じいさん
「きゃっ」
突然声をかけられ、びっくりして本を落とした。
だって、完全にここには誰もいないと思ってたから。これは明らかに、フェイントだ。
「あ、ごめん。おどろかした?」
見ると、戸口の所に背の高い男の子が立っていた。あたしと年が変わらなさそうな男の子……何となく見覚えあるなぁ。えっと……誰だ、こいつは?
「だ、誰もいないと思ってたから」
相手の名前を思い出せないまま、そう答えて落とした本を拾う。
「うん。ここ、普通の空き家だったはずだよ。それが玄関の扉が開いてたから、あれって思って。それに、雨に降られて困ってたから、勝手に入って来ちゃったんだ」
来た理由は、あたしと同じらしい。
それはいいけど、誰だっけ? 向こうはあたしの名前を知ってるようだし、この話しぶりだとどこかで見掛けたってレベルではなさそう。
それなら、あたしも知ってるはず……なんだけど。
「しっかし、空き家にこれだけ本があるとはね。佐藤さん、それは何の本?」
「さぁ。タイトルはないみたいだし、見ようとした時に声かけられたから」
「ごめん。まさか佐藤さんがいるなんて、全然思わなかったから。つい、ね」
言いながら、誰かわからない彼は棚を見回す。
背が高いんだけど、細いから長身と言うよりは「細長い」という方がぴったりくる。健康的に灼けて、いい色してる肌。スポーツでもしてるのかな。
顔立ちは温和な感じ。特別かっこいいって訳じゃないけど、悪くはない顔。
んー、やっぱり見たことある気がするけど、誰だっけ?
「すごい数の本だなぁ。ここの扉が開いてたから入って来たけど、他の部屋もこんな感じかな。だとしたら、学校の図書室よりすごいかもね。……何語なんだろう」
背表紙を見たけど、やっぱり彼も読めないみたい。よかったぁ、あたしだけじゃなくて。
「ざっくり見たけど、知らない文字みたいよ。でも、どうしてこれだけタイトルがないのかしら」
言いながら、あたしは改めて本を開いた。
「きゃっ」
「うわっ」
二人して声をあげた。
だって、表紙を開いた途端、ページが次々に飛び出て来たんだもん。それも、すんごい勢いで。
箱に入れたトランプが、紙吹雪みたく飛び出るマジックがあるじゃない? そんな感じで、ページがまるで本の中から風で吹き上げられてるみたいに出て来る。
さっき本を落とした。もしそれで本が壊れた(本の場合、傷む、かな)にしても、まるで鳥が飛び立つようにページが出て来るはずないわよね。
また落として、その時にページがバラバラッと床に散らかるならともかく。何なのよ、これっ。
二人して、ただ呆然とその光景を見る。だって、どうしろって言うのよ、こんなの。
気付いた時には本の中にページはなく、茶色い革の表紙だけがあたしの手に残っていた。
「な、何なの、今のは」
「わからないけど……」
そりゃそうだろう。見慣れた光景、ではなかったもん。ただ、これ……あたしのせいになるの?
「とりあえず、落ちたページを拾った方がいいんじゃないかな」
「そう……ね」
今の時点では、一番正しい答えかも。他に考えられること、全然思い付かないし。
床には、見事に白いページが散らばってる。あまりに勢いよく飛び出たから、窓も開いてないし風も吹いてないのに、部屋中に落ちてしまった状態。
いくらここが空き家で、持ち主が現在はいないようでも、さすがにこのままにして帰るのは気が引ける。
誰なのかまだわからない彼も手伝ってくれてるし、あたしも急いで落ちたページを拾った。
「うわああっ」
ページをほぼ拾えた頃、そんな声がした。
彼かと思ったけど、それにしては年寄りくさい声。
「な、何だ?」
そう言うくらいだから、やっぱり今のは彼ではないらしい。
ってことは、新たな登場人物? ちょっとぉ、ここは空き家じゃなかったのぉ?
待てよ。空き家っていうのは、あたし達が勝手にそう思っていただけで、実は違うかも知れない。
でもって、ここの住人が戻って来て……?
彼もそう思ったのか、戸口の方を見ていた。で、そのまま固まってる。
そちらを見たあたしも、同じように固まった。
「何てことをしてくれたんじゃ、お前さん達」
情けない声を出しながら、白髪の老人が駆け込んで来た。
その……見た目は老人なんだけど、ね。幼稚園児くらいの身長で……いや、小さい老人っていうのはありよね。年をとって、背が多少縮む人はいるんだし。
ただ、やたらと頭がデカい。三十センチを軽く超えてるな。でもって、背は小さいからほとんど三頭身半……いや、そんなにないな。好意的に見ても、三頭身。
頭がデカいから、顔もデカい。ついでに、顔に付いてるパーツもそれぞれデカい。
目なんか、あたしの握り拳くらいあるんじゃないかな。薄い茶という色はともかく、ぎょろっとして怖い。
芸人がコントで付けるよりも大きな鼻だし、すんごいあぐらをかいてる。口は両手の拳が簡単に入りそう。裂けてる、と表現しても許されると思う。
波打つ白髪は、肩にあと少しで届きそう。髪だけが普通に見えるな。
……これでも人間? よく「人間離れした」って表現は聞くけど、その姿は本当に人間離れしてる気がする。
あたしも他人のことは言えないけど、十人並みだと思いたい。でも、このじいさんはどう控え目に見ても、十一人目だ。
白雪姫の周囲にいる七人の小人が実写版になったとしても、もう少しかわいいはず。アニメなら笑える顔も、立体だとひたすら怖いだけ。
そんな人間離れしたじいさんが、あたしの方へ向かって突進してくる。逃げたいけど、あまりの勢いに足が動かなかった。
あたしの前まで来ると、じいさんはあたしの手から本を……と言うか、革表紙とページの束を奪い取る。
「ああ、こんなにしちまってっ」
やっぱりこれは、あたしのせい、になるのかな。
「あの、すみません。ここの方ですか?」
「そうじゃ」
あたしが呆然としたまま黙っていたので、彼がまず基本的な質問をしてくれた。
「俺、鈴木福多と言います。勝手に入って来て、すみません。雨が急に降ってきたので、雨宿りをさせてもらうつもりだったんです」
たぶん、それどころじゃないけど。
彼は「鈴木福多」という名前だってことが判明した。
聞いてみれば、知ってる名前……の気もする。名字はこの国で一番多いらしいから、何となくスルーしちゃってたけど。福多って聞いて、名付け親の願望が濃く入ってるなー、と思ったような。
でも、どこで会ったか思い出せない。これじゃ、名前がわかっても意味がないな。やっぱり「気」だけか。あたしの記憶力もひどいもんだ。
「その本なんですけど、彼女が……えっと佐藤……幸天?」
確認するように鈴木くんがこちらを向くので、うなずいた。フルネームまで知ってるのか。
他人のことは言えない、よくある名字に名付け親の願望ぎっしりな名前。キラキラネーム一歩手前(もしくは、入ってる?)なのに、よく覚えてたなぁ。
幸せ天まで届け、みたいな感じよね。時々「ユキヤ」って男に間違えられたりするんだけど。
こういう名前って、すごく頭に残るか、すぐわからなくなるかの二極だと思う。
それにしても、やっぱりわかんないや。どうして彼はあたしのこと、知ってるのぉ?
「佐藤さんが開いたら、ページが勝手に飛び出したんです。俺達が本を破いて、振りまいた訳じゃないんです」
鈴木くんが弁明してくれるので、あたしも大きく何度もうなずいてみせる。
そうよ、確かに落としはしたけど、ページが飛び出したんだもん。びっくり箱もびっくり、な感じで。
「この本は、どこから持って来たんじゃ?」
「あそこの棚から」
あたしは、その本があった棚を指差した。
「あの棚ぁ?」
じいさんは、すっとんきょうな声を出した。あたしは思わず一歩後ろへ下がる。
そんなびっくりーな声を出されても、本当だもん。
「この本は修理用で、現在は貸し出し禁止になっとるんじゃ。この棚にあるはずは……」
でも、あったんだよ。だから、棚から取り出せたんだから。
「貸し出しって……ここ、図書館なんですか?」
「何じゃ、お前さん。ここがどこかも知らんで来たのか?」
「てっきり空き家だと思ってたので」
あきれた顔で聞き返すじいさんに、鈴木くんは正直に答えた。
第一印象が図書館みたい、というものではあったけど……本当にそうだとは思わなかった。
「空き家? こんなに本がある空き家があるもんかね」
それはじいさんの言う通りだ。反論はできない。
空き家って、普通は何もなくてガランとしてるもんだよね。あっても、せいぜいが壊れかけのイスとか、先住民の忘れ物が転がってるくらいで。
「俺もおかしいとは思ったけど」
あたしも思った。
「外観は空き家にしか見えなかったんだもん。ところでおじいさん、これって何語なの?」
「おじいさんではない。わしは、この図書館の管理者キタップじゃ」
北別府……の聞き間違いじゃないよね。顔立ちからしても、日本人じゃないっぽいし。まぁ、彼の場合、人間かどうかも怪しいけど。
図書館にいる人って、司書じゃないのかな。建物自体を管理してる、とか?
「何じゃ、お前さん。字が読めんのかね? それで図書館に来るとは、変わっとるの」
「失礼ね。あたし、これでも高二よ。なったばかりだけど。英語だって、あんまり自信はないけどそれなりに読めるもん」
「コウニ? エイゴ? 何じゃ、それは。新しい方言か?」
ここにきて、あたしは鈴木くんと顔を見合わせる。この会話、ちょっと妙だ。
いや、このじいさん……キタップが現われた時点で、かなり妙なのはわかってたけど。
「あの、ちょっといいかな。確認したいんだけど。この文字は、何て言うの?」
鈴木くんが冷静に質問する。
「ナパジャ語じゃ」
何じゃ、そりゃ。
「お前さん達、本当に大丈夫か?」
キタップのあたし達を見る目が、どこか同情的になってきてる。ちょっとシャクにさわるけど、そんなことを言ってる場合じゃない。
「うん、大丈夫。でさ、そのナパジャ語って、ここの言語?」
「お前さん達も、今しゃべっておろうが」
うそだぁ。これは日本語って言うんだぞ。
「ナパジャって……この国のこと?」
「何を当たり前のことを言っとるか。……はっ。おかしなことを言って、本のことをはぐらかそうとしても、そうはいかんぞ」
我に返ったような表情で、キタップは急に警戒する。
「そんなつもりはないよ。あのさ、信じられない話なんだけど……俺達、迷い込んだみたいだ。えっと、その……俺達、ナパジャの人間じゃないし」
迷子ぉ? やだぁ、あたしはずっと前から迷子なのよ。さらに迷子って何よ、それ。
「言われてみれば、わしらとはちょっと姿が違うのぉ」
言われて、キタップが納得している。
ちょっと、じゃない! すんごく違うわよ。あんたと一緒にするなぁっ。
何か腹が立ったけど、変なことを言って変なことになったりしては困るので、文句は心の中で。
「もう一度確認するけど、ここは日本じゃないんだね?」
「ニホンなんて地名、わしは聞いたことがないぞ」
「やったぁ。噂は本当だったんだ」
こら、待て、福多。それが本当ならとんでもないことなのに、何を喜んでんのよっ。