黒龍の咆哮。
「アハハハハ!! 良い調子じゃないのぉ! はぁ~、夜空が綺麗だわぁ!」
レディスの調子はすこぶる良かった。
大空をユキの背にまたがって飛ぶ。レディスは『アタシもしかしてこの世で初めて黒龍の背にまたがったんじゃないの?』と言いながら、ご機嫌で鼻歌を歌っていた。
《レディスさん、もうすぐ城の頂上です》
見えてきた鉄塔の最上部。
そこには小型の龍がなんとか座れるぐらいのスペースがある。そこへ降り立つと、レディスは満足げに頷いた。
ところで龍と会話はできないのが一般常識であったが、なぜかユキの声はレディスに届いていた。頭の中に響くような気持ち悪い感覚といって初めは顔をしかめていたものの、だいぶ慣れたのか、それとも空を飛ぶことで気がまぎれたのか、レディスはいつもの表情に戻っていた。
「まずは味方に合図を出さないとね。いくわよ、坊や。啼きなさい」
ブォォォォォォォ……という低く、空気を揺らすような振動。
肺一杯に空気を吸い込んだユキの声が辺りに響き渡る。それはどこまでもどこまでも響き、この世の終わりがきたのではと思わせるほどにおぞましい声。ただの龍では決して出すことのできない、しかし龍であることは疑いようがない不思議な音色の咆哮。
城にいる者も、城外にいる者も、一瞬にして飛び起きるほどのおぞましい声であった。
「アハハハハハハ!! 何よ! 何なのよその声!! 最高じゃないのアンタ!! アハハハ! 気が狂いそうだわ!! 今日はなんて素晴らしい日なんでしょうね! この、アタシが! こんな瞬間に立ち会えるなんて!! シン……ああ……シン……愛してる!! この命は貴方のものよ!!」
すっかり興奮したレディスが展開した魔方陣は、馬鹿みたいに規模のでかい、そして邪悪な魔力を放っていた。
黒い稲妻がバチバチと音を立て、赤いボンヤリとした光りを放つ。ついで城全体に魔方陣が広がり、グルグルと古代文字が魔方陣をすべるように移動し始めた。
《レディスさん……これ……》
「これが、どんなものも決して通すことがないと言われている黒龍の防壁……なるほど……実物を見るのは初めてだけど、こんなにも禍々しいのね……これ全部アンタの気配? ヤダ、脳が犯されて頭がおかしくなりそう……シン隊長……アンタ本当にとんでもないこと頼んでくれたわねぇ……!」
レディスが肩で息をしているのに気づき、ユキは不安げにレディスを見る。
《大丈夫ですか?》
「当たり前よ。頭やられてる場合じゃないわ。こんなに楽しいお祭りなのに。ほら、次行くわよ。――暗黒重力、展開」
その言葉と同時にズンッと城が揺れる。
ユキは何も感じられなかったが、空を飛んでいた鳥達は次々と地面へ落下していった。
《凄い……》
「こんなんで驚いてンじゃないわよ。言っとくけど、これ全部アンタの魔力なんだからね? 辛くなったら早めに言いなさいよ。アンタがこの作戦の要ってのは気に食わないけど、へたったり死んでもらっちゃ困るもの」
《は、はい!》
慌てたように返事をすれば、綺麗なレディスの笑みが返ってきた。
* * * * * *
「来たか……!」
龍の咆哮を聞いて飛び起きた者の中に、この国の王もいた。
ズンッと自分の体が重くなり、ベッドへと押し付けられる。そして全く動けないと知り、舌打ちした。
恐らくは城にいる誰もが動けなくなっているのだろう。
実行犯以外は。
「何か来るだろうとは思っていたが……まさか黒龍を使ってくるとは……」
今回の召喚で黒龍が出てきていたのを王は知っていた。
知っていて、アルージャに回収させにいったのだ。しかしどうだ。帰ってきたアルージャは、自分が知らぬ間に拾った黒龍を我が物にしてしまっていた。
ようやく見つけたのだ。ようやく……何度も召喚してはハズレを引き、ようやくみつけた黒龍。このためだけに召喚をしていたというのに、それをあっさり横から奪われてしまった。
黒龍がいればあの目的が果たせる。
なのに、それが一瞬にして取り上げられた。
幸いにして黒龍は国の宝ともなりうる非常に珍しい存在であるから、それを個人のために利用しようとしたとしてアルージャを闇へ葬ることができるように事を運べた。裁判長は納得していなかったが、『家族は元気か』と尋ねれば黙り込んでしまった。
そう……王にとって黒龍こそが召喚の目的だったのだ。
王は我が目を疑うほどの幸運に心臓が止まると思ったが、後にそれが奪われたと知ったときは別の意味で心臓が止まるところであった。
「私は、まだ死ぬわけにはいかない……!」
王はかろうじて手を動かすと、チェストの中にあった宝石を手に取った。
それを手にした瞬間、王の拘束が解ける。対黒龍用につくられた龍殺しの宝玉であった。龍の魔力を己の魔力が尽きるまで無効化する力がある。
王は上着を羽織ると部屋を飛び出した。
* * * * * *
「アルージャのじいさん。おい起きろ、じいさん」
揺すられ、ツンとする何かをかがされてむせるアルージャ。
顔をしかめながら目を開けると、クラリと眩暈がした。
「ほら、水飲め」
「……ヤクーか。久しいな。元気か」
「はあ? 俺の健康よりテメェの立場だろうが、この死刑囚。俺らとおそろいになってどーすんだよ、ド阿呆」
「ハハハ、違いない」
貰った水を飲み干すと、少しだけ眩暈が治まった。
ヤクーはアルージャが水を飲み干したのを見て器を取り上げると、それを地面に放り投げてアルージャにガスマスクをつけた。
「何をしに来た」
「くだらねぇこと聞くな」
「私はここを出られない」
「もう、遅ぇ」
そう言って体をずらすヤクー。
ヤクーの後ろには、すっかり伸びてしまった騎士達がいる。
「……殺したのか」
「いいや、一人も。他のやつらだって殺してねぇだろうよ。だってシンから『殺していい』って言われてねぇもん」
おかしそうに笑うヤクー。
それを見て、アルージャは少しだけ驚く。何かにつけて殺した方が楽だという考えで動いている彼らの成長を見た気がして、アルージャは薄っすら微笑む。
「ほら。動けるか、じいさん。老いぼれでも地下牢の階段を登るくらいはできるだろ?」
「ヤクー……私は――」
「拾った動物は最後まで面倒をみろ。世間一般の常識だ。誰が俺らの手綱を握る? 国を征服をしてもいいならいいけどよ。その時にゃ、今回みたいにユキを使うぜ?」
「ユキ? どういうことだ」
「ああ、そうだ。じいさんは知らなかったな。言ってねぇもんな」
その口から『あいつ、黒龍なんだぜ?』と言う言葉が発せられた瞬間、アルージャの目が厳しいものに変わった。
「……どうやら寝ている間に状況が大きく変わったようだ。ここを出る必要がある」
「だから最初からそう言ってんだろ」
「ユキの元へ行くぞ」
「は? ちげーよ。あんたは逃げるんだ」
「そんなことを言っている場合じゃない!」
振り返ったアルージャの顔には焦りの色がある。
「ユキは確かに黒龍だと言ったな。あの咆哮と、この禍々しい魔力はユキのものか?」
「あ、ああ……たぶんな」
「ならば急がねばならん」
「どういうことだよ」
「王は黒龍を殺す気だ」
じとりと背に汗がにじむ。
静まり返った地下牢に、ガスマスクから漏れる呼気の音が響く。