第6話 過去のさざ波
「で、トリックは分かったのかい?」
真夏の太陽をバックに、富美子は俺の顔をのぞきこんだ。
「……分からん」
あのあと臼井さんは、べつの看護士に呼び出されて、現場を去った。
居残って調査していると、べつのスタッフに見つかった。俺と京香はいろいろとごまかして、103号室をあとにした。
かくして俺たちは、捜査を中断しなくちゃいけなかったわけだ。
俺は砂浜から起き上がり、瀬戸内海を一望した。
天気がいいときは、四国も見えるらしいが……どうだろうか。おばあちゃんは、見たことがあると言っていた。俺はない。空気がよごれているのか、それとも俺の心がけがれているのか……両方だろうな。多分。
「それにしても、おばあちゃんが海に行きたいだなんて、めずらしいな」
そう言った俺の背中に、かるいパンチが入った。
「おいおい、なんだよ」
「その呼び方は止めなさいって言ってるだろうに」
そっか──どうも口癖ってのは、一朝一夕では治らないようだ。あたまのなかでは、どうしてもおばあちゃん呼ばわりしてしまう。
おばあちゃんは、京香が選んだ黄色い子供用の水着を着ていた。俺はなにをしているかと言えば、パラソルの下で昼寝だ。泳ぎが苦手というわけじゃないんだが、例の密室が気になって、しょうがない。
「たまには気分転換したほうがいいよ」
「ん? それで俺を、海につれて来たのか?」
おばあちゃんはにべもなく、違うと言った。自分が遊びたいらしい。
「生まれ変わって、こう、元気がみなぎってくる感じなんだよ」
だろうな。小学生のパワーは半端ない。老人ホームを訪問してから三日経っていたが、俺はおばあちゃんに連れ回されっぱなしだ。やれ散歩につれて行け、やれバトミントンの相手をしろ、やれ肩車しろ……なんだ、これは。
俺の高校2年の夏は、子守りで潰れるのか? 勘弁して欲しい。
すこしばかり憂鬱になっていると、遠くから京香の声が聞こえた。
「透!」
京香が駆けてきた。紺のシックなワンイースの水着だ。あいつらしい。
「ジュース、買って来たよ」
「サンキュ」
俺はオレンジジュースを受け取って、おばあちゃんに手渡した。
おばあちゃんはタブを開けながら、
「京香ちゃんに買わせに行かせるとか、透も情けないねぇ」
と嘆息した。
「あのなあ……俺は富美子の保護者なんだから、買いに行けないだろ」
京香とふたりきりにさせたら、なにを言い出すか分からない。
あきれかえる俺の背中に、ヒヤっとしたものが押しつけられた。
「ほら、透のぶん」
「お、サンキュ」
俺は炭酸飲料を受け取って、プハッと一服した。
「いやあ、悪いね」
「あとでお金、徴収するからね」
「あ、はい」
俺は水分補給をしながら、海からそびえたつ入道雲を見上げた。
まさに夏って感じだ。俺が子供の頃は、おばあちゃんに近所のプールへつれて行ってもらった。それが今では逆の立場だ。輪廻転生。諸行無常。
ぼんやりしていると、京香に泳ごうと誘われた。
「そうしたいのはやまやまなんだが……富美子に留守番はさせられないだろ?」
「それも、そうか……」
京香はそう言って、腕時計を確認した。
海にまで腕時計をしてくるとか、ほんと几帳面だよな。
腹が減ったら昼、夕焼けになったら夕方、星が出たら夜。これでいいんだ。
「だったらわたしも泳げばいいじゃないかい」
「おば……富美子、泳げるのか?」
あたりまえだろう、とおばあちゃんは返した。
ほんとかあ? 俺は疑ったが、富美子が強情に言い張るから、俺が折れた。
じゃあ海へ──というところで、ばったりべつのグループとぶつかりそうになった。
地元の少年クラブだろうか。性別も年齢もまちまちな、十数人の集団だった。
「なんだろうな?」
「さあ」
俺と京香は小声でそう交わして、やり過ごそうとした。
するとグループのなかからポンと、ビニールボールが飛び出した。
俺は咄嗟にサーブして、富美子をかばった。
富美子はびっくりして、
「ちょっと、危ないじゃないかいッ!」
と、なぜか俺が怒られてしまった。
「いや……ボールをさばいたんだが……」
「ビニールボールより、あんたの手のほうが危ないよ」
まったく、かわいげがない。
俺がムッとしていると、さきほどのグループのなかから、ひとりの少年が出てきた。
「ごめんなさい」
まだ小学生だろうか。富美子と同じくらいにみえる。11、12歳だ。
なかなかのイケメン──になりそうとでも、言えばいいのだろうか。子役にいそうな顔立ちで、目鼻立ちは、はっきり。眉毛もシャープで、わざわざ整えたかのようにそろっていた。どこかしら憂いのあるような瞳で、そこがすこし大人びてみえた。
「ごめんなさい」
少年は、もう一度あやまった。
富美子は口もとに手をあてて、
「いやいや、いいんだよ。うちの透がぼやっとしてるから……」
と、これまた俺になすりつけてきた。
完全に「うちの子が、ご迷惑をおかけしまして」モードじゃないか。
どこに物理的な因果関係があるんだ。
一方、少年は富美子に目をつけたのか、
「きみ、名前は?」
と、いきなり名前をたずねた。
「わたしかい? わたしはね、菅原富美子」
「僕は真一っていうんだ。真心のマに、一番のイチ」
富美子が苗字をたずねると、少年はタチバナだと答えた。
ちょっと難しい漢字だと付け加えた。おそらく橘だろう。
「きみ、小学生? どこの小学校?」と橘くん。
あッ……マズい……ということもなかった。
「Y市の南小学校だよ」と富美子。
「Y市……県外なんだね」
そうそう、こういうときの設定は、ちゃんと考えておかないとな。
少年もちょっとおどろいたようだが、確認のしようがない。
「どうして、ここにいるの? 旅行?」
「こいつがね、わたしのま……従兄弟なんだよ」
そう言って富美子は、俺と京香を紹介した。
俺たちもあいさつする。
「こんにちは、従兄弟の菅原透だ」
「あたしは小泉京香」
少年は「ふぅん」と答えて、冨美子に向きなおると、
「僕たち今から海で遊ぶんだけど、一緒に遊ばない?」
と誘ってきた。
京香は俺に、
「この子、すっごいプレイボーイね」
と耳打ちした。これには首肯せざるをえない。
初対面の少女をナンパするとか、こいつ大物だな。俺とは大違いだ。
富美子もまんざらではないのか、その誘いに応じた。小学生同士のナンパとか、世も末だ──俺はため息をつきつつ、京香と一緒に海へ入った。今日は天気と気温のせいで、だいぶ混んでいる。家族連れにぶつからないよう、俺は注意した。
しばらくビーチボールでプカプカ浮いていると、富美子と真一くんがこちらにきた。
富美子は、
「透、そのボールは浮き輪?」
とたずねた。俺はビーチボールに抱きつきながら、
「ん、どういう意味だ?」
とたずねかえした。
「遊ぶものじゃないのかい?」
ああ、そういうことか。ビーチバレーがしたいわけか。
せっかくだから4人でやろう、と富美子は提案した。
ところが京香は、
「あたしはいいけど、橘くんと富美子ちゃんは、大丈夫なの?」
と心配した。
小学生vs高校生は、さすがにムリがあった。
というわけで、浅瀬で適当にパスして遊ぶことに決めた。
俺が第一投。ポンと京香が受けて、ボールは真夏の太陽と重なる。
富美子は両腕でパスして、橘くんがこれをうまく俺に返した。
「おっと、一周できるのか。うまい、うまい」
俺は子供ふたりをほめて、もう一周。
ぐだぐだになるかと思ったが、なかなか落とさない。このなかでは、俺が一番下手なんじゃないかと思えてきた。
日頃の運動不足が祟ってくる。そこへ難しいボールがきた。
とうとうバランスを崩して、俺はその場にひっくり返ってしまった。
「だらしないねぇ」と富美子。
「いえ、今のは僕のパスが悪かったです」と橘くん。
俺は水から腰をあげて、かるくせき込んだ。
かっこわるいにもほどがあるな、と自分でも思った。
京香もあきれ気味で、
「夏休みにだらだらしてるから、そういうことになるのよ」
と追い打ちをかけてきた。
「夏休みって言うのはな、だらだらするもんなんだよ」
「はいはい、そういう言いわけはいいから、さっさとパスしなさい」
俺は水面に浮かぶボールを拾い上げて、ポンと京香に打ち込んだ。
すこし意地悪な球だったが、そこは京香だ。運動神経のよさを活かして、富美子にうまくパスした。富美子は富美子で、さっきから1、2回しか失敗していない。意外とスポーツができるんだな。
ビーチバレーをやめて泳ぎ始めたときも、俺は同じ感想をいだいた。
俺が平泳ぎで楽をしていると、その横でおばあちゃんと橘くんが、見事なクロールを披露していた。この町は海沿いだから、水泳は必須科目になっている。俺も小中学生のころは、課外活動でよく海につれてこられた。無精な俺がこうして泳げるのも、半分はそのおかげというわけだ。
俺はしばらく泳いでから、浜辺にあがった。腰をおろして、3人が遊び回っているのを眺めた。京香も京香で、子供心のスイッチが入ってしまったのか、はしゃぎ方が尋常じゃなかった。富美子と水をかけ合ったり、ちょっと高校生らしくない。
日頃の部活で、ストレスがたまっているのだろうか。
そんなことを思っていると、富美子がこちらへ上がってきた。
「遊ばないのかい?」
「……疲れた」
「嘘おっしゃい」
やれやれ、おばあちゃんには、お見通しというわけか。
「老人ホームでの事件が、気になってるんだろう?」
俺はうなずくと、その場に寝そべった。あの密室──ふたつのカメラで監視されていたあの103号室が、どうしても頭から離れなかった。
「わたしはこうして生き返ったんだし、そこまで悩むことはないよ」
「そうは言ってもなぁ……」
殺人だろう。俺は、そう言いかけた。
「おばあちゃんは、なんで犯人を突き止めようとしないんだ?」
「努力してるじゃないかい」
「もっとこう……真剣に捕まえたいとは思わないのか? 被害者なんだぞ?」
俺の質問を、富美子ははぐらかした。軽い違和感をおぼえる。
生き返ったときから、そうだった。今回の事件に対して、富美子はなぜか、そこまで関心を持っていないようにみえるのだ。俺の気のせいだろうか。それとも、転生の事実がうれし過ぎて、殺されたことなど、どうでもよくなっているのだろうか。
「それにしても、おばあちゃんって泳げたんだな」
「当たり前だろう」
「いや……てっきり、昔の女性は泳げないのかと思ってさ」
それは偏見だと、富美子は答えた。彼女が中学生のとき、つまり1950年代ということになるが、水泳訓練は男女に等しく課されていたらしい。
「あのころは、まだ中学校にプールがなくてね」
「ふぅん……」
ん? 待てよ? 俺は、なにか引っかかるものを感じた。
「そうなのか? 俺の通ってた中学のプール、落成が戦前だったぞ?」
たしか地元のミッション系女学校を共学にしたのが、俺の通っていた中学だ。ミッション系は西洋式の教育方針を取り入れていて、プールによる水泳訓練もめずらしいものじゃなかったと聞く。
富美子は呆れたように目を閉じて、首を左右にふった。
「あんたねぇ……実の祖母のルーツも知らないのかい」
いや、普通そんなのは知らないだろう。俺は反論した。
「わたしはね、この町の出身じゃないんだよ」
「マジかッ!?」
俺は思わず大声を出してしまった。あたりの視線が集まる。
「透、どうしたの?」と京香。
「いや……ちょっと家に忘れ物してな」
おっちょこちょいね。京香に、そう評価されてしまった。
だが今は、それどころじゃない。
「この町の出身じゃないのか?」
「なにをそんなに驚いてるんだい? 同じ町の人間じゃないと、結婚できないとでも?」
「そういうわけじゃないが……」
うん、そうだな。俺はなにを驚いているんだ? 地元の人間と結婚しようがしまいが、それは当人の自由じゃないか。ただ、じいちゃんはこの町の人間だと聞かされていて、父さんも母さんもそうだから、てっきりおばあちゃんもそうなんだと思い込んでいた。だからこそ、驚いてしまったのかもしれない。
よくよく考えてみれば、おばあちゃんの知り合いのなかに、「学校が一緒だった」という人は、ひとりもいなかった。もっと早く気づいてもよかったことだ。
「じゃあ、おばあちゃんは、どこの出身……」
俺がたずね終えるまえに、京香の呼ぶ声が聞こえた。