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老人ホームで見る夢は──輪廻転生殺人事件  作者: 稲葉孝太郎
最終章 菅原富子の推理
18/21

第18話 50年目の復讐

 おばあちゃんは、片桐かたぎりの出所を知って以来、死の恐怖におびえていた──いや、この表現は正確じゃない。殺されることを覚悟していた。普段から妙に明るく振る舞っていたのは、いつ殺されてもいいという、その心構えがあったからかもしれない。俺の思い出は、あいまいになった。

 だが片桐は来なかった。少なくとも、今年までは。片桐が出所したのは、昭和37年、つまり1962年の8月だ。そのとき、おばあちゃんは22歳、数えでは23歳だった。だから50年近い歳月を待っていたことになる。その精神的プレッシャーがどれほどのものだったのか、俺には想像もつかなかった。

 俺は川原の土手に寝そべったまま、空を見上げていた。そして、ひとつの、根本的な問いに立ち返っていた。

 おばあちゃんは殺されたのだろうか? おばあちゃんの話を聞く限り、その可能性は高まったと言わざるをえない。これまでは、おばあちゃんを殺す動機が見えていなかった。今は違う。だけど──

「……ほんとうに、そうか?」

 俺はひとりごちた。片桐かたぎり英二えいじの復讐。もっともらしい仮説だが、どうも引っかかる。そのことについて、俺は昨晩からなやんでいた。

 まず、50年という歳月について。おばあちゃんを殺害するチャンスなら、いくらでもあったはずだ。おばあちゃんは警察に相談したり、自衛したりしなかった。スキを突いて殺害することなど、片桐には容易だったに違いない。にもかかわらず50年のあいだ、おばあちゃんは殺されなかった。

 復讐に50年も待つ必要があるのか? ないだろう。それとも50年経って、とつぜん気が変わったとでも言うのだろうか? いきなり復讐心が芽生えた、と?

 これが第一の疑問点。第二の疑問点は、殺害方法だ。片桐英二がおばあちゃんを殺害した、と仮定しよう。方法は? おばあちゃんの昔話をいくら分析しても、老人ホームの密室は解決しなかった。片桐が江戸川えどがわ乱歩らんぽに興味を持っていた、という点は、ちょっとくらいヒントになるのか。トリックを考える知識は、あったわけだ。では、どういうトリックを考えついたのか? それが見えてこなかった。

「……やっぱり、なにも解決してないんだよな」

 俺は起き上がって、スマホをいじった。一昨日の晩、片桐の捕り物があった場所を調べた。自転車をこいで、現場に向かってみた。そこは、あのときとまったく違う雰囲気をたたえていた。よくあることだが、昼間のほうがかえって不気味に思える。変電所の近くということで、人気ひとけはなかった。

「……ん?」

 俺は袋小路の奥に、見慣れたうしろ姿を目撃した。

京香きょうか?」

 京香は飛び上がって、俺の胸に後頭部をぶつけた。

「と、とおる?」

「いたた……ここで、なにしてるんだ?」

「ご、ごめん、てっきり犯人かと思って」

 俺はため息をついて、京香を見すえた。

「犯行現場をひとりでうろちょろするなよ」

「透こそ、ここでなにしてるのよ?」

 ウーム、これは反論できない。

「俺は男だからいいんだよ」

「なによ、それ。腕力なら、あたしのほうがあるんだけど」

「とにかく、京香の身になにかあったら心配だ。単独行動は、やめてくれ」と頼んだ。

 京香は、

「分かったわよ……ありがと」

 とだけ答えた。

「で、なにしてんだ?」

 京香はなにも言わずに、変電所の側溝を指差した。

 雨が降っていないから、渇き切っていた。

「奥のところに、なにか落ちてるようにみえない?」

 俺は側溝の奥をのぞきこんだ。

「ああ……たしかに、なにか落ちてるな」

「割れた風船に見えるんだけど」

 そう言われてみると、割れた風船の残骸にみえた。

 側溝の、奥50センチくらい先だろうか。

 手を伸ばしてみたが、角度の関係で取れなかった。

「子供が落としたんじゃないか?」

「側溝に風船を?」

「あるいは犬とか」

 京香は眉間にしわを寄せた。

「犬ぅ?」

 俺は、ありうるだろ、と答えた。

 この側溝、おとなの人間は通れなくても、中型犬くらいは通れそうだ。

 近所で見つけた風船を、犬がここに隠したのかもしれない。よくある習性だと思った。

 ところが京香は、まったくちがうことを考えていた。

「そうじゃなくて、犯人が持ち込んだものじゃない?」

「風船を?」

 京香は黙ってうなずいた。

 そんなことありえないだろ。そう言いかけた俺は、あの晩を思い出してハッとなった。

「……ありえるな」

「でしょ? 片桐がこの袋小路で消えたトリックと、関係があると思わない?」

 俺はその場を歩き回った。

「あの夜、片桐の歩き方がおかしかったのを、覚えてるか?」

 京香は覚えていると答えた。

「あたしも、そこに着目してる」

 どうやら京香は、俺と同じ推理にたどりついたようだ。いや、それとも俺が京香とおなじ推理にたどりついたのか。あの男は片桐英二じゃなくて、片桐英二のかたちをした、風船人形だったんじゃないだろうか。だとすれば足を引きずって歩いていたのも、納得がいく。だれかが引っ張っていたのだ。パンという音は発砲なんかじゃなくて、風船の割れた音だろう。

 しかし──

「仮にそうだとして、どうやって引っ張ってたんだ?」

「そこなんだけど……さっきの透の発言で、分かった気がする」

 俺は京香を見つめた。

「俺、なにか言ったか?」

「中型犬なら、この側溝は通れる、って言ったでしょ? よく訓練された犬が、風船人形を引っ張ってたんじゃない?」

 俺はポンと手をたたいた。

「それだッ! 犬を使ったんだッ!」

 だとすると容疑者にあがるのは──俺と京香は、志摩しまキッズハウスへと向かった。片桐が手なずけていそうな犬と言えば、あのキッズハウスの犬に違いない。小径こみちを抜けて、キッズハウスが視界に入ってきたところで、俺と京香は立ち止まった。

「さてと、どう切り出すか……」

「透、あそこ」

 京香は、一台の白い軽自動車を指差した。そのナンバーに、俺は心当たりがあった。

笠井かさいさんも来てるのか?」

「そうみたいね……どうする?」

 いや、迷う必要はない。渡りに船だろう。俺は京香をつれて、玄関へと回り込んだ。案の定、志摩さんと笠井さんが、玄関のところで向かい合っていた。笠井さんは俺たちを見て、ちょっと眉をひそめた。

「透、京香ちゃん、なにしてるの?」

「あッ、その……」

 しまった、捜査の邪魔になったか?

 俺は、

「近所に来たら、たまたま笠井さんを見かけたので……」

 とごまかした。笠井さんは、フーンと言って志摩さんへ向きなおり、

「このふたりをご存知ですか?」

 とたずねた。志摩さんは、すこし困惑した表情で、

「そちらの男の子は……はい」

 と答えた。

「でしたら、話は早いですね。彼は、亡くなった菅原すがわら富子とみこさんの孫です。片桐英二について、なにか教えていただけませんか?」

 やっぱり笠井さんも、志摩・片桐のラインに気付いたようだ。あやしげな段ボール箱を受け取ったうえに、片桐の訪問を受けていた。言い逃れできない。

「片桐というひとは、存じておりません……」

「それは妙ですね」

 笠井さんは警察手帳をめくった。

「片桐英二という男性が、キッズハウスの裏口を叩いていた……そういう目撃証言が、たしかにあったんですよ」

「そう申されましても……」

「片桐は菅原富子さんの死に、なにか関係があるのかもしれません。重要参考人です。どこにいるか、教えていただけませんか?」

 志摩さんは、知らぬ存ぜぬの一点張りで、笠井さんの質問をすべて拒絶した。

 じれったい。俺は口を出さないように自制するのが、精一杯だった。

 一方、笠井さんは平然としていて、

「志摩さん、あなたは30代の頃、横浜で働いてらっしゃいましたね?」

 とつぶやいた。

「……」

「いえ、お答えにならなくても、けっこうです。裏は取れていますので……そのときの職場……福祉施設に、片桐英二がいましたね? 違いますか?」

 志摩さんの顔色が変わった。口をぱくぱくさせてから、黙ってうつむいてしまった。

「これも、お答えいただけませんか?」

「……」

 俺は一歩まえに出た。だが笠井さんは俺を制した。

「分かりました。お答えいただけないなら、それでけっこうです。ところで……」

 笠井さんは、キッズハウスの庭に停められた、小ぶりのトラックへ視線を向けた。

「あのトラック、ずいぶんと荷物を載せておられますが、旅行でも?」

 これにも志摩さんは答えなかった。

 笠井さんは「そうですか」と言って、「お時間、ありがとうございました」と、別れのあいさつを告げた。キッズハウスを去る途中、俺は笠井さんを呼び止めた。

「さっきの尋問、ヌルすぎるでしょう」

「おいおい、令状もないのに尋問できるか」

「志摩さんは、絶対になにか隠してます」

 笠井さんは軽自動車に腕を乗せて、「だろうね」と答えた。

「だろうね、じゃないですよ。逃亡されるかもしれないのに」

 庭先にとめてある軽トラックを、俺はゆびさした。

 詰め寄る俺に、笠井さんは右手のひとさしゆびをふってみせた。

「私の調査能力を舐めすぎだ……行き先は分かってる」

 俺は驚愕した。

「どこですか?」

「横浜だ」

「横浜……ってことは、まさか片桐を?」

「私も最初はそう踏んでた……けどね、どうやらこどもの引っ越しみたいなんだ」

「こども? 志摩さんのこどもですか?」

「いや、たちばなっていう子の引っ越し。里親が見つかったんだとさ」

「そんなのは、口実に決まってます。橘くんを見送るなら、新幹線でも飛行機でも、いいはずでしょう。なんで車なんですか?」

「荷物も一緒に送らないといけなくて、レンタカーが一番安く済むかららしい」

「絶対に言い訳ですッ!」

 俺は思わず、笠井さんの車のボンネットを、こぶしで叩いてしまうところだった。

 笠井さんは、

「おいおい、ひとの車は大事にしろ。これローンなんだぞ」

 と注意した。

「すみません……」

「透、おばあさんが亡くなって、焦るのは分かるよ。でも私たちは決定的な証拠を掴んでないんだ。片桐の死体でもあがれば、話はべつだけど」

「結局、死体は見つかってないんですか?」

「全然」

 そうか。だったら片桐は、どこかで生きている可能性が高い。

 側溝で見つけた風船のことを、俺は伝えた。

「それほんと?」

「ほんとです。笠井さんも気付いたと思うんですが、あの夜の片桐の歩き方は、どこかおかしかったですよ。おそらく風船を人形にして、俺たちを誘導したんだと思います」

「となると、私たちの張り込みはバレてたわけか……透、だれかに話さなかった?」

 いいえ、と俺は答えた。

「志摩さんなら俺たちの話を、こっそり盗み聞きできたんじゃないですか?」

「透は、どこで私に電話をかけたの?」

「き、キッズハウスの正門前です」

 笠井さんは、あららと言った。

「だれかに聞かれてても、おかしくはないね」

「す、すみません、あのときは興奮してて……」

「いいよ。私たちの行動を知っていた人物に、範囲が限定される。むしろ好都合だ」

 そうだ。本命は志摩さん。あるいは、志摩さんから話を聞いただれか。

「とにかくまえから言ってるけど、勝手にほっつき歩いちゃダメだよ」

「分かりました」

 俺は心にもない返事をした。

「志摩さんは、いつ出発するんです?」

「今日の夕方。レンタカーの会社に確かめた」

 やっぱり逃げる気じゃないか。パニックになる俺を、笠井さんはなだめた。

「しょうがないよ、移動の自由があるんだ。憲法で保障されてる。あっちの警察に知り合いがいるから、なんとかなるさ。とにかく焦らないことだね」

 笠井さんは軽自動車に乗って、走り去った。残された俺と京香は、喫茶店に移動して、これからの調査の打ち合わせをした。

「志摩さんがあやしいのは分かったけど、あのひとが犯人だとは思えないわ」

「どうしてだ?」

「志摩さんは、このへんだと有名な篤志家とくしかでしょ? 福祉関係者には、顔バレしてると思うのよね。その志摩さんが、気付かれないで老人ホームに出入りなんて、できるの?」

 なかなか有力な反論だった。

臼井うすいさんは、なんて言ってた?」

「志摩さんについて?」

「そうだ」

「知ってるって言ってた」

 なるほど、臼井さんの目をごまかすのは難しいわけか。他人のフリをして老人ホームに潜入するのは、ムリだろう。だが京香は、一番肝心な部分を見落としている。俺は、そのことを指摘した。

「肝心な部分って?」

「密室トリックだよ。トリックが遠隔操作なら、老人ホームの中に入る必要はない」

「えぇ……そんなうまいトリック、あるかなぁ?」

 うぅむ……そう言われると、俺の論拠も弱い。遠隔操作と口で言うのは簡単だが、実際にうまく動くトリックなんて、そうそうないだろう。おばあちゃんが寝ていた103号室は、窓がはめ込み式で、糸のようなものを簡単に通せる穴もなかった。

「それに、機械仕掛けの部品は、どうやって回収したの?」

「それは簡単だ。キッズハウスに送る段ボールのなかで……」

 俺は、そこで絶句した。

「どうしたの?」

「なんで気付かなかったんだ……」

「なにが?」

 コーヒーを半分以上残して、俺は席を立った。

 京香もあわてて立ちあがる。その表紙に、伝票がひらりと床に落ちた。

「透、どうしたの? なにか分かったの?」

「俺たちは、一番あやしい人物を無視してたぞッ!」

「だれ?」

 俺は財布を取り出しながら、伝票を拾い上げた。

「段ボールの送り主だよッ!」

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