明るい教室
アラームの音と一緒に起床する。大きく体を伸ばす。
「晶!早く朝ごはん食べなさい!冷めちゃうわよ」
「今行くから」
階段を慌ただしく降りてリビングに向かった。トーストの焼けた匂いが食欲をそそる。
「母さん、今日は夜勤?」
「そうね。今日の晩ご飯頼んだわよ」
「うん。任せてね」
僕は母子家庭で母はいつも僕を大切にしてくれた。母に迷惑をかけるわけにはいかない。
「それじゃ。行ってきます!」
少し足早に学校に向かった。篠川を見つけて軽く手を振った。
「おはよう。奇遇だな」
少しだけ歩く速度を遅くする。
「必然だろ」
「誰がこんな運命を望むんだよ」
「さぁ?何だっていいだろ」
「良くねーよ。まだ運命の出会いは取っておきたいんだよ」
春先の風が少し肌寒い。まだ夏服の出番は先かもしれない。
教室に入ると少しだけ寒さが和らいだ。でもやっぱり人だかりができている。瑞穂さんも大変だな。
そう思って自分の席に荷物を下ろす。少しだけ彼女の方を見る。目が合うと向こうは少し微笑んだ。
どんなに社交辞令だと分かっていても反則級に可愛らしい笑顔にはほんの少しだけドキッとする。
やっぱり男って単純なのかもな。そう思いながら図書委員の当番表を見つめる。
人だかりから抜けて彼女が話しかけてくる。
「黒川くんおはよう。今日は私が当番?」
「うん。そうだね、これ当番表。ここに自分の名前書いて」
「黒川晶…」
「違う。君の名前だよ」
「え…あ…ごめん」
彼女は顔を赤らめて書き直す。彼女らしくない姿が新鮮だった。
廊下に視線を向けると篠川が鶴巻さんにしごかれている。あの笑顔からは想像もできない雰囲気がこちらまで漂ってくる。
瑞穂さんは僕の肘をちょんちょんつついて注意を引いてきた。
「嫌じゃないなら…当番について来てほしい。不安だから」
「うん、大丈夫だよ。気にしないで」
彼女は少し安心したのか息をふぅ〜と吐いた。
「黒川くん…ありがとう」
普段無愛想な彼女の口元は緩んでいた。
彼女は鶴巻さんの所に向かった。そして篠川くんに何やら頭を下げている。
「鶴巻さん…厳しい。もっと優しくしないと」
「え?あ…ごめんなさい…」
「大丈夫!!鶴巻さんは凄く優しいよ!助かってるしさ」
篠川の言葉に鶴巻さんは恥ずかしそうにモジモジ。
三人はその後も笑顔で楽しそうに話している。そんな景色を遠目に眺めながら引き出しからノートを取り出す。
あの場所だけが三人だけの世界になっている。
僕は大人数の会話が苦手だから。あんなふうに交わることはないだろう。
手を開いて見つめた。
少しの間を開けて胸に手を当てる。僕の世界は今も生きている。
でも僕はいなくてもこの世界は生きている。
授業開始のチャイムと同時に先生が教室に入ってくる。
「はーい。今日は初めての授業なので。中学校の復習も兼ねて隣の席の人と軽く英語で会話してください」
まじか。英語が苦手な事がバレてしまう。なるべく恥をかかないようにしたい。
「good morning」
多分おはようだっけな…
「Mr.黒川。How are you doing?」
「えぇ…あ…ハッピー」
「That's good, I feel the same」
「センキュー?」
こんな流暢に英語が話せるなんて凄いし本当に尊敬の念しか湧かない。緊張と不安で声が震えている。
「Do you like cats?」
適当に答えたらいいか…
「イエス!イエス!」
「Me too」
「次は黒川くんが質問して」
「えぇ…無茶言わないでよ」
瑞穂の真似をしたら大丈夫だろう。
えっと、知ってる単語ないな。まぁ大丈夫だろ
「Do you like dogs?」
「No I do not」
多分猫が好きなのかな。分かったふりをして頷いて自分の席に戻る。
彼女は一瞬だけこちらを見てまた正面に視線を戻した。
僕はそんな事を気にせず板書をノートに移す。彼女はノートを破って何か書いている。
やっぱり勉強出来る人は普通と違うのかもしれない。
ようやく授業が終わり休み時間で休憩を取る。篠川は面倒くさそうに黒板を消している。その横でニッコリと笑ってる鶴巻さんもいる。
「俺がやるから、大丈夫だよ」
「…ありがとうございます。篠川くんはお優しいですね…」
あいつは案外委員長向いてたかもな。立候補理由はどうであれ、勇気はあるほうだろう。バッグから日記帳を取り出して出来事を書く。
――――
今日は良い日?だったかな。瑞穂さんは案外天然な所があるかもしれない。
篠川は案外委員長に向いてるかも
――――
日記帳を書くのが趣味でなるべく書いている。時々引き出しの中に入れて忘れる事もしばしばある。
廊下の騒がしさもだんだん消えていった。
次の授業は数学だ。ノートに謎の記号を書きながら問題を解く。
最初の例題でつまずいた。頭を抱えていると隣の席の彼女が小声で呟いた。
「大丈夫?分からない所ある?」
「うん。大丈夫」
本当は何も分からない。でも弱みを見せたくないから強がってしまう。
「なら…いいけど」
彼女は心配そうにこちらを見つめた後椅子を引きずりながら自分の席に戻る。
まるで一つの薄い壁があるような感覚がする。
「ここわかりません!」
「うん…ここはね」
僕は先生に質問した。その時瑞穂さんがペンを落とした。ほんの少し不貞腐れた様子を出して髪を耳にかける。
僕のノートがほぼ白紙の状態で授業が終わってしまった。
瑞穂さんのノートには余白がなく丁寧に扱われている。
自然とペンを握る力が少し強くなってしまう。昼休みの騒然とした空気から逃げたくなる。
僕は大切な約束を忘れてしまった。




