旅立ち
夏休みの昼下がり──俺は、自宅の縁側で、ぼんやりと空を見上げていた。
この空は、あの少年のいる町、祖母の初恋の町に繋がっているのだろう。あの雲に手紙を書けるなら、今すぐにでも書いてみたい。そんな気にさえなる。
「透」
俺の頬に、ひんやりとしたものが押し付けられた。
振り返ると、京香が立っていた。
「どうしたの、さっきからボーっとしちゃって」
俺はジュースのお礼を言って、一口飲んだ。甘い柑橘系。
「なあ、京香、ひとつ質問してもいいか?」
「なに?」
「俺が5年間、刑務所に入るとするだろ」
京香は目を見張った。
「な、なにかしたのッ!?」
「例えば、の話だよ、例えば」
京香は胸をなで下ろした。
「びっくりさせないでよ……で、刑務所に入って、どうするわけ?」
「5年待ってくれって言ったら、待つか?」
京香はポカンとして──それから顔を赤らめた。
「ま、待つって……ど、どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ」
京香は、えぇ、とか、そんな、とか散々もだえて、俺の頭をポカリとやった。
「冗談はやめてよねッ!」
「いてて……じゃあ、50年だと?」
京香はあっけに取られたのか、しばらく硬直した。
そして、ちょっと淋しげな顔になり、胸もとに手をよせた。
「……わからない」
50年は長過ぎる。京香は、そう付け加えた。
「だよな……50年は長過ぎる」
俺は縁側から腰をあげて、居間にもどり、押し入れからリュックサックを取り出した。それを眺めていた京香は、よつんばいになって、こちらをのぞき込んだ。
「ちょっと、なにやってるの?」
「旅行の準備」
「旅行ぉ?」
「横浜へ行く」
京香は、靴を履いたままなのも忘れて、居間に上がって来た。
「よ、横浜って……夏休みは、あと1週間しかないのよ?」
「そのあとは学校が始まって、もう行けないだろ」
「富美子ちゃんは、どうするの? 具合が悪いんでしょ?」
ドタドタと、階段を駆け下りる音が聞こえた。息をはずませて、富美子が姿を現す。猫のプリントが入った白いTシャツに、紺のズボン。いつもの富美子だ。
「よ、横浜に行くのかいッ!」
「ああ」
「わたしも連れて行っておくれッ!」
当然だろ。俺は、そう答えた。そのための出発なんだから。
あわてふためく京香の声をよそに、俺は縁側にもどった。空をあおぐ。ちょうど飛行機がひとつ、東の空へと飛んで行く。錦帯橋空港から羽田へ向かう便だろう。俺たちも、あれで──いや、新幹線だな。新横浜で降りて、あとは野となれ山となれだ。俺は大きく背伸びをした。50年でなく、5秒ほど。
魂が生まれ変わり続けるなら、愛する者たちは、幾億回の転生を経て、いつかまためぐり会うのだろう。
おばあちゃんと片桐英二は、奇跡を一発で引き当てた。それでいいじゃないか。
【完】