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真実を歪める思い込こみ。

「あの、どこまで行くのでしょうか」


 その問いに答えは返ってこない。

 ユキとて答えなど欲してはいなかった。もらえるとも思っていないし、別に会話がしたいわけでもなく、“そろそろ足が限界である”“行き場所を教えてもらっていない”“もう少し歩く速度を落としてほしい”というようなことを察して欲しかっただけだ。

 しかし、シンにそんな他人を気遣うだなんてものを求めても無意味であった。このことにユキが気づくのは、シンがいきなり止まって、その背に勢い良く鼻頭をぶつけたときのことだった。


「ここだ」

「いてて……はあ」


 木々がうっそうと生い茂る森の中を歩き続けて30分ほど。

 ようやくたどり着いたのは、薄いピンク色をした湖であった。


「わあ……なんて綺麗な……こんなに綺麗な湖があるのですね。不思議な色……」

「泳げ」

「あははは――……え?」


 反射的に笑ってすぐ、それが冗談ではないと気づいた。

 シンの目は本気で、なんだったら現在進行形で服を脱がそうとするシンの腕が迫っている。その手をパシッと右手で押さえれば、ちょっとムッとした顔のシンがもう1つの手を伸ばしてきた。それも左手で押さえ込む。ユキなりに、なかなか素早い反射神経で動けたと思う。しかし、『騎士相手にいけるんじゃないの、私』なんて思ったのもつかの間。


「ぐああぁぁぁ……」


 力任せにググッと押され、どんどん距離が縮まる。何とか魔の手を押し返そうとするユキ。しかし、大の大人、それも男に勝てるわけもなかった。

 それを余裕の表情で見ているシン。負けないぞと気合を入れるたびに、その顔は意地悪そうに、そして楽しそうに歪む。


(この男は手加減をしている……!)


 真綿で首を絞めるように、ジワジワと力を入れたり抜いたりして楽しんでいると気づいた時、ユキの中に妙な敵対心が出てきた。


「ぬ、脱がなくても……! いいじゃないですか! 脱ぐ、必要が、どこに!」

「なんだ、泳ぐんだな」

「え? いや、そうじゃなくて……そもそも……どうして、泳がないと……! いけないん、です、か!」


 その瞬間、シンの楽しそうな顔が引っ込む。


「…………」


 一瞬にして般若のような顔になると、低く小さい声でこういった。


「面倒くせぇ」


 グッと胸倉をつかまれる。『あ』と思った次の瞬間には、ユキは湖の中へと落とされていた。

 沈みながら、『そうか、気にしなくてはいけないのは“気にくわねぇ”だけではなかったんだ。“面倒くせぇ”もなんだ』と知るも、それも一瞬遅く、水にしては粘度が高い液体にグブグブと飲み込まれていった。


(息がっ……)


 やがて酸素の限界が訪れる。

 なぜ自分が落とされたのか皆目検討もつかないが、このまま水面に浮かび上がるのは恐ろしかった。なぜなら、沈む直前に、シンが長い棒を手にしていたのが見えたからだ。あれはきっと、浮かび上がったユキをついて沈ませるためのものに違いないと思った。

 そしてそれは正解だ。湖の上では、浮かび上がってきたらついてやろうと棒を構えるシンの姿がある。


(どうしよう、少し離れたところで浮かび上がれば――いや、駄目だっ!)


 泳ぎにくい。非常に泳ぎにくい。

 ドロドロとした水中をなんとか進む。手にからみつくような液体は、下に行けば行くほど濃い赤になっているようだった。一体これはなんだろうかと考えていると、下からスーッと何かが伸びてきているのが見えた。


(あれはなんだろう)


 ジッとそれを見る。

 息をするのも忘れてじっと見る。

 そしてその正体をみとめたとき――


「ガボォッ……!?」


 大きな泡が上へ上っていくのが見えた。

 残り少ない空気を全て出し切ってしまったことに動揺し、また下から伸びてくるのが白い人間の手だと気づいて動揺し、ユキは大慌てで水面を目指した。

 もはや地上にいるであろうシンのことなど怖くはなかった。今差し迫った問題は、あの手につかまったらどうなるのかということであった。

 しかし、泳いでも泳いでも水面にたどりつかない。焦れば焦るほどにまとわりつくものの抵抗は大きくなる気がした。実際にバタバタと動かす手の周りに発生した泡は、消えずにいつまでも粘度の高い水中でただよっている。


(上に……! 早く上に……!!)


 段々と視界がせまくなる。

 一体何故。何故こんな目にあっているのだろうか。考えてもわからない疑問が浮かぶ。

 あと少しで水面――……そう思うのと、足を謎の手につかまれるのはほぼ同時だった。




* * * * * *




「さて、しばらく暇になるな」


 ポツリともらし、岸辺に座り込む。

 木によりかかって目を閉じると、シンは大きく息を吸い込んで吐いた。再び大きく息を吸い込めば、新緑のいい香りが鼻腔をくすぐる。しかし、シン自身はさしてそれを良いとも思わないまま、水に沈んでいった哀れな少年のことを考えていた。


「細ぇ」


 あらゆるところが細すぎた。

 自分にしがみついてくる手は細く、つかんだ腰はくびれれすらあった。うなじは白く、力をこめれば確実に折れる細さ。腕も足も、全力を出さずともそれなりに力をこめて蹴るか、握りこむかすれば折れるだろう。胸こそペタンコではあるが、逆に言えばそれ以外はどう考えても()()()()()()()()としか思えない。

 いや、年齢が年齢であれば、胸がなくても不思議ではない。こうなったら年齢を言われたとしても、それすら正しいのか怪しいくらいだ。


「…………」


 しかし、あのアルージャが性別を偽るだろうかという思いが浮上する。

 保護するのであれば、蝶よ花よと育てられる女として屋敷に置いておいた方が安全だ。わざわざ男と偽る意味がない。では間違えたのかとも思ったが、あのアルージャが性別を間違えるかといえば、シンには間違えるわけがないと言わざるを得なかった。

 あの男は紳士だ。どうしようもないくらい紳士で、敵にさえ情けをかけることがある。それをシンは愚かだと思うが。

 その紳士な男が、買った奴隷を家に連れ帰ったらまず何をするか。考えなくてもわかる。温かい風呂、温かい服、温かい飲み物、温かい毛布。少なくともその工程の中で、1回はメイドが拾得物の裸を見るはずだ。当然、主が性別を間違えていたのだとすれば、その性別もそこで訂正される。

 つまり、そこから導き出される結論は1つ。

 あのどう見ても女にしか見えない小さな人間は、どんなに女っぽくても男であるということだ。それ以外に答えはない。

 もしくは女であるが男だと偽っている可能性もあるが、身内で保護するのならわざわざ女であることを隠す理由などない。むしろ言わないほうがマイナスだ。


「……気にくわねぇ」


 しかし、シンは知らなかった。

 ユキが介助の手を断ったことを。そして誰もその裸を見る機会がなかったことを。

 ――このとき、シンのアルージャに対する評価と思い込みが真実を歪めていた。見立ては全く間違っていない。しかし、小さな思い込みが真実を大きく歪めたのだ。

 “どうみても女”ではなく“女そのもの”であることに誰も気づかない。それは小さな勘違いが重なり続け、それが“女だとしか思えないけど違うのだろう”に変わってしまった。

 そして一度そう思ってしまえば、あとは考えを変えることもなく、小さな“やっぱり男だった”という部分を見つけては勝手に納得するのだ。

 さらに言えば、大多数がそう言えば、新規の疑問を持ったものもいずれ納得する。

 こうして、ユキを取り巻く全ての人の間には“ユキは中性的な男の子”という認識が広まったのだった。

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