洋館の噂
「噂って……何のこと」
「雨の降る日に現われた洋館へ入ると異世界へ行けるって噂が、俺の小さい時からあってさ。けど、学校の七不思議みたいなもので、かなり疑わしいものだったんだよね。でも、本当にここって異世界なんだ。俺達の世界じゃ、キタップみたいな人、いないし」
「まさか……あなたが入って来たのって、雨宿りのためじゃなくって、その噂を確かめるためだったの?」
「雨に降られて困ってたのは、本当だよ。で、いつもは見掛けない洋館を見付けたから、中へ入ったんだ。佐藤さんも……なはずはないか。そんな噂、知らないよね?」
「知らないわよっ、そんな噂。引っ越したばかりなのに」
知ってたら、いくら土砂降りになったって、あんな洋館に入ったりしないわよ。こんなおかしな生き物がいる世界へつながる家なんて、冗談じゃないっ。
「別世界ってことは、この洋館の外は日本じゃなくなってんの? どうすんのよっ。ここが本当に日本じゃないなら、どうやって帰るの」
「んー、どうやって来たかわからないし、帰り方までは俺も……」
噂なんて、そんなもんよ。すんげー無責任なもんなのよぉ。仮に来た方法がわかっても、その逆をすれば帰れるって保証もないし。
「そんなことより、ページはこれで全部か?」
「そんなことって何よ、そんなことって。あたし達にすれば、最大かつ重要な問題よっ」
「一応、部屋に散らばったページは拾ったつもりだけど」
福多、律儀に答えてる場合じゃないでしょ。
「それ、何の本? 真っ白だけど」
だからー。今はそんなこと、どうでもいいんだってば。
「これは想像力の本じゃ。見る者が見れば、ちゃんと文字は書かれておるわい」
それって「裸の王様」の衣装みたい。早い話が、ノートってことじゃないの?
「バラバラの物語の、色々なシーンが順番関係なく入っておる。そのページを読んで、前後の物語を想像するための本じゃ」
あたしには(たぶん福多も)どうしたってただの白いページにしか見えないけど。キタップは、字がちゃんと書かれている、と主張する。
その証拠に……かどうかは知らないけど、ページ数を合わせ始めた。
順番関係なくって言ったよね? ランダムなら、順番は関係ないんじゃないの?
「何てこった。十ページも足りんぞ」
「え、そんなに? 十枚も白い紙が落ちてたら、すぐにわかりそうなもんだけど」
何度も言うけど、ページが「飛び出した」のはあたしのせいになっちゃうの? そんなことを言われると、ちょっと責任、感じちゃうじゃない。
実際、一度は床に落としてしまってるから、少し罪の意識がある。
でも、部屋を見回しても、他のページはやっぱり落ちてない。
「まずいぞ。このままじゃ、わしは管理不行き届きで、クビじゃあ」
デカい頭を抱え、うめくキタップ。
さっきも言ってたけど、この本は貸し出し禁止になっていて、別の棚にあったらしい。
それがなぜか、普通の棚(なのか?)に入っていた。だから、あたしが取り出したんだけど。
貸し出し禁止の理由は、たぶんさっきみたいな状態になるからだろう。
何にしろ、本があってはならない棚にあり、さらにはページ数が足りない。
このことをこの図書館の館主が知ったら、管理を任されているキタップは、当然ながら叱責を受ける。
で、本の一冊も管理できないのなら、クビだ! ということに……。
「見付ければいいんでしょ。窓は開いてなかったんだし、部屋の中をもう少しよく探せばあるわよ」
棚の下にすべり込んでってことも、ありえる話だしね。
「でも、そこのドアは開いてたよね」
言われてみれば、部屋の出入口の扉は開けたままだった。どうやら、見付からないページ達はその扉から外へと出てしまったらしい。
結構勢いよく飛び出してたもんなぁ。うまく風にのって、思いがけず遠くまで飛ばされて……ということはありえそう。
「ページは図書館の外へ飛んで行ってしもぉたようじゃ……」
戸口にたたずみ、玄関の方を見ながらキタップが大きなため息をついた。
☆☆☆
あたしは、本を落としてしまった。
福多は(いつの間にか、完全に呼び捨てになってる)部屋の扉を閉めなかった。
キタップは、本が利用者の手の届かない場所にちゃんと保管してなかった。
三者三様の理由で、結局みんなでページを捜しに行くことになってしまった。
何の手違いかはあたし達の知ったことじゃないけど、考えてみれば一番責任があるのは管理者のキタップでしょ。あたしや福多は、こんなことをしてる場合じゃない気がするんだけど。
心の中で文句を言いながら部屋を出て、玄関から外へ出た。
「え……」
……ち、違うぞ。さっき入って来た時の光景と。
確か、さっきは雑草生えまくりの、見るからに庭の手入れはここ数年してません、という状態だった。
なのに、今はちゃんと草刈りされたきれいな道が、玄関から門へと伸びている。コンクリじゃないみたいだけど、ちゃんとした舗装された道。
振り返って建物を見れば、形は同じだけどあたしが入って来る前に見た古い建物ではなくなってる。真新しいってことはないけど、空き家と間違われてしまうような古さはそこにはない。
本当に……異世界へ来てるんだ……。
だって、草刈りくらいなら、やろうと思えばできる、たぶん。
だけど、建物の古さ加減を数十分でどうこうするっていうのは、まず無理でしょ。
それに、さっきは雨が降っていたはず。でも、雨に濡れた土の匂いなんか、まるでない。空には薄い雲が浮かんで、いい天気。湿気は全く感じない。
さっきは異世界へ来たって喜んでた福多だけど、さすがに現実を目の前にして驚いてるみたい。
音がしたので玄関の方を振り返ると、キタップが玄関に鍵をかけてノブに何か吊していた。細い鎖が付いてる小さなプレートだ。
プレートには黒い文字で何か書かれているけど、日本語じゃないからわからない。たぶん、臨時休館とか何とか書かれているんだろう。
「よし、行くぞ」
「行くぞ、はいいけど、どこへ行くの? 建物の周囲に落ちていればいいけど、もっと遠くまで風で飛んでたりしたら、どうしようもないわよ」
「わしは管理者じゃ。ページの行く先くらい、においでわかるわい」
「はぁ?」
すごい管理者もあったもんだ。においでわかるなんて、警察犬よりすごいじゃない。
ってか、ページにどんなにおいが? 紙やインクのにおいじゃないの?
「まずは……こっちじゃ」
キタップは門を出ると、さっさと歩き出す。どうしようもないので、福多とあたしは彼の後について行った。
あの洋館は住宅街にあったはずだけど、図書館を出ても住宅街はない。のどかな田園風景が広がり、所々に家がそれなりの数でまとまって建っていたりする。変な所にある図書館だなぁ。
村……集落と呼ぶ方がいいのかな。あそこの家を訪ねたら、キタップみたいな人がわらわらと出て来たりするのかも。
「別世界って言っても、基本的には俺達の世界とあまり代わり映えしないね」
んなこと、のんきに言ってる場合じゃないでしょ。
「そんなことより、ページが見付かった後の心配、した方がいいんじゃないの?」
「けど、心配しても、仕方ないんじゃない? 帰る方法がわからないんだし」
不安になるようなこと、そんなにさらっと言うなー!
「じゃ、もし……帰れなかったら、どうするのよ」
「それはその時に考えればいいよ。なるようになるって」
福多よ、お気楽すぎないか、それは。
だけど、彼の言うことにも一理あるかな。
今ここであれこれ言ったところで、方法が何もわからない以上、手も足も出ない。少なくとも、帰り道を探している訳ではない現段階では、どうしようもないんだよね。
確かに、心配しても仕方ない……けど、やっぱり心配だよ。
「キタップ、本当にこっちにページが落ちてるの?」
福多は、今するべきことの方に目を向けようとしているみたい。これって前向き……なのかな。
「間違いないわい。あのジャングルに一枚あるはずじゃ」
キタップが太く短い指で指す方向には、森があった。……ジャングルって言ったか?
「ジャングルって……密林のこと、だよね?」
言葉と現実の光景に、イメージの違いを若干感じるんですけど。
「木の生える密度によっては、森もそう思えないことはないんだろうけど。俺達が住む周辺に森ってものがないし、厳密な違いはよくわからないな」
福多は基本的に、かなり律儀な性格をしてるみたい。あたしは別に答えがほしかった訳じゃないけど、つぶやきに対して彼は自分の意見を述べてくれてる。
とにかく、森でもジャングルでもいいや。キタップに連れて行かれるまま、あたし達は「木がたくさん生えているエリア」へと足を踏み入れた。
植物に詳しい訳ではないから、そこにある草木が日本の森にあるような草木と同じかどうかは知らない。
けど、見た感じとしては、そんなに代わり映えしてないと思う。木も普通だし、足下に生えてる雑草も特別妙なものは見当たらないし。
……と思ったけど、変なのがいたっ。植物なんだから、あったと言う方が正しい?
そこには、普通の花なら花粉を付けたおしべがあるだろう場所に、牙が並んでる赤い花があった。
しかも、やたらデカい。どうしてこの世界は、どうでもいいものがデカいんだっ。
花がある位置は地上から五メートルを軽く超えていそうだし、花そのものは畳一畳くらいありそう。茎は電柱より太いし、その茎に付いてる葉も、花より一回り小さい程度で。
「ちょっと、キタップ……これって食虫植物じゃないのっ」
あの牙を見ていたら、食人植物かも知れない。花びらは鮮やか……と言えば聞こえはいいけど、あの牙を見たら毒々しい赤に見えた。
おかげで、牙の白さが余計に目立つ。獣の牙とは違い、牙が円を描いているから余計に怖い。
「うわっ」
福多の声に振り返ると、うねうねと動く食虫植物が福多の身体をくわえていた。花は目の前にある奴だけじゃなく、後ろにもいたんだ。
「福多っ」
手を伸ばしたけど、福多の身体はぱくっとしぼんだ花の中に閉じ込められてしまう。
「きゃああっ」
ど、どうしよう。どうしよう。ここが異世界なら、魔法が使えるの? でも、呪文なんて頭に浮かんで来ない。
「ああ、心配せんでもええ」
のほほんとした口調のキタップ。
「何のんきなこと、言ってんのよっ。福多が喰われちゃったじゃない!」
キタップがこの光景にほとんど無反応なので、あたしは余計にパニック状態。
「こんな所に何の武器も持たずに入って来るなんて、無謀もいいところじゃない。何かないの。あの花から福多を助ける方法はっ」
「まぁ、見とれ」
あごでしゃくるキタップ。それにつられ、あたしは福多を喰った花の方を見た。
福多の身体を花びらで中に取り込み、花ははち切れそうなつぼみ状態。
まるで咀嚼するみたいにモグモグと動いていたけど……やがて「ペッ」と福多が吐き出された。