うだつの上がらない男と愉快な仲間達。
「グラス、“ヒュリーの戦法・改”をやる。俺についてこい」
「え? それって……アレですか……?」
昔。
それはまだグラスが黒豹部隊にいなかった時のこと。グラスはある筋から情報を得ていた。その情報とは、黒豹部隊に所属する者たちについてだ。
シン。31歳。
まだ彼が24歳の時、たった1人で味方の小隊を10個ほど全滅させた。上官が気にくわないという理由で、一夜にして100人以上の騎士を葬ったのだ。
シンには言い分として国の根底を揺るがすような理由があったが、裁判で言っても仕方がないと思い『気にくわない』という理由のみ述べた。
当然のことながら、判決は死刑。
レディス。年齢不詳。
成人の儀を終えた直後、とある理由から一族の長の喉を噛み切って殺した。
逃亡したため死刑はまぬがれたものの、もう一族に戻ることはできない。
その直後から種族を超えての指名手配により、見つけ次第殺してほしいという依頼が全世界へ出ている。
一族の長を殺したのだから死刑は当たり前とは言われているが、一方では、エルフ一族が禁忌に手を出したため、その証拠隠しではないかとも言われていた。
真実は明かされていないが「長は口に出すのもおぞましいことをしようとしていた」とは同じ里の者の証言である。
キャッツ。16歳。
世界最悪の事件として歴史に刻まれた、暗殺一族による王国襲撃事件の主犯の息子。
彼自身もアルージャの命を狙ったものの、会話をしているうちに一族が滅んだため白旗をあげた。
『やっぱり個の力が強くても数には勝てないね』とケロッとしていたという。
判決は死刑。
ヤクー。年齢不詳。
元々運行会社で重機の操縦をしていたが、喧嘩で仲間を瀕死に追い込み捕縛。
刑期を終えて牢を出るとき、自作の毒物で牢内の者をほとんど殺してしまった。
逃亡することも抵抗することもなく再び捕まり、判決は死刑。
これが、当時グラスの手に入れた情報である。
そしてこの事実を全て事細かに知っているのは、今のところグラスだけであった。黒豹部隊同士でも、お互いにどんな過去があったのかなんて知らない。というか興味が無いのだ。任務で足を引っ張らなければそれでいい。そういう考えであった。
しかし、極々普通の男グラスはそうもいかなかった。
なぜなら、ある日唐突にこのはちゃめちゃな部隊へ所属することとなったからである。事前チェックに抜かりはない。正直、とてもとても不安だったのだ。
上司から『移動の可能性がある。詳細はまだ決まっていないから、当分先だろう』と聞かされてからは、まるで死刑宣告を受けたかのように落ち込んだ。
― うだつの上がらない男 ―
― 万年見習い騎士 ―
― 農民騎士 ―
これがグラスの評価である。
秀でたところは何もなく、容姿も家柄もきわめて普通。
そんなグラスがシンに引き取られたのは、もう軍を辞めて田舎へ帰り、家督を継いでしまおうかと思いかけていた時のことだった。
『よお、お前がグラスだな』
『え? はい。そうで――え……?』
『振り向きざまに返事たあ、良いご身分だ』
この時、グラスは死を覚悟した。
自分を呼び止めたのが、悪評名高いシンだと知った瞬間、サッと血の気が引いた。周りも心なしか遠巻きに見ている。
『お前、死ぬのは怖いか』
『はい』
即答である。
できれば殺さないでほしいし、痛いこともしないでほしい。もしもここで殺されてしまったら、『うだつが上がらない代わりに……』と努力して得た知識達が全て無駄になってしまう。
実家に帰ろうかとは思っていたけど、思っているだけでダラダラと居続けるんだろうな、給料も良いし、なんて思っていた矢先にコレである。
『その手に持っているのは、ヒュリーの戦法か』
『は、はい!』
『読み終わったか』
『え? あ、はい……一応……』
『427Pについてどう思った』
この台詞を聞いた野次馬は、一様に『なんて無茶な』『死んだなグラス』と十字を切る。
“どこどこのなになにはどうか?”が質問の定番であるのに対し、わざわざページ数で言ってくる辺りが意地悪だ。
しかし、グラスは死んだ目を輝かせて、少し早口で興奮気味に話しだした。
『敵を無力化して確実にしとめていくという原始的な方法が載っているところですね。あそこに誰かが書き込んだ注釈――“一定の範囲の重力を、特定の人物を除いて変動させる方法”というやつです。それが面白いと思いました。印象的だからよく覚えています。ただ、それをやるには膨大な魔力が必要です。常に魔力を発し続けなければいけませんし、並の人間では10分も持たずに魔力が枯渇するでしょう。それに落とし穴が一つあります。自分より能力の高い重力魔法を別の人間に使われたら終わりです』
グラスが一気にそう言えば、シンはニヤリと笑った。
『では使えない戦法ということだな』
『いえ、黒龍の守りがあればあるいは。鉄の守りはノミ1匹通さないほど緻密で、その硬さは龍の全力ブレスをもはじくと言います。さらに凄いのは、魔力を吸収して自分のものにできるという点です。半永久的に魔法が使えますから』
『あれは黒龍しか使えない魔法だ』
片眉をクッと上げるシン。
他から見れば怒りを買ったとしか思えないその行為に、グラスは目を輝かせてニッコリ笑った。
『ところが、今後それが可能になる可能性があるのです。次に国が召喚を行なう時……そこに、黒龍が現れる可能性が高い。同僚は馬鹿にしますが、次の召喚はこの国が召喚を始めて、丁度1,000回目となるのです。黒龍が前回現れたのは百数十年前。その時の年号と、古文にある年号、それから――』
『ああ、細かいことはいい。歴史は苦手だ』
『そうですか……とにかく、その黒龍を手に入れれば、重力魔法を効果的に使えるようになるでしょう』
『夢物語だな』
一刀両断され、グラスが少し落ち込む。
『……まあ、みんなそう言います。しかし、黒龍はあと数年のうちに必ず現れる』
これはグラスの中ではほぼ確信であった。しかし、この世界の人からすれば、世界が明日終わると言われるくらい非現実的でもあった。
そもそも百数十年前に現れたとされる龍も、濃紺色であって黒ではないのではないかという説が出ているくらいだ。
しかし、シンはニヤリと口角を上げてグラスの頭をわしづかみにする。
『喜べ、グラス君。我が部隊の期待の星』
『え……?』
『話は聞いていると思うが、たった今から君は我が部隊の隊員だ』
『そ、そんな……』
これが、シンとグラスの出会いである。
そしてその時に話した“ヒュリーの戦法・改”を、これから実践すると言っているのである。
「し、しかし、あれは黒龍がいなければ成り立ちません……」
「黒龍? 黒龍なら知ってるぜ?」
シンがユキの腕を引き、たたらを踏みながら躍り出るユキ。
みんなの視線が集中し、ユキの心臓がドクリと波打った。
『お前が黒龍であることは誰にも言うな』と言ったのはシンである。しかもそれはユキの記憶が正しければごく最近の話で、言ったそばから……とか、なぜ今……とかいう疑問がグルグルとユキの頭の中を駆け巡る。
「紹介しよう。我が部隊、期待の新人、黒龍のユキだ」
「…………」
誰も信じていない。当たり前だ。
「で、でも……そんな、まさか……」
「お前が言ったんだろう? 近いうちに黒龍が現れると。全く、アルージャの爺さんは拾いモンが得意だな」
「嘘でしょ……ユキが? アタシの方が絶対強いわよ」
「僕だって負けないし」
思い思いに顔をしかめながらユキを評価するが、ユキ自身、全く持ってその通りだと思っていた。
ここにいる誰にも勝てる気がしない。正直、別部隊の騎士にだって勝てないだろう。
だけど、もうやるしかないのだ。
格好いい言い方をすれば、“賽は投げられた”のだから、動くしかない。前進するしかない。
立ち止まっていいのは、全てが終わった後だ。
「コイツはまだ魔法が使えねぇ。レディス、お前が媒体となってユキの魔力を使い、この城全体に黒龍の防壁を張れ。ついで暗黒重力を俺らとアルージャ以外の全生物にかけておけ」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。軽々しく言わないでくれる? どんだけ魔力を消費すると思っているの」
「魔力ならそいつが溜めている。十分足りるくらいにな。お前、黒龍の魔法は使えないのか? ……使えるだろう?」
ギリッと歯を噛みしめる音がした。
レディスのこめかみには太い血管が浮き出ていて、ユキが今までに聞いたこともないような野太い声でポツリとつぶやいた。
「テメェどこまで個人情報を把握してんだ」
「使えるモンは何でも使う主義だ」
フンッと鼻で笑うシンを見て、レディスが大きなため息をつきながら『後で殺す』ともらす。
「……上等よ。やってやろうじゃないの。確かに、アタシはこの世界で唯一黒龍じゃないのに黒龍の魔法を使えるでしょうね。エルフが、人工的に黒龍の魔法の研究をした、実験体であるアタシなら」
「エルフの人体実験……! 本当にあったのか! エルフ族が禁忌に手を出したと噂になっていましたが……貴方が脱走した最後の生き残りだと言うのは事実だったのか……」
グラスが驚いたような声をあげる。
「なあに? アンタも知ってるわけ? ……殺すやつが増えたわねぇ」
「えぇ……!?」
「キャッツ。お前は人を減らせ。抵抗する奴だけでかまわない」
この台詞に驚いたのはユキだ。
てっきりシンであれば『皆殺しにしろ』くらい言うのかと思った。
「え? どうせなら目に入った人を、全員動けなくすればいいんじゃないですか? 後でいきなりやる気が出て抵抗されても困りますし」
ボソッとユキが言えば、全員がげんなりした顔をした。
「……まさかお前からそんな提案が出るたあな」
ヤクーがため息をつけば、シンが鼻で笑う。
「だいぶウチのやり方に馴染んだみたいじゃねぇか」
「え……!? 心外です! 別に殺していいなんて……あれ、でも今の言い方だとそういうことに……? あれ……?」
ユキとしては現実的な意見を言ったつもりでいた。
しかし、“野蛮な戦法”ととれなくもない。
「アンタ可愛い顔して言うのねぇ……将来シンみたいな男になっちゃ駄目よ」
「というか、目に付いた奴を全員殺ってたらきりがないし。却下。僕、疲れることしたくない」
「ヤクー。お前はアルージャの奪還だ。傷1つ、つけるな」
「はいよ。で、シン隊長とグラスはなにすんだ?」
口角をクッと上げる。
見慣れたこのしぐさ。しかし、なぜかユキは嫌な予感がしていた。何かとんでもないことをしでかす直前のような……それも本人は全力で楽しんでいるような顔だ。
「国王を人質に取り、尋問をする」
「上等」
ヤクーは笑うが、ユキとグラスは眩暈がしていた。
どこの国に王族直属の騎士という立場にいながら国王を尋問する馬鹿がいるのだろうか、と。『あれ、でも下克上ってこんなものかな……』と思い始めたユキは、なんだか自分の思考がおかしな方向に向かっていきそうだったので考える事を放棄した。