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第4話 幸薄き女介護士の証言

 サチコさんというのは、本当に受付で出会ったひとのことだった。ようするに臼井さんだ。あいかわらず暗そうな表情だった。もともとネガティブな思考の持ち主なのか、それとも今回の事件でとびきりそうなっているだけなのか……ウーム。

 なんと挨拶したらいいのか分からない。「名探偵が助けに来ましたよ」とでも言えばいいのだろうか──まったく様にならないだろうな。それに名探偵は俺ではなくて、おばあちゃん……富美子なのだ。

 俺は京香と富美子に、すべてを任せるようと思った。

 さきに口をひらいたのは、京香のほうだった。

「臼井さん、ちょっといいですか?」

 臼井さんは上目づかいで返事をした。

「あら……京香ちゃん……もうお帰り……?」

「いえ、これからです。今日は力強い助っ人をつれてきました」

 そう言って京香は、俺と富美子を紹介した。

 俺は照れ笑いして、簡単に自己紹介をした。「京香の同級生で、菅原って言います」とまあ、これで十分だろう。あとは、おばあちゃんに任せるだけだ。

 おばあちゃんは、元気に自己紹介をした。

「わたしはとおるの従姉妹で、菅原すがわら富美子とみこだよ。よろしく!」

 心身ともに若返るとは、このことだろう。やれやれだ。

 一方、肝心の臼井さんは、にこりともしなかった。

「こんにちは……ご家族のお見舞いでしょうか……?」

 おいおい……俺たちは、とっくに受付を済ませている。さっきトイレまで借りたのに。どうやら、うわの空で仕事をしているようだった。これは重症だ。

 京香も同じことを思ったのか、明るめに話しかけた。

「このふたりなら、臼井さんの濡れ衣を晴らしてくれると思います」

 安請け合いは、勘弁して欲しい。

 昔から京香は、いざというとき大げさになる傾向があった。小学生のころ、家族ぐるみで花火をしたときも、そうだ。俺は燃えさしを踏んで、ちょっとした火傷を負ってしまった。それをみた京香が、すっ飛んで両親を呼びに行って、あることないこと言いつけるものだから、しまいには救急車がやって来た。今では笑い話だが、それを思い出すと、京香はひどく怒る。

 臼井さんも信用していないらしく、「はあ」とタメ息をついた。

「こどもでは、ちょっと……」

「そう言わずに、あの日のこと、ふたりに話してあげてください」

 京香は、今朝のできごとまで持ち出して、臼井さんを説得してしまった。このあたりの交渉術は、さすがだ。だてにミス研の副会長をやっていない。

 だったら会長の俺はなんなんだ、ってことにはなるが。

 そのとき受付ルームのうしろのとびらがひらいて、べつの看護士が顔をのぞかせた。

「臼井さん、交代ですよ」

 臼井さんは「あ、はい」とだけ言って、そそくさと引き継ぎを終わらせた。

 そして俺たちを、例の現場、103号室につれていってくれた。

「ここが犯行現場なんですよね?」と京香。

 臼井さんは首をたてにふった。

 京香は事情聴取を始めた。

「備品の配置なんかは、このとおりですか?」

「ええ……あの日のままだと思います……」

「死体があった部屋なんですよ? 買い替えたりは、しなかったんですか?」

「お金がかかるので……」

「第一発見者は?」

 この質問に、臼井さんは戸惑って、「私です……」と答えた。

 なるほど、臼井さんが第一発見者なのか──それは疑われても仕方がない。第一発見者というのは、実際の犯罪でも疑われやすい立場だという。ひどい話と言えばひどい話なのだが、自作自演という可能性もある。日本で起こる殺人事件の50%近くは、親族間殺人。身内が犯人なのだ。親族以外の顔見知りも含めると、80%を軽く超える。第一発見者の多くは顔見知りだろうから、この点でも不利になってしまう。

 ここで冨美子が割ってはいった。

「死体は、そこにあったの?」

 小学生の口から「死体」だなんて言葉が飛び出して、臼井さんも驚いたようだ。すぐには答えなかった。

 富美子は同じ質問をくり返した。

「死体は、そこにあったの?」

「ええ……」

 富美子はベッドにポンと飛び乗った。これには、さすがの京香もおかんむり。

「富美子ちゃん、ダメよ。それは大切な証拠なんだから」

「まあまあ……臼井さん、そのときの死体の格好を、くわしく教えてもらえない?」

 小学生に──と言っても、中身はおばあちゃんなのだが──あれこれ尋ねられるのは、あまりいい気がしないだろう。それでも臼井さんは、丁寧に答えてくれた。

「つまり、こんな感じ?」

 富美子はベッドに横たわり、両腕をだらりとさせて、首をやや右にかしげてみせた。

「ええ……そんな感じ……」

 臼井さんはそう言って、

「身長が違うから、ぴったりではないけれど……」

 とだけ付け加えた。

 富美子は起き上がって、くちびるに指をそえた。

 そして、京香に声をかけた。

「京香ちゃん、ちょっと代わってくれない?」

 京香は一瞬だけイヤそうな顔をした。当然だ。ひとが死んだ場所に寝るのは、だれだってはばかられる。ただ今朝の推理もあってか、富美子に対する信頼は高いようだ。しぶしぶ交代した。

「こんな感じかしら?」

 京香の演技は、どこかぎこちない。

 臼井さんは、すこしばかり眉間にしわをよせて、

「だいたい、そんな感じ……」

 と答えた。富美子はさらに、死体の状態についても尋ねた。臼井さんは、小学生を相手にしているからか、かなり言葉を選んで説明した。端的に言えば窒息死だった。

 大筋は警察の発表と一致していた。細部は臼井さんの説明のほうがくわしかった。俺は学生手帳をとりだして、早速メモをした。


 一、臼井さんがおばあちゃんの死体を発見したのは、午前6時過ぎ。早朝の見回りをしている最中だった。彼女のシフトは夜勤(夕方5時~翌朝9時)になっていた。

 二、発見後、すぐ病院に連絡した。救急車が到着するまで、10分ほどかかった。そのあいだ、AEDなどの応急措置をとった。

 三、犯人らしき人物も、凶器らしきものも見かけなかった。


 冨美子は、

「凶器を見かけなかったのかい? それは、たしか?」

 と、するどい質問を飛ばした。

「ええ……私は気づかなかった……」

「ほんとうに? 首を絞められそうなものは、なにも見なかった? テレビドラマみたいに、凶器が分かりやすいものだとは限らないよ?」

 そうだ。窒息死=絞殺=麻縄なんていうのは、現実的じゃない。もっと簡単なもの──例えば、延長ケーブルかもしれない。老人ホームだから、包帯も考えられた。

 とはいえ、このおばあちゃんの質問は、ちょっといじわるだ。紐状のものなんて、この施設には、いくらでもある。外部から持ち込んだと仮定すれば、なおさら特定は困難だろう。なんでも凶器になってしまう。

 臼井さんも困ったような表情を浮かべていた。

 俺はここでわりこんだ。

「おば……富美子、凶器が現場に落ちてないのが、そんなに気になるのか?」

「気になるね。すごく重要だよ」

 なにが重要なのだろうか。俺は率直に尋ねた。

「理由は?」

「やっぱり自殺じゃないってこと」

 いや、それは先走り過ぎている。俺は訂正を入れた。

「第三者が持ち去った可能性は? 仮に持ち去ったやつがいるとすれば、幇助犯だが」

 おばあちゃんは腕組みをして考え込んだ。

「なるほどね……だけどそんなこと頼むかしらねぇ?」

 本人がそう考えたくない気持ちは分かる。

 自殺をだれかに頼んだ、ということになれば、どこかうしろめたくなるだろう。

 とはいえ冷静に考えてみても、自殺幇助はもっともらしくなかった。

 俺はその点を率直につたえた。

「正直、可能性は低いと思う」

「なぜだい?」

 本人のまえで言いにくいこともあったが、俺はごまかさずに答えた。

「まず、容態だ。おばあちゃんは、その……ボケていただろう? だから自殺をしようとも思わないんじゃないだろうか。もし自殺するなら、完全にボケ切るまえにしていたと思う。おばあちゃんの人生設計は、意外とシビアだったからな」

 いくら推理とはいえ、語っていて心苦しい。だが気丈に続ける。

「次に、凶器が行方不明なことだ。なるほど、幇助犯がいたのかもしれない。だけど、自殺幇助をするようなひとが、この老人ホームにいるとは思えない。職員は協力しないだろうし、ほかの老人たちだって、さすがに手を貸したりはしないだろう」

「ほんとうに、そう言い切れるのかい?」

 俺は、なんとも言えなかった──だろう、だろうの連続だ。自覚はある。

「分かった。フラットに見よう。仮に自殺幇助犯がいたとする。その場合、おばあちゃんはどうやって、自殺の意思を伝えたんだ? ボケていたのに?」

「そこまで具合が悪かったのかい?」

 俺は臼井さんに視線をむけた。臼井さんは、さっきから俺と富美子の会話に、目を白黒させていた。ムリもない。だけどこうやって素の会話をしたほうが、推理はうまくいくはずだ。

「臼井さんに訊きたいんですが、祖母は、どういう具合でした?」

「それは……個人的な容態ですので……」

 さすがに教えてはくれないか。そう思った矢先、京香が口を挟んだ。

「ここはふたりを信用してください。それに透は富子さんの孫ですから、親族に教えても問題ないはずです」

 臼井さんは個室のドアから、廊下を気にしていた。

 あたりに人の気配がないか、探っているようだ。だれもいない。

「そうですね……菅原富子さんは、ここ半年、ほとんどなにも覚えてらっしゃらないようでした……アルツハイマー型の認知症で、ほぼ後期の入り口あたりだと思います……会話も困難で……」

 そんなにひどかったのか──どうりで、両親が会わせたがらないわけだ。

「ただときどき、はっきりと思い出されることがありました……」

「はっきりと? どのくらいですか?」

「ほぼ平常な状態になられるんです……」

「どれくらいのペースですか?」

「ひと月に2、3回でしょうか……」

「わりと長時間ですか?」

「いいえ……ほんのわずかで……長くて30分……」

 俺はそれから、根ほり葉ほりたずねた。その回復期間のあいだに、なにか異常な行動はなかったかどうか──例えば自殺願望を口走ったとか、密会していたとか、そういうことだ。すると、前者についてはきっぱりと否定されたが、後者については、かなり曖昧な返事をされた。

「だれかと会ってたんですか?」

「さすがに私も、一日中見ているわけではないので……」

 どこかあやしい。隠しごとをされている気がした。

 京香も俺のほうをちらちらと盗み見て、懐疑的なまなざしを投げかけてくる。

 一方、富美子はじっと、俺と臼井さんの会話に耳を澄ませていた。

 そして、こくりとひとりでうなずいた。

「ちょっと、話を変えてもいいかい?」

 俺も京香も臼井さんも、一斉にけげんそうな顔をうかべた。

 俺は、

「どうした? なにか気づいたのか?」

 とたずねた。

「いや、根本的なところに、もどろうと思ってね……京香ちゃんの話だと、臼井さんはなにか、困ったことがあるんだろう? それはなんなんだい?」

 そうだ。臼井さんが疑われていると、京香は言っていた。

 俺もそちらに舵を切る。

「あなたが疑われているというのは、ほんとうですか?」

 彼女はそれまでになく、強い戸惑いをみせた。Yesということだ。

「俺は京香から頼まれただけで、初対面です。おっしゃりたくないなら、べつに干渉はしません。ただ……」

 どう言えばいいのだろうか。うまく表現できない。

「ただ……これは俺の祖母に関する事件でもあります。ささいな情報でも、教えていただけると助かります」

 この発言が利いたのか、それとも臼井さんは自分の嫌疑を晴らしたがっていたのか、ともかく、俺に話をしてくれた。

 彼女の身にふりかかった、奇怪な謎──巨大な密室について。

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