北海道での記録④
結局、彼女の言う通り山小屋で働くことになった。
山での生活は地上の何倍も体力勝負だった。
朝起きて、天候を確認し、薪割りをやって木を乾燥させる。
次の食料調達まで献立計画を立てて、料理をする。
ガスや電気が満足に山のふもとから得られない環境なので、使用量は最小限に抑える。
毎日、やることが沢山あったが充実していた。
山は色々な登山客が訪れる。
登山部の大学生、サラリーマン、定年退職後の夫婦など。
彼らは一様に山に対する愛を持っていた。
中には俺と同じように会社や組織が嫌で山に逃げ込んだような人間もいた。
前向きになれなくとも、ここに来て知らない人も含めて同じご飯を食べて過ごしている。
俺は彼らの話し相手になることが好きになった。
ある時、なぜ俺に声を掛けたのか聞いた。
「君、一人旅でも身だしなみがちゃんとしていたから」
多くの人間が旅に出ると髭を剃らず、髪を切らなくなってくる。
それは他人への興味関心が薄くなっていくことの表れだ。
そんな中で、俺は髪と髭をキレイにしていた。
社会に戻ろうという気持ちがあるのだろうと思われたらしい。
「これは完全に私の偏見だけど、平日の宗谷岬に1人で居る奴は大体、人生に迷っている」
観光で来るような人間は暇を持て余した大学生か、ツアーバスしかいない。
バイクで来たとしても複数人でツーリングをしているらしい。
一人は相当珍しいから目立つと言っていた。
山小屋で働いて数か月がたった。
1年で最も寒さが厳しい季節になろうとしている。
「もうすぐ、この山小屋を閉鎖して、ふもとの家に移り住む」
雪で完全に登山道が埋もれてしまう前に下山するのだと言う。
俺たちは粛々と残った食料を整理し、戸締りを行った。
下山するまでの間、次の働き口を考えていた。
彼女は山を下りた後、両親としばらくの間、暮らすらしい。
「君はどうするの?都会に戻る?」
答えられなかった。
このまま社会に戻ってサラリーマンをやっている姿が想像できない。
しばらく北海道にいるならば、雪かきの仕事か、スキー場で働くか、考えよう。
「また夏になったら、うちに来なよ。定職なかったら一緒に働こう」
そう言ってくれて、俺たちは山のふもとで別れた。