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善は急げ、思い立ったが吉日、情けは人のためならず。

「何が男だ」


 ずぶ濡れのユキを(かか)え、シンとシェリーは帰路についていた。

 シンは珍しく苦々しい顔をしていた。腕の中にいる()のユキは、どう見ても女の体をしていたのだ。


「……ちっ」


 あの湖は、龍の子供と大人になりたての龍、それから龍になる資格を持つ、龍以外の生物しか入ることができない。

 龍になったばかりの大人は吹き上げられてからほぼ必ず墜落するからか何度も入れるようになっているが、飛べるようになると入れなくなる。

 また龍は絶対数が少ないので、元々龍じゃなくとも龍化するのに受け入れられる可能性があり、そういった者もあの湖に入ることができる。龍達も元々の龍ではなく途中から龍になる生き物を当たり前のものと思っているせいか、差別などはおこらない。


「久々にあそこに入ったな……」


 しかし、ずぶ濡れになっているシンには、龍になる資格がなかった。なのに、湖に入ることができ、なおかつ命を失うこともない。


「…………」


 それが何故なのかをシンに問える唯一の人物は気を失って、紫色の唇をしている。

 先ほどまで非常に美しい黒いウロコの龍として空を舞っていた。いや、舞っていたというには無様であった。落ちていた、が一番近い。

 しかしそれでも一瞬言葉を忘れるほどの美しいそれに、シンは柄にもなく龍が水中へ消えるまで見惚れてしまった。そして湧き上がる子供のような独占欲。


― これは俺のだ ―


 自分の脳と本能が噛み合わない。なぜこうも血が滾るのだろうかと思いつつ、まるで龍が番を見つけたような興奮に溺れていく。


「俺の――」


 ユキは湖へ不時着すると、引き上げる頃には当然のように人間に戻っていた。衣服を何一つ身にまとわず。

 シン自身も、そしてアルージャも、その百数十人いる使用人も、同僚も、全員がユキを男だと思い込んでいた。もしやと思っていたことが全然別の件で明らかにされるとは、さすがのシンも思わなかった。

 そもそも、ここには龍の力を解放させるために来たのだ。

 いや、最初は龍に乗せてやるだけのつもりだった。気まぐれで自分の任務に連れて行ってやろうと思ったのだ。たまには外の空気を吸わせてやろうと思って。しかし、途中で目的が変わり、龍が大人へとなるための登竜門へ行き先を変えた。

 ここで本当に黒龍になれば面白くなる。そう思っていたのだが、いざそうなると動揺した。

 もしこれが他の者にばれたら、取り上げられてしまうのではないだろうか。

 ――なら、誰にもばれなければいいのだ。そう思うまでにそう時間はかからなかった。


《我が主よ、我が王は大事ないか? ……ああ、口惜しい。なんと口惜しいことよ。人間と言葉が通じぬとは。そもそも背中が見えんのがいかん。我が王の様子が全くわからんではないか。気の利く主であれば逐一情報を教えるだろうに、我が主ではそのような気遣いは期待できぬな》


 先ほどからシェリーはこの調子で、ずっとユキを案じている。飛んでいる時くらい前を見ろと言いたいが、シンは色々な思いが交錯していてそれどころではなかった。

 しかし、この腕の中の存在が龍にとってどういうものであるかを理解しつつあった。


「……おい。いいか、ユキ。善は急げ、思い立ったが吉日、情けは人のためならず。お前が龍になったのは、俺のせいじゃねぇぞ。お前のためだ」


 なんだか大変なことをしてしまったような気がしたシンは、ポツリとつぶやく。

 シンの声は、ユキには届くことはない。

 しかし、ふと重要なことを思い出してユキの頬を何度か叩いた。


「おい、起きろ。いいか、お前が黒龍になったってことは誰にも言うんじゃねぇぞ? わかったな」


 やや強めの力に、ユキの顔が歪む。


「うっ……あ、あい……わか、り……ました……」


 本当にわかったのかどうか微妙な反応にため息をつく。


「……まあ、頑張ったんじゃねぇのか?」


 ボソリとつぶやいて視線をそらし、それからは一言も発さずにユキを抱きしめる手に力を込めた。



* * * * * *




「あれ、もう帰って来たのですか? 随分と早かったですね。あの……ユキは……?」


 帰り道にサクッと任務を終わらせ、ごねるシェリーをサッと龍舎に押し込んでからユキを部屋に置いて執務室に戻れば、真面目に仕事をしているグラスがいぶかしげな表情でシンを見ている。

 それもそのはず。シンは一度任務に出ると、最低でも丸一日は帰ってこないのだ。何をしてそうなっているのかはわからないが、以前そのことについてサボっているのではないかと茶化した()豹部隊の若い騎士は、怖い目にあって除隊した。

 それから表立って聞くものはいなくなったが、依然として何をやっているのかは不明のままである。


「あいつは部屋に戻した」

「あーら、もしかしてシン隊長ってば自分の任務に連れて行ったのぉ? そりゃぶっ倒れるでしょうね、あんな貧弱な男の子が、シン隊長の血みどろ任務についていけるわけないものぉ」


 書類をめくりながら、フッと鼻で笑うシン。

 それをレディスは“ユキのことを笑った”と思った。チェスで遊んでいるヤクーやキャッツもそう思った。シンはユキが貧弱とはかけ離れた存在であると知ってしまったため、それを知ったときの周囲の反応を思い、再び口角を上げる。しかし、今はそれを知っているのは自分だけでいい。

 あんなに面白いものを誰かに見せて貯まるかと思いつつ、見るでもなくパラパラとめくっていた書類をゴミ箱に捨てシンは席を立つ。


「……おい、シン隊長。どこ行くんだ」

「今日は終わりだ」

「でた、サボり。いいよねー隊長ってだけで自由に行動できるんだからさ」

「お前も頑張ってこの地位までくるといい」


 辛辣なキャッツの言葉にニヤリと笑うと、シンは鼻歌でも歌いだしそうな勢いで部屋を後にした。


「……どうしたの、あの人。なーんかやけに楽しそうじゃない?」

「そう……ですね。いつもに比べたら機嫌が良かったかもしれませんね」


 残された面々はしばしポカンとしたまま、シンが出て行った扉を見つめた。




* * * * * *




「こんな辺鄙(へんぴ)な見習士官の部屋まで隊長殿がおこしになるとは」


 シンの目の前には青豹部隊の若い狼人間の見習士官が立ちふさがっている。

 それを冷ややかに見下しているシンの周りには、ブリザードが吹き荒れていた。しかし、青豹部隊の若い見習士官はそれに気づかない。尻尾を膨らませ、不機嫌そうにパタパタとふっている。耳は後ろに倒れ、鼻面にはシワが寄っていた。


「わざわざどうしてここまで? 隊長職の生活区分は南棟でしょう。この北棟は下々の俺らしかいないってのに」


 この若い狼人間の見習士官は、個人的な恨みをシンに抱いていた。

 シンは全く覚えていないが、彼が外泊許可を貰って外へ出ていたときのことだ。

 運の悪いことに、彼は任務あけで気が立っていたシンと出くわした。女を求めて花街をうろついていた若い狼人間の見習士官、そして気が立ったシン。シンには男なんぞ全く見えておらず、男が口説いていた女を目にとめると、その後頭部に手をあてて強引に唇を奪ったのだ。

 初めは抵抗していた女も、相手が良い男でキスが上手いと知ると次第に抵抗しなくなる。いったん、その口を離したときに、シンが女の胸元に大量の紙幣を押し込んだ瞬間、女は先ほどまで自分を口説いていた男のことなんぞ綺麗サッパリ忘れた。

 何度も言うが、シンには女しか見えていなかった。もつれつつ建物の中に消えていく2人を見送りながら、男は手のひらが傷ついて血が流れるほど握りしめた。

 この時、男が抵抗しなかったのは、彼が狂犬と名高いシンであると気づいたからだ。

 死神部隊の狂犬(シン)。ほぼプライベートの今、逆らうことは命に関わる。

 勤務中でも『気にくわねぇ』の一言で相手に致命的なダメージをあたえる男だ。プライベートでなら確実に殺されるだろう。歯向かわなかったのは英断だ。

 ――単純に、怖気づいたとも言うが。


「もしかして懇意にしている部下()でもいるのですか? 男もいけるとは流石隊長様だ! あ、そういや最近お気に入りの背の小さい新人がいると言っていましたなあ。ハハハ」


 周りにいた騎士達は、この男は愚かだと思った。仕事中だからといって、この男が仲間の命を奪わないとでも思っているのだろうかと。

 答えは否だ。

 今まで瀕死の重体に追い込まれた人々は、()()()死ななかっただけで、運が悪ければ死ぬほどの怪我であった。

 しかし残念なことに、シンにくいついている男はこのことを知らない。仕事中であれば、最悪殺されることはないし、仲間が助けてくれるだろうと思っているのだ。

 若い狼人間の見習士官は非常に愚かだった。そして空気も読めなかった。


「相手のところに通ってまで――」


 突如(とつじょ)、右半身に衝撃が加わった後、若い見習士官は音が聞こえなくなった。

 かわりにキーンという耳鳴りが聞こえ、左側の耳が熱くなる。そして自分に何かが圧し掛かり、さらには地面に転がっていると気づいた。


「へ……? なんだ、何も聞こえな――……ぐあぁあぁぁぁあああああ!?」


 あまりの激痛に右耳をおさえて倒れふす。

 おさえた手、床、いたるところに、真っ赤な血が広がる。そして視界のすみには、千切れた耳が落ちていた。


「な、なんっ……なんだよぉぉ……耳ぃ? これ、俺のかよぉぉ!?」


 混乱する男の後頭部を誰かがつかみ、地面に引き倒す。

 オデコに衝撃が加わり、男は目から星が出るほどだった。


「いってぇ! いてぇ……誰だ!」


 暴れる男の耳に、ようやく誰かの声が響く。


「申し訳ありません!! こいつ、あの、その、さっき、俺と喧嘩したばかりで気が立ってて……! 失礼な口をきいてしまい、大変申し訳ございませんでした!! 上官には俺から報告しますので、どうか……どうか銃をおさめてください……! 申し訳ございません……!!」


 それは普段よく聞いている同僚の声。


「銃? なんだ、ハンス、何言ってんだ……畜生、耳が痛ぇ……どうなってんだよチクショウ……!!」


 尻尾をふくらませながら怒鳴ると、ハンスと呼ばれた男が全力で男の頬に拳を叩き込む。

 そのまま頭を床に打ちつけ、若い狼人間の見習い騎士は意識を飛ばして動かなくなった。それをジッと見ていたシンは、まだ煙が薄っすら銃口から立ち昇る銃を下ろし、侮蔑(ぶべつ)したような視線をよこすと何も言わずに立ち去っていく。

 ハンスは細く震える息を吐き出すとへたり込み、横で倒れている同僚を見て震え声で話しかける。


「……ホント……前から馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど……狂犬相手に何喧嘩売ってるのさ……いつか死ぬぞ、オーロク……」


 そこでようやく隠れてみていた同僚達が『軍医だ! 軍医のところに連れて行け!!』だとか『オイ、誰か回復魔法が得意な奴いねぇのか!!』と騒ぎ始める。

 シンはあの時、本気でオーロクを殺すつもりだった。しかし、同僚が仲間を助けるために言ったわかりやすい演技に乗ったのだ。機嫌が良かったのだろうとしか言いようがない。

 いまだ動かないオーロクを見つめながら、なんとか命を救えたと安堵(あんど)するハンスであった。




* * * * * *




「…………」


 シンは気になっていた。

 柄にもなく、あの若い騎士に言われたことが気になっていた。背の小さい新入りだ。

 そんなに気にしていただろうかと考え、任務に連れて行くくらいだからまあ気に入っているのかと首を傾げる。

 ただ、それは美しい者、強い者に対する純粋な興味のはずだ。そう思いながら、その原因と思われる者の部屋――ユキの部屋まで来てみたというわけだ。

 ベッドでピクリとも動かず寝こけている間抜け面。見ていても欲情一つせず、やはり大したことじゃなかったかと思い直す。

 しかし、寝ていると思われたユキの瞼が細かく痙攣しているのに気づき、ふと悪戯心が湧いてくる。


「なんだ、寝てるのか」


 わざとらしく言えば、小鼻までもがピクリと動く。

 それを見ていると湧き上がった悪戯心はなおも成長し――……


「…………」


 ついには、赤く小ぶりの唇にキスをしていた。


「?」


 明らかに寝たフリをしているユキが動揺している。

 しかし、そのことに気付きながらも、シンは別の思いに囚われていてそれどころではなかった。


「…………」


 何も感じないと思っていたはずなのに、何かよく分からない感情が浮かぶ。

 一体これは何だろうかと思いかけ、そして思考を止めた。

 見下ろすユキの顔は赤い。

 何故かひどく満足して、シンは口角を上げるとゆっくり部屋の中から出て行った。

 扉が閉まると、部屋の中にユキの『なぜ……』という台詞がひびく。

 しかし、それに答える者はいなかった。

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