第5話 老人密室ホーム
「密室殺人……?」
臼井さんの説明を、俺はその四文字にまとめあげた。
「どういうことですか?」
そのままの意味だと、臼井さんは答えた。
「富子さんが亡くなられたとき……警察の話では、深夜0時から1時にかけてだと言うのですが……そのとき、この個室に近づけたのは、私しかいないんです……」
俺はかえって混乱した。
「すみません、おっしゃることがよく分からないんですが、この老人ホームには、いろんなお年寄りが入居なさってますよね? それに、夜勤が臼井さんひとりということもないでしょう?」
「ええ……実は……」
俺はメモ帳の続きに、臼井さんの証言をまとめた。
一、おばあちゃんの死亡推定時刻は、深夜0時~1時にあいだ。
二、老人ホームでは、深夜10時~翌朝9時にかけて、監視カメラが作動する。
三、監視カメラは、1階にある正面玄関、入居者棟に続く廊下、職員専用の出入り口の3ヶ所に設置されている。1階から老人ホームに入るためには、どれかを通過しなければならない。
「つまり……監視カメラに臼井さん以外が映っていなかった、と?」
臼井さんは、うなずき返した。
壁にかかっている館内見取り図を、俺は確認した。
メモ帳に写して、さらに監視カメラの位置をつけくわえた。
★=個室のドア(下から101、102、103)
◎=エレベーターと階段
△=車いす用トイレ
すこし整理しよう。
まず、俺と富美子がのぼって来た坂道。その坂道は、正面玄関につながっている。その正面玄関を見渡すように、監視カメラが一台。これがAだ。そして正面玄関をくぐると、左手に受付がある。臼井さんがいた部屋。それを横切ると、壁にぶつかる。選択肢は右か左か。右は事務室や更衣室、警備員室など、職員メインのフロア。左は談話ルームを通過して、そのまま入居者棟に入る。この通路にある監視カメラをBとしよう。職員専用の出入り口は職員棟にあるらしいが、見取り図には描かれていなかった。そちらから入った場合でも、ABのカメラのまえを通らないといけないようだ。
入居者棟の一階は、それほど個室が多くないようだ。エレベーターを正面にして、左に曲がると101号室と102号室、右に曲がると103号室。エレベーターと103号室とのあいだには、車いす用のトイレがあった。
富美子は、
「この入居者棟のカメラは、どこを映しているの?」
とたずねた。
臼井さんは「廊下だけです」と答えた。カメラは談話ルームのほうではなく、入居者棟のほうへ向けられているらしい。俺は廊下に出て、その事実を確認した。
俺はドアを閉めつつ、
「臼井さんが映っていたというのは、どういうことですか?」
とたずねた。
「夜の見回りのとき、職員ひかえ室から、入居者棟へ移動したんです……」
なるほど、見回りか。施設の性格からして、当然だ。
「そのとき、臼井さんしか映っていなかったんですね?」
彼女は、そうだと答えた。俺はそれをメモしつつ、ふとわいた疑問をぶつけた。
「あのカメラは、どうして入居者棟のほうを映してるんですか?」
外部からの侵入を警戒するなら、反対がわを向いていないといけないはずだ。
それに対する臼井さんの回答は、明快だった。
「大きな声では言えないのですが……あれは、入居者さん用なんです……」
深夜の徘徊を監視するためのものだ。彼女は遠回しに言った。
「分かりました。それなら納得がいきます」
俺はシャーペンの押し込み部分を、かるく噛んだ。
次の質問は──
「ふたつ、よろしいですか?」
「はい……」
「まず、臼井さんがカメラに映っていたのは、何時ごろのことでしょうか?」
「正確には分かりませんけど……見回りがちょうど0時に始まって……職員のフロアからこの廊下までが担当で……カメラに映ったのは、1時20分くらいでしょうか……」
「見回りに20分もかかるんですか?」
窓の鍵などもそのときにチェックすると、臼井さんはそう弁明した。
「なるほど……じゃあ、次の質問です。祖母はカメラに映っていたのですか?」
臼井さんの返事は簡潔だった。Noだ。
「菅原さんは、夜中に徘徊されたりはしませんでした」
それを聞いた富美子は、胸を張った。
ここは放置しておく。
「臼井さんは、祖母の部屋に入ったんですか?」
「いいえ……」
臼井さんの話によると、103号室にむかう廊下を曲がったのは事実だが、ほんの数秒で、すぐに反対がわへ移ったらしい。
「監視カメラで、そのことは証明できますか?」
「はい……」
どういうことだ? 今までの話をまとめると──
「だったら臼井さんには、犯行が不可能だと思うんですが?」
数秒で窒息死させられるとは思えない。
そもそもおばあちゃんの部屋に入ることすら不可能だろう。
俺が混乱していると、京香が口をはさんだ。
「臼井さんを疑っているのは、警察じゃなくて病院なのよ」
「病院でも同じだろう? 臼井さんにはアリバイがあるじゃないか」
「病院関係者は、そんなこと深く考えないのよ。スタッフに怪しい人物がいたら、そのひとを外したくなっちゃうでしょう?」
そこまで言って自分の失言に気づいたのか、京香は口もとに手を当てた。
「す、すみません、そういう意味じゃ……」
「いいんです……私が怪しいのは事実なので……」
しゅんとなる京香。昔から、どうもひとこと多いな。
ただ臼井さんも臼井さんで、あきらめ気味なのはいただけなかった。せっかく調査をしているのに──もちろん、当人からすればおせっかいなのかもしれないが──被疑者自身は、のり気でないようだ。
クビになってもいいと思っているのだろうか。臼井さんの暗い表情は、どこか人生そのものに対する諦観のようなものが垣間みられた。
「臼井さん、事情は分かりました。でも病院が言っていることには、ムリがあると思います。臼井さん以外に容疑者がいれば、大丈夫なんですよね?」
臼井さんは、かなりあいまいな返事をした。
人事のことだから、彼女の一任ではないのかもしれない。
ともかく、京香に頼まれたことだし、俺の面子もおばあちゃんの死の真相もかかっているわけだ。ここは押し切る。俺はメモ帳を再確認した。
「……密室だということは、分かりました。でも監視カメラが作動するのは、深夜の0時から明け方の9時までなんですよね? この部屋に9時まで隠れていて、そのあとで脱出することもできるんじゃないですか?」
「それはちょっと……」
「どうしてですか?」
「9時には受付がひらきます……そのときの担当者は、怪しい人をみていません……」
「ほかにも出入り口はあるのでしょう?」
すべて鍵がかかっていたと、臼井さんはそう証言した。
「スタッフの詰め所にいたひとは、カメラに映らなかったんですか?」
「ここの廊下は、私が担当なので……」
まいったな。それが俺の感想だった。現実世界で密室犯罪が起こるなんて、俺は予想していなかった。ミス研の部室で、会員たちと議論することはあっても。
俺たちは、103号室の内部を調べることにした。
まず疑わしいのは……外の風景がみえる、このガラス窓だ。
「これは、開けられないんですか?」
「はめ込み式です……ショッピングモールのショウウィンドウと同じで……」
臼井さんの勘違いということもあるから、俺は念入りにチェックした。
「……たしかに、鍵もなければ取っ手もないですね」
おおかたこれも、老人が屋外へ出ないようにとの配慮なのだろう。
「じゃあ、このクローゼットが怪しいですね」
「それも鍵がかかっています……菅原さんは、お使いになりませんでしたので……」
俺はそれも確認した。おばあちゃんめ、密室を増やしてるじゃないか。
そのとき京香は、部屋の左奥隅にある、白のスチールケースを指差した。
「透大、そこの棚は?」
ちょうど俺の腰くらいの高さで、横幅は1メートル強。とびらもスチール製で、中身がなにかは分からなかった。鍵穴がみえる。
「鍵はかかってますか?」
「いえ……」
「中身は?」
「VHSとDVDです……」
ぶいえいちえす? それがなにか、一瞬、分からなかった。
「ビデオテープのことだよ」と富美子。
「ビデオテープ?」
「四角の黒い箱だよ」
ああ、磁気テープ式の録画メディアか。俺はようやく理解した。
「開けてみても、いいですか?」
臼井さんは、どうぞと言った。俺は取っ手に指をかけて、かるく横に引いた。簡単に開いた。棚のなかは鉄の板で、上下三段に区切られていた。それぞれの高さは、30センチあるかないか。そして上の2段には、VHSの入ったケースがぎっしり並んでいた。
「ん?」
俺はかがみ込んだ。一番下の棚には、VHSもDVDもなかった。
空っぽだ。
「ここに隠れてたんじゃないか?」
俺のひとことに、京香もハッとなった。
「ありうるわね」
「ちょっとメモ帳を預かってくれ」
俺はスリッパを脱いで、一番下の列に、体を押し込もうとした。
結果は──
「……ムリだ」
「え? なんとかならない?」
京香は眉間にしわを寄せた。
なるほど、はたから見れば、ギリギリいけそうにみえる。だが足を折り曲げようとしたときに、まったくスペースがないのだ。とびらが内側から膨らんで、こわれそうになる。
「すみません……備品は大事に……」
「あ、はい」
俺はムリヤリ押し込むのをやめて、一列の高さをはかってみた。
「……35センチか」
俺は、臼井さんから借りた巻き尺を返した。
どこかに不自然な湾曲がないか、チェックしてみた。犯人がムリヤリ隠れていたなら、鉄板がへこんだり曲がったりしているはずだ──ない。
「俺の肩幅は……」
京香に計ってもらう。
「だいたい40ね」
5センチ差。俺の身長が170センチちょっと。日本人男性の平均身長だ。肩幅が広いとも狭いとも言われたことはないから、これも平均値なのだろう。
「となると、横向きに入るのは、肩がつっかえてダメか……」
「平均身長で考えちゃっていいの? 背が低かったのかもしれなくない?」
うッ……なるほど、京香の言うとおりだ。
「日本人の肩幅と身長って、どれくらい比例するんだ?」
「さあ」
俺たちは、ネットで調べてみることにした。スマホを取り出す。
「……身長が160センチを切ってても、肩幅は37センチくらいあるのか」
男女差は、あまりなかった。マイナス1センチくらいだ。
ここで富美子から重要な指摘があった。
「さっきから日本人に限定しているけど、それでいいのかい?」
「そりゃ、外国人って可能性も考えられるけどさ……日本人は比較的小さいほうなんだから、日本人でムリなら、外国人もムリなんじゃないだろうか?」
富美子は、納得したような納得しなかったような、フクザツな表情を浮かべた。
親指の爪を噛んで、じっと虚空の一点を見つめている。
「まあ、今のは要考慮かもしれないな」と俺。
犯人が平均的体型だとは限らない。身長が極端に低いのかもしれない。あるいは、肩幅が極端に狭いのかもしれない。ただ、そうなると──
「身体的に特徴のある人物が、この老人ホームに出入りしてませんでしたか?」
臼井さんは、心当たりがないと答えた。
「背中が曲がっているひとなどは、いらっしゃいますが……」
それは、そうだろう。だけど背中が曲がっていれば、ますます棚には入れそうにない。
俺はため息をついて、京香に向き直った。
「京香も、ひとつ試してくれないか?」
京香は一瞬きょとんとして、「なにを?」と尋ねた。
「入れるかどうかだよ。一応もうひとり分くらいサンプリングしたい」
「ああ、そういうことね」
京香もスリッパを脱いで、すらりとした足を突っ込んだ。
「……ダメ。足を折り曲げられない」
「そっか。俺と同じか」
富美子が口をひらく。
「入れてから折り曲げるんじゃなくて、最初から折り曲げたらどうだい?」
京香は足を引き出し、体育座りの格好をしてから、イモムシみたいに這った。
高校生がやる動作じゃないな。なんだかマヌケだ。
「痛ッ……今度は頭がぶつかって、入るどころじゃないわ」
ということは、ムリに入ると出られなくなる可能性すらあるわけか。
俺は富美子に向きなおった。
「おば……富美子も、ひとつ入ってみてくれないか?」
「わたしが、かい?」
「どれくらいの体型なら入れるか、調べたいんだ」
分かったよ。富美子はそう言って、スチール棚にもぐりこんだ。
すんなり入ってくれた。
棚のなかでうずくまるおばあちゃんを、俺はじっくり観察した。横向きになっていて、肩幅に数センチほど余裕がある。
「足の具合は、どうだ?」
「折り曲げてるよ」
さすがに背伸びした状態では入れないようだ。
俺は富美子が出て来るのを手伝った。
「となると、ここに隠せそうなのは……凶器くらいか」
密室トリックには、いくつか種類がある。そのなかでも一番大きな区分は、
一、犯行の時点で、犯人は密室のなかにいた。
二、犯行の時点で、犯人は密室のそとにいた。
これだ。おばあちゃんが殺されたとき、犯人が隠れられそうな場所はなかった。それに脱出経路も分からない。カメラに映っていないからだ。よって可能性が高いのは、犯行の時点で犯人は密室のなかにいなかった、ということ。
そしてここから、次の区分になる。どこで殺したのか、だ。
一、被害者は密室のなかにいた。
二、被害者は密室のそとにいた。
一の場合、犯人は外部から、遠隔で犯罪をおこなったことになる。
二の場合は、死体を密室に入れるトリックが必要になる。
俺は以上の組み合わせと、おばあちゃんの死体の状況から、こう結論付けた。
「犯人はなんらかのトリックを使って、外部からおばあちゃんをここで殺害したんだ」
ミス研の副会長だけあって、京香がまっさきに理解してくれた。
「遠隔殺人ってこと?」
「ああ、それしか考えられない。おばあちゃんを屋外で殺して、この103号室に持ち込んだとは思えないからな。窒息死だし、おばあちゃんが外で被害にあって、自力でここに戻って来たとも考えられない。そういうのは毒殺か、あるいは刃物などによる致命傷の場合だ。窒息の場合は、さすがにムリだろう」
この部屋のどこかに、機械仕掛けのトリックの痕跡があるはずだ。
俺たちは手分けして、部屋のなかをさがすことにした。