決闘は姑息な手段を用いてでも勝て。
「ハンデをやるよ。僕はここから動かないし、飛び道具も使わない。僕がそのどちらかを破ったら、お前の勝ちでいいよ。ちなみに、お前の負けは“意識喪失を僕が確認したら”だから」
「うっ……」
ありがたい。大変にありがたいが、ユキは物凄く馬鹿にされている。
そしてそれは闘技場にきていた全員に伝わり、妙な空気が流れた。しかしようやく事態が動き始めると知り、辺りに緊張が走る。
「い、いき……ます……」
誰が見てもへっぴり腰の小さな少年。
それがめちゃくちゃキャッツを警戒しながら、そして時折びくつきながら近づいていく。
ああ、駄目だ。この賭けは終わった。大穴はなかった……と、誰もが確信した。
「えっと……魔法、だから呪文? でもそんなの知らないし……どうしよう……手? から出るのかな? 見栄えで言うと杖の方がいいよね……でも杖はないからしかたないか」
「何をブツブツ言っているのさ」
「ご、ごめんなさい……」
大きく深呼吸して恐る恐る指を差し出す。
一本だけ突き出された人差し指。そして、ユキは震える声で小さくつぶやいた。
「物凄くでかい火の玉、とか?」
言い終わるか終らないか。爆風が発生し、尋常じゃない熱が闘技場を覆う。
辺りからは悲鳴があがり、誰もが顔を覆い、熱がおさまるのを待つ。闘技場全体が静まり返り、ちらほらとざわめきが戻ってきた。
「…………」
キャッツの頬を汗が伝う。
キャッツの後ろの壁は溶け落ちていた。
「……お前、何をした」
「……なな、何も……ごめんなさい……!」
恐怖から縮こまるユキ。
静寂から広がる歓声。
「いいぞ小僧! 俺はお前を信じていた!! そのままキャッツを殺れー!」
この応援を皮切りに、闘技場内はあっという間に歓声に包まれる。
それはかつてない盛り上がりを見せ、定期的に行なわれる騎士のトーナメントのような雰囲気になっていた。
「殺れ、小僧! キャッツはそこから動かねぇんだ!! 今のうちにさっきので殺っちまえー!」
「負けるんじゃねぇぞ!! 俺の虎の子はお前にかかっているんだ!」
「……叫んだやつは全員覚えたよ。明日から忙しくなるなあ」
ボソッと言ったキャッツのつぶやきを聞き、ユキの顔が引きつる。
「あの、すみません……自分で言い出したことで大変申し訳ないのですが、もうやめませんか……」
「はあ? 冗談でしょう? やり逃げ? ありえないんだけど」
特大級の青い炎がキャッツの手を包む。
それを見た観客が静まり返った。
「ほら、さっさと逃げろよ。この炎はお前を焼き尽くすまで追うぞ」
「……ヒッ!? それ飛び道具じゃないですか!!」
「馬鹿? 道具じゃなくて魔法だよ」
炎が放たれるのと、ユキが駆け出すのはほぼ同時だった。
「わぁぁぁぁぁぁ……!!」
必死に走るすぐ後ろをついてくる炎。
それは時折服の端を焦がし、ついては離れ、まるで意思を持っていたぶっているようであった。
そう、この炎は酷く粘着している。
(やっぱり“じんわりいたぶられて死ぬ”方だった……! どうすれば……! どうすれば逃げられる……!)
「アンタなに逃げ回ってンのよー!! 全然つまんないじゃないの! 防壁張ってかわすなりなんなりなさい、ド阿呆!!」
全力で走るユキの耳に、レディスの怒声が聞こえてきた。
(防壁! そうか、その手が――いや駄目だ……!! 私は黒龍の防壁しか知らない……! あれを使ったらばれてしまう……ならどうしたら……どうしよう、誰か助けて――)
先ほども習ったわけではない魔法を使えたのだから、やろうと思えばできるのだ。しかし、『怖い。心臓がバクバクと波打っている。もうやめたい。今すぐ逃げ出したい』という思いがそれを忘れさせていた。
しかし、『このままでいいのだろうか』という思いがムクムクと膨れ上がってくる。いつまでも逃げていて全く成長しない。それではアルージャや、大事な仲間を守ることができないのではないのではないだろうかと。
あの時のように簡単に死んでしまうようでは、自分のことすら守れないようでは、自分はいつまで経ってもただの足手まといなのではないかと思った。
であれば、いつ頑張るのか。
「ほら、死んじゃうよ?」
ボッと音がして、焼け付くような熱が体を覆う。
「――ッ」
次の瞬間、ユキは青い炎に包まれ、その炎は大きな火柱となって闘技場は熱気にさらされた。
炎はゴウゴウと音を立てて燃え盛り、やがて闘技場には静けさが訪れる。一瞬焦ったった顔で腰を上げかけたアルージャは、すぐ真顔に戻り席に座った。
横のシンはピクリとも表情を動かさず、ただ前を見据えて立っている。
「……し、死んだのか?」
「……わからん」
「でも見ろ。キャッツがまだ動かない」
「じゃあ……生きているのか……?」
「……わからん」
ざわつく闘技場内。
キャッツは視線だけを動かし、ユキの行方を追っていた。
あの時、火柱に紛れてユキの姿が消えた。転移魔法でも使ったのかと思ったが、そんな高度な魔法が使えるはずはないと考え直す。また気配が残っているので場内に居ることは確実なのだ。
しかし、その姿が一向に見当たらない。観客席をぐるりとみるも気配は薄く、そして全体に広がっており、キャッツは珍しく目標を見失っていた。キャッツが苛立ちまじりに舌打ちをした瞬間、フッと上空に影が差す。
「なんだありゃ!?」
その声とともに観客の視線が上へ向く。
そこには、闘技場の天井から急降下してくる巨大な2体の龍――……
天井部分のガラスを突き破り、金色と銀色のそれはガラス片とともに降りながら、一直線にキャッツを目指す。キャッツは舌打ちして防壁を張った。龍が自分に体当たりをする気であると気づいたからだ。
この防壁がどのくらい耐えてくれるのか……と思うと冷や汗が出る。
案の定、衝突の衝撃でビリビリと防壁が鳴り、そのまま音を立てて砕け散った。
《こしゃくな小僧が……! 我が王を泣かせるなぞ、100回殺しても足りぬわ!!》
《落ち着けシェリー。これも我が王の成長のためである》
《セン! 貴様は黙っていられるのか!!》
「嘘だろ……あれはアルージャ様とシンの野郎の騎龍じゃないか!? なんでここに……?」
「脱走したのか? まずいだろ……お2人ともここにるんだぞ? 今日の当番誰だよ……死んだな」
闘技場は一瞬にしてパニックにおちいったが、とうの騎龍の主は無表情で前を見ている。
「どういうこと……? というかユキはどこ。なんでかわりに龍が来たの。まあ、ユキが場内から出たのはわかるよ。だって燃やしていないのに追跡の炎が消えたからね。燃やす対象が消えれば炎も消えるし」
キャッツは観客席にまで被害が及ぶのを気にして、闘技場内の中でも観客席を除いた範囲に限定して魔法を発動していた。まさかユキがそこから出るとは思わなかったのだ。
さらに言えば燃やす物もユキではなくユキの衣装のみとしていた。
「クソ……魔法の効果範囲を指定しなければよかった」
自分が動けない状態で龍2匹の相手はきつい。
それも戦場では鬼と化す2人の騎龍だ。龍自身も非常に気難しく、龍舎で世話をしたがるものも少ないといわれるほど癖の強い、そして力も魔力も強い龍。それがどういうわけかここに来てキャッツに敵意むき出しで迫っているのだ。
《おい、小僧! 覚悟しろ。その首を引き千切って――》
《やめろ、シェリー。我が王はそれを望んでいない》
《ぐっ……あ、おい、セン! あの小僧、全く懲りてない顔をしているぞ! くそ……あれの親父も相当に忌々しいやつだったが、遺伝は確かなようだな! 言葉が通じないのが悔やまれる……!》
場内の観客はキャッツに向かって敵意をむき出しにする龍を見て、どうやらこれはキャッツの敵らしいと判断した。
なぜ龍が龍舎を抜け出してここにきのか、またなぜユキの味方らしきことをしているのかはわからないものの、これはユキに賭けていた者にとっては嬉しい誤算であった。
「……どこに行ったんだ。あの馬鹿は」
いまだ、誰の目にもユキの姿は映らない。