関西地方での記録①
もはや生きているか死んでいるか分からなかった。
ずっと暗闇の中で生きていた。
苦しいと思って逃げ出そうとしても体がまったくいう事を聞かない。
屈強な男に締め倒されて身動きが取れないみたいだった。
誰にも助けを求めなかったし、求めることが出来なかった。
周囲も自分のことで手一杯で、お互いに助け合う力が残っていない。
そんな環境で俺は生まれてから20年過ごした。
底辺の人間は、学校にすら行けなかった。生きるために盗み、恐喝なんでもやった。
消えていった奴は何十人もいた。
生き残ってまともに働こうと思っても日雇いの仕事しかない。
危険な現場に行かないとまともな給料がもらえない。
ついこの前、隣の現場で働いていた奴がおかしくなってブルドーザーの下に潜って死んだ。
死んだ奴は責任を取らなくていいな。と無責任な言葉を掛けられていた。
俺が底辺から出るきっかけは、暴動事件が起きたからだ。
最悪な労働環境に不満をためた奴らが暴動を1年に数回は必ず起こしている。
珍しくもない定期的に発生する祭りだ。
ただ、今回の暴動は大規模かつ長期化した。警官隊と衝突して双方に死者が出てしまった。
混乱に乗じて、俺は死亡した警察官の手帳と制服を盗んで身分を偽った。
俺が成りすました警官は新入りだったそうで、何も知らなくても許された。
それから数年、順調にキャリアを進めて警察官僚として関西本部へ出向することになった。
例の暴動事件以後、底辺の人間をより厳しく取り締まり、顔見知りを消すことで俺はどんどん成果を上げることが出来て、署内で表彰されるまでになっていた。
出向先の本部で事務の若い女性と出会った。
彼女は丁寧な仕事ぶりで評価されていた。とある地方議会の政治家の娘だという。
最初に声を掛けたのは俺だった。利用できると思って打算的に優しく接した。
次第に仕事以外も一緒に過ごすようになり、仲が親密になっていく。
彼女は汚れ一つない真っ直ぐな性格だった。正直者でどんな人にも分け隔てなく優しい。
俺が見たことがない人だった。
心の奥底に溜まっていた汚れた気持ちをすべて吹き飛ばしていくような明るさがあった。
恋心を自覚すると同時に嘘をついていることへ申し訳ないと思うようになってしまう。
付き合ってしばらくして結婚を一緒に考えませんかと言われた。
仕事も落ち着き、二人とも考える時間があった。
彼女は本気だった。指輪、式場、親と会う予定を次々と決めていく。
ただ、何者でもない人間が一人の他人の人生を背負えるのか堂々巡りでずっと考えた。
指輪は高級ブランドへ一緒に行って決めた。
初めて月給以上の買い物をした。こんな石にそこまでの価値があると思えない。
式場を見学した。和式と洋式、披露宴の有無、お色直しなど知らない選択肢を大量に突きつけられて、彼女の顔色をうかがいながら全てを決めた。
彼女の親は厳格な性格だった。
ただ、俺が両親を失って一人でここまで働いてきた嘘の話を語ると涙して固い握手をして、娘を頼む、と言われてしまった。
何もかもが順調に決まっていく。
彼女の思い描く幸せのゴールに向かってわき目もふらずに突き進んでいく。
俺は昨晩、失踪した。
全てが耐え切れなくなった。
「こんな幸せ、俺は受け取ったらダメな人間だ」
あてもなく海岸沿いを歩き続けた。
この日に見た夜空はすべてが輝いて見えた。