ページを求めて
「ってて……」
「福多! 無事っ?」
地面に転がる福多の方へ、あたしは急いで駆け寄った。
「ケガは……やだっ! これ……何?」
福多の身体一面に、透明のネバッとしたものが付いてる。細く糸まで引いて。
「あの花の蜜……と言えば聞こえはいいけど、よだれだな」
一飲みにしようとしたけれど、好みではないので吐き出した、とか。花の部分が口だとすれば、よだれというのもわからないではないけど……こ、これは蜜よっ。
「と、とにかく、どこも何ともない?」
「うん。あの牙、結構見かけ倒しで柔らかかったしね。地面に落とされた時の方が、余程痛かったくらいだよ」
花はその身体、つまり茎を曲げて福多を吐き出したから、二メートルもない高さから落ちたような格好だった。茎が真っ直ぐに伸びた状態で吐き出されていたら、お尻を打った、なんてくらいじゃ済まない。
「よかったぁ。喰われた時はどうしようかと思った」
さっきパニックになった分、何だか急に力が抜けちゃった。
「佐藤さん、心配してくれたんだ」
「あ、当たり前でしょっ。目の前で知り合いの人間が、化け物に喰われてんのよ。心配だってするし、助けなきゃって思うわよっ」
本当に助けられたかどうか、わかんない。実際、どうしようってパニくってただけだし。
それでも、どうにかしなきゃってくらいは思うわよ。
「ありがとう」
福多がそう言い、どきっとする。
花の蜜で身体中ベッタベタだし、髪は雨に打たれて情けなくさまよってる野良犬みたいにペシャンコだし、どう見たって今の状態は格好いいとは言えないんだけど。
礼を言った福多がすごく屈託のない表情をするもんで、男の子にこんな顔で礼を言われたことがないから、心の中でちょっと焦った。まぁ、元々の顔も悪くない訳だし……。
「と、とにかく、本当にケガはない?」
照れ隠しもあって、あたしは強引に話を元に戻した。もちろん、本当に心配っていうのもあるけど。
「うん。それにしても、あんな吐き出され方するなんて、俺ってそんなにまずかったのかな」
「あのねぇ。おいしかったら、完全に喰われてるでしょーがっ」
「そうなんだけどね。吐かれたら吐かれたで、ちょっと悔しいなぁって思ってさ」
「そういうことで、悔しがらないでよ」
何を言い出すやら。喰われなかったから悔しいって、何よそれ。
「こいつらは、飛んでったページから抜け出した奴らじゃ」
その言葉に、福多もあたしもキタップの方を振り返る。
「何よ、それ。どういうこと?」
「飛んだ場所とページの内容によっては、そこに書かれた物が具現化することがあるんじゃ。ジャングルへ来たもんで、こいつらが出てきおったんじゃろ」
そんなの、ありかぁ? 飛び出す絵本じゃあるまいし。ってか、飛び出しすぎっ。
「動いとるモンをすぐにくわえたがるからの。おおかた、にいちゃんの背が一番高いから、狙いやすかったんじゃろ」
キタップには、現実の物かページから飛び出した物か、というのも判断できるらしい。
このメンバーの中では確かに福多が一番長身で、喰われた理由もわかったけど……それならそうと、早く言えっ。
「それより、ページはこの近くにあるはずじゃ」
キタップ……あんた「そんなことより」とか「それより」ってのが多いわね。こっちにすれば死にそうなくらい、びっくりしたのに。
心の中だけにしとくから、言っていい?
このくそじじぃっ!
「この辺りは木の茶色や緑が多いから、ページの白は目立つよね」
福多、ちょっとは怒れ! 無事だからいいけど、あんたはたった今、喰われたんだぞ。
あたし一人がカッカして、ふたりはマイペースにページを捜し始める。怒るのが無駄に思えてきた。
仕方なく、あたしもページが落ちてないか、見回す。さっさとこんな所から帰りたい。
手分けしてうろうろしていたら、さっきの福多みたいにバカ食虫植物に喰われた。もちろん、吐き出されたけど。
あたしが喫煙者でライターでも持ってたら、絶対に燃やしてやるのにっ。もしくは、でっかい植木バサミでシュレッてやりたい。
そうこうするうち、福多が木の枝に引っ掛かっているページを見付け、キタップに渡した。
キタップは持って来た本に、そのページを挟む。すると、食虫植物達は掃除機に吸われる綿ぼこりみたいに、本の中へと吸い込まれた。
本当に、本から出て来てたんだ……。
前もって話を聞いていても、実際に目の前で見せられたら呆然となる。
それにしても、あんなのが登場する話を想像するって……オカルトかホラーかな。もしくは、冒険もののダンジョンキャラとか。
とにかく、一枚目をゲットして、あたし達は頭にくるジャングルもどきから出たのだった。
☆☆☆
ジャングルを出ると、キタップは湖へとあたし達を連れて来た。
……キタップって、本当ににおいでページのある場所がわかるんだ。その鼻のデカさはダテじゃないってことね。
さっきは頭にきてたから忘れてたけど、こっちにあるって言ってジャングルに行けば、本当にページがあった。ってことは、この湖のどこかに本当にページがあるってことなんだよね。
今度はきれいな場所だった。広い湖の水面は穏やかに光を反射して、その向こうには緑の山々が連なり、これで洋風のお城でもあれば外国の絵葉書によくある風景になりそう。
これだけを見ていたら、気持ちも穏やかになりそうなんだけどな。
「この近くじゃ」
「湖周辺ってことなの? でも、範囲が広すぎない?」
「少なくとも、湖の向こう側にはないわい。湖の半分からこっちにあるはずじゃ」
キタップにすれば、それなりに限定してるつもりらしいけど。
水面に障害物がない分、さっきのジャングルより範囲が広く見えるぞ。においでわかるのはすごいけど、もう少しピンポイントに指定できないかなぁ。
「ねぇ、先にそこで手を洗っていい? ちょっと気持ち悪いしさぁ」
「あ、俺もそうしたいな」
あのバカ花のせいで、まだ身体中がベタベタ。服はともかく、手や顔を洗いたい。どうして花は本の中に消えたのに、あいつの蜜は残ってるのよ。一緒に持って帰れ。
「キタップ、水の中から危険な生物が出るってことはないのかな」
あら、福多って楽観主義かと思ったら、割と慎重派な一面もあるじゃない。
「ここにわしらを襲うような奴はおらん」
「絶対?」
疑わしいので、あたしは念を押してみる。
「当然じゃ」
何をもって「当然」と断定するのか知らないけど、危険がないならいいや。
福多とあたしは水辺に近付くと、水の中に手を入れた。冷たくて気持ちいい。
どこの世界でも、水は水なのかな。まあ、その方がありがたいけどね。
水はかなり透明度が高くて、底の岩なんかもよく見える。湖底は近くに見えてるけど、実は深かったりするのかな。
あたしは手で水をすくうと、顔を洗った。繰り返すこと、数回。ようやくさっぱりした。
「!」
人が顔を洗う時って普通、目を閉じるよね? ごく一般的な洗い方をしてる間は周りが見えるはずはないし、あんまり気にしない。
だから、洗い終わって顔を上げ、目を開けて……何だかすごいモンと顔を付き合わせているのに気付いた時、びっくりしすぎて声も出なかった。
あたしの顔より大きな顔が、目の前にある。三十センチも離れていない場所に。
で、お互いの視線は見事に絡み合っていた。あたしの正面なんだから、横にいる福多では、もちろんない。……って言うか、人間ですらなかった。
あたしの身体から、冷や汗が滝のように流れた……ような気がする。
「ふ……福多……これ、何?」
「え?」
のどがひきつって、まともな声が出ない。
同じように横で顔を洗っていた福多が、こちらを向く気配がした。
「ネッシーかな。この湖の名前を知らないから、どう呼ぶべきかわからないけど」
この際、名前なんてどうでもいいっ。問題は、あたしの前にいるこの恐竜もどきよっ。
本当に恐竜かは知らない。異世界の動物だから、そんな細かいことはいいわよ。
とにかく、本やテレビで見たような動物がいる。水の中から上半身を出して。
毛がなくて、丸くてつるっとした頭は、離れて見る分にはかわいいだろうけど。こんな近いと、ひたすら不気味で怖い。
「ど、どうしたらいい?」
向こうは、黒い瞳でじっとあたしを見てる。
「危害を加える様子はなさそうだけど。佐藤さん、ゆっくり下がって」
福多に言われた通り、あたしはその場からしゃがんだまんまで後ずさる。けど、向こうも同じように進んできた。
つまり、あたしとネッシー(?)の距離は変わらない。
もう少し下がってみたけど、相手はとうとう水の中から出て来てしまった。
現れたのは、全身がモスグリーンで仔牛サイズのネッシー。首長竜って奴? この大きさなら、まだ子ども、かな。
けど、どうしてこんなにくっついてくるのよぉ。
しばらく睨み合い(いや、睨む度胸なんてないけど)が続いていたけど、ふいにネッシーの方が動く。
びくっとしたのも束の間、ネッシーは長い首を伸ばし、長い舌を出してあたしの顔をなめた。
こ、こいつまで、あの食虫植物みたいにあたしを味見するのかっ。
「なんだ。佐藤さん、こいつになつかれてるだけだよ」
あまりのことに硬直していたあたしは、福多の言葉で我に返る。他人事だと思って、くすくす笑って。
いつの間にかネッシーは、その鼻先をあたしの肩や胸あたりにすりつけていた。その姿に似合わない、キュウキュウとかわいい声を出して。
本当に……なついてる、の? いや、でも、全然嬉しくないっ。
「こりゃ、二人とも。飛び出し動物と遊んでないで、動かんかい」
キタップがあきれたような口調で、ページ捜し再開を促す。遊んでるつもりはないけど……。
飛び出し動物って言った? それ、このネッシーが本から飛び出たキャラクターってこと?
「こいつも本の住人なのか。……人じゃないけど」
「ねぇ、福多。動いて喰われたり……はしないかなぁ」
「まさか。こいつはただ、佐藤さんのことが気に入っただけだよ」
だから、嬉しくないってば。
「立ち上がっても……平気?」
「怖がらなくていいよ。ほら」
福多が手を出してくれたので、意地を張らずにあたしはその手を掴んだ。だって、一人で立ち上がるのも怖いんだもん。
これは本来、二次元のキャラクター。でも、三次元の生物として、現実に目の前にいるんだよ。平気な方が変じゃない?
あたしが福多の手を借りて立ち上がると、ネッシーはあたしの顔を見上げる。その顔は「えー、どっか行っちゃうのぉ?」と言ってる気がした。
「ほらね、大丈夫だろ。さ、ページを捜そう」
「福多、手……離さないで」
「うん、いいよ」
一人になるの、怖いよぉ。だって、やっぱりなつかれてたって、相手は恐竜みたいなもんだもん。
それに、あたしは基本的に両生類や爬虫類系はちょっと……。どうせなら、福多になつけばいいのに。
福多はあたしの手を握ったまま、ページを捜しに歩き出した。で、あたしも同じように歩いて……その後ろをネッシーがひょこひょこついて来る。どっちの方向へ歩いても、ずっと。
「これじゃあ、ストーカーだよぉ」
「仔犬や仔ねこがついて来るようなもんだよ」
そんなレベルなもんかぁっ。相手は仔牛サイズで、しかもネッシーだぞ。
おかげで、あたしは全然ページ捜しに集中できない。でも、ネッシーを気にしてない福多でも、ページは見付けられなかった。