コーヒーが冷めるまで
真理は、朝にコーヒーを淹れるのが好きだった。
豆を挽く音、お湯を注いだときに立ち上がる香り。
カップに注がれた瞬間の熱い湯気は、眠っていた心をやさしく起こしてくれる。
ある日、友人が遊びに来て言った。
「せっかくだから、熱いうちに飲もうよ。冷めたらおいしくないでしょ?」
けれど真理は首を振った。
「私は少し置いてから飲むの。香りが落ち着いて、味がやわらかくなるから。」
友人は笑いながら、「のんびりだね」と言ったが、その言葉が真理の心に残った。
——のんびり。
それは欠点なのだろうか、それとも選び取った生き方なのだろうか。
真理は考える。
熱いままのコーヒーは、勢いがあって刺激的。
冷めたコーヒーは、まろやかで落ち着いている。
どちらが正しいということはなく、ただ「どちらを味わいたいか」という選択だけがある。
そのとき真理は気づいた。
——人生も同じかもしれない。
早く決めて進む人もいれば、少し時間を置いてから動く人もいる。
その速度の違いが、味わう景色を変えるのだ。
友人は熱いうちに飲み干し、真理は冷めた一口をゆっくりと味わった。
ふたりのカップは同じように空になったけれど、心に残った余韻はそれぞれ違っていた。