幼馴染に振られた″肉達磨″は、痩せてイケメンになって見返したい
俺には世界一可愛い幼馴染がいる。
内気で、恥ずかしがり屋で、人見知り。
異性への耐性がゼロの女の子。
俺――柚木悠斗が、初めて「川瀬秋楓」という女の子を『気になる異性』として意識し始めたのはいつだったか。
多分、物心つく頃には秋楓のことが好きだった。
俺たちは家も近所で頻繁に遊ぶ仲だったし、家族ぐるみでの付き合いもあった。
いつか正式に恋人になって、そして将来結婚するんだと信じて疑わなかった。
『え、無理……』
中学3年生、告白して即振られるまでは。
正直、もはや付き合ってる気でいたし、振られるなんて一ミリたりとも想像してなかった。
しかし、振られた理由は鏡を見れば明白だった。
『おかえり、お兄ちゃん……ってどうしたの!? ずぶ濡れじゃない!』
『…………秋楓に告白してふられた』
雨の中傘もささずに家に帰ると、俺は妹に泣きついた。
『なあ、結羽。俺……かっこよくなりたい。痩せて、かっこよくなって、見返してやりたい』
結羽は、陸上で数々の賞を総なめにするほどの実力で、バレーやバスケといった球技においても高い身体能力を発揮して一目置かれる存在だった。
そして自分に厳しい性格で、誰よりストイックな女だった。
あと『お兄ちゃん痩せない? 絶対痩せたらかっこいいと思うんだけどな』と口うるさくいっていた。
『分かった。でも、私の特訓は甘くないから』
それから、結羽による地獄の特訓の日々が始まったのだ。
~~~
そして、時は過ぎていった。
高校二年生、桜などとうに散った4月の末。
別々の高校へと進学した俺たちは、子どもの頃の約束なんて忘れて自然と疎遠に――などはならなかった。
「俺と、付き合ってください!!」
「…………ごめん。だから、無理だって」
そして、実に10回目の失恋を迎えていた。
撃沈して膝をつく俺を、秋楓は気まずそうに見下ろす。
「……ぐぬぬ……まだ、ダメなのか」
「だから何度も言ってるけど、私と悠はそういう関係じゃないじゃん……」
「そういう関係になりたいんだよ!」
「だ、だから! ……やっぱり私は、悠をそういう目で見れない」
熱い視線を注ぐと、秋楓は視線を逸らした。
そう。秋楓にとって、俺はただの幼馴染。
そこに恋愛感情は介入しない。
いつまでたっても『仲の良い男の子』のまま。
「ほ、ほら、早く教室に戻るよ」
差し伸べられた手を掴んで立ち上がると、俺たちは仲良く肩を並べて教室に戻り始めた。
「また来月あたりにもう一回告るから」
「そんな予告告白ってある? でも、私多分……」
「いいんだって。俺の気持ちが変わってないことを伝えればそれで満足だから」
「…………ん」
俯いて小さく返事する秋楓。
自信のなさが現れている長い前髪と20センチ近くある身長差のせいで顔色は伺えないが、真っ赤になった耳が可愛くてニヤケてしまう。
「(嫌われてはないんだろうけどな……)」
あの日から、どうすれば俺を好きになって貰えるか思索する毎日だ。
〜〜〜
「お前らまだあの夫婦漫才やってんのな」
席に戻ると、前の席の遥也が冗談交じりにいじってきた。
遥也とは中学生時代からの腐れ縁ってやつで、秋楓と俺の事をよく知っている。
「夫婦漫才言うな。俺は毎回至って本気だよ」
「お前、クラスの連中からなんて呼ばれてるか知ってるか? 『一途なのが欠点という珍しいタイプの残念イケメン』だってよ」
「おいおい、どこか残念なんだよ? こんな完璧イケメンそういないだろ」
「お前って、からかいがいがねぇよな?」
呆れてため息をつく遥也。
「俺は自分に自信を持ってる。秋楓に好きになってもらうためにできることはなんだってやってきたからな」
学力は常に学年一位をキープしているし、あらゆるスポーツは部活動でやっている奴らと遜色ないくらいにはこなせる。
外見は人一倍気を使っているし、清潔感は損なわないように努力を怠っていない。あと細マッチョ。
「本当にお前の執念にはビビるわ。もうあの頃の可愛がられていた太っちょのお前はどこにもいないんだな、およよ……」
「あれは可愛がられていたんじゃなくて遊び道具にされてたんだ。あと嘘泣きがキモイ」
俺は昔、めちゃめちゃに太っていた。
付けられた渾名は『肉達磨』。普通に悪口だ。
体育の授業ではいつもいじられ役だったし、俺はヘラヘラしながらその役を受け入れていた。
「まあ、今のお前の恋が報われないのは、お前のその負け癖と、その高すぎるスペックのせいかもしれないんだけどな」
遥也はふっと鼻で笑うように何かを呟いた。
~~~
「ま、また断っちゃった……」
教室に戻ると、秋楓は分かりやすく肩を落とした。
断固として告白は断るくせに、毎回振ったことを後悔して親友である瑞希に泣きつく。
いつもの流れである。
その様子を眺めて、瑞希は「やっぱりか」と嘆息する。
「まあ、分かってたことだけどね。まったく、柚木くんも厄介な女の子を好きになったもんだよねー」
「……厄介な女ってやめてよ」
「だってそうでしょ。両思いのくせに告白されたら振るし、拒絶するわけじゃないから諦めもつかない。あーあ、可哀想な柚木くん」
「うぅ……」
不満げに瑞希を見つめるも、ド正論を噛まされて言い返せずに黙る秋楓。
瑞希は中学生時代からの秋楓の親友であり、人見知りの激しい秋楓にとって、気を置かずに話せる唯一の友達だ。
「なんで素直に柚木くんの告白受け入れないわけ? 異性として見れないなんて嘘でしょ?」
「……だ、だって恥ずかしいんだもん。恋人同士になったら、手を繋いで帰ったり、き、キスとかしたりするんでしょ。そんなの絶対無理! 恥ずかしくて死んじゃう……」
「はあ……全く、いつまで初心な女の子でいるつもりなの?」
秋楓が頑なに悠斗の告白を断り続ける理由は二つある。
一つは、秋楓が異性に耐性がなく、男女の関係になるのが怖いから。もう一つは――
「いい? 柚木くんのこと狙ってる女の子結構多いし、告白されたら二つ返事でOKする子がほとんどだと思うよ! いつまでも柚木くんが秋楓のことを好きでい続けると思ったら大間違い!」
「……そ、そうだけど」
畳み掛けるように瑞希は囃し立てる。
「それにね。ラブコメじゃ幼馴染は負けヒロインなの。大抵、転校生とか最悪の出会いをした女の子とかが結局最後に選ばれたりするの! ぽっと出の女に柚木くん奪われたくないでしょ?」
「それは……嫌、だけど。やっぱり、私には……」
だけど。それでも踏み出せないのは、秋楓が自分に自信が無いからだ。
悠斗が周囲の女の子からモテていることを知って、より卑屈になってしまっている。
「私は……今の悠には釣り合わないよ」
~~~
その日の放課後。
俺も秋楓も部活動には所属していないので、いつもの様に秋楓に声をかけてともに教室を後にする。
その日は晴れの天気予報だったが、午後から雲行きが怪しくなりポツポツと降り始めていた。
「どうしよ……傘持ってきてない」
「安心しろ秋楓。俺は折り畳み傘を常備してるからな!」
「……瑞希の傘に入れてもらおかな」
「あれ?? 普通、相合傘の流れじゃない!?」
「……だって、悠の傘小さいじゃん」
「そりゃわざと小さいヤツ――じゃなくて、俺小さいヤツしか持ってないんだよ」
「ちゃんと最初聞こえてたから」
秋楓が「……ほんとバカ」と小さく悪態をつく。
俺は雨の日が嫌いだった。
秋楓に振られて泣きながら帰ったあの日を思い出すからだ。
でも今は、秋楓と相合傘が出来ると思うと嬉しくて仕方がない。
「……ってあれ。ケータイ、教室に忘れちった」
カバンの中をまさぐっても見つからない。
「待ってるから取りにいけば?」
「わ、悪い。ちょっと待ってて!」
俺はダッシュで教室に戻った。
我が校は部活動が盛んで、放課後になれば教室はもぬけの殻になる。
が、その日はまだ女子が二名ほど残っていた。
『それにしても、柚木くんってホント女の子の趣味悪いよねー』
『わかるわかる。あの根暗チビが好きとか。あれじゃない? ブス専ってやつ』
俺は思わず足を止めた。
『ていうか、川瀬さんもよく柚木くんの隣にいられるよね。恥ずかしくないのかな?』
『自分が嫌われてるのに気づいてないんだよ。川瀬さんと仲良くしてるのって瑞希くらいだし。それに調子乗ってるんじゃない? イケメンの幼馴染がいるから、女友達はいりませーんってさ』
『なにそれムカつく。無視とかじゃなく、本格的に分からせないとダメかな?』
遥也に言われた意味がやっと分かった。
俺は秋楓のことしか見えていなかった。
秋楓を見る周囲の視線なんてどうでもよかった。
「何だよ……それ」
「ゆ、柚木くん……いつから」
「お前ら、何がそんなに気に食わないんだよ!」
頭が沸騰して何も考えられない。
怒りに任せて拳を握りしめて、理性だけがそれを振りかざすことを止めていた。
「お前らおかしいよ」
様々な暴言をグッと堪えた結果、口をついて出たのはそんな安い人格の否定。
その言葉に、それまではバツが悪そうに視線を逸らしていた二人が逆ギレしてきた。
「おかしいのは柚木くんだよ。あんな根暗ブスのどこがいいわけ? ホント見る目ないって感じ?」
「……お前らに秋楓の何がわかんだよ。俺の好きな人を馬鹿にするなら、俺はお前らを許さない。例えそれで、クラスから孤立することになっても」
「…………っ」
そいつらは絶句した。
俺のその信念にかと思ったが、その視線は俺に向いてはいなかった。
「何、それ……」
「秋楓……いつから――」
「遅かったから、何かあったのかなって……それで、私……ご、ごめんなさい!」
「待っ――」
秋楓は教室を飛び出していった。
秋楓が傷つき、謝る理由なんて何も無いのに。
その背中を追うのを躊躇ってしまったのは、俺がそばにいることで秋楓を傷つけてしまうのではないかと思ってしまったからだ。
~~~
私には世界一かっこいい幼馴染がいる。
成績優秀、容姿端麗、品行方正、スポーツ万能。
非の打ち所がない学校のアイドル。
でも、私が知っている悠は完璧超人なんかじゃない。
怖がりで、泣き虫で、ドジで、不器用で……でも、私の前ではヒーローであろうとする男の子。
悠は私と同じで人見知りで友達付き合いが上手くなかったから、小学校に上がってもクラスから孤立してずっと二人で一緒にいた。
だからよくクラスの子にからかわれた。
『根暗同士お似合いだよ』
悠は私の前では決して弱音を吐かなかったけど、きっと泣きたいほど悲しかったに違いない。
それでも男子が苦手で怖がりだった私を背中に隠し、ずっと私のことを守ってくれた。
『これからもずっと俺が守ってやる。好きだ。俺と付き合ってくれ、秋楓』
中学3年生の夏。初めて悠から告白された。
飛び跳ねたくなるほど嬉しかったし、これからは恋人同士になれるんだって思った。
でも、私はその手を取らなかった。
考えてしまったのだ。
悠は私と一緒にいるとダメになる、と。
あれから悠は変わった。
平均以下だった成績はぐんぐんと伸び、ドジで皆から笑われていた体育の授業では活躍するようになった。
ぽっちゃりとした体型も、いつの間にか平均的な体型になっていた。
周囲の見る目は変わった。
友達も沢山できていたし、明るくポジティブな性格になっていった。
気がつくと、似た者同士だった私たちは正反対の世界に住んでいた。
昔の悠の方が好きだなんて言うつもりは無い。
私はずっと悠が好きで、その思いは今も大きくなっている。
『おかしいのは柚木くんだよ。あんな根暗ブスのどこがいいわけ? ホント見る目ないって感じ?』
自分がどう見られているかなんて知っていた。
でも……私のせいで、悠がバカにされるなんて考えもしていなかった。
「なんで……いつも逃げちゃうんだろ」
悠は変わったのに、私だけはあの頃から変われていない。
男の子が苦手で、視線が苦手で、目立つのが嫌で、変わるのを恐れた臆病者のまま……悠の好意から目を背けている。
太陽のような笑顔を眩しいと感じている。劣等感を抱いてしまっている。
でも、私のせいで私の好きな人が悲しむのは……嫌だな。
もしも私がもっと可愛くて、頭も良くて、誰とも気兼ねなく話せるような人気者の女の子なら――きっと、悠は辛い思いをしなくて済むのに。
「あれ? 秋楓!?」
「……瑞希」
「え!? こんな雨の中どうしたの!? 傘は!? 柚木くんと一緒に帰らなかったの!?」
雨の中校舎から飛び出した私に、瑞希が傘を持って駆けつける。
生徒会の仕事でまだ学校に残っていたのだろう。
傘を傾けてくれるのは嬉しいが、もはや手遅れなほど濡れている制服を見て瑞希はあたふたする。
そんな瑞希に私は懇願した。
「瑞希……私、可愛くなりたい」
「へ?」
「私のことを好きでいてくれる人が、私のせいで馬鹿にされないように。私のことを、誇りに思ってくれるように」
今まで、外見に気を使ったことは無かった。
オシャレが苦手なのもあったが、私なんかがオシャレしたところで誰かが喜んでくれるわけじゃないから。
そういえばこの前、瑞希がこんなことを言っていた。
『女の子はね、常に可愛くなくちゃいけないの。女の子にとって、可愛さは武器なんだから。可愛いだけの女に好きな人取られたくないでしょ?』
漫画やドラマのヒロインは美少女ばかり。
成績優秀、容姿端麗……なんていう模写が必須なくらいだ。
可愛くなくちゃ、主人公は見向きもしてくれない。
「……うん。分かった。私が秋楓を、柚木くんが虜になっちゃうような美少女にしてあげる。私の指導は厳しいから」
~~~
雨の金曜日からまさかの三連休。
会いに行こうと思えばいつでも行ける距離なのに、俺は秋楓に会い行かなかった。
SNSでやり取りは交わしたが、俺の心はずっと曇り空のまま。
誰を好きになるかなんて人の自由だ。
誰を好きになったかで人を馬鹿にしていいはずがない。
秋楓のせいで俺が馬鹿にされたなんて、秋楓が思ってなきゃいいけど。
『待って……やっぱり無理』
『今更何言ってんの。大丈夫、自信もって! ほら』
『きゃっ――押さないでよ』
秋楓と瑞希の声が微かに聞こえてくる。
その直後、教室が静まり返った。
クラスメイトの視線は一点に注がれている。
「お、おはよ」
「おはよ秋楓――ぇぇぇ!?」
空いた口が塞がらなかった。
そこに居たのは秋楓だ。秋楓なのだが。
腰ほどまでに伸びたストレートの黒髪は、肩ほどにカットされ、毛先はさりげなく遊ばせている。
目元を隠していた前髪も、短くすっきりとしている。
よく見ると僅かだか黒も艶やかになっている。
顔の印象が明るいのは、ほんのりと化粧が施されているからだろう。
この学校は化粧道具の持ち込みは原則禁止されているが、基本的にたしなむ程度の化粧であれば認められている。
そんなに劇的な変化ではないはずだ。
女子高生なら誰でもするような軽いイメチェン。
しかし……これは瑞希の手腕だろう。
わずかな変化の連鎖で全体的な印象を大きく変えている。ずっと秋楓を見てきた瑞希だからできる芸当だ。
「ど、どうかな? 変……だよね?」
秋楓が小っ恥ずかしそうにまごつく。
「いや、すっげぇ似合ってるし可愛い!! マジで見違えたって言うか! もちろん前の秋楓も可愛かったけど今の秋楓も違った可愛さがあるっていうか! とにかくめちゃくちゃ良いと思う!」
「……そ、そっか。じゃあ、踏み出して良かったな」
ぎこちなく幸せそうなその笑顔に、いとも容易くハートを撃ち抜かれる。
「いやマジで可愛いよ! 人類が今日まで命を繋いできたのはこの為だったんだって感じ!」
「それは普通に恥ずかしいからやめて」
「あ、ごめんなさい」
シンプルに叱られてしまった。
秋楓の背中からひょっこりと瑞希が顔を出し、「どう? ウチの秋楓可愛いでしょ?」と自慢げに決めポーズをとった。
「流石だな瑞希は」
「けどまあ、ちょっと髪型とか変えただけでここまで喜んでくれるんだから、チョロいっていうか、オシャレしがいがあるよね柚木くんって」
「褒め言葉として受け取っとく」
と言っても、俺が僅かな変化に気づける女の子なんて、秋楓くらいしかいないんだけどな。
~~~
週末、俺と秋楓は映画を見ることになった。
事の発端は、瑞希が偶然映画のチケットを二枚手に入れたけど、行ける日がないから二人で楽しんできてくれ、というあまりにも在り来りでわざとらしい発言だった。
しかし、今日ばかりはそのお節介にあやかろう。
30分前に集合場所に着いた俺は、秋楓の服装に妄想を膨らませつつ腕時計を何度も確認していた。
『あれ? もしかして悠斗か?』
そんな時。
偶然通りかかった顔見知りに声をかけられる。
嫌な『過去』が脳裏にチラついた。
「粕谷……」
「おいおい随分と他人行儀だな。卒業以来の旧友に会ったんだから、もうちょっと愛想良くしろよ」
「悪いな、デートの待ち合わせ中なんだ」
「デート? お前が? まあ、今のお前は肉達磨じゃねぇからな。そりゃ、彼女くらいいるか」
俺の現在を知っている旧友は少ない。
こいつはその中の一人で、中学時代、俺を″肉達磨″と名付けた張本人だ。
そのせいで三年間、その渾名で呼ばれ続けたし、体育の授業では玩具にされていた。
「まさか、まだあの″貞子″と付き合ってんのか?」
「……秋楓のことを言ってるなら、元々付き合ってねえよ」
「マジか、てっきり中学の時に付き合ってるってばかり」
「もしかして、あの噂……いや、もういいよ」
もう過去の話だ。
俺は変わった。そして、秋楓は変わろうとしている。
今、こいつとは会わせたくないな。
「おい、どこに行くんだよ! まだ怒ってんのか?」
「怒ってねえよ。というか付いてくるなって」
「悪かったって。面白半分で″肉達磨″なんて言ってよ」
謝る気なんて更々ないくせに。
やっぱりこいつは苦手だ。あの頃の自分を思い出す。
秋楓に振られた後、俺と秋楓が付き合っているという噂が流れていたことを知った。
『秋楓のやつ、あの肉達磨と付き合ってるんだって』
『うそ、デブ専かよ。私なら絶対無理だわー』
俺は秋楓のことばかりで、自分自身を見れていなかった。
どれだけバカにされても気にしてこなかったから、俺のせいで秋楓までからかわれていることに気が付かなかったのだ。
だから俺は変わることを決意した。
俺の好きな人が。俺を好きになってくれた人が。
俺のせいで馬鹿にされないように。俺を誇りに思ってくれるように。
周囲の奴らを『見返す』ことを決意したのだ。
~~~
腕時計を確認すると、針は集合時間の20分前を指し示している。
悠のことだ。きっと15分前にはついてるだろうと、私は予定より早くに家を出た。
朝早く起きて髪型を整えるなんて生まれて初めてだ。
化粧も少しだけ挑戦してみたけど、すごく時間がかかった。女の子はみんな、毎朝こんなに大変なことをしているのだろうか。
今朝は瑞希が着ていく服を見繕ってくれたおかげですぐに家を出れたけど、自分で選ぶとなるともっと早く起きて支度しなくちゃいけない。
女の子って大変なんだな。
それが最近分かってきた。
でも、今の私は嫌いじゃない。
集合場所に向かう途中、窓ガラスの反射で前髪を確認する。
フリフリの女の子らしい服装……恥ずかしい。まだジャージの方が落ち着く。
瑞希は絶対これを来ていけば大丈夫と半ば強引に決められたけど、やっぱり私にはこういうのは似合わない気がする。
でも……また、可愛いって褒めてくれるかな。
『あっれ? やっぱり秋楓じゃん、久しぶり』
その声に身体が強ばった。
出会いたくない『過去』がそこにいた。
「五見さん……」
「あんま苗字で呼ぶなって言ったでしょ。まあ、今更名前で呼ばれるのも気持ち悪いか」
「……ご、ごめんなさい」
「はあ。またそうやって謝る。私が悪者で、あんたが被害者みたい。本当にムカつく」
ああ……またこれだ。
五見さんは私のことが気に食わないらしい。
中学生時代、今よりも人見知りが激しかった私は、五見さんに話しかけられて逃げしまった。
それからずっと嫌がらせを受けるようになった。
「ってかその服装何? あんたそういうの着るんだね。それに化粧も。何? 高校生になって舞い上がっちゃったの?」
「…………今日、デートだから」
言った。言ってしまった。
ただ映画を見に行くだけなのに。
反抗したくなってしまったのかもしれない。
「デート? まさかまたデブじゃないわよね? あの肉達磨みたいな――」
「悠を馬鹿にしないで……ッ!」
「……へえ。あんたそういう風に怒れたんだね。生意気」
「――っ」
凄まれて怖気付く。
やっぱり、私は変われていない。
あの頃の臆病で弱い自分のまま。
「まあいいや。あんたの彼氏見るまでここにいよ。まあ、デートなんてどうせ嘘っぱちだろうけど」
彼氏はいないし、デートでもない。
どうしよ……面倒なことになっちゃった。
『秋楓――ここに居たんだ』
五見さんが近くの椅子に腰を下ろした直後、聞きなれた優しい声が鼓膜を撫でた。
「あ、悠……と、えっと……」
隣にいるのは、確か中学生のときの。
「え? 誰この子!? めっちゃ可愛いじゃん! なんだぁ、お前も案外面食い……って、秋楓……? こいつ、もしかして″貞子″か?」
粕谷くんが私を指さしてそう言った。
そんなに変わったわけじゃないから、普通に私の顔を覚えていなかっただろう。
ちなみに″貞子″というのは私につけられた渾名だ。酷い……。
「嘘よ……あんたの彼氏がこんなイケメンなはずない!」
「彼氏?」
「あ、あの……それは」
彼氏という単語に悠が引っかかった。
「そもそも、あんたはあの肉達磨みたいなデブが好きなんじゃなかったの!? ねえ知ってる彼氏さん? この子、こんな見た目でデブ専で、中学の頃死ぬほど不潔なデブと付き合ってたのよ」
「死ぬほど不潔で悪かったな」
太ってるだけで不潔扱いするなよ。
「……え、嘘。このイケメンが、あの肉達磨!?」
「どうも肉達磨です。久しぶりだね、五見さん?」
悠が清々しい笑顔でそう言った。
きっと、悠も見返したかったんだろうな。
「俺たちこれからデートだから。いくよ、秋楓」
「うん――」
手を引かれ、私たちは並んで歩き始めた。
その光景を呆然と見るあの二人を尻目に、私たちは誇らしげに笑ってやった。
そっか。私は今の悠をみんなに自慢したかったんだ。
きっと私はもう大丈夫。
ある程度遠くまで歩くと、ピタッと悠の足が止まり、私の腕を解放した。
「ごめんなさい! 彼女とかデートとか調子に乗りました!」
「え……いや、全然気にしてないけど」
「今の秋楓を自慢したくて見栄張った!」
90度の角度で謝る悠。
変わってないな。
私が男の子に耐性がなくてずっと拒んできたから、悠は私に遠慮している。
私が全力で拒めば、きっと悠は二度と私には告白してこないだろう。
「じゃあ、行こっか」
「……い、いい! か、彼女でいいから……」
「……それって、どういう」
「だ、だから、その……私は、ずっと……悠のことが!」
息が詰まる。
好きだと、その2文字を口にするのが、こんなに大変だとは思わなかった。
悠はあんなに私のことを好きだと言ってくれるのに。
「いいよ。何も言わなくても」
「……え?」
「俺はさ、秋楓を困らせたいわけじゃないし、無理に関係を発展させようとも思ってないんだよ。だから、ゆっくりでいいよ。俺はいつまでも『答え』を待つつもりだから」
いつもその優しい笑顔に胸を締め付けられる。
ああ……やっぱり好きだな。ずっと、この気持ちだけは風化していない。
「わ、私! 私は……可愛くないし、賢くもないし、人付き合いも下手だし……男の子が苦手だから、その、キスとかも怖くてできないし……女の子として、悠に何もして上げられないけど……こんな私でいいの?」
「秋楓がいいんだよ。あと秋楓は世界一可愛いから」
「そこだけは譲らないんだ……ほんとバカ」
恥ずかしくて死にそうだけど、思わず笑みがこぼれた。
こんなにも私のことを大切に思ってくれている人がいる。
心の奥底が温かくなる。応えたいな……その気持ちに。
「じゃあ、映画まで時間あるし、その辺ブラブラしますか。――行きたいところとかある?」
「ううん。悠の行きたいところでいいよ」
私たちは手も繋がずに歩き出した。
手の触れ合わない距離。私たちの距離。
結局、私たちの関係は変わらなかったけど、少しだけ前に進めた気がした。
容姿端麗、成績優秀、品行方正。
そんな誰もが憧れるヒロインにはなれない。
でも、こんな私を好きになってくれた人がいた。
ゆっくりでいい。
私たちのペースで、この恋を実らせていけばいい。
いつか、誰もが羨むような理想カップルになれたらいいな。
「……大好きだよ、悠」
小さく呟いたその言葉は、賑わいを見せるショッピングモールの小さな喧騒に呑まれて消えた。
この作品に関しては連載版したいなと思ってます