第15話 かくれんぼ
すべてが、ふりだしにもどった──いや、それとも、ゴールしたのだろうか。
片桐英二は死んだ。
俺は、公園のベンチに寝そべって、木漏れ日の太陽を見上げていた。遠くでは、おばあちゃんたちの声が聞こえる。はしゃぎ回っているらしい。左かと思えば右、右かと思えば左で、ひっきりなしだった。あのあと笠井さんに家まで送ってもらった俺は、一晩眠れぬ夜を過ごした。
警察がどういう処置をとったのか、それは分からない。
ただ笠井さんから電話があって、
「遺書は直筆だった。死体は見つかってないけど、片桐本人みたいだね」
と告げられた。横浜の刑務所に、片桐のメモが残っていたらしい。
殺人を犯した片桐は、少年院には送られないで、刑事処分を受けたそうだ。笠井さんはそのメモを入手していて、鑑識に照合させた。その結果、遺書は片桐の筆跡であることが分かった。
遺書の内容は、こうだ。自分はある切っ掛けで──この切っ掛けがなんなのかは、まったく記されていなかった──菅原富子と再会することができた。だが彼女はすでに痴呆症を患っていて、自分を片桐だと認識できなかったのだと言う。そのショックのあまり、自分の70年間が否定されたような気がして、もはや生きる希望を失った、と。具体的な地名や人名は。ほとんど出ていなかった。唯一の例外として、横浜が挙がっていた。
おばあちゃんと片桐は、再会したらしい。ということは、それ以前にどこかで会っていたはずなのだ。でなければ再会という言葉を使うはずがない。おばあちゃんは横浜で、片桐と出会ったのだろうか? いつ? どうやって?
以上のことを、俺はおばあちゃんに尋ねられないでいた。昨日の捕り物については、ひとことも語っていない。切り出し方が分からなかったからだ。
遺書は直筆だった。死体は見つかってないけど、片桐本人みたいだね。
笠井さんはそう言った。
死体は見つかっていない。さすがに気がかりだった。
偽装自殺の可能性は、笠井さんも当然に考慮していた。
「あんまりうろつくんじゃないよ。顔は覚えられてないと思うけど」
そう念押しされたのだが、俺はなんだか頭が混乱して、恐怖感もなくなっていた。
片桐英二が自殺? あるいは偽装自殺?
「これって、自白したようなもんだよな……やっぱり、おばあちゃんは殺され……」
ひんやりと、冷たいものが頬に押しつけられた。
びっくりした俺は、上半身を起こす。みれば、京香だった。京香は、冷たい雫に濡れた清涼飲料のペットボトルを、2本持っていた。
「それって、例の懸賞か?」
「違うってば。冷えてるでしょ」
「サンキュ」
俺は一本受け取り、キャップを開けた。そのまま、ごくりと一口飲む。
「ハァ……」
大きく息を継いで、俺は青空を見上げた。ここは市民公園。子供や家族連れで溢れかえる、憩いの場だ。最近はバリアフリーになっていて、老人や車いすの利用者も、ずいぶんと増えていた。
「久しぶりだな……公園で昼寝とか……」
「透って、公園に来てまで寝てるとか、それ以外にすることないの?」
「ないっていうか、最近あんまり眠れないんだ」
京香は、私も、と答えた。そう言えば、いつものハキハキしたところがなかった。
「まあ、これで一件落着よね」
京香はすでに解決した気でいるのか、にっこりと笑った。
俺は憂鬱になる。
「どうしたの? うれしくないの?」
「なあ……ほんとうに、これで解決したのか?」
「片桐英二は死んだんでしょ?」
「おそらく、な。だけど老人ホームの密室は解けていない。片桐はどうやって、103号室にいるおばあちゃんを殺したんだ? どうやって入って、どうやって出た? ここの部分が、まったく解けてないんだ」
京香から笑顔が消えた。すこし気まずくなる。
「それは、そうだけど……でも、そのトリックなら、だいたい見当がつくわ」
京香はそう言って、志摩キッズハウスに送られた段ボール箱を指摘した。
「あのなかに、巧妙なトリックが隠されているのよ」
「どんな?」
「例えば、監視カメラに映らなくなる機械とか……」
おいおい、SFの読み過ぎだ。
「あの段ボール箱のなかに、トリックが隠されていたとする……っていうか、それしか考えられないが……だけど、それがなんであるか分かるまで、事件は解決してないと、俺は思ってる」
「ねぇ、片桐が犯人だった以上、相手は元殺人犯なのよ。あたしたちの手に負えないわ」
俺はくちびるを結んで、肩を落とした──そうだ、京香の言う通りだ。あとは、警察に任せるしか、ないのかもしれない。
これ以上は──ふと、足下に影が差した。
俺の顔を、おばあちゃんが心配そうに見つめていた。
「どうしたんだい? 元気がなさそうだね?」
「いや……ちょっと寝不足でな」
「さっきひとり帰っちゃってね、一緒に遊ばないかい?」
オーイ、俺は高校生だぞ。富美子と遊んでいるのは、全員小学生だ。
俺がそれを告げると、「かくれんぼだよ」と、富美子はムリヤリ参加させた。
「京香ちゃんも、どうだい?」
京香もOKした。海水浴もそうだったけど、案外子供っぽいところがある。俺たちは初参加ということで、橘くんに注意事項を教えてもらった。
「ルールは簡単です。1、公園から出ないこと。2、男女のどちらかしか入れない場所、例えば、男子トイレとか女子トイレには隠れないこと。子供しか入れない場所はOKです」
「そんなところ、あるの?」と京香。
「公園の奥のアスレチックは、子供専用です」
「あたしたちは、そこに入ってもいいの?」
あ、そうですね、と橘くんは言った。
「すみません、透お兄さんたちは、アスレチックを使えないんですね。アスレチックもナシということで。3、隠れたあとで場所を移動するのはアリです」
なるほど、見つかるリスクは自分で負えってことか。
地方都市の公園だから、広いと言っても、たかがしれている。だいたい150×150メートル四方だ。東京二十三区の公園よりも小さい。遊具や建物、樹木は多いから、なんとか成り立つのだろう。
「最後に、4、友だちのかくれているところを目撃しても、他人に教えちゃダメ。これは絶対に守ってくださいね」
橘くんは、俺と京香に念押しした。
「ルールは以上です。最初の鬼は、だれがやる?」
結局、じゃんけんして、田畑くんという、全然知らない男子が鬼になった。坊主頭で威勢がいい。かなり自信があるようだ。
「それじゃ、30数えるよ。みんな隠れてね」
田畑くんは、そばの木に顔を押し付けて、「1、2、3」と数え始めた。
みんな散り散りになる。それから、5分後──
「透、見つかるの早いのね」
「京香もな」
俺たちは、あっさりと見つかってしまった。どうやら小学生グループは、この遊びをかなりやり込んでいるらしい。ここなら見つからないだろうと思ったら──自動販売機の後ろがわで、ゴミ置き場──真っ先に探しに来た。俺が1番手で、京香が3番手くらいの情けなさだ。
俺と京香はベンチに座って、田畑くんが走り回っているのをながめた。
「昔は、あたしたちもよく遊んだわね」
「ああ……」
「あのころは、一日が長かったかも」
「ああ……」
俺はぼんやりと答えながら、ふと感慨にふけった。おばあちゃんと遊ぶようになってから、なんだか自分の子供時代が、ひどく懐かしくなる。俺にも小学生時代はあって、おばあちゃんたちと同じように遊んだ。そのことはもう、すっかり忘れていた。だが、こうして思い出してみると、小学生のころの夏休みと、今の夏休みは、どこか違ったところがある。それがなんなのかは、分からない。
ただ──そう、あのころは、なにも考えていなかった。受験とか、将来のこととか、いろいろ──俺はもうすぐ受験生になる。そのあとは大学生で、就職活動して、結婚して、定年まで働いて──結婚できるかな。
俺はちらりと、京香の横顔をみた。
「……ちょっと、なに見てんのよ?」
「あ、いや……なんでもない」
「なんでもないってことはないでしょ。どうしたの?」
俺はベンチに寄りかかって、こめかみにこぶしを当てた。
「俺たちが年を取って……まあ50年後とかだぞ……こうやってベンチに座ってるとするだろ……」
俺はそこまで言って、苦笑した。どういう空想だ。
「やっぱなんでもない」
京香は肩をすくめて、かくれんぼの行く末を見守った。俺も同じようにする。ベンチの近くは満員で、ほとんどの面子は捕まっていた。今も公園の奥から、橘くんが連行されているところだ。
「捕まっちゃいました」
橘くんはそう言って、俺の隣に座った。
「おつかれ、ずいぶん長く隠れてたんだね」
俺は彼をねぎらった。
「隠れてたんじゃなくて、歩き回ってました」
「へぇ、よく見つからなかったね」
「田畑くんは、だいたい探す順番が決まってるんです。自販機のうしろから始めて……」
それを先に言って欲しかったな。俺が見つかった場所じゃないか。
そのときふと俺は、あるインスピレーションに襲われた。橘くんの発言は、なにか重要なことを示唆している気がする。
「なあ、京香」
「ん?」
「人間の行動って、パターンがあるよな?」
「……かもね」
俺は、臼井さんが見回りのとき、101号室、102号室を先に調べて、それから103号室のほうへ曲がったことを指摘した。
「で、それが、どうかしたの?」
「もし犯人が、臼井さんの見回りパターンを把握していたとしたら、どうなる? いつどの場所へ臼井さんが来るか、あらかじめ分かるんじゃないか?」
「すると?」
「犯人はどの時間帯なら物音を立ててもいいか、知っていたってことにならないか?」
京香はウーンとうなって、「物音? どうして物音がするの?」とたずねた。
それは簡単だ。俺は続きを説明した。
「おばあちゃんを殺害したトリックがなんにせよ、おばあちゃんが暴れたり、うめき声を上げたりする可能性はあったはずだ。それを係員に聞かれたら、計画が頓挫する。大掛かりな機械トリックなら、部屋のなかで物音がしたかもしれない……いや、したはずだ」
京香は、ペットボトルの残りを飲み干した。
「そうね……ちょっとは納得できる」
そのとき、田畑くんが帰ってきた。へとへとになっている。
「オーイ、富美子ちゃんが見つかんない」
エーッと、周囲の子供たちは悲鳴をあげた。
「田畑ぁ、さっさと見つけろよ。2回戦ができないだろ」
と、帽子の男の子。
「だって、どこにもいないんだ」
「富美子ちゃん、隠れるのうまいもんね」
と、スカートの女の子。
「こうなったら、全員で捜そうぜ」
子供たちは散り散りになった。
俺と京香、それに橘くんだけが、その場に取り残される。
「どうする?」と京香。
「高校生がでしゃばっても、しょうがないだろ」
「保護者でしょ……誘拐されてたら、どうするの?」
俺はベンチから立ち上がった──なんでその可能性を考えなかったんだ。捜しに向かおうとしたところで、橘くんが声をかけてきた。
「富美子ちゃんの居場所なら、僕、知ってますよ」
「マジかッ!?」
俺が聞き出そうとすると、橘くんは、
「でも、教えられません」
と答えた。
「なんでだ?」
「そういうルールです」
いや、そういう問題じゃない。
「へんなひとに連れてかれるといけない」
「絶対安全な場所です。ひとりきりになれますし」
公園で、ひとりきりになれる場所? いったい、どこだ?