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作者: 椿乃朱華




 自室のベッドで正座をしながら、大きく息を吸い込んだ。

 膝前には、メッセージアプリを表示するスマホが鎮座している。

 私は今、人生を変えるであろう一大決心をするところだ。落ち着いて事へあたるため、息を吐きながら気持ちを整えていく。

 美咲ちゃんは向こう見ずな性格だよね、なんてよく言われるけれど、私は失敗することを人一倍恐れている人間だと思う。

 こうしてはずみをつけなければ怖気付いてしまうほど、ビビリな性分なのだから。

 でも、最後には結局やっちゃうから、そういうところを勘違いされてるのかもしれない。

 まぁ、関係ないことを考える現実逃避はこれくらいにしなきゃ。

 よし、やろう。

 息を吐き切ったタイミングで、スマホに表示されている音声入力ボタンを素早く押した。

 

「知ってた? スマホの画面ってさ、実は四色しか使われてないんだって」

 

 私の声に合わせて、文章が入力された。

 画面に現れた文章を読み直して、また息を整える。

 やっぱりやめようか、なんて迷いが生まれて、思わずスマホを消灯した。それくらい、今回は緊張するのだ。

 暗くなったスマホの画面に、私の顔が映りこむ。

 ショートの茶髪に、ピアス。それからチェーンネックレス。

 ここだけ切り取ると、男勝りで素行の悪い学生にしか見えないな。

 最近派手めにしたばかりだから、まだ自分だっていう感覚が薄いかも。

 ちょっと尖って自分を飾りたいお年頃というよりも、ネット人気があるクリエイターさんの真似をしてみただけ。

 姿を重ねることで自分の実力まで増した気がして、なんだか自信が沸いてくるから。

 歌ってみた動画を録音する時とか、結構効果があると思っている。

 おかげでそれなりの成果は出ているし。

 私はそこそこできる子なのだ。

 自画自賛してたら、なんだかやる気が湧いてきた。

 うん。

 やっぱりこういうのは勢いが大事かも。

 今までもそれでうまく行っていた。

 膨らみ始めた弱気を叩き伏せるように、画面を再点灯。 

 ロック解除してすぐ、紙飛行機みたいな送信ボタンに触れる。

 しゅぽっと軽い音がして、アプリの右側に私のメッセージが表示された。

 

『知ってた? スマホの画面ってさ、実は四色しか使われてないんだって』

 

 実際の紙飛行機でしゅぽっ、なんて音がしたら間抜けだな。地面に垂直落下して行きそうだ。

 なんて。

 こんなくだらない事を考えてしまうのはきっと緊張のせい。

 こういうところに着目するようになったのは、確実にタクミ君のせいだろうけど。

 でも彼の見ている世界を共有できた感じがして、なんとなく嬉しかった。

 タクミくんは、ネットで活躍する人気クリエイターさんだ。

 私の三歳上なのにすごく注目されていて、主にイラストを描いたり、作詞したりしている。

 まぁ私が恰好を真似している相手はタクミくんじゃないけれど。

 そもそもタクミくんは男性だし、実際の姿は見た事ないし。

 私が真似している相手は、タクミくんとの繋がりを作ってくれた、遥さんという女性の人だ。

 たしかシナリオライターの仕事だったっけ。

 本人曰く結構売れてるらしい。たまに名前を見ることがあるから、かなりの売れっ子なのだろう。シナリオライターで名前が有名ってなかなかないし。

 タクミ君や遥さんみたいに凄くないけれど、私もそこそこ人気はあると思う。

 歌動画の再生回数は安定して五千を超えるからね。

 でもまだ一万再生を超えたことはない。

 今はちょっと行きづまっているのだ。

 交友関係に恵まれているから、悲観はしてないけど。

 ネットで有名な人とかなり親密になれたし、きっと私もいつか同じステージに立てるんだって、希望が湧いてくる。

 凄い人たちと気軽にやり取りできるのは、見る世界が広がっていく感じがしてとても楽しい。自分も凄い人たちの仲間になれたんだなって感覚があるから。

 ただ今回は、そんなお喋りも大事な話をする為の前振りでしかない。

 大丈夫かな? 他愛もないお喋りと一緒に見えてるかな?

 私からすればいつも大事なお喋りだけど、タクミくんにとっては違うかもしれないし。

 少しソワソワしながらメッセージ画面を見つめていると、スマホの時計表示が変わらないうちに既読がついた。それから一分も経たないうちに返信が来る。

 他愛ない話だと思われたのか、今は少し返事が早い。

 前は十秒くらいの即レスばかりだったけど、知り合ってから五か月が経った今は、既読から返事まで少し間が空くようになった。最近忙しいって聞いてるし、ちょっと寂しいけど仕方ない。

 遅くなってもちゃんと返してくれるから、あまり気にしてないけれど。

 それはそうと、返事をしなきゃ。私はドキドキしながらメッセージの内容を確認した。

 

『今の機器で昔のテレビ作品とか見るとなんか変だよね。昔は赤青緑の三色だったからさ』

「四色目ってなに?」

 

 私は音声認識で入力するのが習慣だった。歌動画をあげてるし、発生練習もかねてそうしてる。

 さっきと同じように、画面に表示された文字を一度確認してから送信。

 すると、すぐに返事がきた。

 

『黄色だよ。安っぽいテレビは黄色の代わりに白みたいだけど。暗いはずなのに明るさがあって、RGBWのテレビは苦手だな』

「でも目を近づけても、四色には思えないよね」

『いっぱい詰まって形になってるだけだからね。落としたりして壊れたら、ヒビの部分で四色だって分かるよ』

「もしかして現実も同じだったりするのかな」

 今度は返事に間があった。

『なにがきっかけでそう思ったの?』

「さっきタクミくんの作品を見てたの。こんなに色味が豊かなのに、突き詰めると四色で表現されているんだなって。とてもそうは思えないほど、細かく書き分けられてて感動しちゃった。だからね、私たちを彩る現実も、実は四色でできてたりするのかなとか考えたの」

『ありがとう』

 

 短い文なのに、返ってくるまで結構時間があった。

 意図が分からないって感じなのかな。

 私は自分の気持ちが萎む前に、本題をたたみかける。

 

「それでね、そろそろ、私達の解像度もあげたいなって思ったんです」

 

 彼とやりとりを始めてから、もうだいぶ経ったと思うのだ。紹介してくれた遥さんを交えることがほとんどだったけど、通話だって沢山した。結構仲良くなったという自負はあるものの、まだ直接会ったことはなくて。

 知り合うきっかけはネットだったし、顔も知らない。元からそれなりに仲よかった遥さんと、ゲームで遊ぼうってお呼ばれした時にタクミくんもいたのがきっかけ。

 何度も遊ぶ関係が続くうちに、気になる人へランクアップしていった。だから、わがままなのは分かってるけど、この思いは抑えられない。

 そしてどうやら、その意図はちゃんと伝わったようで。

 

『あー、もしかして会ってみたいってこと?』

 

 たっぷり時間がかかって返ってきた言葉に、私は即答した。

 

「うん。会いたい」

『でもなんで急に? 出来たらいいね、みたいな話は前からしてたけど、今回は本気っぽい』

 

 いつかできたら楽しそうだね、なんて、いつも遊ぶ三人で言ってたっけ。できれば二人きりがいいけど、きちんと言い訳は用意してきた。

 

「私、今が高三の夏で、進路に迷ってて。大学に行くか、歌の専門学校に行こうかでさ。だから一度東京を見ておきたいんだけど、せっかくならタクミくんに会えたらいいなと思ったの」

『いつも行動力が凄いね。そういうところが羨ましいなって思うよ』

「私はタクミくんの少し冷めてるところが好き。私はこうやっていつも突っ走っちゃうから、 ストッパーになってくれてる感じがして」

『じゃあ今回も止めた方がいいのかな?』

「これは別。できれば止めないでほしい」

 

 それから、私のスマホはしばらくうんともすんとも言わなくなった。いつも返事が早いのに、今だけはやたら遅い。既読がついてから十分は経っている。

 我慢できなくて、私は思わず追撃した。

 

「それで返事は?」

 

 それからまた十分ほど経って、いても経ってもいられず通話ボタンでも押そうかと思った頃、ようやく返事が来た。

 

『分かった。遊ぶくらいならいいよ』

 

 やった!

 拓海くんとの約束は取り付けられた。次はなんとか両親を説得しなきゃ。

 ちょっと過保護だしネットの人と会ったらダメって言うけど、私達が会話するきっかけになった遥さんはネットで知り合った人だ。

 たままた凄い近くに住んでいたのがきっかけで仲良くなったけど、両親はそれを知らない。

 散歩してたら仲良くなったお姉さんってことにして、普通に交流してる 。

 東京なんて、一人じゃ行かせてくれないだろうし……こんな時は、やっぱり遥さんに頼むべきだよね。




「私も仕事で東京に行く予定だったから丁度よかったけど……美咲ちゃんは急なことが多いねぇ」

 

 タクミ君と約束を取り付けてから約一週間後。遥さんと私は、東京行きの新幹線を待つため駅にいた。両親は東京行きに渋面していたものの、遥さんの名前を出したら一発OK。

 遥さんとは度々付き合いがあって、家にあげてたりしたことが功を奏した形だ。

 結局、両親には遥さんと旅行してくるって嘘をついた。いや、実際に途中まで一緒だし、泊まるホテルは同じだし、まるっきり嘘でもないのだけれど。

 遥さんの言った通り彼女は仕事があるので、途中で別れる予定。

 何かあったら監督不行き届きになるけど、そこは私とタクミ君を信頼してくれるようだ。

 実際のタクミ君がどんな人か私は知らないけれど、遥さんは知っているみたいだし。

 タクミくんと話すきっかけになったのは遥さんだし、二人はかなり仲がいいみたいだ。

 彼とは仕事仲間で、ゲームとかをたまにする仲らしかった。

 遥さんがタクミ君と三人用のゲームで遊ぼうってなった時、人数合わせで呼ばれたのが私。私と遊ぶためじゃなくて、他に人がいないから呼ばれたってところに当時は少しショックを受けたけど、結果的には良かった。

 あれがなかったらタクミ君とは知り合えていなかっただろうから。

 そんな振り返りをしてしまうくらい、タクミ君と会うのが楽しみだ。新幹線を待っている間すらドキドキする。

 やがて新幹線がやってきて、二人で乗り込んだ。

 夏休みだけど、指定席を取ったので二人並んで座ることができる。お盆シーズンからは外れているからか、一週間前でなんとか横並びの二席がとれた。よかったよ、お盆にかぶらなくて。

 これから二時間くらいどうしようかなと思っていると、遥さんは早速とばかりにスマホを横にして、ドラマを見始める。

 私もいるのに一人の世界に入るんかーいと思ったけど、イヤホンは片耳だけだ。一応こっちの会話を聞く気はあるらしい。

 何を見てるんだろうと思って画面を覗き込んだら、なんだか色味がきつい映像だった。

 

「なんかそのドラマ、色が変じゃないですか?」

「昔のドラマだからなー。色が合ってないんだよ。撮影機材が古いのもあるけど、視聴媒体の性能が上がったからね。暗いからこそ映えていたのに、色鮮やかになってから見ると興ざめするホラー作品は多いよ。見えなくて良いところまで見えるっていうか」

 

 タクミくんが言ってたのはこれか、なんて思わず納得しちゃった。

 古い作品はほとんど見たことなかったし。

 色味が違うとこういう風に見えるんだなぁ。

 

「タクミくんと似たようなこと言うんですね。やっぱり一緒にゲームしてると感覚が似るんですか?」

 何気なくいったつもりだったけれど、遥さんは物凄く嫌そうな顔をした。

「勘弁してよ。私はあんなに偏屈じゃないって」

 

 遥さんとタクミくんは生活時間が合うのか、よく一緒に遊んでいる。十時には寝ちゃう私からすれば羨ましい限りだけど……今の感じだと、実は凄く仲が良いってわけじゃないのかな?

 二人の関係性が気になって、衝動的に聞いてしまった。

 

「パクチー噛み潰したような顔してますけど、そんなに嫌なんですか? 仲良さそうなのに」

「それを言うなら苦虫じゃない?」

 

 しまった。話がズレしまった。でも答えたくなさそうなのが分かったから、話を合わせることにした。

 深堀りするのはやっぱり怖いし。

 

「パクチー、少し前に流行ったじゃないですか。一緒に食べた友達が今の遥さんと同じ顔をしていたんです」

「美咲ちゃんは面白い表現をするね」

 

 友達のしかめ面が凄くて、かなり印象的だったから思い出しただけなのに。本当に苦くてマズかったし、私も同じような顔してたはずだ。一度でも食べたことがある人なら、伝わりやすいと思ったんだけどな。

 

「それに私、苦虫は食べたことないので感覚が分からなくて」

「私も食べたことないけどね」

 

 苦虫ってなんの虫なんだろう? まぁ虫なんて絶対食べないから関係ないけど。

 とか考えていたら遥さんが思いついた、みたいな顔をした。

 あ、この顔はまずい。

 遥さんが妙な事を言い出す時の顔だ。こういう時は、大抵ろくな結果にならない。

 

「あぁでも、最近は昆虫食が人気ってどっかで見たかも。東京にもお店があるらしくて、珍しい動物の珍しい臓器とかも食べれるんだって。せっかくだから行ってみない?」

 

 やっぱりね!

 

「無理、無理、無理! 無理ですよ! 絶対行きません!」

 

 反射的に立ち上がって叫んでしまったけど、虫を食べようなんて正気じゃない!

 遥さんは変な人だと思ってたけど、訂正する。凄く変な人だった!

 いきなり大声を出したせいか、他の乗客から睨まれてしまった。

 頭を下げて座ったけど、これは私のせいじゃないと思う。

 遥さんを蔑む目で見ても、全く気にしてる様子がない。

 

「無理だ無理だって思っていてもさ、意外とイケたりするもんだよ? せっかく未知の場所に行くのに、新しい経験をしないでどうするの?」

 

 たしかにそうかも……なんて納得しかけたけど、想像したらやっぱり無理!

 遥さんには恐怖感ってモノがないんだろうか? 流石に新しいモノ好きすぎる。

 

「だからって虫を食べるのは未知すぎますよ」

「でも美咲ちゃんの家でご馳走になった時、イナゴの佃煮食べてなかった?」

 

 え?

 この人は何を言ってるの?

 イナゴって……?

 そりゃよく食べるけど。

 ……ちょっと待ってよ。嘘でしょ?

 イナゴって、あのイナゴのこと?

 遥さんは近所に住んでるから、何度かうちに来てご飯を一緒に食べたことは確かにある。

 その時におばあちゃんが私の好きな佃煮を出してくれてたけど、それしか思い当たるものがない。

 私、おばあちゃんの佃煮、美味しくて好きなんだけど。

 

「……イナゴって虫だったんですか?」

「なんだと思ってたの?」

「なんか海の生き物かと」

 

 遥さんが可哀そうな子を見る眼差しを向けてきた。これは私がおかしいの?

 わりと日常的に出て来たし、お父さんだってエビの味がしてうまいって…………あ。

 エビの味がするから美味いとは言ってたけど、エビの仲間とは言ってなかったかもしれない。

 そんな……私は今まで喜んで虫を食べてたってこと?

 ショックを受けてたら、遥さんは軽い感じで返してきた。

 

「魚介類の方が毒持ってそうで怖い気がするけどね」

「おばあちゃんの作ったイナゴの佃煮好きだったのに……遥さんのせいでもう食べれなくなっちゃった」

 

 恨みがましく見つめても、遥さんには効果が無い。

 本気かわざとか知らないけど、とぼけた様子のままだ。

 そればかりか。

 

「元が何かってそんなに大事かなぁ。イチゴミルクだって――」

 

 まだ話を続けようとしてくる!

 何を言う気かは知らないけど、この流れで出るってことはどうせロクでもない話だ!

 今はもうこの人を喋らせちゃダメ!

 

「それ以上言ったら遥さんのこと嫌いになりますから!」

 

 遥さんの方に身を寄せて、耳元で小さく怒鳴った。大声だとまたさっきみたいになっちゃうし。

 ボイトレしたから、小さな声で響く音を出すくらいは出来るのだ。

 ちょっと響いたのか、遥さんは頭を押さえている。すこしすっきり。

 何を言おうとしたかは大方の予想がつくけど、確かめる気にはなれなかった。

 これ以上嫌いなものを増やしたくないし。

 私は大きく溜息をついて、座席にもたれかかった。

本気で怒ってることが伝わったのか、遥さんは両手を合わせて拝み倒してくる。

 

「ごめんね。でも美咲ちゃんさ、私のこと嫌いになるって言うけど、今も別に好きってほどでもないでしょ?」

 

 また変なこと言ってる。嫌いな人を家に呼ぶわけがないのに。

 でも嫌っていると思われる理由には心当たりがあるかも。

 遥さんは私が持っていないモノを沢山持ってるし、羨ましいなって思うことは何度もあったから。無意識で態度に出てたのかな。

 でも遥さん胸大きいし。私はぺったんこだし。仕方ないよ。

 ただ、私が恰好を真似してるのは遥さんだ。嫌いなわけがない。

 

「好きですよ。変なこと言うけど基本的には優しいですから。こうして東京旅行の面倒まで見てくれるし。ただ、その……」

 

 私が言葉に詰まっていると、遥さんが勝手に言葉を繋いできた。

 

「結婚してるくせにタクミとべったり遊んでるイケ好かない女だな、って感じ?」

 

 気持ちが口に出やすい私ですら、流石にまずいと思ったのに。自分から言うなんて。

 

「やっぱり、そういうところは嫌いです」

 

 はぁ。遥さんと話すのは楽しいけど、ちょっと疲れる。早くタクミ君に会いたい。

 もう話す気力がなかったから、目を閉じた。

 遥さんはイタズラとか好きだけど、人を置いて行ったりはしないし。

 眠ったとしても、着いたら起こしてくれるだろう。

 ちょっと話しただけなのに、遊ぶ前から疲れたな。そう思って、気力を養うため眠りについた。



 

 東京についてまずした事は、タクミ君との顔合わせ。

 どうやら駅で待っていてくれたらしいんだけど……。

 

「どうしたの?」

 

 遥さんの問いかけに、私は率直な思いを吐き出した。


「なんか思ってたのと違う人が来たなぁ、と」

 

 新進気鋭のクリエイターさんだから、もっとこう、イケてる感じの人が来ると思っていたんだけど。

 なんだか普通の男の子って感じだ。背もそこまで高くない。百七十あるのかな?

 

「美咲ちゃんはハッキリものを言うねー」

 

 遥さんが笑いながら突っ込んでくるけど、確かにいきなり言うことではなかった。

 

「ごめんなさい」

 

 それなりに仲良くしてるとはいえ、失礼すぎたかも。

 

「私は美咲ちゃんの明け透けなところ、好きだよ。誰かさんとは大違いだから」

 

 なんて、タクミくんを見ながら遥さんが言う。

 するとタクミくんは携帯をいじり始めてしまったではないか。

 人と会ってるのに携帯いじる人なの? なんて思っていたら、私のスマホに通知が来た。

 なんだろうと思ってアプリを見たら、なんとタクミくんからのメッセージ。

 

『拍子抜けされるだろうなとは思ってたから大丈夫』

 

 目の前にいるのにわざわざアプリで……?

 どうやらグループチャットだったらしく、メッセージを読んだ遥さんは「相変わらずその癖は治ってないんだねー」なんて言っていた。

 一緒にゲームしながら通話した時は楽しそうに喋ってたのに、なんでアプリで返すんだろう。

 なんだかおかしくて、思わず理由を聞きたくなった。


「なんで目の前にいるのにアプリで喋るんですか?」

「ご、ごめん」

 

 謝って欲しいわけじゃなくて、理由が聞きたいだけなのに。

 そう思っていたら、遥さんが教えてくれた。

 

「こいつはねー、失言が怖いんだよ。メッセージアプリ

なら送る前に考え直せるからって、対面してても喋らないでアプリ使うの。変だよね」

「でもゲームしてる時に通話したことありますよね?」

「ゲーム中ならある程度の失言は流せるし、そもそもゲームに関することしか喋らないからじゃない?」

「でもせっかく会えたのに。これじゃあいつもと変わらなくないですか?」

「だってさ。どうするの? これでもまだソレ、続けるの?」

 

 遥さんに促されたタクミくんは、おどおどしながらスマホをしまって、ゆっくり口を開いた。

 

「長く話す時はアプリでもいいなら、頑張って口頭で話すよ」

 

 恐らく、これが最大限の譲歩なのだろう。これ以上無理をさせてもお互い苦しいだけだ。

 なにより、こんな事で揉めて時間を浪費するなんて勿体無い。

 私はタクミくんの申し出を、快く受け入れることにした。

 

「それで大丈夫です。少しでも喋ってくれるなら」

「ありがとう」

 

 いい感じに話が落ち着くと、遥さんが時計を見ながら口を開いた。

 

「そろそろお昼だけど、どうしようっか」

「俺、あんまり外でないからお店ほとんど知らない」

「あんたはそうだよねー。そういえば新幹線でさ、ゲテモノ料理食べに行きたいねって話になってさ」

「私は行きたくないですけど?!」

「俺はちょっと興味ある」

 

 しまった。この人の開拓精神は遥さんと似ているんだった。

 必死に抵抗したけど、「表現の幅が広がるかもよ」なんて言われれば私も揺らぐ。

 だって私の悩んでいるものは、歌唱表現力の無さなんだもの。すがれるなら虫でもすがりたい。

 でも、昆虫食か……やっぱり気乗りしないなぁ。けど、これで表現力があがるなら……。

 なんて悩んでいたら、二人ともノリノリでお店の場所を調べていた。あ、これは行くことになるやつだ。

 結局二人に押し切られて、ゲテモノ料理屋さんへ行くことになった。

 うー……あまり気が乗らない。

 このまま着かなければいいのにと思ったけれど、そんなことは起こるはずもなく。

 わりとあっさりついたお店は、普通の飲食店とさほど変わらなかった。

 でもメニューが、意味のわからないものばかり。

 食べたいものなんてあるはずないから、全部二人にお任せだ。そもそも他のテーブルに運ばれてるものすら直視したくなくて、ずっと目を瞑っていた。

 あれがこれから口に入ると思うとおぞましい。

 そんな調子だったから、二人との会話はほとんど出来ないまま。

 そして、とうとう皿が運ばれてくる音がした。

 うう……いやだなぁ。

 そう思っていても時間は待ってくれなくて。

 ついに虫だと知りながら、口へ入れることに。

 結果からいうと、昆虫食は意外と食べれてしまった。

 実物を見たくなくて、席に座ってからずっと目を瞑ったままだったけど。

 だから遥さんに口に入れて貰った。

 するとどうだろう。食感は変だけど、味は意外と普通。

 モノをみなければ案外平気だ。

 そう思って次を要求したら、今度はめちゃくちゃまずい。

 なんか肥料みたいな味がする。しかもバリバリして硬い部分があるのに、噛み砕くとぷにゅっとして柔らかい。なんだこれ。

 なにを食べさせたのか聞いたら、カブトムシって。

 渋面する私を見て、遥さんはけらけら笑ってた。

 ムカついたので遥さんの口にも突っ込んだら、死にそうな顔して悶えてた。

 ざまぁみろ。同じ苦しみを味わうがいい。

 しかし、本当にまずかった。

 こんなにインパクトが強いと、カブトムシの夢とか見そうだな。

 それからもカエルとかカンガルーとか、普段食べないものを口に入れた。

 カエルはまぁ、鶏肉っぽくて意外といけたけど。

 カンガルーは、柔らかくてとても美味しかった。

 ハズレだけじゃなくて、ちゃんと当たりもあったのは収穫だ。

 けど出されたものを全部食べたら、なんだかお腹の中が気持ち悪い。

 まるでゲテモノ達が腹の中で喧嘩してるみたいだ。

 ゲテモノ同士で戦わせたら、何が勝つんだろう。

 やっぱりカンガルーかな?

 なんて、どうでもいいことを思ったりした。

 表現力が上がったかは分からないけど、いい経験にはなったに違いない。

 なんだかんだで食べ切って、昼食の時間は終わり。

 遥さんは仕事があるからと、ここで別れることになった。泊まるホテルの場所だけ教えてもらって、私はその場に残る。

 すると、遙さんについていかなかった私を見て、タクミくんが話しかけてきた。

 

「このあとはどうする予定なの?」

「夜にはホテルへ行くつもりだけど、特に決めてないよ。というより、タクミくんに会いたくて来たから。できればこのまま遊びに行きたいというか」

 

 イメージとは少し違ったけど、声は同じだったし。

 タクミくんはタクミくんだ。

 一緒に遊びたいのは変わりない。

 そう思っていたら、タクミくんの方から提案があった。

 

「俺、美咲ちゃんの生歌聞いてみたい。歌動画、凄い上手だし」

 

 生歌か……あんまり気がすすまないけど、たぶん大丈夫だろう。ガイドボーカルがついてないお店なんてないし。聞いて貰えれば、アドバイス貰えるかもしれないし。

 


 なんて思っていたのが甘かった。

 私が二人分のドリンクを持ってきてる間に、タクミくんが私に歌って欲しい曲を探していたらしい。

 部屋に戻ってきた瞬間、曲が流れ始めた。

 案の定ガイドボーカルがついてない。

 もうイントロ始まってるし、ここで止めるとがっかりされそうで嫌だ。

 仕方ない……今ここで覚醒すればいいだけ。

 私は今進化するんだ――。

 ――と、都合よくいかないのが現実なわけで。

 ガイドボーカルがない私の歌は、ひどいの一言だった。

 ほら、聴いてるタクミくんも、昔食べに行って美味しかったレストランの料理を久しぶりに食べた時みたいな顔してる。想像してたのと違った、みたいなアレ。

 ぼろぼろになりながら歌い切った私に、タクミくんの判定がくだされた。

 

「なんか、動画で聴いたのと随分違うね?」

 

 あぁ。バリバリ加工してると思われてる。このまま下手な印象を持たれるのが嫌だったので、同じ曲をガイドボーカルありで入れた。

 少し不思議そうな顔をしていたタクミくんだったけど、私が歌い始めてから一変。生ビールの一口目を飲んだ時のお父さんみたいな表情をしていた。

 これは成功かな。

 歌い切って気持ちよくなっていた私に、タクミくんから声がかかる。

 

「ガイドボーカルいれただけなのに、なんでこんなに違うの?」

「私からすると、歌っている人の声も含めて一つの曲なの」

 

 タクミくんは一瞬見当がつかなかったみたいで、クイズ番組を見てるお母さんそっくりな顔をした。でもすぐに真面目な顔をして、私に尋ねてきた。

 

「もしかして美咲ちゃん、人の声も曲を構成する音の一部として捉えてる?」

 

 私はひとつ頷いて、補足をつけくわえた。

 

「もっと言えば、籠っていそうな感情も含めて一つの曲だと思ってるよ。ここは声に張りがある、ここで力を貯めるブレス、って感じで。原曲があるならそれを真似するだけでいいけど……ただ一人で歌おうとすると、思い出すのに気を取られて一瞬だけズレちゃうの。一回ズレ始めると、あるはずのモノがなくて気持ち悪くて。それでまたズレ始めて、まともに歌えなくなっちゃう」

「そういえば美咲ちゃん、VOCALOIDの曲は一度も投稿したことなかったね」

 

 お手本が機械だと、抑揚の取り方とかがわからないからね。

 機械に歌わせるVOCALOID楽曲で、誰かがカバーした歌い方を真似してしまったら、ただのパクリだし。

 声真似じゃないけど、私の歌は本物に似るのだ。

 だからコメントでも、『本物みたい』って褒められる。

 でもそれは私自身の歌を褒められているわけじゃない。真似るのが上手いところを褒められているだけだ。

 

「『本物みたいですね』ってコメントも、最初は嬉しかったの。練習いっぱいして、自信がつきはじめた頃は、歌が上手くなってる事に自信を持てた。でもやっぱり、ガイドがないと私はまともに歌えなくて。だから歌い手としてはそれなりかもしれないけど、プロは無理かもって悩んでいるんだ」

「それで専門行くか、普通の大学行くか迷ってるんだ?」

 

 私の話、覚えていてくれたんだ。

 それが嬉しくて、思わず悩みを打ち明けた。

 

「親は当然、普通の大学行った方がいいって言うの。専門行くなら学費は出さないって……」

「美咲ちゃんはどうしたいの?」

「バイトすることになっても専門に行きたいと思ってるよ」

 

 向いてないかもしれないって分かっていても、チャンスがあるなら食いついていきたい。もし大学に行ってしまったら、歌手への道は完全に諦めることになると思うのだ。今のままでも、歌手になれる気がしないのに。

 歌手になれるチャンスを少しでも繋ぎとめておきたいから、専門に行くのは絶対条件。けれど、親はそんな安定しない道は諦めなさいって大反対だ。

 

「反対されても、専門に行きたい気持ちが強いんだね」

「でも、親の言う事もちゃんと聞いた方がいいのかも。歌もそうだけど、ある程度ガイドがないと、何もできないから。ただ、これからずっとそうだと思うと苦しくて」

 

 私が悩みを吐露すると、タクミくんはスマホを取り出していじりはじめた。

 こんな時に? って思わずむっとしてたら、私のスマホが通知を知らせる。

 するとタクミくんからメッセージが来ていた。

 

『敷かれたレールを進み続けるのが嫌?』

 

 そっか。口頭より文章のが話しやすいって言ってたもんね。口頭で話せる限界を超えたんだ。

 私の悩みにきちんと向き合ってくれてる気がして、なんだか嬉しくなった。でも今は喜んでる場合じゃない。

 相談に乗ってくれるなら、話してしまおう。

 

「親の敷いたレールに逆らいたいというより……なんだろう。自分一人で走っても上手くいかないのは分かってるんだけど……」

『レールに乗って失敗した時、親を責めてしまいそうで怖い?』

「そうなの! 自分で決めた事じゃないからって、責めてしまいそうで」

『暴走した時に少し誘導して貰えればいいだけなのに、目の前の小石を全部取り除こうとしてくるのが嫌だったりしない? 自分で進みたい道すら選ばせてくれないんだ、って』

「なんで分かるの?」

『俺も進路に迷ってた時、遥さんに同じこと言われた』

 そっか。二人はそんな前から付き合いがあるんだ。

 なんだかもやっとしたけど、今はそれよりも進路の方が大事だ。

「お父さんもお母さんも、私の将来を考えてくれてるのはわかるんだ。二人が勧める道を選べば、大きな失敗はしないだろうって事も理解できる。でも、進みたい道を補助してくれてもいいのになって気持ちもあるの。私の人生は私のもので、二人の計画表じゃないのに」

『人は失敗が怖い生き物だからね。先に多くの失敗をしている両親は、失敗しそうな道に進んでほしくないんだと思うよ」

 

 だから条件つけて、失敗しそうな専門の道に行きにくくしようとしてるってこと?

 

「それって、選択肢を提示しているようで、実質一択じゃない?」

『そのつもりはなくても、失敗を避けて欲しくて結果的にそうなってる可能性は高いかな。人は失敗した事だけやたら覚えてて、無難な選択を他人に勧めがちだから』

「タクミ君の時はどうだったの? 同じように悩んでたみたいな事言ってたけど」

『言葉では言われなかったけど、俺もだいぶ反対されてたよ。でも、遥さんが助けてくれてさ。今の俺があるのはあの人のおかげなんだ』

 

 また遥さん。一体、タクミ君とはどんな関係なんだろう。あの人既婚者だよね?

 

「そんなに前から遥さんと親しかったの?」

『そうだね。今の道を行くのに背中を押してくれたのが遥さんだから。失敗したらフォローしてやる、だから好きなようにしな。本来なら、それが大人の責任だし。って言って助けてくれた』

 

 遥さん、そんな事してたんだ。

 そっか、タクミ君の恩人か……。

 なんだか妬けてしまって、普段なら口にしない事を思わず言ってしまった。

 

「ならタクミ君も、私が専門選んだらフォローしてくれたりするのかな?」

 

 遥さんとタクミ君は三歳差。私とタクミ君も三歳差。条件は同じだけど……正直受けてはくれない気がする。

 遥さんはなんだかんだ面倒見がいいけど、タクミ君は自分の道を行くタイプだし。人を支えてるイメージがあまりわかない。

 しばらく動かなくなっていたタクミ君は、ようやく動き出したかと思うと、メッセージを打っては消して、打っては消してを繰り返していた。

 恐らく当たり障りのない断り文句を考えているのだろう。少し気落ちしていると、通知音がなって、タクミ君のメッセージが表示された。

 

『いいよ。できることならしてあげる』

 

 え? 本当に?

 なんだか胸のあたりが熱くなって、込み上げてくるものがあった。宝くじが当たった時ってきっとこんな気分だ。冗談とかじゃないんだよね?

 

「いいの? 本当に頼るよ?」

『美咲ちゃんならいいよ』

「ありがとう。すごく嬉しい」

 

 なんだか気持ちがふわふわしてる。

 協力してもらえる事が、こんなに嬉しいなんて。

 高鳴る鼓動を感じていると、タクミ君は私を思いやるように寄り添ってくれた。

 

『反抗期って言われて、やりたい事を咎められる気持ちはわかるから』

 

 そっか。タクミ君はそういう経験をしてきたから、同じ境遇の私にも優しく出来るんだ。

 嬉しさと、咎めてくる大人に対するムカつきで、いつもより饒舌な言葉が口から飛び出した。

 

「私も、反抗期って言葉嫌いだな。名前をつけてカテゴライズされるのなんて嫌。たしかに反抗期かもしれないけど、この苦しみまでタグ付けされているみたいでさ……別に自分が一番苦しいとも思わないけど、苦しい物は苦しい。まるで全部一緒で、軽いものみたいに片づけられるのは嫌だよね」

『人は共通するものでしか分かり合えないからね。最も使われているのは言葉だけど、人によって受け取る意味も違うし、その時の表情や場所でも違う。そこは相手の反応を見ることでしか分からないけど……』

 

 拓海君の手が止まったまま、何かを考え込んでいる。

 

「けど、なに?」

『まぁここで話すことではないと思う。周りの音うるさいし』

「タクミ君は直接話してないよね?」

『美咲ちゃんの声が聞こえづらいんだよ』

「まぁ、それはいいよ。タクミ君が協力してくれるって事だけで、今日は満足」

『とはいえ、俺に出来ることも限られてるからね』

「それでもだよ。今日言われた事、忘れるといけないから、メッセージとっておかなくちゃ」

 

 タクミくんのメッセージをコピーして電子メモに移動していたら、画面の上部に通知が表示された。

 タクミくんからだ。

 

『メモ取るのもいいけど、ちゃんと無くさないよう気を付けないと、どこいったか分からなくなっちゃうからね』

「電子メモだし無くさないよ。今はクラウドに保存もできるし、無くす事なんてないってば」

『そういうことではないんだけど……まぁいいか』

 

 なんか歯切れが悪いけど、言わなかったってことは、別に大したことじゃなさそう。

 そんな事が気にならなくなるくらい、私は浮かれていた。

 だって、やりたい事を、気になってた人にサポートしてもらう約束を取り付けられたんだから。

 ううん。今自覚したけど、きっと私はタクミ君の事が好きなんだと思う。じゃなきゃ、こんなにドキドキするはずがない。

 行きたい道を選べば、好きな人に協力して貰えるなんて夢のようだ。

 浮かれた気分でいくつか曲を歌って、満足した気持ちでカラオケ店を後にした。

 結局タクミ君は歌わず、私だけが歌ってた。

 でも、タクミ君は満足そうだった。


 


 カラオケ店を出たあと、タクミくんがホテルまで送ってくれることになった。

 タクミくんからは話しかけてこないけど、私の言葉にはちゃんと口頭で返事してくれる。

 頑張って口で返してくれるのがすごく嬉しい。苦手なはずなのに、私のためを思ってやってくれている事が伝わってくる。

 心が高揚して、いつにも増して言葉がはずむ。

 なんだかこの時間が心地よかった。

 専門通うために東京へ引っ越したら、こういう時間も増えたりするのかな?

 タクミくんは有名なクリエイターさんだし、手伝ってくれるっていうからには、音楽プロデューサーさんとかも紹介してくれるかもしれない。

 やっぱり、考えれば考えるほど東京行きが魅力的に思えてくるなぁ。

 ……よし、決めた。

 

「やっぱり私、東京の音楽学校に行こうと思う」

 

 私が宣言すると、タクミくんは少し驚いた顔をして問うてきた。

 

「住むところはどうするの?」

「……まだなにも考えてないけど、今から決めようかと」

 

 うそ。本当はこうなったらいいなって思いはある。

 そしてそれは、タクミくんにも見透かされていて。

 

「俺のところに住めればって思ってたりしてない?」

「少し、してるよ。そしたら幸せだろうなって」

 

 タクミくんはしばらく無言になったあと決心したように口を開いた。

 

「目を瞑っている時と仕事中は話かけないって約束だけ守れるなら、いいよ」

「もちろん! タクミくんと住めるなら、それくらい守れるよ」

 

 お目当ての言葉を引き出せて嬉しかった私は、条件について深く考えることもなく返事をした。

 でも、そんな大変なものじゃないし平気平気。

 要は話しかけるタイミングを間違えなければいいだけでしょ?

 そんな簡単なことで気になってる人と同棲できるなら、願ったり叶ったりだ。

 これはもう、実質付き合ってるといってもいいのでは?

 少し勇気を出して、タクミくんの手を握ってみた。

 すると、少し驚いた顔をしてたけど、振り払うこともなく握り返してくれた。

 ……これは、もしかして脈アリかな?

 なんて思ったけど、タクミくんの口から出てきたのは関係ない言葉だった。

 

「そういえば、美咲ちゃんは家でも歌の練習するよね?」

 

 いや、関係なくはないか。確かに大事な事ではあるけど、今は別のことに反応して欲しかったな……。

 でもまぁ仕方ない。焦らなくても、一緒に住んだら何か起こるだろう。

 

「もちろん、するよ」

「一応防音室はあるけど、ゲーム部屋なんだ。だから俺も出入りすることあるけど、それでもいい?」

「当たり前だよ。元々タクミくんの家だもん。むしろ、防音室まで貸してくれるなんて思ってなかったよ。お風呂場とかでするつもりだったから」

「お風呂場だと響かない?」

「ドアを二重に締められるからそうでもないみたいだよ」

「そうなんだ。意外だ」

 

 それから他愛もない話に切り替わって、楽しく喋り続けた。この時間が続けばいいのにって思ったけど、あえなくホテルにご到着。

 その場でお礼と挨拶をして、そのままお別れ。

 まさか他に何もアクション起こされないとは。

 もっとグイグイいけばよかったかな?

 まぁ、同棲すれば何かしらあるでしょ。

 もしかして、付き合えちゃったりして。

 なーんて。こんな妄想をしてしまうくらい、今は気分がいい。

 でもそれが現実になりうるのは、まだ少し先の話だ。

 まずは明日帰ったら、東京行きの話を両親にしないと。

 その前に遥さんへ、今日の報告。

 たぶん東京に引っ越すことになると告げたら、かなり驚いた顔をしてから、寂しくなるね、なんて言ってくれた。

 ただ、そのあとタクミくんと住むことになりそうって言ったら、全力で止められたけど。

 しかも、反対する理由を言ってくれない。

 ただただやめたほうがいいの一点張り。

 だから、その日はなんとなくギクシャクした雰囲気のまま終わってしまった。

 翌日も、遥さんはあまり口を聞いてくれないまま。

 途中までは最高の気分だったのに、なんだか終わりの後味が悪い旅行になってしまった。

 でもそれが、まだまだ序の口であったとは思いもしていなかった。

 なんと、迎えに来た両親に、遥さんが告げ口をしてしまったのだ。

 何考えてるの、この人!

 ぼかして伝えないと、絶対反対されるのに!

 案の定、車の中でくどくどと説教された。

 こっちが口を挟む隙間もないくらいずっと喋ってる。

 こっちの話を聞こうともしないんだ。

 不機嫌を隠さないでいると、お父さんが問うてきた。

 

「ちゃんと聞いているのか?」

 

 そんなの、当然右から左だよ。

 

「こっちの話を聞こうとももしないくせに、自分の話だけは聞いてもらえると思ってるの?」

「なら家についたらちゃんと話そうか。それならこっちの話も聞くんだろう」

「……わかった」

 

 どうせ嫌って言っても、強制的にやるんだろうしね。

 家についてすぐ、家族会議が始まった。

 最初に口を開いたのはお父さん。

 

「専門学校に行きたい理由が、まさか男と同棲する為だったとはな」

 

 まず言うことが難癖?

 そんな気持ちで専門に行きたいわけじゃない!

 

「なっ……勝手に変な勘違いしないでよ! 学費は自分持ちになるって話をしたら、できる事なら手伝ってくれるっていうから、その流れでお願いしただけ!」

「ならば東京の専門学校である必要もあるまい。近場で探せば家賃を考えずに済む。その方がお前も負担が少ないだろう」

 

 それも当然考えたに決まってる。でも、タクミくんの事とか関係なく、家から一番近いところはダメな理由がある。

 

「ちゃんと探して、良かったと思ったのが東京だったの! この近辺って言ったって、田舎特有の時刻表のせいで、片道二時間はかかるのがわかってる。そんなの毎日とかやってられないよ!」

 

 だから、家から近いところは絶対に嫌! けれど、お父さんはかなり頑固だった。

 

「本当に歌が好きならできるだろう?」

「ただ通ってるだけじゃ不安なの! 家でも練習したいのに、四時間も無駄にできないってば」

「なら、誰かと住むなどもってのほかだろう。相手に迷惑をかけることになる」

「防音室貸してくれるって言ってたから大丈夫だもん!

 

 私が強く言い切ると、今度はお母さんから心配の声が上がった。

 

「でも相手は男の子なのでしょう? 防音室まであるなんて、人に言えない目にあったら誰にも助けて貰えないんじゃない?」

「そんなことする人じゃないもん!」

 

 タクミ君は無理矢理そんなことしない!

 そう言う人だったら、あの夜にキスのひとつやふたつしてきてるはず。

 でも、二人ともタクミ君の事を知らないからわかって貰えない。男ってだけで判断してる気がする。

 

「とにかく、男と同棲なんて絶対ダメだ。専門に行くならこの近くにしなさい。東京は認められん」

「だから遠いって言ってるでしょ! 絶対に東京の専門に行くから!」

「なんでそこまで東京にこだわる? この近くでもいいじゃないか。家を借りるなら東京じゃなくても一緒だろう」

「家を借りるんだったら東京の方がいいに決まってるでしょ! こんな田舎はいい加減うんざりなんだってば!」

 

 言ってから、少し熱くなりすぎて余計なことを言ったと悟った。でも、吐いた言葉は戻らなくて。

 

「…………もういい。そんなに言うなら、その男のところでもなんでも好きなところにいけばいい」

「あなた? 東京行きは反対じゃなかったの?」

 

 ようやく折れてくれた。失言はしたけど、結果的にはよかったのかな。そう思ったのも束の間、告げられたのは想像を絶する仕打ちだった。

 

「ただし、東京に行くつもりなら今すぐ出て行きなさい。家に残るなら、地元にいると決めたと受け取るからな。そうすれば東京には絶対行かせない」

「なっ!? そんなの横暴でしょ!」

「あなた、それはいくらなんでも極端すぎやしないかしら?」

「何も専門に行かせないとは言ってないだろう。東京行きを咎めてるだけだ」

 

 もう、こんな田舎もお父さんも嫌だ。

 

「わかった。出て行くことにする」

「美咲!」

 

 部屋に戻ろうとする私に、お母さんの声がかかる。

 でも、それも無視して部屋に戻った。

 修学旅行の時に使ったスーツケースに、大事なものと何日か分の衣服を詰め込んでいく。

 一世一代の家出だと言うのに詰め終わるのは意外と早いもので、ものの十分で支度が終わってしまった。

 私のこれからの人生は、十分程度で詰め終わる荷物に支えられて行くのか。

 そう思うと、気持ちが萎んでくる。

 いけない。こんなことでつまづいていちゃ。

 スーツケースの前で正座したまま、息を大きく吸い込んだ。

 なんだか物寂しくなったけど、萎む気持ちをたたき伏せるように、息を吐きながら立ち上がった。

 もう後戻りは出来ない。

 スーツケースを引きながら、玄関に向かう。

 すると、リビングからお母さんが出てきた。

 

「美咲、本当に出て行くつもりなの? 一時の気の迷いよね?」

「気の迷いだとしても、それを選んでしまうくらい追い詰めてきたのはお父さんだから。もう一緒にはいたくない」

 

 ちょっと強く言いすぎたかもしれないけど、本心だ。

 何も言えずに立ち尽くしてるお母さんを横目に、玄関を飛び出した。

 今から東京へ行くにしても、もう日が暮れ始めている。

 田舎のバスは全然本数がないから、駅まで行くことができない。

 仕方ない。今日は公園で野宿か。

 幸い夏だから、夜になって冷え込んだとしても凍死するほどではない。

 あー、でも学校どうしよう。

 専門に入学するにもまず試験を受けたり手続きしなきゃいけないからなぁ。

 その為に戻るのもなんかかっこがつかない。

 さっき出てきたばかりでもう戻るのは嫌だ。

 でも、明日になって東京に行っても諸々が片付いてないなら意味ないし、日が経ったからって家に戻るのはありえない。

 はぁ。卒業まで公園暮らしかなあ。

 まさかこの歳でホームレスの仲間入りとは。

 っていうか、スマホも充電できないし、娯楽はないしで、すごく暇だ。

 ほんとにすることがない。

 暗くなり始めて、なんだか心細くなってきた。

 この公園、人気がないし夜にひとりぼっちはちょっと怖いな。でも、他に場所はないしなぁ。

 ここのベンチが一番マシだ。

 そんなことを考えながら公園のベンチでぼーっと空を眺めてたら、人がやってきた。

 こっちに向かってきてるからベンチに座りたいのかと思って移動したら、私の方についてくるではないか。

 暗くてよく見えないから誰だか分からないけど、もしかしてお母さんが追って来たのかな。

 そう思って顔を見たら、馬マスクを被ってた。

 え、なんで?

 もしかして犯罪者?

 逃げ出そうとして、荷物があることに気がついた。

 ここで荷物を置いて行ったら本当に何もなくなる。

 でも、ここで捕まっても碌なことにならない気がする。

 結果、荷物を持ったまま逃げるというどっちつかずな選択をした。

 音を立てていれば誰かが見つけてくれそうだと思ったから、というのもある。

 けれど、ここが田舎だったということを忘れていた。

 がらがら音を立てても誰もいなきゃ意味がない。

 荷物を捨てるという選択肢をとれなかった私は、あえなく不審者に捕まった。

 

「嫌! 離して!」

「ちょっと! 暴れないで! 私だから! 遥だよ、遥!」

 

 そう言って不審者は馬マスクをとった。

 中から出てきたのは本当に遥さん。

 

「え、何してるんですか、遥さん」

「いや、美咲ちゃんのお母さんから家出したって聞いたから、探しにきたんだよ」

「……そんな馬マスクで?」

 

 人を探す格好じゃないでしょ。

 

「これは美咲ちゃんを脅そうと思って持ってきた。もし襲ってきたのが本当に不審者で、私じゃなくて知らない男の人だったら、どうなってたかわかるよね?」

 

 そんなの、よく考えなくてもわかる。

 

「……純潔は散らされて、最悪口封じされてたかも」

「わかったら、もうこんな無謀な事しちゃダメだよ」

 

 遥さんは私の手を引いて、帰ろうとした。

 危ないのはわかったけど、だからと言ってどの面下げて家に戻れるっていうの?

 

「家には帰れません。東京行きたいなら出て行けって言われたから、その通りにしたので」

「知ってるよ。拓海との同棲を止めたいからって、当て付けみたいにご両親へ告げ口するんじゃなかった。まさかこんな事になるとは思ってなくて。ごめんね」

「まぁ思うところはありますけど、元々両親は反対していたから、遅いか早いかの違いだけです」

 

 それにしても、遥さんまでタクミくんとの同棲を反対するんだな。両親と違ってタクミ君のことをよく知ってるから、なんで反対するかは気になるけど。

 そんなことを考えていたら、遥さんが口を開いた。

 

「それでね、美咲ちゃんさえ良ければ卒業までウチに住まない?」

「なんで卒業までなんですか?」

「だって東京行くんでしょ?」

 

 あれ、遥さんも反対なんじゃなかったの?

 

「東京行き応援してくれるんですか?」

「拓海との同棲は正直反対だけど、進路は美咲ちゃんのしたいようにすべきだと思うよ。お母さんとは話しつけてあるから、学校資金貯める為のバイトの承諾や専門の入学手続きは、お母さんがしてくれるみたい」

「てっきりお母さんも反対してるのかと」

「美咲ちゃんは熱くなってたから冷静に聞けなかったのかも知れないけど、二人とも反対してたのは主に同棲についてだったみたいよ。東京に行ったらなし崩しで同棲されることを恐れたんだろうね。だから二人はこっちの専門行きを勧めてたんでしょ?」

 

 同棲のことがなければ私は普通に東京行けたってこと?

 でもそれって――

 

「――やっぱり遥さんが同棲のこと告げ口したからややこしい事になったんじゃないですか?」

「だから罪滅ぼしとしてしばらく家に泊まらせてあげようと思ってるんじゃない。東京に行くなら家に戻っちゃいけないんでしょ? ならウチにいれば、その条件は満たせる。東京でどこ住むかはもう何も言わないから。拓海と同棲したいならすればいいよ。反対の気持ちは変わらないけどね」

 

 たしかに家には戻ってないから、言う通りにはしてる。けど。

 

「なんか屁理屈みたいだけどいいのかなあ」

 

 きっとすぐ戻って来ざるを得ないと思って出て行けって言ったんだろうから、後からぐちぐち言われそう。

 

「まぁ元はと言えば私のせいだし、口添えくらいはしてあげるよ」

 

 なんかマッチポンプみたいだ。

 でもまぁ、結果的にタクミ君と同棲できるなら不服はない。っていうか支援してもらえないなら、学校の費用だけでいっぱいいっぱいだ。家賃を払う余裕なんてないだろう。

 野宿しながら学費稼ぐのも無理だろうし、すっぱり諦めるか、遥さんに頼るかの二択だ。

 戻って落とし所を決めるのはまた喧嘩になりそうだから勘弁したい。

 というか、タクミ君と同棲できる可能性があるならそっちの方がいいし。家賃を出してもらって東京行けるとなっても、どうせならタクミ君と一緒にいたい。

 だから私は、遥さんの提案に乗った。

 

「お願いします。卒業まで住まわせてください」

「旦那もいるけど、まぁ同棲の事前練習だと思って慣れてね。あ、家事とかも少し任せるからよろしく」

「家で手伝いしてたので大丈夫だと思います」

 

 遥さんは一つ頷くと、馬マスクを被り直して家路についた。

 え、なんでそれ被った?

 私を脅す為だから必要ないんじゃないの?

 そう思って尋ねたら、女二人でいると万が一があるかもしれないから、見た目で威圧するんだって返された。

 なるほど。

 たしかにこんなマスク被ってる人には近づきたくないよね。

 そのおかげもあったかどうかは知らないけど、私たちは無事遥さんの家にたどり着くことができた。

 遥さんがドアをあけると、屈強な男性が出迎えてくれる。

 

「おかえり、遥さん。後ろの子がさっき言ってた子?」

「ただいまリュウジくん。そう。今日から半年くらい住まわせる事になったけど、いいんだよね?」

「さっき聞いたから大丈夫。男だったら嫌だったけど、女の子なら遥さんを取られる心配もない」

「まぁ美咲ちゃんは好きな人いるからリュウジくんに惚れることもないし」

「え、好きな人いるなんて言いましたっけ?」

「拓海でしょ? 美咲ちゃんは分かりやすいんだよね」

 

 私そんなに分かりやすいかな?

 いやでも、憧れているだけでちゃんと好きって言えるかはわからないし。一緒にいてドキドキしたのは確かだけど、言い切られるとそれはそれで怖気付くっていうか。

 なんて悶々してたら、リュウジさんが少し嫌そうな顔をした。

 

「拓海ってもしかして――」

「しー」

 

 そんなリュウジさんを咎めるように、遥さんが人差し指を彼の口に当てた。

 なんか気になるけど、二人ともそのまま奥に行っちゃったから、慌てて靴を脱いでついていった。

 

「おじゃまします」

 

 小声でそう言って家に上がったけど、本当に私はお邪魔なんだろうな。

 たしか新婚さんだったはずだし。

 二人の時間を邪魔しないようになるべくいっぱいバイトいれて、家事手伝いも頑張ろう。

 そう気負って数日が経ったけど、遥さんが結婚するだけあって、リュウジさんはいい人だった。

 部外者の私によく気遣ってくれるし、家事をしてると手伝ってくれる。私がバイトを始めるようになってからは、疲れた私を労るように飲み物やお菓子を用意してくれるようになった。

 私がお客様だからと思ったけど、遥さんにもしてるから、日常的にこうなんだろう。

 確かにタクミ君を好きになってなかったら、この人に惚れてる可能性はあったかもしれない。

 遥さんが頑なに家へあげようとしなかった訳だよ。

 今になってあげてくれたという事は、私がタクミ君を好きだという確信を持てたからだろう。

 そのきっかけは、たぶん東京に行った日だ。

 あの時の私、浮かれてたし。

 奪われる心配がなくなったのと、家出のきっかけになった負い目から、こうして泊めてくれるんだと思う。

 私もこんな素敵な旦那さんがいたら同じように他の女性を遠ざけそうだから、接触させたくなかった気持ちはわかるけどね。

 いいなあ。

 私もタクミ君とこんな風になりたい。

 けれど、遥さんの家に住み始めてから、なかなかタクミ君と遊べていない。

 バイトから帰ってきたらすぐ寝ちゃうし。

 元々早寝だったから、バイトが入るとほとんど遊ぶ時間がない。

 そんな感じだから、遊ぶ代わりにメッセージの頻度が増えていた。

 でも、私は十時には寝てしまう。

 まだやりとりしたい気持ちを抑えながら毎日眠りにつくので、タクミ君への想いはつのる一方だ。

 そんな私を見かねてか、ある日遥さんが、こんな提案をしてきた。

 

「私名義で東京に家借りるからさ、バイト代少し出してくれるならそこに住む事にしていいよ」

「え、でも私はタクミ君と同棲したくて……」

「だから、住んでる事にしていいって言ってるの。実際はタクミのところに行けばいい。ただ、たまに掃除くらいはしてくれると嬉しいけど」

「いいんですか? お金もったいないんじゃ……」

「私も東京行くことあるからたまに泊まるし。万が一があるからセキュリティ良いところにして、気が変わったら住めるように学校の近くにでもすれば良い。そうすれば、ご両親も反対しないんじゃない?」

「どうしてそこまでしてくれるんですか?」

「んー……私と美咲ちゃんが似てるからかなぁ」

 

 遥さんと似てる? 私が? 凄いクリエイターさんに似てるって言われるのは嬉しいけど、私、遥さんみたいに変じゃないし。

 

「私は普通だと思うんですけど」

「どこがよ。普通の神経してたら一回会っただけの男と同棲しようとなんてしないって」

「それは関係ないじゃないですか」

「いーや、あるね。本音を言えば私は反対だけど、周りがなんか言ったってやめるような子じゃないでしょ、美咲ちゃんは」

「それはそうかもしれないですけど……」

「ほら、十分変人だ」

 

 これは認めないと話が進まないやつだ。私は少し呆れながら、投げやり気味に認めた。

 

「じゃあいいですよ、もうそれで。そんなことはどうでもよくて、本当に協力してくれるんですよね?」

「いいよ。でも、辛いと思ったらすぐ私を頼ること。それだけは約束」

「わかりました。何から何までありがとうございます」

 

 そんな訳で東京では、表向き遥さんの家に住む事になった。

 両親を説得するために四人で話し合いが行われたんだけど、ほとんど遥さんの独壇場。

 あの手この手で二人を丸め込んでいた。

 最初は渋っていた両親も、私の性格を引き合いに出されては、納得せざるを得なかったみたい。

 実際に家を飛び出たからね。

 無理矢理同棲されるよりは、遥さんの監視下にある方が安心だと思ったみたいだ。

 実際はするんだけどね、同棲。

 まさか遥さんが裏切ってるとは思わなかったのか、あっさりと東京行きが承諾された。

 東京に行くまで家に帰って来てもいいとは言われたけど、気まずかったので遥さんの家で卒業までお世話になることとなった。

 東京行きが決まったら、後はタクミ君に同棲の承諾を取るだけだ。

 でもまさか、ここが一番難しいだなんて、この時は思いもしていなかった。

 これまでの経緯をタクミ君に話したら、家があるなら同棲する必要はないよね、だって。

 結局説得できずに、東京行きの日となってしまった。

 もしかして、遥さんはこうなる事が分かっていたから家を貸したのかな?

 協力してくれてるように見えて、実は邪魔してたのかも。

 そう疑ってしまうくらいには、タクミ君の思考を読むのがうまかった。

 気になる事は沢山あったけど、夏休みに東京へ行った日から早くも半年。

 私は、憧れの東京で暮らす事になったのだった。

 

 

 

「でね、先生ったらひどいんだよ。歌唱力があっても表現力はないから、そこを上手く伸ばすのが課題ですね、だって。そんなことはわかってるんだよ! その方法を教えてくれるのが先生じゃないの? って思っちゃった!」

『結局方法は教えてもらったの?』

「まだ! できれば自分で見つけたほうが伸びるから、答え合わせはもう少し先にしましょう、だって! そんなのいいから早く成長したいのに!」

『まぁ、まだ入学したばかりだから。焦らなくても美咲ちゃんなら大丈夫だよ』

 

 東京に住み始めてから早一ヶ月。

 タクミ君と同棲する事は叶わなかったけど、時間を作って会ってくれるようになった。

 今日は東京に住んでから四回目のオフ会。

 いや、もうそういうのじゃないのかな?

 いい加減、ネットの友達からリアルの友達に変わっても良い頃だよね?

 でも、相変わらずタクミ君の返事はメッセージで返ってくる。結構仲を深めたと思ったんだけど。

 まだ口頭での会話は慣れないみたい。

 歌の事といい、タクミ君との関係といい、じれったいことばかりだ。

 日頃のフラストレーションが溜まっていた私は、タクミ君に思いの丈をぶつける事にした。

 

「焦らなくてもいいって言われても、焦っちゃうよ。歌もタクミ君との関係も、全然進展してる気がしないし」

『結構会ってる気がするけど?』

「でも、私たち付き合ってるわけじゃないでしょ? 返事だってメッセージだし」

『そうだけど。というか、美咲ちゃんは付き合いたいの?』

 

 そんなの決まってる。

 

「勿論。それで、ゆくゆくは同棲したい」

『同棲にこだわるね。なんでそんなに同棲したいの?』

「もっとタクミ君の事が知りたいからだよ」

『知ってどうするの?』

「好きな人のことを知りたいって思うのに、理由が必要?」

 

 タクミ君はしばらく黙ったかと思うと、緩慢にスマホを操作した。

 

『俺は好きになってもらうようなこと、全然してないと思うけど』

 

 タクミ君は自覚がないんだ。

 なんでだろう。凄い人なのに、こと恋愛に関しては疎い気がする。

 ううん。

 わざと意識しないようにしているというか。

 どこか、遠ざけてるような感じがする。

 それなら、私は思いをぶつけるだけ。

 

「最初は一緒に遊ぶだけの、凄いクリエイターさんって印象だったよ。初めの方は、生み出す物に惹かれていたのも事実。作品が好きなだけで、タクミ君自身は一緒に遊ぶことのある凄い人ってだけだった」

『なら、ファンとどう違うの?』

「印象がガラッと変わったのは、やっぱり初めてのオフ会。イメージと違って物静かだったけど、できる限りで相談事に乗ってくれたし、私の事を精一杯後押ししてくれようとする姿に頼もしさを感じた。それからメッセージをやりとりする度に待ち遠しくなって、好きって気持ちが抑えられなくなった」

『そんなに前からなんだ』

「そんなに前からなんです」

 

 約半年。

 出会ってからからは一年以上だ。

 それだけあれば、異性に恋するには十分な時間だと思う。

 タクミ君はしばらく黙ったかと思うと、意を決したように口を開いた。

 

「俺でいいなら、いいよ」

 

 メッセージじゃなくて、タクミ君の口から聞けた事がまず嬉しかった。

 それから内容を理解して、最高の気分になった。

 でも、一つ不満がある。

 

「タクミ君でいいならじゃなくて、タクミ君がいいの」

「それってそんなに大事かな?」

 

 大事でしょ。私にとっては、誰の代わりにもならないんだから。

 でも、熱くなりすぎる私には、これくらい冷めてる彼の方がいいのかも。

 返事をする代わりに、私はタクミ君の手を握りしめた。

 放っておいたらどこかに消えてしまいそうな彼の手を掴んでいる間は、そんなに変なことにならないだろう。

 私は少し縛り付けられるくらいでないと、熱くなって変な方向に行ってしまいそうだから。

 これで、恋人同士になれたんだよね?

 うまく行って欲が出てきた私は、さらに踏み込んだ。

 

「付き合えたなら、同棲もしたいんだけど。どうかな?」

「早くないかな?」

「そんなことないよ。むしろ、最初はその約束だったじゃない。付き合えたなら、同棲してもいいでしょ?」

 

 タクミ君は少し考え込んだあと、ゆっくり口を開いた。

 

「わかった。でも、前にした約束は守ってね」

 

 約束ってなんだっけ。

 した事は覚えてるんだけど、凄い簡単な事だった気がする。たしか、仕事中は邪魔しない、みたいな事だっけ?

 ここで覚えてないって言ったら同棲の話がなくなっちゃうかもしれないし、ちゃんと覚えてないって事はそんなに難しい事は言われてないでしょ。

 

「勿論。ちゃんと守るよ」

 

 この日を境に、私の生活は一変する事になった。



 

「もー、トイレの電気はちゃんと消さなきゃダメだよ?」

 タクミ君と同棲するようになってから一ヶ月が経った。

 同棲してわかったことは、タクミ君は意外とずぼらだったっていう事。

 最初の頃は、ゴミの分別をきちんとしないわ、水回りの掃除はおざなりだわで酷かった。

 一回言ったらなおしてくれたけど、タクミ君は生活全般がいい加減だったと思う。

 私が言わなきゃなおらなかっただろうから、同棲してよかったのかもしれない。

 今日も電気の消し忘れが発覚して、ぐちぐち言う羽目になった。本当はこんな事言いたくないけど、気になるものはしょうがない。

 よくこんなんで今まで生活できてたなぁ。

 信じられないよ。

 そして、私が怒った時、タクミ君は決まってるする事がある。

 それは――。

 

『ごめんね。美咲ちゃん、そんなに怒らないでよ。可愛い顔が台無しになっちゃう。言われた事はなおすからさ。ほら、気分転換に散歩に行こう? ね?』

 

 こうやって外出デートで気を紛らわそうとしてくるのだ。

 最初の頃は嬉しかったけど、最近はなんだか丸め込まれてるようで嫌になる。

 それに甘えて許しちゃう自分が特に。

 タクミ君の左手をむんずと掴んで、外へと引っ張る。

 二人で外を歩きながら、私はさっきのことをほじくり返した。

 

「あのね、トイレの電気をつけっぱなしにされると、入ってるのかなって勘違いしちゃうの。だからもうやめてね?」

 

 散歩の時に私が小言をぶつけて、それでおしまい。

 次からは言ったことがなおってる。

 それが最近のスタンダードだった。

 それでも最近許せないことが一つあって。

 私のスマホに通知音が来る。

 

『ごめん。次からはやらないよ』

 

 これだ。

 タクミ君はいまだに、返事をスマホでしてくるのだ。

 これがいい加減、我慢ならなかった。

 この際だから言っちゃおう。

 

「あのさ、返事をスマホでするのはやっぱりおかしくない? 私達付き合ってるんだよね?」

 

 しゅぽっ。

 

『でも、こうしないと余計なこと口にしそうで』

「そういうこと考えなきゃいいでしょ?」

 

 しゅぽっ。

 

『そうはいってもね……』

 

 あぁもう、メッセージ来た時の音がうるさい!

 前は気にならなかったのに、しゅぽっ、なんて軽い音が今はただムカつくばかりだ。まるで私の言葉まで軽くなったようで嫌だった。こんなに必死で伝えてるのに、まるで伝わっていない気がして。言葉を乗せた紙飛行機は、しゅぽって音をならしながら、きちんと私に届く前に墜落している。

 メッセージアプリじゃなくて、自分の言葉で伝えて欲しい。

 今の状態は、決して健全な関係とは言えないと思う。近くにいるはずなのに、遠くにいる。そんな感じだから。

 画面を挟んだままだから、お互いの思いが、どこかズレたままだ。

 現実なのに、解像度が粗い感じがする。せっかく同棲までできたのに、タクミ君の事は未だによくわかっていない。

 やっぱり、アプリで返してくるのが原因だと思う。

 

「とにかく、アプリで返事をするのはやめてよね。おかしいよ」

「ごめん。次からは口で言う」

 

 よかった。きっともうやらないはずだ。もう今の私たちに、画面はいらない。致命的なズレがあっても、二人でなおして合わせていけばいい。この手は絶対に離すもんか。

 そう思いながら、タクミ君の手を強く握りしめた。


 


 タクミ君の様子がおかしくなったのは、その数日後だった。

 SNSを見ては、首を傾げてる。

 何事かと思って覗けば、誹謗中傷じみたコメントがついていた。

『線がちょっと変じゃないですか?』『色味がいつもと違う気がします』みたいなコメントが沢山。

 こんなの、彼の絵の魅力がわからない人達の戯言だ。 

 でも、タクミ君は辛そうだ。

 なら、私が解決してあげなきゃ。

 

「貸して」

 

 私はタクミ君からスマホを奪い取ると、悪質なコメント達をかたっぱしからブロックしていった。

 

「ちょっと、何してるの?」

「何って、嫌な人たちをブロックしたの。これでもう傷つくコメントを見なくて済むよ」

 

 タクミ君は面食らったような顔をしてから、絞り出すように言葉を発した。

 

「……そうだね。ありがとう」

「どういたしまして。タクミ君の絵は凄く素敵だよ」

 

 そう言っても、タクミ君の顔は晴れないまま。

 

「でも最近、自分の絵に自信がなくなってきたのは本当なんだ。だからああいうコメントも気になったんだよね」

「タクミ君はなんで創作してるの? それを思い出せば、きっと他の人の言葉なんて気にならなくなると思うな」

 

 タクミ君は少し黙ったかと思うと、ゆっくりと、確かめるように言葉にした。

 

「……今の俺を刻むために創ってる、かな。創作物はその時の自分をめいっぱい書いたメモみたいなものなんだ。こうすれば忘れなくなるから。一個作るのに時間かかるし。俺はその時の魂を刻むつもりでやってる」

 

 この時のタクミ君の言葉が印象的で、強く記憶に残っている。少し話をしてから、この日は解散。

 それから、更に数日が経った。

 最近のタクミ君は仕事ばっかり。

 私が悪質コメントをブロックした時から、部屋に籠るようになりはじめた。

 なんだか、最近のタクミ君の目には私が映っていない気がする。部屋から出て来た時も、どこかぼーっとして、私じゃない物をみてるような。

 タクミ君の瞳にはもう私が映らなくなっているのかな?

 ううん。もしかしたら、最初から見てくれていなかったのかも。いつも下向いてスマホで返事してばっかりで、私の方なんかこれっぽっちも見ていやしなかった。

 注意してからは口頭で返すようになって来たけど、なんだか私ではない誰かと話しているような、どことない違和感がある。

 しかも、近頃は全然構ってくれない。

 部屋から出て来た時に話しかけても、今忙しいから後にして、って。

 いくら待っていても、結局その日は出てこないで終わるし。そんなのがここ数日続いたもんだから、いつものようにないがしろに相手された後、思わずタクミ君の部屋に突撃して仕事の邪魔してしまった。

 

「なんで最近は話しかけてもきちんと返事してくれないの? ここにいる私をちゃんと見てよ!」

 

 そう言った瞬間、タクミ君の雰囲気が変わった。

 

「美咲ちゃんは自分のことを見てっていうけどさ……じゃあなんで俺のことはきちんと見てくれてないの?」

 

 そういったタクミ君の目はとても怖くて、声が震えて言葉がうまく出てこなかった。

 

「そんなこと、ちゃんと見てるよ? タクミ君の様子がおかしいのはわかってたもん。だから話しかけて気遣ってたんじゃない」

 

 そう言っても、タクミ君の勢いは止まらなかった。

 

「美咲ちゃんが嫌そうだったからやめたことは沢山ある。お互いが心地良く過ごせるように、色々合わせたよ。本当にこだわりたいモノ以外は、譲るようにしてた。それでさ、仕事中に話かけるのだけは絶対にやめてって、俺言ったよね。忘れてなかった?」

 

 正直いえば、最初からちゃんと覚えてない。

 でも……。

 

「確かに言ってたけど……そんなに重い約束だなんて分からなかったよ! だったらなんで、同棲する時にちゃんと言ってくれなかったの!?」

「大事なことはきちんと覚えてくれてると思ったよ。俺のことはその程度だったんだね」

 

 突き放すような言い方をされて、ようやく気がついた。

 これは取り返しがつかないことなんじゃないかって。

 私は思わず、縋るような声でタクミ君に訴えた。

 

「捨てられたくない。いう事を聞かなくなったからって壊れたなんて言わないで欲しい。私はあなたを支えるだけの道具じゃない。ちゃんと気持ちがあるの」

「俺も、君を縛り付けておくためのアクセサリーじゃない。俺の気持ちは、全然考えてくれてなかったみたいだけど」

「っ……」

 

 嫌だという感情だけはあるのに、何も言葉が出て来なかった。

 だってこんな、頭も身体も心も鈍るような感覚は初めてだし。

 私が呆然としていると、タクミ君が言葉を続けた。

 

「ごめん……傷つくだろうから口にするつもりはなかったけど、すぐ返事しなきゃって思ったら、つい」

「つい? じゃあ本心ではそう思ったってこと? 今までのやりとりも、本心は別ってことだよね?!」

 

 私が感情のまま捲し立てると、タクミ君は目を伏せて、遠慮がちに言った。

 

「……やっぱり俺、時間を置いてからじゃないと上手く伝えられないや。ごめんね。返事を待ってくれる人じゃないと俺は合わせきれない」

 

 言い終わった途端、タクミ君は大事な物をかき集め始めた。

 

「何してるの?」

「美咲ちゃんは家がなくなると困るだろうから俺が出ていく。次の家を探すまでホテルに泊まれる金はあるし。美咲ちゃんも俺と一緒で辛かったよね」

 

 元々住んでた遥さんの家があるけど、タクミ君はそれを忘れてるのかな? でも、今はそんなことどうでもいい。

 

「私の気持ちを決めつけて、勝手に居なくなろうとしないで!」

 

 私の声が聞こえてるはずなのに、まるで聞こえてないみたいにスーツケースへ物を詰めていくタクミ君。

 パソコンのケーブルを抜き始めた時、あぁ本当に出ていくんだという実感が湧いてきた。

 そのまま立ち尽くしていると、タクミ君が何かに気がついたように腕時計を外し始めた。

 

「 美咲ちゃんは自分を縛るアクセサリーが欲しいみたいだから、これあげるよ 」

 

 そう言ったタクミ君は、身につけていた腕時計を私の腕に巻きつけた。

 まるで別れ話みたいな様子で、タクミ君は皮肉をぶつけてくる。

 こんなに言われるまで嫌われてたなんて。

 私は何も言えないまま、タクミ君の後ろ姿を呆然と見送った。

 タクミ君は、また画面の向こうに行ってしまったんだ。

 画面の向こうから現実になって、二人とも同じ方向を向いていたと思っていたのに。

 見ている景色の色味は違ったみたいだ。

 それに気がついて、涙と思い出が、どんどん溢れてくる。

 私は、この後に及んでも、彼の幻と手を握ったままだった。


 

 

 それからしばらく、ろくに眠れない日が続いた。

 勿論学校も無断欠席。

 でも流石に、なにも食べないのは難しいみたいだ。

 いい加減お腹が空いたので、備蓄してあった保存食を開けて食べた。

 だけど……。

 

「なにこれ、まっず……」

 

 普通の保存食なのに、カブトムシよりまずい。

 思わず消費期限を確認したけど、何も問題はなかった。

 ダメだ、お腹は空いてるのに口に入っていかない。

 私は食べかけの保存食を、ゴミ箱に投げ捨てた。

 それからは動く気力もなくて、ぼーっとしてばかり。

 そしてふと、タクミ君の事を思い出す。

 彼の事を気にしたらダメだって頭では分かっている。

 今はこれ以上抱え込んだら駄目だって。

 でも、タクミ君が今どうしているか気になり始めたら止まらなかったから、思わず彼のSNSアカウントを見てしまった。

 アカウントの一番上には、絵と歌詞だけの投稿。

 日付は拓海君が出て行った後だ。

 そして、ナイーブな私の心は、余計な事にも気が付いてしまう。

 

「私が一緒に住んでいた時の絵より、いいねが付いてる……」


 前の絵と見比べたら、たしかに線がしっかりしてた。

 色味も繊細で、色彩豊かだ。

 なにこれ。

 私はタクミ君にとって邪魔者だったってこと?

 そう気がついた途端、寒気のような物を感じた。全身の汗が酷い。

 新しい作品を投稿しているあたり、タクミ君はもう立ち直っているのだろう。

 それに比べて私はうじうじしたまま。

 でもこんな気持ちじゃ、しばらく歌なんて無理だよ。

 歌えない私なんて、何の価値もないのに。

 このまま結果が出せずに終わるのかと考えたら、気持ちがさらに沈んできた。

 今までの努力が報われなかったらと思うと、全部なくなっちゃうような恐怖が込み上げてきて。

 それから逃げるように、台所へ向かった。

 こういう時は、気持ちを切り替えなきゃ。

 冷蔵庫から、二人で買ったちょっとお高めのカップアイスを取り出す。

 思わず二人で暮らしていた時の事を思い出してしまって、ぼーっとしながら洗い物カゴに刺さっているスプーンを掴み取った。

 蓋を開けて、スプーンをアイスに突き立てる。

 そしてできる、三本の穴。

 不思議に思って手元を見れば、握っていたのはフォークだった。

 自分が情けなさすぎて涙が出てくる。

 頭も身体も心も、全部締め付けられたみたいで苦しい。泣きながら、突き刺したアイスに齧り付いた。

 こうして冷たいモノにかぶりついていると、頭にのぼった血が冷えていくみたいだ。

 キーンと冷える頭が自分を罰してるような気がして、少しだけ気持ちが沈んだ。

 アイスを食べ終わった私は、片付けもそこそこに、居間へと戻る。

 ただ、うつろな気分でいたせいか、何もないところで躓いて転んでしまった。

 これは、もう無理だ。

 誰かに助けてもらわないと無理だと悟ったけど、親は同棲に反対してたから頼れない。

 こういう時に助けて欲しいはずのタクミ君は、もういないし。

 その時、東京へ来る前の事を思い出した。

 

『辛いと思ったらすぐ私を頼ること。それだけは約束』

 

 遥さんに言われた言葉が蘇る。

 しばらく連絡してなかったから、今更何って言われちゃうかな……。でも、今は人生の最低ラインにいる気がする。それなら、遥さんに嫌われてもあまり変わりがない。

 私は投げやりな気持ちで、遥さんに電話をかけた。

 数コールで、電話がつながる。

 

「もしもし、美咲ちゃん? 久しぶりだね」

「遥さん助けて」

 

 挨拶してる余裕なんてなかったから、私は要件だけ告げた。失礼かもしれないけど、そんな事すら気にかけていられない。

 遥さんは異常事態を悟ったのか、こちらをおもんぱかる声色で問うて来た。

 

「どうしたの?」

「タクミ君いなくなっちゃった」

「美咲ちゃん今どこにいるの?」

「一緒に住んでた家」

「すぐそっちに行くから待ってて。絶対に行くから、いなくならないでね」

 

 電話が切れて、静かになる。

 動く気力もないしいなくなるわけない。

 そのまま、タクミ君の事で頭がいっぱいになりながら、なんとかベッドまで身体をひきずって、そのままダイブした。

 きっと、タクミ君との事は私が悪かったんだろう。

 小言をぶつけるばかりで、自分の事はなおそうとしなかったから。

 でも、タクミ君も何も言わないんだもの。

 どこをなおしたらいいかなんて、言われないとわからないよ……。

 そんな風に考え事をしていたら、遥さんはわりとすぐに来た。たぶん三十分くらい。もしかして東京にいたのかな?

 

「早いですね」

「急いできたからね。それでも二時間もかかっちゃった。遅くなってごめん」

 

 二時間?

 遥さんとの履歴を見たら、たしかに二時間前だった。

 そんなに経ってたなんてわからなかった。よほど夢中になって考え事をしていたみたいだ。

 楽しい事は早くすぎるっていうけど、嫌な事でいっぱいになっていても早くすぎるんだって、初めて知った。

 

「体感ではすぐだったから、元々東京にいたのかと」

「まさか。家にいたから、即刻新幹線に乗って来たよ」

「ごめんなさい、私のせいで」

「いや、こうなるかもって前からどこかで思ってたから。同棲を止め切れなかった私のせいでもある」

「でも、それはわがままいった私が悪いから……」

「美咲ちゃん、傷ついてる時まで、自分を罰しようとしなくていいんだよ。血が流れてるとさ、もっと血がみたくて傷をほじくってしまうことがあるように、傷ついてる時は自分の悪い部分探しをしたくなっちゃうんだ。でもそれは、化膿してずっと残るようになっちゃうから。だからさ、もう少し元気になるまでそれはやめよう? 反省するのは、立ち直ってからにしよう」

 

 あ……。なんだか遥さんの言葉が、心にしみる。

 それまで誰の言葉も聞けなかったのに。

 今はしみ入るように入り込んでくる。

 人の言葉がすっと入ってくる時は、自分の芯が無くなっちゃった時なんだ。

 

「……ありがとう、遥さん」

 

 ベッドに横になりながら伝えると、遥さんは私の顔を見て言った。

 

「美咲ちゃん、一回寝た方がいいかも。最近全然眠れてないでしょ? クマが酷いよ。私もここにいるから、続きは美咲ちゃんの元気が戻ってからにしよう。ほらこれ、貸してあげる」

 

 そう言った遥さんは、カバンからアイマスクを取り出して渡して来た。

 

「これは?」

「私が死にたくなった時に使ったやつ。落ち込んでる時に真っ暗闇にいると、なんだか安心するんだ」

 遥さんでもそういうことあるんだ。というか、今の私は死にそうに見えてるってことなんだ。

「でも、今は一人には……」

「こっちおいで」

 

 遥さんはベッドの上に正座すると、膝上をぽんぽんと叩く。

 

「膝枕、ですか?」

「寝心地はあんまりよくないだろうけど、人肌があれば安心できない?」

 

 少し恥ずかしかったけど、今はそんな事言ってる場合じゃない。

 思い切って、お言葉に甘えることにした。

 

「ありがとうございます。お借りします」

 

 遥さんの膝は少し硬かったけど、なんだか安心できる硬さだった。

 一定のリズムで頭を撫でられるのが心地よくて、すぐに眠りに陥ってしまった。

 


 

 どすん、と何かが落ちるような音がした。

 慌ててアイマスクをとると、遥さんの膝と、眠たそうな顔が目に入って。

 膝からずり落ちてしまったのだと悟った。

 私はどれくらい寝ていたんだろう?

 きっと頭がずり落ちそうなところを、今まで支えてくれていたんだよね?

 遥さんもウトウトしていたから、気がつかずに落ちちゃったんだろう。

 私が遥さんの方へ視線を向けると、はっとした彼女が声をかけて来た。

 

「美咲ちゃん、おはよう。ごめんね。ウトウトしてたら頭落としちゃった」

「おはようございます。大丈夫です。むしろ、今までありがとうございます」

「顔が少しすっきりしてるね。落ち着いた?」

「昨日よりはマシ、って感じですね。遥さんは眠くないですか?」

「他人の事を気遣えるなら、幾分かよくなってる証拠だね」

 

 そういうもんなのかなぁ。

 でも気を抜いたら、またさっきみたいになりそうだ。

 

「起き抜けだから頭はすっきりしてますけど、気持ちは何も解決してないので、また同じになるかもしれないです」

 

 率直な気持ちを伝えると、遥さんは伸びをしながら言った。

 

「同じことを繰り返して考えるようなら、まだ休んだ方がいいかもよ。私の気持ちなんて分かってくれないって気持ちが強くなるとさ、言い方がきつくなるから」

「あの、私のこと慰めに来たんですよね?」

「そうだよ? ただ拓海が美咲ちゃんに酷いこと言った理由がそこだからさ」

 

 私が何も言えなくなっていると、遥さんはスマホを取り出しながら言った。

 

「まだちょっと辛いかもしれないけど、美咲ちゃんも見なきゃいけないものだから見せるね」

 

 見なきゃいけないものって何だろう。怖くてたまらない。手が勝手に震えて来た。

 

「落ち着いて。そんなに怖いものじゃないから」

 

 遥さんは手の甲を優しく包んでくれた。手がそのままスマホの方へ誘導される。

 画面に表示されているのはメッセージアプリだ。

 知ってる人が少なそうな、マイナーゆるキャラの背景。

 遥さんはこんな背景にしてるんだ、なんて思ったけど宛先が問題だった。

 

「これってタクミ君と、遥さんのやりとり?」

「他の人との連絡は見ないでね。あと、あんまり遡らないで欲しいかな。今は仕事仲間だし、守秘義務の情報とかもあるからさ」

 

 メッセージの時刻は、数時間前の、私が遥さんに頼った頃になっていた。読みやすいようにスクロールしておいてくれたのか、やりとりの先頭になっている。

 

『あんた美咲ちゃんに何したの?』

『それを聞くってことは、美咲ちゃんから話を聞いたんだよね。でも俺、美咲ちゃんとは文章での会話だったから成り立っていたんだと思う。間がないとやっぱり無理でさ。すぐに返事しなきゃって思ったら辛くて。俺は今あんまり状態が良くないし。頭が硬くなってる時は自分が強くでちゃうから、今美咲ちゃんと話しても収まりはつかないと思う』

 

 まず目に入ったのは、こんな文章だった。

 思わず、文句がこぼれる。

 

「こんなの、私は一回も言われてない」

 

 その呟きに、遥さんが同意するように返してくれた。

 

「そ。私は本気で怒ること少ないと自分で思ってるんだけど、これは流石に直接伝えろよってキレた。だけどね、続き見て」

 

 遥さんに促されて、続けて画面をスクロールした。

 まず右側のメッセージ。遥さんのだ。

 

『なんでそれを美咲ちゃんに言わないの。同棲許すくらい好きだったんじゃないの?』

 

 次に左。

 

『でも俺、好きとか嫌いとか良くわからないし。美咲ちゃんの考え方は良いなって感じてたし、一緒にいたいとは思った。でも実際に生活してみると、微妙に波長が合わなくて。俺は言い方を整えてるとタイムラグが出るからさ。その間にあの子が喋って、言いたい事も言えなくなって、苦しいことばかりになってきた』

 

 右。

 

『なんで本人に直接伝えないの?』

 

 左。

 

『必要以上に傷つけたくない。感情にまかせて今での鬱憤をぶつけちゃったから』

 

 そこまで読み終わって遥さんの方に顔を向けたら、私以上に怒ってる感じがした。

 

「ね。ふざけてるでしょ。そういう態度が一番傷つくんだバーカ! 目の前にいたら引っぱたいてやったわ!」

 なんか凄く実感が籠ってる気がするなぁ。前から思ってたけど、もしかして……。

 

「遥さん、もしかしてまだタクミくんの事が好きなんですか?」

「ない! 有り得ない! 私は筋肉だるまみたいな、目標に一直線で嫌なものは嫌だってはっきり言える男の方が好きだから。難しいことあんまり考えてない方が良い。あんな繊細なやつ、こっちから願い下げだっつーの! 今はただの仕事仲間でたまにゲームするくらいだから。昔はちょっとかわいいなって思ったけど、今となってはうざいだけ。考え方が面白いやつだから友達には丁度よくても、恋人には向いてないよ」

 

 やっぱり遥さんは興奮すると饒舌になる。しかも私、まだ好きなのかって聞いたのに。

 こんなカマかけ、いつもの遥さんなら引っかからない。

 人が怒ってるのを見ると、なんだか冷静になってくる気がする。

 事実確認するのに、もう一回仕掛けてみた。

 

「遥さん、無理って言うのは試してからにしたらって新幹線の中で言ってたような」

 

 私がそこまで口にしたタイミングで、遥さんの顔が歪む。

 一緒にカブトムシ食べた時よりも酷い顔。私もさっきまでこんな顔だったのかな。

 もう答えが出たようなものだから、私は遥さんに直接聞いた。

 

「やっぱり昔、タクミ君と何かあったんですか?」

 

 遥さんは少し言いにくそうにしてから、落ち着いた口調で語った。

 

「あったよ。二年前くらいに、付き合ったことがある。拓海は空気の変化に対する察しが良すぎて、なるべく私に合わせようとしてくるの。そのくせ、私に対して不満があっても口にしないんだ。こっちの過ごしやすいように全部気を使ってくれて、確かに私は凄く楽だったんだけど。段々過ごしにくいなって日が増え始めた。それで突然、拓海が家から出て行った」

「私と同じだ……」

 

 これ邪魔かもねって一回言っただけのモノがいつのまにか無くなっていて。今ちょっとキツいって言ったら私の好きな料理を作ってくれたりして。欲しいタイミングで欲しいものが全部あることに、なんの疑問も抱かなかった。

 不満は言えば直してくれるし、過ごしにくさがどんどん減っていって、最後に残った不満が、タクミ君が仕事を始めたらマイペースになるところだった。

 あの時は一緒に生活しているっていうよりも、要求だけ聞いてくれる機械にお世話されてる感じだったかも。

 

「あいつね、折れるのはいつも自分の方だと思ってるんだよ。相手の意見を尊重するって気持ちは見えるんだけど……私が変われない人間だと思われてる感じが凄くムカついたし、あの時は本当に死にたくなった」

「分かります。もう合わせきれないって言外に伝えられたみたいで悲しかった」

「私の場合は友達の延長で付き合ったからだと思うけど……気さくな会話は、何を思われても良い相手とじゃなきゃしないとも言われた」

 

 じゃあ私もそうだったのかな……。

 そういえば前は凄く返事が早かったのに、初めて逢いに行く少し前くらいから返事が遅くなってた。あの時は仕事が忙しいんだろうって思ったけど。

 

「いつ言われたんですか?」

「別れる時に直接。二年も前だから今は違うかもしれないけど、その節はあるよね。明らかに冗談って分かる軽い空気でしか、嫌な気持ちになる言わないから。感情を優先すると、滅茶苦茶傷つける言葉を吐くっていう自覚はあるみたいだし」

「たしかに、タクミ君はもっぱら聞き役のことが多かったです。私の話をよく聞いてくれて」

「でもその分、傷つける時の一言が重いんだよね。たぶん、私は拓海に一回殺されてるよ。人が変わったねって言われるようになったから」

 

 殺されたって、心が、ってことかな。

 

「元からそういう性格じゃなかったんですか?」

「前はもうちょっと暗い女だったよ、私は」

「元々どこか斜に構えたような性格なんだと思ってました」

 

 もしかして私も大きく変わるのかな。

 楽しみなような、不安なような。

 

「あの時は本当に魂を持っていかれた感覚がした。その時リュウジ君に慰められて、最終的に結婚して美咲ちゃんの地元に引っ越したってわけ」

 

 遥さんは吹っ切れたんだ。

 でも、私はタクミ君以外に考えられない。

 あんな酷い事を言われた後でも、まだ未練が残ってる。

 

「あの……私、こっぴどくフラれても、まだタクミ君のことが気になるみたいです」

「時間を置いて冷静に考えた方がいいとは思うけど……まだ早いって思っているうちに、もう遅いに変わっちゃうからさ。ただあいつは創ることに重点を置いてるから、そこに割り込むのは難しいかもね」

「どうすれば振り向いてくれますかね?」

「私がその答えを出せるなら、美咲ちゃんはあいつと知り合うことすらできなかったかな」

 

 どういうこと?

 

「言っている意味がよく理解できないんですけど」

「上手くやる方法が分かっていたなら彼氏彼女のままだったし、彼氏を他の女の子に紹介するワケないでしょ? 盗られちゃうかもしれないんだからさ。そもそも田舎に引っ越してもいなかったよ」

 

 思わず、あー、なんて間抜けな納得声をだしてしまった。ただ申し訳ないけど、今聞きたいのは遥さんのことじゃなくて。

 

「言ってることに納得はできるんですけど、そういう事ではなくて……」

「美咲ちゃんは行動するための安心材料が欲しいのかもしれないけど――」

 

 遥さんは私の奥を見透かすような目で見つめた後。

 

「――正解なんて探そうとすると辛いだけだよ」

 

 そう、言い聞かせるように言った。

 

「……あ」

 

 そしてその言葉は、なんだか古い私を殺してくれたような気がして。

 今までずっと、全部お手本通りにしないとって思ってた。

 間違えたら両親に怒られることが多くて。

 正しくなきゃダメ、って気持ちは強かったと思う。

 全ての物事を、これはおかしい、これは正しいって決めつけて。

 だから、正しくなきゃいけないって気持ちが歌にも滲みでていたのかも。

 正確に歌おうとしすぎていたから、劣化コピーみたいになってたんだ。

 私がその事実に打ちひしがれていると、遥さんが口を開いた。

 

「お節介なアドバイスするなら、何をやりたいかは絞ったほうがいいかもね。本当に大事にしたいものを絞ると良いよ。好きでしょ? 縛られるの」

 

 煽ってるのかな? って思ったから瞬間的に言葉が出た。

 

「私はそういう趣味なんて……」

 

 遥さんの視線が私の身に着けているアクセサリーに向く。ついで、タクミ君にもらった腕時計へ視線が映った。

 そういえばこれ、つけっぱなしだ。

 

「本当にない?」

 

 これはタクミ君に貰ったものだけど、嫌なら外せばよかったわけだし、元からつけてたアクセサリーもある。

 

「……少しあるかも」

 

 そう告げると、どちらともなく、力が抜けたように笑いあう。しばらくして、遥さんが笑うのをやめて、言った。

 

「私から見えているものはこんな感じ。後は私が決めることじゃないし。でも、私の話はあんまり役に立たないかもね」

「なんでですか?」

「自分がされて嫌だった事のはずなのに、時間が経つと忘れちゃうんだよ。だから少し憶測でものを語ってるところがあるね。その点あいつは、作品に思い出を込めて、忘れないようにしているのかもね。その時のことをすぐ思い出せるようにさ」

 

 家出する少し前に言われた、魂を込めるって、そういうことなのかな。

 なんだか、タクミの事を少し理解できた気がする。

 そして、私がどれだけ彼に甘えていたのかも。

 一人で生きていける人もいるのかもしれないけど、やっぱり私は誰かに頼らないと立ち直る事すら難しいんだ。

 遥さんのおかげでこうして元気になったのがその証拠だ。本当、ずっと頼りきりだ。

 

「色々とありがとうございました。遥さんが私達を繋いでくれたり、こうして助けてくれていなかったら、私は間違った道を進み続けていたかもしれません。今なら、きちんとタクミ君のことを見れる気がします」

「私は何もしてないよ。きっかけを作っただけで、一緒に居たいかどうかは本人同士が決めることだから。美咲ちゃんが動こうとしなかったら私だって動いてない。拓海の手を掴もうとしたのは、紛れもなく美咲ちゃん自身だよ」

 

 本当、遥さんがいなかったらどうなっていたことか。家にも住まわせてくれたし、第二の両親といっても過言ではない。

 

「でも、なんだろう。こういうのって両親がしてくれるものだと思ってたのに。二人は一応、行き先を案内はしてくれるけど。導いてくれるというよりは、進んで欲しくない方には絶対進ませないような感じというか。遥さんがお母さんだったらよかったのに」

「それはちょっと間違ってるかな。大人と親は違うからね。ずっと大人の部分を持っている人なんていないし、完全な大人のまま親になれる人なんていないんじゃない?」

「どういう意味ですか?」

「説明したくなる時は自分が出来てない時だから言わないようにしてるんだー」

 

 なにそれ。なんか、煙に巻くような言い方に、タクミ君の事を思い出してしまった。

 

「なんとなくですけど、タクミ君が言いそうな言葉ですね」

「よしてよ。私は過去を振り切って未来に行けたんだから。あんな過去に縛られたようなやつと一緒にされるのはちょっと癪」

「過去に縛られたようなやつって、どういうことですか?」

 

 タクミ君、そんなに過去にこだわる人だったかな?

 

「拓海はね、過去に考えたことで話す癖があるんだよ。すぐ言葉が出てくる時は、作品に込めた思い出で喋ってる時なんだってさ。つらつら言葉が出てくるときは、今の俺が考えたことじゃないとか言ってた」

「あぁ……だから目の前の人にちゃんと向き合おうとすると、タクミ君は時間がかかるんですね」

「そういうことみたいよ。私は所詮過去の女だから。 どうしようもないところは多いけど可愛げもあるから、美咲ちゃんがあいつの事を好きでいるうちは、あいつの事よろしくね」


 


 色々ほっぽって出て来たらしい遥さんは、私が元気になると帰っていった。

 本当、遥さんには頭が上がらない。

 気持ちが落ち着いた私は、改めてタクミ君の投稿を見る。

 遥さんの言う通り、よく見ればこれは、私達の事を描いてるみたいだった。

 歌詞にも、タクミ君の気持ちが見て取れる。

 彼と私の話は、作品を楽しむ人達からすれば画面の向こうのことだ。

 ほとんどの人は私達自身には興味がなくて、出てくるものが好きなだけ。

 遥さんも同じを経験したからこそ親身になってくれたけど、過去に同じことをされたからっていう部分が大きかったんだと思う。

 結局のところ、自分の経験と重ねないと、誰かのことなんて理解できないのかもしれない。

 共感って、結局自分の体験ベースなのかも。私は特にそうって分かったし。

 似ている人がいたとしても全く同じではないから。

 伝えたら伝えた分だけ、思っていたところとはズレていくんだ。

 でも相手に合わせてすり合わせていかないと、人と一緒に生きていくことなんてできなくて。

 いくら歌が上手くても、そこに込められた気持ちが伝わらなければ意味がない。

 言葉を沢山重ねても、届いて欲しい人には全然届かなかったけれど。

 私はもう、誰かの真似をしなくても歌えそうだ。

 人から学ばないってことじゃなくて、ある程度のラインを越えたら自由にやってもいいってわかったから。

 なんでもかんでも人と同じようにしなくていいんだ。

 私の見えてる世界は、私にしか表現できない。

 だから私は歌うんだ。

 タクミ君との間にあった、楽しい事、苦しい事、誰にも言えなかった事。それら全部をひっくるめて、その時の魂を閉じ込めるみたいに。

 タクミ君が書いてくれたこの歌詞を、私は歌う。

 これを歌い終わったら、たぶん私は別人みたいになるんだろう。

 でも実は、日常的に皆やってる事なのかもしれない。

 言葉を発して、影響しあって。

 自己表現の形が、私の場合は歌だっただけ。

 皆、古い自分を形にして、誰かに伝えてる。

 だから私も、今の自分を捧げて歌うんだ。

 同じように辛い人達と、きっと痛みを忘れてしまう未来の私に向けて。

 たしかにここにあったんだよ、って伝えるために。

 私自身はこれからも生きる。けれどこの時の私たちはもう居ない。

 だからこの歌に宿るのは、私たちの亡霊だ。

 もう帰ってこない、幸せな日の幻影。

 それでもまたタクミ君と交わることがあるなら、借り物じゃない自分の言葉で気持ちを伝えるんだ。

 そんな日がくれば、だけど。


 


 なんて悟った気持ちになっていたのだけど、再会の機会はわりと早くやってきた。

 あの時に投稿した歌がきっかけで、私はプロデビュー。

 なんでも、SNSでかなり拡散されたらしい。

 そこから事務所の声がかかって、歌手となった。

 既に二曲ほど歌わせてもらって、売り上げは上々。

 最初はラッキーガールだの、一発屋だの言われてたけれど、安定した歌唱力を手に入れた私は、あの時に投稿した歌の勢いを再現する事ができた。

 いや、むしろそれを歌う度に越えていっている気がするくらいだ。

 とにかく歌手スタートは順調で、オファーもいくつかいただいている。

 それから少しして、遥さんが頼みたい仕事があるっていうもんだから、二つ返事で受けてしまった。

 遥さんにはお世話になりっぱなしだから断れるわけがない。

 なかったんだけど、現場に来て軽率に判断してしまったかなとは思った。

 

「ほら美咲ちゃん、お仕事だよ。しばらくよろしくお願いします、タクミさん、ミサキさん」

 

 なんと、現場にはタクミ君がいたのだ。

 どうやら共同でのお仕事らしく、向こうも相手が誰かは知らされていなかったみたい。

 二人とも遥さんに負い目があるから、義理で受けて騙されたのだろう。

 遥さんのしてやったりみたいな顔がムカつく!

 

「私は遥さんとは違いますから!」

 

 肩をすくめておどけた顔を見せる遥さんに、私は続けて言った。

 

「でも、本当にありがとうございます」

「うん。美咲ちゃんはもう充分頑張ってると思うけど、ここが踏ん張りどころだから。大事にしたいものを忘れないで。それじゃあ、私はちょっと飲み物買ってきますので、二人で話を進めといてください」

 

 二人きりの室内。

 タクミ君から動くのを待つのは無理だろうから、私から話かけた。

 

「久しぶりだね」

 

 タクミ君は少し気まずそうにして、たっぷり時間をかけてから声を発した。

 

「うん。美咲ちゃん久しぶり」

 

 よかった。私はまだ、過去の相手にはされていないみたい。

 

「今日はよろしくお願いします、タクミさん」

 

 私が他人行儀に右手で握手を求めると、タクミ君は少し寂しそうにしながら握り返してきた。

 すかさず、その手を左手でも握りこむ。

 遥さんに元気づけられた時と同じ感じで。

 タクミ君は少し驚いた様子だったけど、そのまま挨拶を口にした。

 

「よろしくお願いします。俺の方は、ちゃんと仕事をこなせるか微妙なところですけど……」

 

 仕事相手と割り切られてると受け取ったのか、タクミ君は硬い顔をしながら手を離そうとした。けれど私は、頑なに両手で握りこんで動かなかった。

 直接手を握っているから、タクミ君の戸惑いが伝わってきて面白い。

 まだ困惑しているみたいだから、私の方から話を振った。

 

「腰が低いんですね。実力あるんですから、もっと自信持ってもいいのに」

「今は無理ですよ」

 

 本来ならタクミ君の方が力は強いけど、こちらが両手で握っているのに、片手で引きはがされるほど私はひ弱じゃない。怪訝そうな顔をしたままのタクミ君に向かって、冗談を飛ばした。

 

「もしかして、実は私の方が体格よかったりします? ほら。私の方が腰の位置高いですし」

「あの……お喋りも良いですけど、仕事に取り掛かりませんか?」

 

 戸惑うタクミ君に、私は切り込んだ。

 

「あの絵と歌詞、みたよ」

「まぁミサさんがあれを歌ってくれたから、こうしてこの場があるので」

 

 当意即妙の返事になったから、私に対する認識が変わったのかも。

 ちょっと意地悪しすぎちゃったかな。情動が激しい私にしてはセーブした方だと思うんだけど。でもこのまま終わらせるわけにはいかないから、雰囲気を変えて真面目に話す。

 

「タクミ君の気持ちは、完全にではないけどなんとなく伝わったから」

 

 握りっぱなしのまま言葉を続ける私に、タクミ君は動揺している。だったらなんで突き放すような事を言うんだろうって顔に見えた。本当のところは分からないけども。

 

「でもね、タクミ君。一回のやりとりだけじゃ、全部の気持ちは伝わらないよ。ちょっとずつでも思いを出して貰えれば、私も貴方のことが理解できると思うの。だからお互いの思ったことを少しずつでいいから口にするって条件で良いなら――」

 

 私はタクミ君の手を取ったまま、体制を入れ替えてするりと彼の右手側に立った。

 前に付き合っていた時と同じ立ち位置。腕を絡める恋人繋ぎの形だ。

 けれど今は私から握らず、指の隙間を空けておくだけ。

 されるがままだったタクミ君に向かって、言葉を続けた。

 

「――またよろしくおねがいします、タクミ君」

 

 十秒経って、まだ迷っているみたいだから少し左手を遠ざけてみた。

 タクミ君の顔が強張って、あっちも手を離そうとする。

 

「大丈夫だよ。このくらいなら待てる。でもあんまり長くても、私に興味ないのかなって思っちゃうから」

 

 タクミ君は黙り込んで動かなくなった。流石にやりすぎちゃったかなって思っていたら、指の隙間に拓海君の手が差し込まれる。

 本当に控えめな、握るまで至らない交わる程度の繋ぎ方。

 ぼそっと、呟くように返事が返ってきた。

 

「よろしくおねがいします」

 

 触れた指先から、タクミくんの熱を感じる。今はこれくらいが丁度良いんだね。

 まだ彼のことがはっきり見えている訳じゃないけれど、少しずつすり合わせていけばいい。

 

「またお互い傷つくかもしれないけど、ちゃんと立ち上がるから」

「今のやりとりを文面でしていたら、俺はたぶんまた距離を置いてたと思う」

「ね? 文章だと辛いでしょ。メッセージアプリで返事される私の気持ち、分かった?」

「……努力はする」

「いいよ、しなくて」

 

 タクミ君は不思議そうな顔をしながら返してきた。

 

「なんで?」

「言ったでしょ。傷ついてもちゃんと立ち上がるから。一人じゃ立てないけど、助けてくれる人もいるし」

「遥さんのこと?」

「タクミ君もね」

 

 もう私達は、画面の向こうじゃないんだ。

 完全に同じ景色を見る事は叶わないけど、手を取り合って、二人で歩んでいける。

 今日の合作は、その一歩目だ。

 私は今の気持ちを、作品に込めるつもりで歌おう。

 もしいつか、タクミ君と離れ離れになったとしても。

 今の私が、確かにここにいたんだと証明するために。

 不確かな人生の中で、この気持ちだけは確かだったのだと、この世界に刻むんだ。



 ――了

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