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ピンチ……ピンチ……

「あとは俺がやる。お前はあいつの様子を見てやれ」

「はあ……じゃあね、ユキくん。気をつけるんだよ」

「はい。お疲れ様でした、ハンスさん。オーロクさんにもよろしくお伝え下さい」


 なんとなく納得がいっていないような2人を尻目に、シンはまだ窓の外を見ていた。

 ハンスが去り、ドアが閉まる。


「……あの、助けて頂いてありがとうございま――あれ、なんかおかしいぞ」


 ユキはようやく、シンが笑いをこらえているのを見つけた。

 その表情は酷く楽しげで、ユキと目が合った瞬間、口角はさらに上がった。


「さて……治療だったな?」

「あ、いえ……それは自分でできますので……」

「なに、遠慮するな」

「遠慮とかではなく」


 先ほどのオーロクと同じ攻防が始まる。

 ハッとかクッとか言いながら、ユキは四方から迫ってくる手を必死に交わしていた。そうこうしているうちに、医務室のベッドまで追いやられる。



「避けるのが上手いな」

「攻めるのが、上手い、です、ね……!」

「本気を出せばこんなもんじゃねぇよ」

「え、それは――うわっ!」


 再び手を一まとめにされてベッドに押し倒され、一瞬息が詰まった。


「蹴られたんだろう? 痛みは」

「ないです」

「全く?」

「はい」

「やっぱりか」

「……どういう意味ですか?」

「お前、痛覚がないんだろう」


 ユキの目がわずかに見開かれる。


「今更驚きゃしねぇよ、ビックリ人間。さらに言えば行き過ぎた痛みを感じなくなるってとこか? 擦り傷、切り傷は痛ぇ、拳骨も痛ぇ、だが思いっきり蹴られた横腹は痛くねぇ。となりゃ、結果は一つだ」

「……な、なんでしょう……」

「折れてるに決まってんだろ。もしくはヒビだ」

「うそぉ~……」


 弱弱しい声が出た。

 ユキは“なんか熱いな”とは思っていた。しかし、傷であればそんなものだとも思っていたのだ。


「嘘じゃねぇよ。見てみろ」


 シンによって(まく)り上げられた服の下には、痛々しいアザが広がっている。

 濃い紫色のアザにはとこどころ赤みを帯びた部分もあり、見ているだけで顔をしかめるような色だ。


「そんな……オーロクさん、思いっきり蹴ったんだ……でも私が余所見をしていたから仕方ないと言えば仕方な――あれ、何をしているんですか?」


 なぜか、全力でシンと力比べをしている。

 ギリギリと手が震えるほどにシンの手を押さえつけてはいるが、シンの服をさらに上へ(まく)り上げようとする手は止まらない。ブチッとボタンの飛んだ音がした。

 ユキが全力で抵抗しているにもかかわらず、シンは余裕の表情だ。ジワジワと服が上がっていき、今ではもう薄く骨が浮いた鳩尾(みぞおち)が見え始めていた。



「ちょっとちょっと……! あの……!!」

「んー?」

「ん、じゃないですよ……! 手を離して下さい!! わっ……」


 横腹の産毛をなで上げるようにしてシンの手が滑る。

 くすぐったさに思わず身をよじれば、その隙に力の緩んだユキを膝で押し付けて一気に服をまくった。しかし、ユキも必死である。なんとかギリギリのラインを死守し、あと一歩のところで服をまくりきれなかったシンは舌打ちをした。


「あ、あ、あのっ!! これは! 良くないのではないでしょうか……!!」


 シンは答えない。

 ニヤーッと笑うと、親指をユキのヘソの穴に押し込み、グッと力をこめる。そのままユキの首筋に顔をうずめると、スンスンと鼻を鳴らす。


「や、やだ……! なんでっ……」


 ガブリと耳をかじられる。

 耳のふちに沿って舌を()わせながら、時折吐息を耳の中に流し込む。そのたびに、ユキの体はビクリと跳ねた。


「やめて下さい……! な、なんで、こんなことをするんですか!!」


 そう叫んだ瞬間、ピタリとシンの動きが止まった。

 ユキの両手は押さえたまま、シンがゆっくり起き上がる。その表情は怒ったようにも、困ったようにも見えた。


「『なんで』……だと?」

「だって……おかしいじゃないですか! なんで、こんなこと……!」

「……『なんで』?」


 しばらくシンは黙って、天井をチラリと見上げる。


「……なんで……なんだろうな」

「はあ!? な、なんっ……なんでだろう、なっ……って……」


 呆れと怒りで息が荒くなる。本気でわかっていないような顔のシンを見て、ユキは困惑した。ユキが肩で息をしていると、ガチャリと部屋のドアが開く。


「シン隊長ぉー。帰りが遅いから、レディスちゃんが迎えに来てあげ――やだ、ちょっと何やってんのよアンタ!!」


 目が合った瞬間、レディスが怒鳴る。

 ズカズカと2人の前にやってくると、シンの肩を持ってユキから引きはがした。


「アルージャ様だけじゃなくてシン隊長まで(たぶら)かしてるの!? 怖い男ね! 女も真っ青の怖さだわよ!!」

「…………」


 冗談っぽくレディスが言っているのはわかった。しかし、それに返す気力が全く起きず、ユキは服の乱れもそのままに医務室を飛び出した。


「……な、なによ……私、反応の仕方、間違えた?」


 気まずそうにシンを見るも、シンは何も言わずにユキが飛び出していったドアを困惑のまま見つめていた。そして、苦々しい顔で『ああ』とつぶやく。


「なるほど」


 何が『なるほど』なのか、レディスには全くわからなかった。




* * * * * *




「……もうやだ……」


 ユキの震える声が裏庭にこだまする。

 部屋に戻る気にもなれず、裏庭の木々が生い茂るところにうずくまっていた。


「なんなの……ホント……」


 大きなため息をつけば、その息は乱れてふるえ、喉がキリキリと痛んだ。

 木に寄りかかって顔を手で(おお)い、過呼吸になりそうなほど泣く。

 この世界に来て、初めて泣いた。


「かえり……たい……ッ」


 そうポツリともらせば、次々に感情があふれ出した。


「もうやだ! 帰りたい! 怖い!! なんで……! なんで私が、こんな目にあわないといけないの!! もう……や――」

「ユキ……か?」


 現れたのはオーロクであった。

 困惑した様子でユキに近づき、そして息をのんだ。


「……みないで……ください……」

「誰にやられた!!」


 ボロボロ涙を零すユキ。

 服は乱れ、ところどころボタンがなくなっている。そして、その隙間から見える横腹には、大きなアザがあった。

 ああ、なんか襲われたみたいだ、と思い、ユキは急に恥ずかしくなってきた。慌てて前を隠すも、見てほしくないという意図が伝わらなかったオーロクは動揺と怒りの形相でユキに詰め寄る。


「あ、あ、あの……! お願いします……見ないで……」


 そう言って前を隠すユキ。

 オーロクは、腹のアザは確実に自分がつけたものだと気づいたが、それ以上の衝撃がオーロクの思考を停止させていた。


「誰だ……?」

「やめて……」

「シンか……?」

「いや、あの――」

「シンか」


 オーロクの喉の奥で、グルルと低い音が鳴った。


「ち、違うんです、あの、私のせいです……! 私が――」


 そうじゃない。オーロクが思っているようなことは起きなかった。

 そう言いたかった。しかし、混乱しきったユキは上手く言葉を伝えることができず、それを見たオーロクはますます勘違いをしていく。


「そんなわけあるか!」

「いや、本当に違うんです……!! そうじゃなくて――」

「俺がなんとかする」

「違います! 本当に、そうじゃなくて、これには理由があって……!!」

「そんな姿にされてまで、お前は、あいつを、(かば)うのか!!」


 怒鳴られ、ヒッとユキの喉から小さな音が出る。


「……な、なに、も……なかったんです……だいじょうぶ、です……」


 オーロクの凶悪な顔に怯え、聞こえるか聞こえないかの小さな声。

 恐怖に顔が引きつるユキを見て一瞬オーロクが(ひる)むも、ゆっくりユキに手を伸ばし、その手を握りこんで引っ込めた。完全に2人の会話はすれ違っているが、動揺した2人はそれに気づかない。


「……何もなかったんだな」

「……はい、大丈夫です。すみません、お騒がせ、しました……」

「……何も、なかったんだな……」

「はい……」


 大きなため息をついて、座り込むオーロク。


「なんか……さっきからおかしいんだ……」

「……?」

「俺は……俺は、お前が……」


 言いよどむオーロクを見て、ユキは困惑の表情を浮かべたまま首をかしげた。


「ああ……それだ……そのしぐさまでもが……体系も、声も、顔も、匂いも……俺には、お前が女だとしか――」

「ここに、いたのか」


 シンの低い声があたりに響いた。


「ユキ、戻るぞ」

「…………」


 ユキの手がかすかに震える。

 それを見てしまったオーロクは、鼻っ面にシワを寄せるとユキの前へ立ちふさがった。


「ご心配なく。ユキは俺が部屋まで送ります」

「送り狼か」

「貴方と一緒にしないで頂きた――」

「やめて下さい!!」


 ユキが叫ぶのと、シンが銃をオーロクの眉間にあてて安全装置をはずすのはほぼ同時だった。


「……ッ」


 オーロクの息が詰まる。


「やめて……やめて、下さい……お願いします……帰ります……一緒に、帰りますから……むやみやたらに、人を殺さないでください……傷つけるのもです。おかしいですよ、シンさん……どうして貴方はそうあるんですか……? いつもいつもすぐに撃つし暴力振るうし。人の意見より自分の意見。それじゃあまるで、人との付き合い方がわからない子供みたいで――」


 震える声でそう言い、顔を上げてシンを見た瞬間、ユキはザッと血の気が引いた。


「なん……で……そんな、顔、するんですか」


 シンは何故かぐしゃぐしゃの顔で、それはとてもとても後悔しているような、今にも泣きだしそうな顔。男の人の、ましてやシンのそんな顔など見たことがなかった。

 ユキは心をギュッと握りしめられたような感覚におちいり、思わず心中で『そんな顔をしたいのは私の方でしょう……?』と思ってしまう。

 しかし、それを言えないぐらいに衝撃を受け、まるでこれではシンが自分とオーロクのやり取りに嫉妬をしているようではないかというありえない考えまで浮かび、いったいなぜこんな顔をと考え、ようやく出た言葉はたった一言。


「シンさん……?」


 シンはしばらくオーロクをにらみつけると、黙って銃を下ろし、ユキの手を引いて去っていった。

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