思え』とすら思っていた。
……と、ここまで考えて、自分が酷く黒豹部隊に毒されていることに気づいて少し落ち込む。
「ちょ、ちょっと待っ――駄目ですってば! ちょっと!! あ~……」
龍に乗ってしまったシンをとめられるわけもなく、また怒り狂ったシンの相棒がとまるはずもなく、その姿はあっという間にゴマ粒ほどになって消えた。
「あの人……自分の命が狙われているのを理解しているのか……?」
大きくため息をついて、これから自分がすべきことを考える。
「……ひとまずは他の仲間達への連絡だ。それからアルージャ様への報告も入れて、次は作戦を立ててからユキの痕跡を追う……か。全く……どこかの誰かが先走って――」
スッと血の気がひく。
「先走る……?」
誰が。
「シン隊長が……仲間のために、先走る……?」
ありえない。
これはありえない事態であった。
「どういうことだ……なんで……そんな……あ、そうか! 黒龍だからか! いや、違うか……あの人が国益なんか考えるわけないし……『黒龍の力なんかなくとも敵が来れば倒す』とか思ってそうだし……」
グラスはますますわからなくなり、混乱する。
「おー、いたいた。ここか。おい、グラス。隊長はもう出て行ったのか? 出て行ったみてーだな」
かけられた声に振り向けば、呼びに行こうとしていたヤクー、レディス、キャッツがそろってこちらに歩いてくるところであった。
「あ、みなさん! もしかして、お聞きになったんですか。さきほど出て行ったところなんですよ……まだ情報もなにも聞いてないのに」
「詳細は聞いたわよ。ドラゴニスの馬鹿にね」
「面倒くさいんだけど。なんでユキのやつ、変なのに巻き込まれているわけ?」
それぞれにため息をつくも、みないつでも出動できる準備が整っているようだった。
「シン隊長がなんの情報も得ずに出ていったってことは、龍がユキのニオイを追えるってことみたいね。流石に無鉄砲で出て行くほどマヌケではないだろうし」
「つーかよ、マジでなんでこんなことになってんだ? 敵からはシン隊長を名指しされてるって言うじゃねぇか。なにしたんだ、あの人は」
「それが良くわかっていないんですよ。ただあの方は恨みを買いやすい方ですから……」
グラスの言葉に誰もフォローしない。
真顔で『なるほど』と頷くと、それぞれに出動準備の最終調整へ移る。小屋から出した龍はユキが囚われたことを知っていて、みなすっかり興奮しきっていた。
「くっそ……黒龍が連れ去られたのがわかるらしいな。龍が興奮しきって使えやしねぇ。オラ、落ち着け!」
「それでも行かないわけにはいかないわよ。さ、行きましょ。どうせこの任務は私達以外、出られないんだから。まったく黒龍がからむとやっかいね」
「すまない」
突然の謝罪にみなが振り返る。
その先には、すっかり弱りきったアルージャがいた。
「頼む……息子を……いや、娘を助けてほしい……あの子は……ユキは女の子だったようだ……」
誰も動けなかった。
「シンは……気づいていたようだ」
「わけわからないんだけど」
顔を引きつらせるキャッツ。ヤクーもポカンと口を開けたまま、目を見開いていた。