第9話 監視カメラは観ていた
夏休みの校舎。
蝉の鳴き声だけがしんしんと、だれもいない校舎に木霊していた。
遠くからは運動部の声援。この独特の雰囲気が、俺は好きだ。
ここは、高校の情報処理室。ミス研の名義で、なんとか借り出すことができた。このあたりは、京香の信用が十分に活きた感じだ。俺じゃあ借り出せなかっただろう。
室内には、笠井さんと京香と俺の3人だけ。
じつはおばあちゃんも呼びたかったのだが、さすがに笠井さんが難色を示した。
被害者本人だ、というわけにもいかず、家で留守番をしてもらっている。
「よぉし、今からDVD鑑賞会をする」
タンクトップにジーパン姿の笠井さんは、一枚のDVDを取り出した。
「これは老人介護の講習ビデオだ。どこぞの証拠物件だとか、そういうことはないから、心して観るように」
茶番のような説明が終わって、笠井さんはDVDをセットした。
リモコンを手にする。
「よし、スタート」
プロジェクターの光を受けて、スクリーンに4分割の画面が現れた。それぞれが監視カメラになっていると、すぐに分かった。かなり暗くて、画質も悪い。判別がむずかしそうだ。俺は無意味に首を伸ばしたり、目を細めたりした。
笠井さんの説明によると、左上、入り口の自動ドアがみえるのは、正面玄関のカメラ。右上、ほとんどまっくらで、ときどき虫が映り込んでいるのは、職員用の裏口のカメラ。左下、これもほとんどまっくらで、白い椅子がみえるところは、テラスに出るためのドアを監視するカメラ。最後に右下、暗い廊下の奥に緑色の非常灯がみえるのは、談話ルームから入居者棟を監視するアングルだった。
「午前0時に監視カメラが作動した状態から流している。こっから9時間も観るのはムリだ。かいつまんで説明するぞ」
笠井さんはまず、右下の枠を指差した。
「このカメラは、被害者のいた個室にむかう廊下を映している。早送りするぞ」
笠井さんは時間に注意しつつ、早送りをした。
「ここだ」
ピッと画面が止まる。俺たちは息を呑んだ。
京香は、
「臼井さんですね」
と指摘した。画質はそうとう悪いが、画面内の時間、服装からして、臼井さんとしか考えられなかった。うしろ姿で、懐中電灯の光がみえる。
ただ先入観は禁物だ。俺は笠井さんにたずねた。
「これは、ほんとうに臼井さんなんですか?」
「解析させたから、ほぼ間違いない。戻ってくるときに顔が映って、それは本人にそっくりだった」
俺は納得して、先をうながした。
「彼女はこのあと、左側に曲がる」
笠井さんはそう説明して、再生ボタンを押した。
説明通りに臼井さんは消えた。ここでまた早送りが始まる。
「次に映るのは、0時18分だ」
カメラの前を横切って、今度は右手のほうへ消えた。そしてすぐに戻ってきた。
「祖母の部屋の方向へ消えてから、数秒と経ってませんね」
俺の指摘に、笠井さんもうなずいた。
「医師の話では、この短時間に窒息死させることはできないらしい」
なるほど、それで臼井さんは、完全に泳がされているわけか。納得だ。
そもそも今のタイミングだと、部屋に入れるかどうかもあやしかった。
笠井さんは、持ち込んだペットボトルの水を飲み、ひとつセキばらいした。
「見回りは2時間おきで、臼井さんともうひとりの男性看護士だった。臼井さんが見回りをしたのは、0時、4時、8時だ」
俺はオヤッと思い、
「男性看護士のほうは、疑われていないんですか?」
とたずねた。
「彼は被害者の部屋の方向へ、一度も曲がっていない」
なんだ、手抜きか。あとで上司に怒られただろうな、と思った。
しかしその手抜きのおかげで、容疑からはずれている。なんとも皮肉な話だ。
「4時と8時のとき、臼井さんがおかしな行動をとったことは、ないんですよね?」
笠井さんは、その可能性をきっぱりと否定した。俺たちは、それぞれの見回りを見せてもらい、0時のときと変わりがないことを確認した。
要するに、左→右とチェックして、全部で20分そこそこだ。
笠井さんは一息ついて、いつもより緊張感のある表情をみせた。
「問題は、ここからだ」
「なにか映ってたんですか?」
「見れば分かる」
笠井さんは、ふたたび早送りをした。
時刻は8時45分。朝日はとっくに昇って、画面は明るくなっていた。
「よーく見てくれ」
倍速が終わり、俺たちは画面を見つめる。そして、アッと息を呑んだ。
京香は大声で、
「左上に、男のひとが映ってますッ!」
と言った。正面玄関に、白い作業服のようなものを着た、中年男性。帽子をかぶっていて、それが顔の上半分を隠してた。正確な顔立ちが分からない。
その男は、受付に向かって挨拶した──が、受付にはだれもいなかった。それもそのはずで、受付の開始時刻は9時からだ。俺はそのことを記憶していた。
男がもう一度挨拶すると、職員棟から男の看護士が現れた。
ふたりはなにか話して、作業服の男は入居者棟のほうへ消えた。
俺は、
「だれですか?」
と質問した。笠井さんは「そう焦るな」と答えた。
「今度は、右下を見てくれ」
正面玄関のカメラに映った男が、今度は談話ルームを横切るところだった。
右(!)に曲がって、すぐにもどってくる。段ボール箱をかかえていた。
俺は「運送屋?」とあたりをつけた。ただし、有名な運送会社ではないようだ。特徴的なブランドもののマークを、ひとつも身につけていなかった。
男はそのまま、正面玄関のカメラに映りなおして、外に出た。そしてまた施設内へもどる。これを3回繰り返して、3つの段ボール箱を運び出した。大きさは、すべてマチマチだった。
ここで映像は止まった。
……………………
……………………
…………………
………………
重苦しい沈黙──俺はさきほどの光景について、あれこれ思考をめぐらせた。
笠井さんはリモコンをにぎりしめたまま、俺をみた。
「というわけだ……この男、どういう素姓だと思う?」
「運送屋じゃないんですか?」
「半分正解だな。市内の何でも屋だ」
笠井さんは手帳をめくった。
「名前は後藤大輔、38歳。妻とふたりで、便利屋ゴトウを営んでいる。配水管の修理から、引っ越し、送り迎え……とにかく、なんでもやってくれる自営業だ」
「そのひとには、会ったんですか?」
「もちろん」
京香は、
「このひとが容疑者ですか?」
とたずねた。笠井さんは肩をすくめた。
「死亡推定時刻から離れ過ぎているし、事情聴取でもあやしいところはなかった」
京香は、
「じゃあ、なんで老人ホームに?」
とかさねてたずねた。
「老人ホーム内から、荷物の運送を頼まれたらしい。さっきの段ボール箱だ」
「サイズはいくつでしたか?」
笠井さんは手帳をもう1ページめくった。
「画面から大きさを割り出してみた。ひとつめは高さ40センチ、横75センチ、縦50センチ、ふたつめは高さ60センチ、横50センチ、縦50センチ、みっつめは高さ10センチ、横80センチ、縦40センチ。すべて概算だ。重さはさすがにわからなかった」
ここで俺は、
「後藤さんは覚えてるでしょう?」
とわりこんだ。
「『回収した荷物を、いちいち覚えていない』そうだ。後藤は老人ホームの御用達みたいなものでな。週に2、3回は、荷物を取りにくるらしい。利用する入居者やその家族も多いから、覚えていなくても不自然じゃない」
俺は、画像をすこし巻き戻してもらった。
さきほどの運搬風景が、もう一度映し出される。
「なるほど、透の目も節穴じゃないようだ」
笠井さんのセリフを聞き流して、俺は画面に見入った。
「……ひとつめは、かなり重いみたいですね。ふたつめは逆に軽そうだ。みっつめは、持ち方が不安定でよく分かりませんが、両者の中間くらいでしょうか」
後藤という男の足取りや運び方から、俺はそう推測した。
「私もそう考えている。これは経験則だが……ひとつめは2、30キログラム、ふたつめは10キロもないだろう。みっつめはむずかしい。20キロかもしれんし、もっと軽いかもしれん」
「重さが分からないということは、中身も分からないんですよね?」
「そこなんだが……」
笠井さんは水分補給をして、キャップを締めた。
「宛先は分かっている。全部判明した」
なんてこった。こいつは予想外だ。俺は中身をたずねた。
「順番に説明するぞ」
笠井さんはホワイトボードに、必要な情報を書き出した。
送り主:太宰源五郎 受取人:志摩涼子
住所:○○市横町3-10志摩キッズハウス
中身:VHSデッキとVHS
送り主:太田洋次 受取人:太田奈津子
住所:○○市中央区1-27
中身:藤椅子
送り主:臼井幸子 受取人:臼井幸子
住所:○○市望郷区3-8若葉荘202号室
中身:組み立て式化粧台
「こうなっている。それぞれ何番目の段ボールかは不明だが、内容からして、志摩宛が1番目、太田宛が2番目、臼井宛が3番目の段ボールと推測される」
臼井さんの荷物もあったのか……あのひと、そんなこと言ってなかったのに。俺たちのことを、あまり信用していないのかもしれない。それはそうだ。今から考えてみれば、親族が調査に来たのだ。へたをすると、手当り次第にあやしんでくる可能性もあった。おばあちゃんが転生したことを、彼女は知らないのだから。
「中身と見ための重量が、合ってなくないですか?」
「ん? そんなことはないぞ?」
「臼井さんのは分かりますけど……いや、組み立て式化粧台の重さかなんて、俺は知りませんが、箱の形状からしてそれっぽいですし……でも、ビデオデッキが30キロもするとは思えません。椅子もそうです。2番目の箱は、めちゃくちゃ軽そうでしたよ? 椅子が入っていたとは思えません」
いやいや、そんなことはないと、笠井さんは解説を始めた。
「昔のVHSデッキはな、とても思いんだ。ベクターの初期型は、1台で15キロ近くある。大きさも縦横で40センチ×30センチくらいだ。太宰源五郎の証言によると、これは1987年に発売されたナショナル……要するに、今のパナソニックだな、パナソニック製のNV-DS1という機種で、重量は約7.6キログラム。太宰はこれを2台入れていたらしい。隙間にはVHSの束だ」
「VHS一本の重さは?」
「製品によるが、250~300グラムだな」
そんなに重いのか……デッキ2台とVHS10本で、すぐ20キロ近くだ。
「じゃあ、ふたつめの箱は? すごく軽そうでしたよ?」
「藤椅子がそんなに重いわけないだろう。持ったことないのか?」
「エート、とういすってなんですか?」
木で編んだようなアンティークチェアだ。笠井さんは、そう答えた。
俺はそれでもわからなかったので、スマホで検索してみた。
「……ああ、これか」
おばあちゃんの寝室にあるやつだ。
たしかにアレは軽いな。こどもの頃、俺でも運べた記憶がある。
「さて、他に質問は?」
俺は手をあげて、
「ちょっと写真を撮らせてもらってもいいですか?」
と許可をもとめた。
「うーん……ダメだ」
「あ、やっぱりそうですか……」
「なるべくこの場でおぼえてくれ。流出したとなると、さすがに懲戒される」
俺はもういちど、すみずみまで視聴することにした。
巻き戻しや早送りの指示を、笠井さんは素直に実行してくれた。
「ありがとうございます……荷物を受け取った人から、事情聴取は?」
笠井さんはさらに手帳をめくった。
「まず太宰源五郎、71歳、独身。横浜の出身で、ここに引っ越して来たのは、彼が30歳のときらしい。湾口業に従事。菅原富子との面識は、老人ホームに入るまえからあったようだな。若い頃は映画俳優を目指していたこともあり、かなりの映画通。志摩キッズハウスに寄付したVHSも、もともとは彼が老人ホームへ持ち込んだものらしい」
「寄付? ……志摩キッズハウスって、ボランティア団体かなにかですか?」
「身寄りのない子供を引き取る施設だ」
ああ、孤児院ということか。俺は理解した。
「だったら志摩涼子さんは、孤児院の院長ですか?」
「そうだ。キッズハウスに行って、実際にVHSデッキを確認した」
それで機種まで把握していたわけか。
笠井さん、私生活はずぼらなのに、ここまで手際がいいとは思わなかった。
刑事というのは、まさに天職かもしれない。
「次に、太田洋次、86歳、故人」
「故人?」
「今年の7月に亡くなっている。藤椅子は、家族が引き取り忘れたもので、それを妻の太田奈津子に送ったらしい。これも訪問して実見した。老人ホームのスタッフからも、藤椅子が放置されていたことについて、確認をとった」
「太田洋次さんは、入居者だったんですね?」
「そうだ。この町の出身で、元・教師のようだ。私たちは知らない世代だな。最後に、臼井幸子、23歳、独身。隣県の看護学校を卒業して、そのまま老人ホームに就職したらしい。看護学校にも確認した。身元に不審な点はない」
「組み立て式化粧台を、自分宛に送ったというのは?」
「ま、普通はおかしいと思うよな。私もそれをくわしく訊いたんだが、臼井の祖母が老人ホームに入居していて、5月に亡くなったそうだ。そのとき個室に置いていた化粧台を、引き取らなきゃいけなくなったとか」
「老人ホームの個室に化粧台?」
「臼井さんの祖母は、入居をいやがっていてな。暴れることもあったんだが、化粧台を個室においてやると、なんだか安心したらしい。嫁入り道具なんだと」
なるほど、それで捨てるには忍びないというわけか。形見だ。
笠井さんは、パタリと手帳を閉じた。
「さて、ここからが透の番だ」
「俺ですか?」
笠井さんは、監視カメラの画像を背景に、腕組みをした。
「今回の捜査において、ある不審な人物が浮かんだ」
「不審な人物? ……さっきの3人以外で、ってことですか?」
「そうだ。その男の名は……」