『カタルシス』って何だっけ?
分析のフリをした思考の迷子。
「読後感」を大きく左右するもの=カタルシス。
抑圧に対する「報い」。
筆者が書く作品には、この成分がよく欠落する。
言葉では理解しているが、どうにもこれが頭から抜ける。
緊張、不安、矛盾、欲望、抑圧などに対する「解消」が、読者のドーパミンを誘発するわけだが、この「前提条件」の設定が、筆者を悩ませる。
筆者は、ストレスに取り乱すキャラクターを好まない。書くことにもブレーキがかかる。ましてや、そういった人物を主人公に据えるのには、大きな抵抗がある。
いわゆる「エモい」キャラクター。
エモさには、一定の愚かさがつきまとう。
◇
話を戻す(自分語りが過ぎた)。
構造の話をしよう。
カタルシスの主要な類型は、以下のとおり。
開放型は、抑圧からの爆発、解放。
逆転型は、弱者からの成り上がり (追放チート)。
承認型は、孤独の理解による浄化。
復讐型は、理不尽に対する報復 (ざまぁ)。
再会型は、喪失からの再接続。
犠牲(悲劇)型は、自己よりも他者の救済を優先。
真実到達型は、混沌からの整理 (ミステリ、SF)。
健康な時代には、解放型が好まれ、
不健康になると、復讐型などが好まれる。
―― というのが、筆者の見立て。
大きなカタルシスを生むには、大きな抑圧材料と「期間」が必要である。しかし、なろう作品の多くは、この「期間」が欠落する。
読者のストレス耐性が、低くなっていることだけが原因ではない。小説投稿サイトの構造そのものにも問題がある。
「初動からポイントが入らないと、そのまま埋没する」―― これが投稿者にとって、大きなネック=心理的負担となっている。そのため、冒頭から読者のカウパーを刺激する「早漏カタルシス」な作品ばかりが、乱造される(唐突な下ネタ表現)。
……また脱線してしまった。主題に戻ろう。
さて、こういった「洗い出し」を行っていると、気付くことがある。
苦手な種類のカタルシスは避け、他の投稿者たちが手を付けていないカタルシスのオチで物語を書く。これが今後、個人的に取り入れるべき戦略なのではないかと。
筆者自身が興味のない構造ではなく、書いている自分が浄化される作品が書ければ、それは評価に関わらず、成功と言える。
出来れば、複数の型を組み合わせたオチ。
これが書ければ、ある程度は読者も着いてきてくれるのではあるまいか(途中で「偽の浄化」や「小さな報酬」を織り交ぜつつ)。
◇
そういえば、筆者はいつも設定だけを考え、後は成り行き任せな執筆スタイルなのだが、どうすれば、オチから考えられるのだろうか?
連載漫画では、その多くを途中で投げ、オチまで知らない作品がたくさんある(オチを読んでいても、なぜか記憶に残っていないケースも多い)。ひょっとすると、筆者はオチ自体にあまり興味のない人間なのかもしれない。
「オチ」は「物語の終わり」を意味し、面白い作品ほど「終わりを拒否したい」という心理が働いている気がしてきた。だから、読んだはずのオチを脳内から消去し、また読み返しに挑むのだろうか?
だとすると、物語を書くのには、つくづく向いていない気質とも言えそうである(なんだ、このオチは)。
本文を読み返し、気付いたこと。
「先に結末を用意する」という手法は、「結果が過去を変える」という最新量子力学の説にも通じるところがあるな、とふと。
未来が過去を変えるのは「解釈の変化」とも言えそうだが、「書き替えられた過去」は、果たして本当に「最初の過去」を失うのだろうか?
―― あっ、これがオチまで読んで「また読み返したくなる作品」というやつの構造なのか。やはり先に結末を用意した方が、物語の構造としては、多層的になるのかもしれない。




