新・私のエッセイ~ 第111弾 ~ 『作家の魂は、常に無明の闇をさまよっている』・・・とは?
・・・名刑事ドラマ『刑事コロンボ』の、
『構想の死角』というエピソードで、お題目のようなセリフが出て来る。
『作家の魂は、常に無明の闇をさまよっている』
・・・とね。
正確には、
『むめい』ではなくて、
『むみょう』というらしいんですがね・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・ぼくね、
気になって、調べてみましたよ。
そしたらね、ちょっと「引用」になりますが、こんな情報を見つけました。
☆ ☆ ☆
苦悩の闇とは、自身の真相を知らぬことである。
苦悩の種とは「煩悩」ではなく、
「無明の闇」が、苦悩の源なのである。
苦悩の源である「無明の闇」とは、
「ご自身の真相を何も知らない真っ暗闇の中に居る」と言う事です。
心を制する事で、ご自身の真相がハッキリと明白に成って来るのである。
「無明の闇」を、永久に断つ事が、最も一大事なのである。
☆ ☆ ☆
・・・先に述べたセリフを吐いた登場人物は、
アメリカの「エセ作家」役に扮する、ジョン・キャシディ(1927年 3月5日 - 1976年 12月12日 )さん。
『構想の死角』のみならず、『第三の終章』『魔術師の幻想』にも、ゲスト出演されている名優ですね♪
「魔術師の幻想」が放映された1976年に、寝タバコが原因の自宅マンションの火災により49歳で死去。遺体は損傷が激しく、歯型と指輪から本人と確認された・・・と、ウィキペディアにはあります。
そんな彼が、役柄としてですが、言ったセリフですよ。
『作家の魂は、常に無明の闇をさまよっている』
・・・皆さんは、これを、どう解釈されますでしょうか?
ぼくは、仏教徒ではないので、
上の方で引用した内容の説明は・・・正直、よくわかりません。
それに、
キャシディさん扮する、『一行も文章が書けない、エセ物書き』が、
こんなリッパな(?)セリフを吐いたところで・・・
そこにいったい、どんな説得力がありましょうや!?
でもね・・・
彼がいわんとすることだけは、なんとなく理解できるような気がしますよ。
物書きは、
常に「何か」を、「どこか」で考えている生き物なんだ、とね。
その「どこか」が、
そもそも「どこ」なのかは、作家・作家で違いますし・・・
同一の作家であっても、
取り組んでいる作品により、
あるいは置かれた環境により、
そのときどきの気分により、
その時点での、「個人の人生観なり、価値観」により・・・
まったく異なってきますよね。
だからこの場合、
それが『無明の闇』が舞台の作品に起因する作品だった・・・
というのは、
ちょっと早計で、
なおかつ、
浅薄な考えにほかなりませんかねぇ・・・?
それってね・・・
いや、あながち、そうともいえない部分も、あるいはあるやもしれないとも、いったい全体、まったくといっていいくらい無意味にも、いかにももっともらしく、それほどとは解釈いたしかねますかねぇ、おそらくに、ぼくたち全員は・・・?
追伸:
「ちょっとナニ言ってるのかわかんねぇ❤️」
m(_ _)m
追伸その2
『無明の闇』とは・・・
書いても書いても、いつまでたっても、満足・納得いく作品が得られない・・・そんな無間地獄のような、果てしない闇のごとき精神・魂がさまよう居所あるいは場所・・・を、
もしかしたら、
『比喩的』に暗喩したものなのかもしれませんね・・・。