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駄作の傑作 - 俺が書いた物語に転生したんだが……  作者: 日和秋彦
第1章 404エラー

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第九話「その声」

 エルザ・ミラー。

 彼女の存在は、俺にとって最大の誤算だった。


 出会う前は、いかにも傲慢な令嬢だろうと思っていた。

 煌びやかな宝石に、豪奢な馬車、肘まである長ったらしい手袋。

 周囲の噂も、その最悪の可能性を裏付けていたからだ。


 だが、実際に顔を合わせて、俺の先入観はあっさりと崩れ去った。

 美しかった。

 外見はもちろん、その心根までもが。


 彼女は、父親を安心させるためだけに、本当の自分を押し殺して生きていたのだ。

 一度だけ、少しその身の上話を聞いたことがある。

 父親は過去に二人の子供を亡くしているらしい。

 産後ではない。出産の最中にだ。

 その悲劇は彼を絶望の淵に突き落とし、結果として、エルザが生まれた時、彼は「この子にはありとあらゆる庇護を与えなければならない」という強迫観念に囚われてしまった。


 では、その「庇護」とは何か?


 揺るぎない地位。

 有り余るほどの金。

 そして、四六時中つきまとう監視の目だ。

 当然だが、彼女はそんなものを微塵も求めていなかった。

 彼女が求めていたのは、血が沸き立つようなアドレナリン。

 フユネがやっているように、巨大コウモリの背に乗って飛び回るようなスリルこそ、彼女は心底楽しむに違いない。

 全く、この異世界でまともな人間に出会うことは、一生なさそうだ……。


「まあ、これで一件落着か」


 東の空が、白み始めている。

 言っておくが、昨夜の宴は一晩中続いたのだ。

 よくここまで耐えたものだと自分でも感心する。だが、彼女と話している間、俺の時間感覚が完全に麻痺していたのも事実だった。


 もちろん、後でドッと疲れが押し寄せて後悔するのは目に見えている。

 あーあ……未来の俺、よろしく頼むぜ。


 隣に視線を落とす。

 エルザが眠っていた。その寝相はお世辞にも上品とは言えず、極度の疲労が、彼女から令嬢としての体裁を完全に奪い去ったかのようだった。

 そもそも、彼女は淑女なんかではないし、そうあろうとしたこともなかった。


「エルザ……ほら、起きろ……」


 結局、彼女の両親は一度も迎えに来なかった。

 フユネを館の中へ偵察に行かせたところ、二人は広間の椅子で仲良く眠りこけていたそうだ。

 衛兵の話によれば、両親は娘の帰りを起きて待つと豪語していたらしいが……無念にも睡魔に敗北したというわけだ。

 だが、少なくとも逃げずに待っていたのだから、良しとすべきだろう。


「エルザ……起きるんだ……」

「あと五分……にゃあ……」


 は? にゃあ?


「エルザ、頼むから。俺だって休みたいんだ……護衛の仕事はもう終わっただろ」

「うーん……わかったわ。じゃあ、運んで。お願い……」


 深くため息をつき、俺は彼女を抱き上げた。

 いわゆる、お姫様抱っこだ。


「勘違いしないでよね、この変態……」


 そう毒づきながら、彼女は俺の首にしっかりと腕を回してきた。


「俺には規律というものがありますからね、エルザお嬢様」

「じゃあ、もし……」

「ダメだ」

「ノリが悪いわね」

「俺は実利主義なんだ。君の悪戯なんてお見通しだ」


 彼女は俺の腕から、ぴょんと飛び降りた。


「あなたって、変わってるって言われない?」

「しょっちゅうな」

「変人だとも?」

「何度もある」

「可愛いとも?」

「いや……それはないな」

「そう。私も言うつもりはなかったわ」

「エルザ!」


 彼女はからからと笑い声を残し、屋敷の中へと走っていってしまった。


 全く、手の焼ける奴だ。

 悪戯好きのナンバーワン。

 それでも……。

 俺は、思わず小さく笑ってしまった。


    ◇


 別れの時は、お世辞にも平和とは言えなかった。

 エルザの父親は、あからさまな不快感を隠すことなく俺を睨みつけている。

 専属の執事ですら、眉を吊り上げ、沈黙のまま俺を上から下まで値踏みしていた。


「コモリ様」


 俺を敬称で呼んだのは、彼女の母親だった。

 この場で唯一、俺に好意的な目を向けてくれている人物だ。

 もちろん、エルザを除いての話だが。当のエルザは、潤んだ瞳で俺を見つめていた。


「二人が二十歳になったら、娘に求婚してもよろしくてよ。まだ少し早いですけれどね? でも、他人の父親に真っ向から盾突くような勇敢な男は、そうそうおりませんもの」


 背筋が凍る。

 そうだ、予想できたはずだ。

 ラノベの定番設定――ヒロインを救った男には「結婚」という名のフラグが立つ。

 あるいは、当事者の意志を無視して勝手に縁談を進める「暴走気味な母親」というテンプレか。


「ご心配なく、俺は彼女にそんなつもりは――」


 彼女は遠慮の欠片もなく、俺の唇に指を当てた。


「シーッ……。あなたは奥手で、いざという時には勇敢。とても良い組み合わせだわ」


 彼女は、全ては既に決定事項だと言わんばかりに、穏やかな笑みを浮かべた。


「お母様、彼を困らせないで!」

「あら? 私とお父様だって、最初はこんな風に始まったのよ……」


 母の表情が、ふっと曇った。

 浮かべていた笑みが消え、急に何かの記憶に引き戻されたかのように。

 きっと、亡くした子供たちのことを思い出したのだろう。


 彼女はそっと口元に手を当てた。


「エルザ……あなた、本当にそんなに辛かったの?」

「お母様、私は……」

「いいえ……辛かったのよね。赤ん坊の頃から、文字を読むことを強いられて。私は反対したけれど、あの人はいつもあなたの前に本を置いて、語りかけていた。あなたが興味津々に見つめるものだから……あの人も、義務感に駆られて……」

「お母様のせいじゃないわ」

「いいえ、止められたはずよ。どうしてあんなに盲目になっていたのかしら。気づいていたのに……子供たちを失ったのは自分のせいだという罪悪感で、私は自分を正当化していたのね……」


 エルザは母を強く抱きしめ、その懺悔の言葉を封じた。


「お母様のこと、嫌いになんてなれないわ」

「でも、エルザ――」

「シーッ。今度は私が黙らせる番よ。こっそり塗り絵の本を持ってきてくれたこと、忘れたの?」


 そうして、母娘の和解の時間が始まった。


 俺は少し距離を置くことにした。

 フユネが驚いたような顔で俺を見ていた。

 一方のユミヅキは、目を閉じて静かに頷いているだけだった。


「いつもそうなのですか、コモリさん?」


 フユネが隣に座りながら尋ねてきた。


「『そう』って?」

「いつもそうやって……人の心を探り当てて、前を向かせてあげるのですか?」

「俺が……?」

「はい。私にしてくれたように……」

「フユネ?」

「あなたに出会う前、私は誰にも相手にされないと思っていました。ユミヅキは別ですけど、彼女は姉のようなものですから。それ以外の人には……年齢の割にウザくて、馬鹿みたいに子供っぽい奴だって、そう思われていると」


 フユネには、時々こういう瞬間がある。

 いつもの元気いっぱいの魔法使いではなく、物思いに沈み、メランコリックになる瞬間だ。

 不思議なことに、それは俺の前でしか見せない姿だった。


「待ってくれ……フユネって、いくつだっけ?」

「十八歳です」

「はあ!? 俺より一つ年上かよ!?」


 彼女はこくりと頷いた。

 落ち着け、コモリ。

 深呼吸だ。


「なんで今まで言わなかったんだ?」

「必要ないと思ったので……」

「じゃあ、なんで今は言ったんだよ?」

「今は、必要だからです」

「そりゃ、理屈だが……」


 背後で、ユミヅキがクスリと笑った気配がした。

 あいつ、知ってたな。

 俺は振り返り、彼女を直視した。


「どうかされましたか、コモリさん?」

「お前は、いくつだ?」

「十六です」

「あー……なるほどね」


 三人の中で最も有能なメンバー。

 凄腕の剣士にして、料理人。

 身体能力も一番高い。

 そんな彼女が、俺より一つ年下。

 だが、最悪なのはそこじゃない。

 最悪なのは、年下の彼女のほうが、俺より十六センチも身長が高いという事実だ。


「もういい、帰るぞ。俺は寝たい」


 俺たちは既に、ライ麦パンが二つ入った袋を持っていた。

 愛しい報酬に頬ずりしそうになったが、なんとか踏みとどまった。

 普通のパンより頑丈とはいえ、パンはパンだ。

 苦労して稼いだ報酬を台無しにするわけにはいかない。


「コモリさん、待って!」


 駆け寄ってきたエルザが叫んだ。


「そんなに大声を出さなくても……」

「いいの。どうしてもお礼が言いたくて」

「俺は何もしてない。決断したのは君自身だ――」


 彼女の母親がしたように、エルザもまた、俺の唇に指を当てた。


「シーッ……お礼くらい言わせてよ。あなたって、本当に変な人ね。……でも、いい意味で変よ」

「それって褒めてるのか? 貶してるのか?」

「貶してるに決まってるでしょ。でも、だからこそ素敵なのよ」

「はいはい。ありがとう……本当に、ありがとうな、エルザ」


 彼女は、不意打ちのような行動に出た。

 俺の頬にキスをして、悪戯っぽくウィンクをしたのだ。

 そして、顔を真っ赤にして素早く馬車に乗り込んだ。


 俺はどうすればよかったんだ?

 俺の中の童貞が、「今すぐ馬車に飛び乗って結婚を申し込め!」と叫んでいた。

 だが、理性がそれはナンセンスだと告げている。

 幸せになれるかどうかもわからない未来のために、今の仲間を見捨てるのか?

 俺にはまだ、経験しなければならないことが山ほどある。

 未熟すぎる。

 長い間、閉じこもって生きてきた代償だ。


 今こそ……。

 殻を破る時だ。

 それに、彼女たちがそばにいてくれると、なんだか安心できた。

 そう、ただの自己防衛だ……。

 ただの保身だ。

 誓って言うが、他意はない!


    ◇


 一週間が経っても、エルザの不在による喪失感は消えなかった。

 理由はよくわからない。


 たった一晩、一緒に過ごしただけなのに!

 それでも、俺は彼女を良き友人のように慕っていた!


 ただ、彼女が無事であることを祈るしかない。

 すべてが良くなるとは約束できなかったが、少なくとも種は蒔いた。

 その種が芽吹けば……彼女も自分自身の生きる道を見つけられるはずだ。


 あれ? 俺、妙に哲学的になってないか?


 最近、どうもこういうことが多い。

 それに、クソ寒い。

 物理的な意味でだ。

 再び雪が降り始めていたのだ。

 ユミヅキの奴、俺に半ズボンと薄いシャツ一枚を強要しやがって。


 だが、初めてこの異世界で冬を越した時とは違い、今の俺はすっかり慣れていた。

 順応した、とでも言うべきか。

 この体、なかなか悪くない……。

 正直言って、結構気に入っている。


「コモリィィィィィィサァァァァァァァン!!」


 悲鳴のような声に、俺は思考から引き戻された。


「どうした!? なんで叫んでるんだ!?」

「だって、私……あそこに……急に全てが早くなって……」

「またターズさんの豚に魔法を当てたのか!? 気をつけろって言っただろ!」

「違います、それは朝の話です! なんか、嫌な予感がするんです!」


 彼女の疑問に答えたのは、世界そのものだった。


 突如として、空全体が赤黒く染まった。

 ドクン、ドクンと鼓動していた魔力の球体が停止する。

 そして、俺たちを吹き飛ばさんばかりの暴風が巻き起こった。

 冷静さを保とうとしたが、全くの無駄だった。

 風の魔法使いであるはずのフユネが、恐怖のあまり地面にへたり込み、俺の足にしがみついている。彼女のレベルなら余裕で耐えられるはずの風なのに、だ。その異常さが、俺を硬直状態から引きずり出した。


「テメェエエエエエエ!!」


 天から巨大な指が現れ、真っ直ぐに俺を指差した。

 ……は? 何だこれ?


「いい加減、優しく頼むのにも限界がある! 今すぐ! あの屋敷を買ええええええ!!」


 あー。

 あの屋敷ね。

 またその話かよ?


「なんでそんなに、俺にあの屋敷を買わせたいんだよ!?」


 俺は見上げた……が、どこを見ればいいのかわからなかった。

 顔が見えないのだ。

 とりあえず、その手に向かって叫んでみる。


「お願いします、コモリさん……あの屋敷を買ってください……」


 俺の足にしがみついたまま、フユネが懇願した。

 時間を止めるほどの力を持つ得体の知れない神の取引に、俺は応じるべきなのだろうか……不動産売買なんていう、極めて世俗的な案件のために?


「うーん……」

「お願いします、コモリさん……風の魔法使いとして、この魔力には敏感なんです。こんなの知りません……お願いだから……屋敷を……」


 フユネの抱擁の力が強まる。

 空を見上げる。

 赤みは増すばかり。

 風の勢いも強くなっている。

 俺は大きく息を吐いた。


「わかったよ! 買えばいいんだろ、買えば! その代わり、買ったら二度と俺に構うなよ!」


 瞬きをした瞬間……世界は元通りになっていた。

 巨大な手は消え去り、

 ひび割れていた地面も、根こそぎ抜けていた木々も、何事もなかったかのように修復されていた。


「はっ! 残念だったな、俺はその屋敷の場所を知らな――」


 ペシッ。


 一枚の木の葉が、俺の顔面に張り付いた。


『システム・ノート:

 当該の屋敷は、沈黙の森の北部に位置しています』


 マジかよ……。

 今俺たちがいる、この森じゃねえか。


『アーチボルドという名の老人が応対します。

 彼はとても親切な人物ですので、丁重に扱うようにお願いします』


 俺はドラマチックな溜息とともに、その葉っぱを地面に落とした。

 世界がどうしても俺にあの屋敷を買わせたいって言うなら、買ってやるよ。

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