ロフト幻想
目が覚めて、痺れた様にあいまいな感覚の体を起こした。眠りについたときは太陽が南中して間もなかったのに、もう部屋には夜の帳が下り始め、カーテンの裏に覗く外のほうがぼんやりと明るく見えた。部屋の隅に置かれた水槽は青に近い色を湛えて、その水面は波立っていた。
私はそうしてロフトから身を起こして窓を眺めていたが、不意に散らかった部屋に意識が集中し、じわりと涙が目ににじむのを感じた。白い壁。きみどり色のカーテン。水槽から聞こえるエアポンプの規則的な音。ためた洗濯物をまとめて洗って干した、不細工な物干し台と、のばしたままの延長コード。テーブルの上に出しっぱなしのコップ。読みかけの本が数冊。床に脱ぎ散らかした衣服。その散らかった要因は、ただ単に自分が好きなように、楽なようにしただけ。その様子を見るだけで何故涙が出るのだろう。一緒に眠った恋人が目覚めたら隣にいなかったわけでもない。宴の後の人寂しさでもない。じゃあどうしてなんだろう。誰にも気を遣わなくてもいい、誰も片付けてくれない、裏を返せば自分が一人であると言う証拠だからなのか。ただ一日が終わっていく夕方の気に当てられたのか。
(要するにさびしい)
部屋はほぼ無音だった。聞こえる物音はエアポンプの鈍い作動音と空気の破裂音だけ。外からは何の音も、声も聞こえない。ああ、人と話さずに一日が終わっていく。もしかしたら、自分は寝ている前に声を失っているのかもしれない。そこまで考えて、私はただ声を出してしまえばいいことではないか、と気付いた。唇を少しだけ開いて、すっと空気を吸い込む。あとは声帯を振るわせるだけ。しばし私は胸を上下させてしまった。
(…だめだ)
今、私にはこの静寂が破れない。非現実に太刀打ちできるリアリティが自分にない。寝起きのぼんやりとした体は、自分の存在も薄くしていくみたい。
そうだ。
(私は魚なのかも知れない)
突拍子もない考えが私の中に浮かぶ。私は小さく頷いて、反芻した。この白い壁は実は水槽のガラスの反射で…カーテンは水草。今音があまり聞こえないのは、水中の圧力と水の流れの変化に対応するための準備中だから。本当の私は瑠璃色の魚で、この水槽に仲間は一匹もいない。水草の間を上手く擦り抜けられるか挑戦して、水草を尾びれでなでたりもする。夜は自分で作った空気の泡を上下させて遊び、眠りにつく時はガラスに自分の鱗を映し観て、水の流れに身を任す。
こぽぽこくぽこくぽこ
私の耳に残るのは、きっと止まってもなお耳に残る生命維持装置の音。
(なんだか怖い)
私はかぶりを振った。足元から丸まったタオルケットをひきよせる。やわらかい。でも、汗ばんだ肌の感覚が気持ち悪い。
(もう一度眠れないかしら。夢は見なくてもいいから)
私は体を横たえた。はやく光が、声が、私をこの場から引き上げてくれますように。
おやすみ。
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