一筋の光。
「!」
王が剣を振り上げる影が見え、レディスは横へ飛ぶ。
剣が勢いよく地面を叩き、辺りに耳障りな音が響いた。
「……アンタ……とんでもないことをしたわね」
「見たか……? 見たか、あの、魔力を……黒龍は死なねばならん。その命が尽きる時、どれほど濃い魔力が放出されるかわかるか? その魔力がこの世界にどれほど影響をあたえるかわかるか!? あの魔力を見れば、それがわかるだろう!」
「知らないし、知りたくもないわよ!!」
「いいか、そもそもどうしてこの世界がいまだに存在していると思う」
「知りたくないって言ってるでしょう! 私が今興味を持っているのは、シンとユキだけよ!!」
エルフの全力の火炎魔法。
それを間一髪で避けた王は、口から泡を飛ばしながら、なおも叫ぶ。
「いいか! この世界は我々が到底追いつくことのできない速度で回転している! 回転している世界が、ある日突然止まったらどうなると思う!!」
レディスの拳が王の顔面の右側を通過する。
先ほどからギリギリで攻撃をかわす王。攻撃がそれるたびに、レディスは露骨に舌打ちをした。
「回転していた世界が動きを止めるとき、世界は崩れてなくなるだろう! その恐ろしい事態が、今起ころうとしているのだ!! 国民はおろか、貴族連中も誰も知らない!! 止めるのは誰か!? 国家機密以上の王家口伝により、唯一そのことを知っている私だ! 国民を守る義務がある!! お前らのような国の癌をなんのために生かしておいたと思っている! 黒龍が現れなければ、貴様らが贄になるという約束があったから生かしておいただけだ! これを提案した忌々しいアルージャに感謝することだな!」
拳を引くのと同時に、体をひねりつつ蹴りを出す。
それもかわすが、王は少しだけよろめいた。よろめきながら、『もっとも、アルージャはお前らに過去に同情し、情けをかけて生かしておいただけのようだが』と憎らしげに唾をはく。
「しかし贄だけでは国を守れない! ではどう守るのか!? 答えは召喚だ!! 召喚の時に生まれる魔力こそが、世界の回転に勢いをつけている! だからこそ私は召喚を続けたのだ! だが、すでに召喚だけでは追いつかないほどに世界は衰退していたのだ! では、どうする!?」
肩で息をする2人。
王の目はギラギラと輝き、レディスの目もまたギラギラと輝いていた。
「答えは、黒龍……召喚を続けたもう1つの理由……! これの魔力を使えば、たった1度の魔力の放出で1,000年は安泰とな――」
レディスの足払いがきまり、王は地面に倒れこんだ。
しかし王は喋るのをやめない。
「うっ……こ、黒龍は命をいくつ持っていると思う……? あれは、命をいくつにも分けることができるのだ。それこそ、1,000にも10,000にもなる。その膨大な魔力があれば……我が国は――」
「つまり、アンタのエゴでユキを殺したというわけね」
「エゴだと!? 違う! この世界を救うための、最小の犠牲だ!!」
「それがエゴだって言ってんのよ!! ユキはこの世界の安寧なんて求めていない!! 無理やり連れてこられたのに、どうしてこの世界の安寧なんか願えるのよ! あの子に足枷をはめるのは無理よ」
グッと王の胸倉をつかみ持ち上げて、その頬に思いっきり拳を叩き込んだ。
王は苦しそうにうめく。
「あれに……自由など、ない……黒龍は力ある者に使われてこそ……その真価を発揮するのだ……」
「なるほど、アルージャはそれに気づいたというわけか。王の愚かな魂胆に。王族の中でもアルージャが推されていたのは正しかったようだな」
地獄のそこから聞こえるような低い声。
ゾクリと肌があわ立ち、レディスは思わず息を止めた。
「黒豹……気の狂ったアルージャの犬め。私に楯突いたことを後悔するぞ、シン」
「最終的に黒豹部隊の存在に許可を出したのはお前だ、愚かな王よ。思いっきり噛み付いてやろうか?」
「もう十分噛みつかれている。忌々しい犬め」
「ある程度、アルージャの死刑に関する愚かな裏事情は知っていた。だがそんな事情まで隠されていたとは。好き放題やっていりゃあ尻尾を出すかと思って好き放題やらせてもらったが、最後の最後まで隠し通したな。尊敬するぜ」
王がレディスの腕を振り払い、後ずさる。
「しかし良い情報も知れた。黒龍は命をわけられるんだってな? ということは、この世のどこかにまだ魂が残っている可能性もあるわけだ」
グッとユキに刺さった剣を握りしめて引き抜く。
ゴポリと血が溢れ、大量の赤色が流れ出した。手にまみれた血を舐め取ると、ユキの濃い魔力が体内に流れこむ。
「甘いな……」
シンは傷口に口を寄せると思いっきり吸い上げてユキの血を飲み込む。
「これも全部、俺のものだ」
そして、ニヤリと笑った。
* * * * * *
「もう家族に会えない……」
暗闇の中。
思い出した事実はユキを苦しめていた。
自分が死んだのだと理解した時、なぜ今までもっと両親に優しくできなかったのかと後悔した。
ユキは一般的な家庭に比べれば、よく両親に尽くしていた方である。しかし、後悔とは決してつきることのないもので、アレもコレもと考えると湯水のようにわいてくるのだ。
「一人ぼっちになっちゃった……」
いや、アルージャがいる。彼を助けなければいけない。
そう思うも、恐怖が体を貫いて動けない。刺される直前に自分に向けられた明確な殺意。一瞬の出来事だったというのに、それはトラウマとなってユキの中に残った。
「私が向こうに戻っても、私の居場所はあるかな……? 弱い私は……いらない、かな……」
戻れる世界は向こうだけ。
しかし、居場所がなかったら……?
グラスは優しい。ヤクーもキャッツもレディスも意地悪ではない。そしてシンも。だが、グラスが優しいのは育てるように命じられたから。ヤクーもキャッツもレディスも意地悪ではないが、ユキに興味があるようには見えない。
シンも……あのよくわからないキスのせいで、ユキの心は酷く乱されていた。そこへレディスが関わり、ドロリと醜い感情がわく。考えないようにはしていたが、これのせいでシンのことが気になり始めているのだということに気づいた。
自分は男ということになっている。それなのにキスをしたということは、シンは男でも問題なくいけるということで、そうであれば自分よりはるかに綺麗なレディスに惹かれるのも時間の問題だと思ったのだ。
もしかしたらもう付き合ったりしているのかもしれない。そう考えると、あの世界に戻る理由が減ってしまう。この気持ちを確かめたいとは思うものの、傷つきたくないとも思ってしまうのだ。
だが、なぜこんなにも気になるのだろうか。今まで特に意識はしていなかった。キスされたくらいで好きになるほど経験がないわけでもない。
ただ、自分の本能が、龍になった途端に強くシンを求めるようになっていっている気がする。これは何か関係があるのだろうかと目を細めるも、その答えが出ることはない。
「……アルージャだけ助けたら……どこか遠くへ行く……? でも助けられるかなあ……一発で死んだ私に何ができるの……」
その時、額に熱が宿った。
「?」
『いるんだろう、ユキ』
「……へ? シ、シン……さん?」
『いつまで寝てんだ、新人。それも上官が頑張っているってのに。さっさと起きんかド阿呆』
ゴンッと額に激しい衝撃。
星が目の前に広がり、サッと意識が飛んだ。
* * * * * *
《わぁあぁあっ!?》
黒龍が飛び上がり、辺りをキョロキョロと見回して、肩で息をしながら額を押さえている。
強烈な拳骨を傷の真上に振り下ろされたユキは、いまだ現状把握できずにポカンとしていた。
「起きたか」
《……シン、さん?》
「……クッ」
その声を聞いて振り返ると、王が剣を持ってこちらに飛びかかろうとしていた。
ユキは反射的に、その喉に噛み付いてしまう。ゴキリと音がして、王は動かなくなった。
《あっ……!》
クックック……と笑いを押し殺したような声が聞こえる。
「あーあ。アンタやっちゃったわね。王族殺しなんてキャッツですらやっていないのに。一級犯罪者どころの騒ぎじゃないわよ」
《え……しん――死んだ、んですか……? 本当に……?》
「これでお前も黒豹部隊に馴染んだわけだ」
《うそっ!? 本当に……? 気絶しただけじゃなくて?》
慌てて様子をみるも、どう見ても生きているとは思えないほど首が曲がっている。
王の最後は、あまりにもあっけなかった。
《ど、ど、どうしよう……!》
「どうしようも何も殺しちゃったんだから仕方ないじゃない」
《そ、そんなわけには……この人、王様ですよね?》
「王だから殺しちゃいけないなんて法律ないわよ」
《いや、そもそも人を殺すこと自体……》
「あーあ。グラスの野郎、がっかりだろうな。せっかく万年平凡の名を返上できるチャンスだったのに。前回の任務でも、今回の任務でも新人にかっさわれちまうんだからよ」
《そんな言い方……! 私だって――あ》
そこで1つ思い出す。
確かあの男は命をわけられると言っていたはずだ、と。
(私の命を――)
「おい。余計なことを考えるんじゃねぇぞ、ユキ」
シンの冷えた声にびくつく。
「いいか。余計なことは、考えるな」
《…………》
雲の隙間から現れた朝日が顔に当たる。
それがあまりにも眩しくて、ユキの目に少しだけ涙がにじんだ。