長いトンネル抜けるまで
嶋 シゲユキ は、通勤ラッシュを避ける為に、朝早めの出勤をしていた。
自分の車で通う通勤路の途中には、ちょっとした峠と、それに似つかわしくない長いトンネルが在った・・・。
嶋 シゲユキ は、34歳のサラリーマンである。
会社での仕事は事務職。
前に勤めてた会社を辞めて、今の会社に勤めてから、まだ半年しか経ってなかった。
職場は、彼の住んでる街から見える山の奥の採石場である。
嶋は、妻と共働きをしながら娘と息子の4人家族で、街中の3LDKのマンションで暮らして居た。
妻は36歳、娘は9歳で息子は6歳である。
平日の嶋は、午後6時半頃に仕事を終えて帰宅すると、玄関に入って直ぐに元気いっぱいの子供達に迎えられ、夕食をとるよりも先に二人の子供との遊びに付き合わされた。
そして、休日には[それ]が、朝から晩まで続くのだった・・・。
それはとても体力が必要な事であったし、時間も取られる事であったが、二人の父であるシゲユキにとっては、寧ろ疲れが吹き飛ぶ行事であったのは、彼が結婚し子供が出来てから知った幸せであった。
そんな彼は、8月の休日明けの月曜日のこの日の朝も、自分の車を運転して職場へと向かっていた。
季節は真夏・・・。
時間は午前6時30分。
クーラーの効いた自宅から自分の車に乗り込む迄でも、既に暑いと思った嶋だったが、家を出る5分前にリモコン・スターターを使って既に車内を冷やしてたので、それも短い時間の我慢だと彼は知っていた。
『真夏と真冬のリモコン・スターターほど、値段を越える価値は無いかもな』
嶋は、このような時期には、そんな事を考えながら車に乗り込んで居たのだった。
彼は事務職であったが、採石場で使う機械、重機や、ダンプカーなどの手配が滞りなく行われるようにと、一般的な事務職よりは早めの出勤をしなくては成らなかったのであった。
職場である山が街から見えると言っても、彼の住むアパートから、そこに車で辿り着くには、30分程の時間が掛るのだが、それは、この街の通勤ラッシュの時間を避けたこの時間だからこそ30分で着くのであって、もう30分遅く家を出てたなら、更にもう20分程は余分に掛かるのだった。
それが嫌なので、嶋は普段から本来の出勤時間よりも1時間も早く職場に着くこの時間に車を走らせて職場に向かって居たのである。
1人で車を走らせてる間の朝のちょっとした情報源と眠気覚ましを兼ねて、嶋はいつもカーナビを使ってラジオを聴きながら運転をしていた。
そして、この時間は、トラック等の運転手向けのAMラジオ番組を聞いていた。
自分の職業とは違った話題が多かったものの、先のとおり、職場にはダンプカーの運転手も多く関わって居たし、トラックドライバーのリクエストに応えて、軽快な音楽が流される事が多かったので、嶋にしてみても、仕事に向かう気持ちを高めて後押ししてくれる感じがしたからだった。
通勤ラッシュ時には25分ほども掛かる街中の道を10分足らずで抜けた。
ラジオからは、軽快な音楽が流れてたが、その後のCMのあと、何だか怪しい音楽が流れだし、そのまま、番組はそれをBGMにして{真夏の熱帯夜を越えたドライバーさんへの今週の目覚まし企画・・・納涼、ドライブ怪談・・・!}と、ラジオ番組の男性パーソナリティーが言い出したのだった。
『え?朝から?』
嶋は、突然の企画発表に少し驚いたのだが、パーソナリティーが言うには、先週の番組で既にこの企画を告知しており、リスナーからの恐怖体験を広く募集してたと聴いた時に、嶋は『確かに、そんな事を先週に言ってたかもな・・・』と、思い返して居た。
嶋が自宅から山の少し奥にある職場へと続く道中には、ちょっとした別の山があり、そこには又ちょっとした峠があったのたが、その峠にはちょっとした山に相応しく無い程の長いトンネルがあった・・・。
峠を上る車内には、もうとっくに明るい夏の朝に合うとは思えないラジオの怪談が始まった。
{さて。今回、送られて来た怖い体験談は、長距離トラックドライバーの 、ラジオネーム[ドラノン]さん と、言う方からです・・・。
これは今から3年前の出来事です・・・。私は深夜に大型トラックを運転して、片道5時間掛かる距離を荷物を運搬してた時の話です。目的地の途中には、長い峠があり、そこは昼間なら、それなりに交通量が多いのですが、深夜ともなると殆ど車が走って居らず、すれ違う車でさえ30分に1台程度しかない、寂しい道なのです。ですから私は、仲間のトラックドライバーとの無線での会話をしながら、暗闇の中を独りで運転してました・・・}
ラジオ・パーソナリティーがそこまで話した時、嶋は『今、自分が走ってるのも峠だし。何だか薄気味悪いな・・・』と、思った。
そんな最中、嶋がそのトンネルに差し掛かったのは、午前6時15分過ぎであった。
トンネルを抜け、5分ほど行った所にある脇道が、嶋の勤める採石場へと続く一本道であった。
トンネルの長さは1850メートル。
それはトンネルの出入口の脇に金属製の看板に表示されてたので嶋も知ってた事だった。
『このトンネルを抜けると、もう少しだな・・・』
嶋はそう思い、トンネルの照明がLEDライトになってるとはいえ、その間隔が遠いので薄暗い中を、ハンドルを握りしめて運転した。
このトンネルはけっこう古いらしく、先に書いたとおり、中は今どきにしては少し暗いし、道幅もやや狭かったので、自分の車のベッドライトの明かりがトンネルの壁や路面を照らしてるのが良く分かるほどだった。
トンネルに入って直ぐには、反対側の出入口の明かりは見えなかった。
それは、このトンネルは真っ直ぐに作られてはいたが、それは左右に対してであって、上下では曲がっていたからだった。
つまりはトンネルの途中に、この峠の頂上があるので、トンネルのどちら側から入っても登った先に行かなければ、反対側の出入口は見えてこないのだ。
ラジオ・パーソナリティーの怪談は、トンネルの中を走ってる車の中でも続いていた。
{峠を上り続けると、少しづつ辺りが白く霞んできました。霧が出てきたのです。私はトラックの速度を落として、安全の確保に努めました。}
『こんな時は、トンネルの中でもラジオが聴けるってのは、逆に困るかな・・・』嶋はそう思ったが、少し怖いからといって、ラジオを切るのも、何だか子供じみてるような気がして、する気にはなれなかった。
だから、切られる事の無いラジオは怪談の続きを話していた。
{峠の頂上付近に差し掛かり、もう少しで下りかと思ったその時でした。霧の中に突然、黄色い光の点滅と赤いテールランプが浮かび上がって見えたのです!私は驚き、急ブレーキを掛けました。すると、その車は路肩に落ちていたので、幸いと言いますか、私の運転するトラックとはぶつからなかったのです。そうです。もし、その車が路肩に落ちてなく、道路に止まってたのなら、衝突してた事でしょう。そこは、霧が無ければ見通しの良い直線道路でした。この時、私のトラックのフロント部分は、事故を起こしたと思われる車を10メートル程も通り過ぎてから、やっと止まったのですから・・・。}
『それは、危なかったな・・・』と、嶋は思った。
ラジオの怪談は、更に続く。
{運転席から左のミラーで路肩に落ちてる黒っぽい車を改めて確認した私は、トラックのハザードランプを点け、ダッシュボードから懐中電灯を取り出すと、無線で事故車を発見したと仲間に伝えてから、怪我人が居ないか確認するためにトラックを降りました。そうして、トラックの前から左側に回り込み、後方を見た時、愕然としました・・・。
なんとそこには、ただ草木が生い茂ってるだけで、見た筈の事故車は、どこにも無かったのです・・・。私の背筋は、一気に冷たくなりました・・・。しかしそれでも私は、その目の前の事態が信じられず、懐中電灯で辺りを照らしながら、トラックの後方へと歩いて行きました・・・。そうして、恐る恐る更に後ろへと歩いた私の足元からガサッ・・・という、ビニールを踏んだ時の様な音がしました。私は慌てて足元を照らしました。するとそこには・・・透明なビニールで包まれた枯れた花が置かれてたのです・・・!
私は直ぐに、ここは死亡事故があった現場だと思いました!そして凍り付いた様に動けなくなった私は思い出したのです。
ここが、以前にテレビで見た事故のニュースの現場だと・・・!
それから私は慌ててトラックに戻り、トラックを走らせようとしました・・・そして、またも唖然としました。なんと霧が晴れてるのです!それが偶然なのか、霊が見せた幻覚だったからなのかは分からなかったのですが、とにかくその場から早く離れたかった私にとっては、これは助けでしかなかったので、急ぎトラックを走らせました。そして峠を越えた反対側の街に入り、人の住む家の明かりを見た時には、心底ほっとしたのでした・・・
しかし、私はなぜあそこで、事故で亡くなったであろう車の幻を見せられたのだろうかと後に考え、ネットで調べました。
すると、ある記事を見つけたのです。読むとそこには、ドライバーとして悲しくなる事が書かれてました。
私が霊を見た当時から一年前に、あそこで私が見たであろう黒い車が、未明に単独事故を起こした後、その事故発生から3時間の間に十数台の長距離トラックやトレーラーが素通りしてた事が、道路状況を確認する為のカメラやNシステム等から分かったそうです。その間に一般車両は走って居らず、運転席の高さからもトラックドライバーがその事故車を見逃す可能性は低い事から『トラックドライバー達は故意に通報しなかったのだろう』と・・・そして、事故の状況から。もし、事故発生から2時間以内に通報されてたなら、事故を起したドライバーの命は助かった可能性があった。と、書かれてたのでした・・・。
多分ですが、その事故を起こした人は、トラックドライバーが早くに通報してくれなかった事を恨んで、成仏できないで居るのだろうと、私は思いました・・・}
嶋がそこまでラジオの話を聴いた時、車はトンネルの出口に差し掛かった。
そして、パッと明るくなると同時に、嶋の車は、トンネルの外に出たのだった。
それと同時に、ラジオは曲紹介も無しに軽快な音楽を流し始めた。
ラジオの怪談を朝から聴いてしまった嶋の腕には鳥肌が立っていた。嶋は、外の光に照されたハンドルを握る自分の腕を見て『何か寒いと思ったよ・・・』と、思い「ふぅ~・・・」と、ため息を吐いた・・・。
そして、朝からテンションの下がる話を聴いてしまったなぁ・・・という思いと、実は怪談が子供の頃から好きだったので、今回の話を楽しめてる自分にも気が付いていた。
それで『平日限定の朝のラジオで今週の企画と言ってたら、怪談は金曜日までで・・・となると、あと4回聴けるって事だな』
嶋はそう考えると、明日からの通勤に楽しみが出来たなと思いながら、会社に続く一本道への分岐に差し掛かったので、左にウインカーを出してハンドルを切ったのだった。
それから嶋は、朝のラジオ怪談を楽しみにして、通勤を続けていた。
怪談の内容は、番組がトラック・ドライバー向けということもあり、殆どがドライバーからの怪談で、車を運転中に体験した事が多かったが、1日に読まれる怪談の数が、その話の長さによって一定ではなかった。そんないくつもの怪談の中には廃墟を探索したものや、海や山での体験も何話かあったのだった。
ただラジオ怪談を聴き続けてた嶋は、奇妙だなと思っていた事があった。
それは、家を出る時間は毎朝ほぼ同じであったが、会社へ向かう道では信号機で止められたり、妙に速度の遅い車の後ろをついて行かなければならなかったりする事もあって、いつも同じ時間に同じ場所を通るとは限らなかったのに、どういう訳か、その日のラジオ怪談で一番怖い話は、毎回あの古いトンネルの手前で始まり、そしてトンネルを出る前に終わるのが、タイミングとして絶妙過ぎて怪談の怖さを助長していた。そして、それが木曜日まで続いた今朝は、妙な気持ち悪さをも感じさせてたのだった・・・。
そして、そんな1週間も後は明日1日出勤すれば終わるという、その木曜日の午後4時半過ぎの事だった。
会社の事務所で働いていた嶋は、もう少しで今日の仕事も見切りが付くと思い、パソコンのキーボードを打つ手を休めた。
そして、隣で働く同じ事務員の吉川という男性社員に「最近、通勤の時に楽しんで聴いてるラジオがあるんですけど、それが今週は怪談特集をやってましてね、けっこう楽しんで聴いてるけど怖いんですよ」と、このところの毎朝の話をした。
すると吉川は「え?怪談ですか?そんな朝からやってるんですね」
吉川のその言葉に「それがどういう訳なのか、毎回、トンネルの中でその日の一番怖い話をするから、その怖さが倍増するんで、もー怖いったらないのですよね。でも、それが癖になって聴いてる訳なんですけどね」嶋のその言葉に「え?会社の近くのあのトンネルで!?・・・ですか?」と、吉川は怪訝そうな顔をした。
少し戸惑った嶋は「トンネルが、何か変でしたか?」
と、吉川に訊ねた。
すると吉川は奇妙な事を言った。
「あのトンネルでは、ラジオは聞こえないですよね?」
嶋は、そんな吉川の言葉に何を言ってるんですかと思い、嗜める様な口調で「ラジオが聴けるように、トンネルの中にアンテナが付いてるんですよ、あのトンネルには」と言った。
するとそう言われた吉川は「そういうトンネルが在るのは私も知ってますが・・・あのトンネルは違いますよ」と、言って「私もあのトンネルを通って会社に来てますが、トンネルではラジオが聴けないと知ってるのでカーナビに入れてる音楽を流しながら車を運転して来てますから・・・」
二人の間には、対立とは違う奇妙な空気が漂った・・・。
「いや・・・!・・・でも私は・・・」
嶋は、そこまでしか言葉が出なかった・・・。
「嶋さんは、何か他の方法でラジオを聴いてたんじゃないですか?・・・例えばスマホ・・・いや、それでもあのトンネルは長いから無理か・・・うーん」そう言った吉川は、内心、嶋の思い違いなのだろうと思ったのだが、それにしては激し過ぎるい思い込みなのではないかと考え、言い終わった時には嶋の精神状態を少し心配したのだった。
実際、嶋は、かなり困惑した様子だった。
この時、嶋は自分の車にはドライブレコーダーが搭載されてるのを思い出していた。
『そうだ!ドラレコの動画を吉川さんに見せれば、私が聴いてたラジオの音声か・・・!?』そこまで考えた嶋は、一瞬ハッとし・・・そして、残念といった表情になった。
それは嶋のドライブレコーダーは、音声録音が出来ないモデルだったからだ・・・。
嶋のそんな様子を見て吉川は「嶋さんは新しい会社に来て、やっと慣れた頃だから、今までの疲れがまとまって出たのではないですか?後は私がやっておきますから、嶋さんは、もう上がって下さい」と、嶋に帰るようにと促したのだった。
すると嶋は「そうですか・・・。では、あと少し区切りの良いとこまでやったら、先に帰らせてもらいます・・・」と、気落ちしたような声で応えて、無表情に書類を見てはパソコンのキーボードを打ち始めたのだった・・・。
それから間もなく、嶋は帰宅の為に自分の車に乗り込んだ。
そして、エンジンをスタートさせた。
少ししてカーナビが立ち上がり、現在地の地図が表示された。車の中にはエンジン音が聞こえるだけだった。
思えば嶋は、会社に向かう時にはラジオを点けてるのたが、会社に着く少し前にはラジオを切る癖があった自分に、今さらなか気が付いた。
『そうか・・・私は、仕事帰りには、少し頭を休ませたかったから、予めラジオを切ってたんだった・・・』
すると、嶋は、さっきの吉川の言葉が気になった。
『吉川さんは、あのトンネルにはラジオを受信できる設備は無いと言ってたが・・・そんな事があるだろうか・・・』
彼はカーナビの画面を見詰めながら考えると、カーナビの液晶画面を使って操作してラジオを受信するためのコマンドを表示した。
「もう、半年ほども朝のラジオを聴きなが通勤してるのに・・・」
独り言を呟いた嶋のそれは、カーナビの画面に表示されてるラジオのコマンドに向かって問い掛けてるかの様だった・・・。
しかし突然、嶋はハッとし、思った。
『そうか・・・それなら、今の帰り道でラジオを点けて、そしてあのトンネルに入れば、吉川さんが言ってた事が間違ってると分かるじゃないか!』
何て簡単な事だろうかと嶋は思った。
そして、答えが分かってる事を改めて検証するという行為が、何だかバカげてる様な・・・或いは小学校の教師が小学生に理科の実験でもさせてる様な感じもして、車内で独り、苦笑いをしたのだった。
それからラジオを点け、シートベルトを締めてから車を発進させると、自宅への帰り道の途中に在る、例の峠の古いトンネルへと向かった。
この時間、車内には日常を気楽に面白がるラジオ・パーソナリティーの声が流れていた・・・。
{ザッ・・・ザザ・・・・・ザ・・・}
数十秒前から車内に聞こえてるのは、車のエンジン音とタイヤが発する路面の音、そしてそれらがコンクリートの筒の中で反響する音と少しの風切り音・・・。
そして、スピーカーから聞こえるノイズであった。
しかし、嶋の耳にはスピーカーから聞こえるノイズ以外は何も聞こえては無かった。
トンネルに入る迄は、スピーカーからはクリアに受信されてるラジオからの音声が聴こえていた。
しかし、トンネルに入ると直ぐに音声は不透明になり・・・そして今・・・{ザッ・・・}っと、時々雑音を発するだけになっていた。
ラジオの音声と雑音が入れ替わる様に聴こえ始めるのに合わせて、車内では別の異変も起きていた。
それは、この車の所有者でありドライバーである 嶋 シゲユキ という男性の表情と顔色である。
実際はトンネルの中なので、その顔色はハッキリとは分からないとも言えなくも無いのだが、トンネル内を照らしてる白いLEDライトの下を通り抜ける度に、彼の表情は強張り・・・脂汗が浮かび・・・そして、顔からは血の気が退いていくのが明らかであった・・・。
彼はただ、今は事故を起こさない様にと、必死にハンドルを握り締めていた・・・必死にハンドルを握ってなければ、汗でハンドルが滑ってしまうと恐れていたからだったが・・・その原因が『トンネル内でラジオが聴こえない』という、たったそれだけの・・・他人にしてみたら、あまりにも『とるに足らない』事だった・・・。
翌朝の金曜日。
嶋は、リモコン・スターターの始動スイッチを押し忘れた事を、夏の朝の日差しで、すでに暑くなってた車内の熱気を感じて思い出した。
それでも、会社に行く時間を遅らせたくは無かったので、車に乗り込むと直ぐに、スイッチで開けられる窓を全て全開にして車内の熱気を外へ逃がした。
それから車を走らせて車内に風を入れて幾分か冷えたと思ったところで窓を全て閉め、後は全開になってるエアコンを頼る事にしたのだった。
嶋は、昨日のトンネルの事を、帰宅してからも考えて居た。
初めから、あのトンネルではラジオを聴けないと思ってる人にはどうでも良い事だった筈だが、嶋には不気味な出来事だだった。
それまで・・・いや昨日の朝まで・・・それも会社の同僚から「あのトンネルではラジオは聴こえないですよ」と言われる迄、嶋は、あそこで『ラジオは聴こえる』と思っていた。
それは、錯覚か思い込みか・・・或いは妄想だろうだったろうか・・・。
彼は、妻が隣で眠るベッドの上で、深夜まで一人で寝返りを繰り返して考えて居た・・・。
そして、確信は持てないものの、一つの仮説・・・と言っても、彼にとっては『結論』と言っても良かった答を導き出したのだった。
それは『何らかの理由によって、昨日の帰りの時間には、トンネルのラジオの受信装置の故障か点検があったのでは・・・いや、それ以外無い!』というものだった。
彼はその自らの答えに納得すると直ぐに、深い眠りに落ちる事が出来たのであった・・・。
職場へと向かう峠の上り。
嶋の車のラジオの感度は良好であった。
番組は、今日で最後の怪談が始まっていた。
リスナーから送られて来た怪奇な体験談は、既に2つ読み終わっていた。
{では、次で最後の怪談。詰まり、1週間に渡ってお贈りして来た怪談特集最後の怪談と言う事になります。では、読みます}
ラジオ・パーソナリティーがそこまで話したと同時に、車は例のトンネルへと入った。嶋は車を自分で運転してるのに、偶然にも、こんなに毎回タイミングが合うのは何なのかと少なからず驚いた。
しかし、車はもう、その絶妙過ぎるタイミングでトンネルに入り・・・そして、カーナビはラジオを受信していた。
この時、嶋がカーナビの時計を見ると、時刻は06:15と表示されていた。
『こ・・・これで、私が思ってたとおり、このトンネルはラジオ受信施設があり・・・そして、昨日の帰りは、たまたま修理か何かで受信出来なかったっただけだって・・・』証明された!・・・と・・・嶋が思う直前。
彼は、昨日はラジオが聴こえない事で激しく混乱したのに、今日の今は、ラジオが聴こえてる事で混乱しそうになった。
それは、ラジオ・パーソナリティーの声が一瞬の雑音とともに歪んだ直後・・・同じパーソナリティーの声の筈なのに、別人の様に聴こえ始めたからだった。
そして、彼は更なる混乱の中に放り込まれるのを感じた。
それは、ラジオ怪談の話の内容によるものだった。
ラジオ・パーソナリティーは、これ迄の怪談を語る口調よりも、もっと重々しい口調で語り始める。
{会社で事務職に着いて居る私は、朝の通勤ラッシュを避ける為に、本来の通勤時間よりも1時間半ほど早く家を出てました。家から職場までの道のりは、自宅の在る街を抜けた後は、ちょっとした峠があり・・・}
嶋がラジオの話をそこまで聴いた時、何となく悪い予感がした。
それは、まるで自分の事が語られてるかの様な内容だからだった。
「い・・・いや。その程度の偶然で・・・」
恐怖を感じながらも嶋は、これ迄の出来事を単なる偶然だと思おうとしていた。
しかし、ラジオの語りは、更に嶋の話と・・・それも、今のこの時の彼と重なっていくのである・・・!
{その峠の頂上には、古くて長いトンネルがありました。トンネルの中には高低さがあり、トンネル中間程に峠の頂上があるので、この長いトンネルは、どちらかは入っても入って直ぐには出口が見えないのです}
嶋は『それって、このトンネルではないのか・・・!?』と、偶然にしても奇妙過ぎる今の状況に、少しずつ背筋が冷たくなっていくのを感じた・・・。
トンネルの出口はまだ見えない。
自分の車の前後にも車は見えないし、対向車も無かった。
{8月の出勤日のその日、私はいつもどうり会社に向かおうと思い、車のドアを開けたら、車内がとても暑い事に驚きました。それは、いつもならこの時期はリモコン・スターターを使って車内にエアコンを効かせてから車に乗り込むのに、うっかりしてリモコンを使って無かったのです}
嶋は、ラジオの声が、さっきよりも大きくなってる気がた。
{それは、この日の恐怖の出来事の予兆だったのかも知れません。それは詰まり、私がエアコンで車が涼しくなるのを、もう少し時間を掛けてから車を出していたなら、あんな恐ろしい事に遇わずに済んだのかも知れなかったからです・・・}
『あんな恐ろしい事!?・・・それは・・・いや、これは私と似た様な生活をしてる他人の話で・・・そして、ラジオに送られて来たということは、過去の話な訳だから・・・!』
嶋がそう考えてる間にも、ラジオの怪談は、まるで彼だけに語り掛けてるかの様に続いた。
{暑い車内をエアコンを全開にして冷やしながら、私は家のある街から職場へと続く峠へと向かいました。そして、峠も、もう少しで終わるという頂上に在る長いトンネルにはいったのです。長いと言っても、いつもなら2分ほどで抜けられるトンネルでした。なので、反対側の出口が見える頂上へは1分程のきょりです}
『この話、やっぱり、このトンネルじゃないのか!?』
嶋の額には脂汗が浮いていた。
{すると、どうした訳でしょう。いつもなら1分ほどで通過する筈のトンネルの中の頂上が、2分程も走ってる筈なのに見えて来ないのです!}
『なんだ?この話は・・・?』
嶋はラジオの怪談に肩透かしされた様に感じた。
『そんなの、何かの勘違いで、怖い話でもなんでもな・・・!?』
そう思った嶋は、何となく見たカーナビの時計を見て驚いた!
それは時刻が06:21と表示されていたからだ・・・!
『私がトンネルに入る直前に見た時刻は・・・確か6時15分だったはず・・・!?』
それならもう、嶋の車は時速50キロほどのスピードで5分以上は走行し続けてる事になる!!
なのに・・・なのにである!
「出口が見えない!・・・それどころか、頂上が見えて来ないなんて!!」
{私は、これはどうした事なのかと混乱しました。そのまま5分以上も進んだのに、出口はおろか、頂上さえ通過してないし、それも見えないのですから}
嶋は、後ろはどうなってるのかと、ルームミラーを見た。
すると驚いた事に、自分がトンネルに入って来た筈の入口も、そこには映ってなかったのだ!
望みをかける様にドアミラーも見たが、同じだった。
そこにはトンネル内に無限に続く白線とLEDライトが映ってるだけだった・・・。
すると、嶋の行動を間近で見てたかの様に{車も全く見えないし、引き返してはどうかとルームミラーを見ましたが、そこにもどこまでも続くトンネルが映ってました。ドアミラーでも確認しましたが同じです!}と、ラジオからの声が・・・。
「何なんだ!?このラジオは!!」
嶋は車内で叫んだ。
{今はとにかく、この不気味なトンネルを抜けたい!そう私が思った時、目の前にいきなりトンネルの頂上が現れました}
ラジオのその声を聴いた直後、なんと目の前にトンネルの頂上が現れた。
嶋は、恐怖を感じながらも、今はラジオに自分の運命を握られてるという思いがわいていた。
車は直ぐに頂上を越えてトンネルの道の下り坂へと入った。
それは、本来ならトンネルの約半分の距離を走った事になる筈だった・・・。
{私はトンネルの中での距離感が分からなくなってましたが、道が下りになった事で、もしかしたらトンネルの半分を越えたのですが、何時もなら見える筈の出口が見えないのです!私は一瞬、愕然としましたが、トンネルの頂上を越えたので、出口はもう少しで見えるはず!とにかく早くここを出たい!と思って、アクセルを踏み込みました}
気が付けば、嶋もアクセルを踏み込み、車速を上げていた。
『トンネルは下り坂だが、出口が見えないが・・・!道は出口の先まで真っ直ぐだ。対向車も何もない!少しぐらいスピードを上げたからって・・・!!』
嶋は、もう一度カーナビを見た。
そこには見慣れた地図が現在地を映してたが、嶋の車の現在地は、トンネルの真ん中辺りで止まってるようだった事に、嶋は怒りと焦りを覚えた。しかしその感情は、そのカーナビの時計を見た途端に恐怖へと変わった。
06:37
『トンネルに入ってから22分!?』
とてつもなく長いトンネル内を走行しては居たが、嶋の時間感覚では5分程度だと思って居た。
普段は2分程で抜けられるので、それでも凄く長い時間だと感じて居たのに・・・22分・・・。
「私は・・・狂ってしまってるのだろうか・・・」
{現在地の確認と、時間を知る為に、私はカーナビを見ました。そして愕然と・・・ }
ラジオがそこまで言った時、嶋は「もういい!やかましい!!」と言って、左手でカーナビのラジオを切った。
{しました。画面では車はトンネルの中で止まってました。そして、時計を見ると6時37分だったのです!}
「お前は私が切ったんだ!もう喋るな!私の事を中継するな!!」
{私は絶望しそうになりました・・・。}
「勝手に絶望しろ!!」
{その時でした。突然、トンネルの先に白い光が見えたのです!}
「な・・・なに!?」
すると突然、嶋が見詰めるトンネルの先に、白い光が見えました。
{出口だ!!}
「出口・・・出口か!?」
{私は車を更に加速させ、出口へと急ぎました。やっとこの不気味で長いトンネルから抜け出せるのです!!}
嶋は既に高速になっていた車を、更に加速させようと、アクセルを踏み込んた。
{白い光に包まれた出口は、確実に近づいてました!この無限に続くのかのように思われたトンネルの終わりが見えたのです!!}
「出られる!ここからやっと!やっと出られる!!」
{トンネルを出る瞬間、パッと辺りが白み、眩しい光に包まれる感覚・・・私は最後にそれを感じ・・・}
「ああ!眩しい!外だ!!」
{その光が眼前に迫り、ほんの一瞬、光が陰った瞬間・・・私は巨大な鏡がトンネルの中に置かれてたのかと思いました}
「・・・!」『車!?』
直後!嶋が見てる世界は、とてもゆっくりになった。
だから、自分の車のフロントが前方から来た車と衝突してひしゃげ、潰れ、変形していくさまをしっかりと見ることができた。
『同じ車・・・!衝突!?事故!?』
フロントガラス越しに正面に見えてる車は、自分の車と同じ車種の同じ色だった。
そこまでの偶然は、希にあるのかも知れない・・・。
しかし嶋は見た。
そして、目があった。
嶋の車と正面衝突をしてる相手のドライバーと・・・。
恐怖で硬直し、見開いた彼の両目は、一瞬の出来事の筈なのに、驚きの色へと変わっていくのが嶋には見てとれた。
それは、自分の表情を見ることが出来ない嶋も同じだったに違いなかった。
衝突相手の車のナンバーは見ることは出来なかったが、相手のドライバーは服装も含めて、嶋本人と寸分も変わらぬ姿をしていたのだから・・・。
衝突事故を起こした嶋の車の中では、衝撃で全身を傷め、血を流して動かなくなった嶋が、遠退く意識の中で自分の身体から滴り落ちる血の音と、ラジオを聞いていた・・・。
{何故なら、鏡に映った様に現れたのは、自分が運転する車と同じ車種の同じ色・・・そして、ドライバーも私だったからです。そうです、私は私と正面衝突し、そして死んだのです・・・}
ラジオはそこで、ザザッ・・・という雑音を残して切れた・・・。
その日。
あのトンネルでは、乗用車の単独事故があった。
運転手は 嶋 シゲユキ
後日。事故の原因は、スピードのだし過ぎによるハンドル操作の誤りにより、トンネルの壁に激突したものだとされた。
警察も自動車保険会社でも、嶋の車に搭載されていたドライブレコーダーの映像も検証した結果だった。
ただ、その映像にはほんの一瞬だけ奇妙なものが映り混んでいた。
それは、嶋がトンネルの壁に激突する寸前。
カメラの映像がパッと白くなってたのだった。
そして、その光はLEDライトを点灯してる車のライトに酷似していた。
それは恰も、突然に車が現れたのようにも見えたので、車が衝突する前後は繰り返して見直され、検証された・・・。
しかし、トンネルの中には前方に車は無く、対向車も無かったので、その白い光は、トンネル内に設置されてる証明の光が、フロントガラス等によって屈折し、車のヘッドライトのように見えたのだろうとなった。
そしてそれは、運転手の視界を妨げるような事は無かったともされたのだった・・・。
あの日。
嶋が事故を起こしたトンネルで事故処理をしていた警察官は、激しく損傷した車を見ながら、隣に立つ警察官に言った。
「先任から聞いてはいましたけど・・・しかし、単独事故の多いトンネルですね・・・ここは。全長約1.8キロで高低さがあるというのが、ドライバーの心理状態や、眠気を誘うとか・・・何かあるのかも知れないですね・・・」
そう言われた警察官は、直ぐには何も答えなかったが、首を振って改めてトンネルの前後を見比べた。
片側交互通行に車線規制をしてるトンネル内には、車の渋滞が起きていた。
トンネルの奥を見ると、上り坂の終わり、つまり峠の頂上がみえた。
その首を逆に降ると、トンネルの出入口が見えた。
それから彼は言った「出口の見えない長いトンネルを上った先に・・・その遠くに出口が見えたら、知らず知らずに加速してしまうのもドライバーの・・・いや、人の心理と言うものなのかもな・・・」
そうして二人の警察官は、また事故処理に戻ったのだった・・・。
読んで頂けて幸いです。