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老人ホームで見る夢は──輪廻転生殺人事件  作者: 稲葉孝太郎
第5章 志摩涼子の宅配~消えた容疑者はどこへ?
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第14話 遺書

 悲しげな虫の声が聞こえる。ここは、志摩しまキッズハウス近くの公園。俺と笠井かさいさんは、打ち合わせ通り9時に合流して、張り込みを開始した。

 街灯の下でベンチに腰掛け、ずっと同じ方向を見つめていた。

 そしてもうひとり、京香きょうかもいた。

「京香がなんでここにいるんだ?」

 俺は隣に座る京香に、小声で問いかけた。

「あたしだけ除け者は、おかしいでしょ」

「おまえな……相手は殺人犯なんだぞ?」

「それは、こっちの台詞。家でゴロゴロしてるとおるのほうが、よっぽど頼りないと思うんだけど」

 そう言われると反論できない。京香はわざわざ木刀まで持参して、準備万端だった。俺も金属バットくらいは、持って来たほうがよかったか。若干後悔していると、笠井さんが口をひらいた。

「犯人に殴り掛かるとか、そういうのは絶対やっちゃダメだよ。裁判にも影響する」

 俺と京香は、素直に言うことを聞いた。とにかく暑い。虫よけスプレーを大量にかけてきたのに、蚊が寄ってくるのも災難だった。俺はパチリと腕をはたいて、ふたたび京香に話しかける。

「なあ、京香、うちに帰ったほうがよくないか? 俺はひとり暮らし……いや、富美子とみことふたり暮らしだからいいけど、京香のところは両親が心配するだろう」

「大丈夫よ、剣道部の合宿って言ってあるから。それに今回の調査を始めたのは、あたしでしょ。老人ホームの出来事、もう忘れたの?」

 そういう問題じゃないんだけどなぁ。俺はため息をついた。それに、俺だって独自に調査していた。京香が言い出しっぺというわけじゃない。

「とにかく、俺たちは笠井さんの付き添いみたいなもんだし、全部笠井さんに任せよう」

 俺の台詞を聞いた笠井さんも、そうだそうだ、と、うなずいていた。

 そして、こう付け加えた。

片桐かたぎり英二えいじが現れたら、様子をみること……もうひとつ、昼間の件はどうなった?」

 昼間の件というのは、臼井さんのアパート調査のことだった。俺が京香に頼んでおいたやつだ。京香は木刀を握りしめたまま、

「臼井さんのアパートにあった段ボール箱は、開けられた形跡がありませんでした。未開封だと思います」

 と答えた。笠井さんもうなずいて、

「片桐英二が見つかった以上、ほかは犯人候補から外していいだろね。ひとまずは」

 と言った。

 俺は横合いからわりこんで、

「ところで、笠井さん、太田おおた奈津子なつこのほうは、調査してもらえたんですか?」

 とたずねた。

 太田奈津子。3つめの軽そうな段ボールを受け取った女性だ。

「ああ、それについては、ちゃんと昼間に調べておいたよ。前回は藤椅子の存在だけ確認したけど、今回は入れてあった段ボールも、きっちり検分した。あやしい箇所はなかったし、途中で中身が取り出された形跡もなかった」

「そうですか……じゃあ、片桐英二が犯人ということで、確定っぽいですね」

 俺は、公園の街灯を、目で追った。

 たくさんの羽虫たちが、ちりちりと焼かれている。

 子供のころ、こういう光景を見て、胸を痛めることがあった。でも世の中では人間だって同じように、あっけなく死んでいる。初めてそう実感したのは、5年前に俺の祖父が亡くなったときだ。脳溢血で、青天の霹靂みたいな出来事だった。俺が小学校に行っているあいだ、祖父は倒れて、そのまま息を引き取ったらしい。家に帰ったとき、おばあちゃんが泣いていたのを、今でもよく覚えていた。

 そうだ。あのときおばあちゃんは泣いていた。普段は気丈で──まあ、それは今の富美子を見ても分かると思うが──滅多に涙することのないおばあちゃんが、だ。だから、祖母と片桐とのあいだに、いかがわしい関係があったとは、思えなかった。あるいは、そう思いたくなかった。

 パチンと、虫の命が弾けた。

「それにしても、暇だね……」

 笠井さんは、手持ち無沙汰そうだった。

たちばなくんの話だと、よくて1週間に1回しか現れないらしいです」

 笠井さんは、やれやれと言った感じで、髪の毛をいじった。

「となると……8月中には見つからない可能性もあるか」

「警察のほうで、手配してもらえないんですか」

「ムリだね。片桐はちゃんと刑期を終えて、出所してるんだ。新しく犯罪を起こさない限り、手配できない」

「犯罪なら起こしたじゃないですか。祖母を殺してるんですよ?」

「それは私たちの推理だろう。警察は事故死で処理したんだ。どうしようもないよ」

 チェッ。俺は舌打ちをしてしまった。京香は「こらこら」と注意してきた。真夏の静寂がもどる。どうすればいいのか、なにをすればいいのか。とにかく待つというのは、ひどく苦痛なものだと分かった。


 ワンワンワン


 笠井さんはベンチから腰をあげ、

「なんだ? 犬がいるのか?」

 とつぶやいた。

「そうみたいですね」と俺。

「やだ、野良犬じゃないでしょうね」と京香。

 俺は、

「今のはキッズハウスのほうから聞こえたぞ」

 と指摘した。立ち上がって、耳をませる。

 うん、やっぱりキッズハウスのほうから聞こえる。

 笠井さんは、

「そう言えば私が訪問したとき、犬が一匹いた気がするね。全然吠えなかったけど。老犬だった」

「そうですか? 俺は気づきませんでした」

「正面のほうじゃなくて、裏口にね」

 そっか、俺は正面玄関から堂々と訪ねてしまったせいで、気づかなかったのだろう。

 京香は、

「全然吠えない犬なんですか? 今は吠えてますよ?」

 と首をかしげた。

 俺と笠井さんはハッとなった。

「透、ここで待ってな」

「ちょ、ちょっと、それは困りますよ。連れて行ってください」

「ダメだよ。片桐かもしれない」

「いやいや、俺たちだけここに居残るほうが危険でしょう? 高校生2人ですよ?」

 というのは、あくまでの口実。俺は逮捕の現場を、なんとしても見るつもりだった。

 笠井さんは、俺の内心を見抜いたのか、かるくため息をついた。

「あんまり大人に迷惑かけるもんじゃないよ……でも、ここに残るのが危険ってのも分かるし、ついて来な」

 よっしゃ。京香も木刀を持ったまま立ち上がって、俺たちは3人1組になった。公園を出て、キッズハウスのフェンス沿いに移動する。無意識のうちに、なるべく足音を立てないようにしていた。反時計回りにぐるりとして、裏口の見える位置に到着した。

 キッズハウスの周囲は私道になっているらしく、ろくな照明がなかった。俺たちはそれに乗じて、闇のなかで息をひそめた。フェンス下のコンクリート部分に隠れて、じっと様子をうかがう。

 俺はアッとなった。

「笠井さん、あそこ……」

「しッ」

 俺はあわてて口をつぐんだ。

 キッズハウスの裏口に、ぼんやりと白い服の人影が見えた。裏口の電灯はついていないから、男なのか女なのかも分からない。ただ、身長はそこそこあった。

「片桐は、俺と同じくらいの身長らしいですよ」

「いいから、静かにしろ」

 笠井さんは正面を見据えたまま、俺の口を閉じさせた。俺は固唾を呑んで、人影の行動を見守る。


 コンコンコン……コンコンコン……


 人影は、裏口を叩いているようだった。しかし反応はない。志摩さんが出て来る気配もなかったし、子供が起きてくる気配もなかった。それもそのはずで、ノックの音は、かなり小さかった。人目を忍んでいるらしい。

「……」

「……」

 俺は笠井さんの横顔を、ちらちらと盗み見た。まだ飛び出さないのか。

 俺の不安を煽るように、人影はゆっくりと移動を始めた。キッズハウスの訪問を、あきらめたのだろうか。敷地を出て行こうとする。キッズハウスには2ヶ所の出口があって、人影が選んだのは、細い裏道に続いているほうだった。

 しびれを切らした俺に、笠井さんは手で合図する。ついてこい、と。俺はゆっくりと、笠井さんのあとに続いた。尾行するというのは、これほど緊張するものなのか。ちょっとした物音が、俺の神経を苛立たせた。

 人影は裏道をどんどん北上していった。北上していると分かったのは、山のほうへ──中国山地のほうへ──移動しているからだ。そっちにねぐらがあるのか、それとも、キッズハウス以外に、立ち寄る場所があるのだろうか。

 俺たちは人影を見失わないように、つかず離れず、慎重に歩を進めた。人影は暗い道ばかり選んでいて、すぐ見失いそうになるのだ。さいわいなことに、歩くのがノロノロとしていた。歩き方もおかしくて、足をひきずっているように見える。足が悪いのか? 70を過ぎた老人なら、さもありなん、という感じだ。

 人影はスッと裏道を右へ曲がった。マズい。あの先が十字路になっていたら、見失うかもしれない。笠井さんも、すこしばかり歩を速めた。

 心配は的中して、人影は消えていた。言葉を発しかけた俺の口元に、笠井さんの手が伸びた。笠井さんは一歩下がって、慎重に脇道をのぞきこむ。俺も首を伸ばそうとしたが、遮られてしまった。笠井さんは振り向くと、手でなにやら合図をした。左手で箱を持つような仕草をし、右手の人差し指をぐるぐるとさせた。地図か。俺はスマホを取り出して、光が漏れないように胸元へ寄せてから、Googleマップで現在地を検索した。

 検索を終えた俺は、笠井さんの耳元でささやく。

「この先は、行き止まり……」


 パン


「伏せろッ!」

 笠井さんの声で、俺と京香は頭をさげた。

 なんだ? 銃声か? 俺は、パニックになった。

 笠井さんは拳銃を取り出して、慎重に脇道をのぞきこんだ。

「撃ってもいいんですか?」

 俺は心配になった。

 警官が発砲して事件になるのを、テレビでよく観ていたからだ。

「モデルガンだよ。非番で拳銃を持ち歩けるわけないだろ」

 えぇッ!?

「モデルガンで、どうやって戦うんですか?」

「シーッ」

 笠井さんは脇道をのぞきこんだまま、

「透、ここで待ってな」

 と言った。

 俺が引き止める間もなく、笠井さんは立ち上がると、脇道に向かって声をかけた。

「片桐英二、いるのかい?」

 返事がない。

「べつに逮捕するつもりはないから、ちょいと話を聞いてくれ」

 笠井さんが令状をもらってきていないことに、俺は初めて気づいた。

「……片桐英二、いないのかい? いるなら返事しな」

 やはり返事はない。笠井さんは、ぐっとモデルガンのグリップを握って、ゆっくりと脇道へ顔を出した。俺はじれったいやら肝が冷えるやらで、汗だくになる。

「……いない」

「え?」

「だれもいないぞ」

 笠井さんはポシェットから、小さな懐中電灯を取り出し、あたりを照らした。俺はその隙をついて、こっそりと盗み見た。そこはマップで表示されたとおり、完全な袋小路だった。奥行きは10メートルそこらしかなく、三方が金網のフェンスに囲まれていた。

「変電所ですか?」

「みたいだね……」

 笠井さんは懐中電灯で警戒しながら、脇道へ踏み込んだ。俺は曲がり角のところで、京香と一緒に留守番させられた。笠井さんは金網を念入りに調べた。穴がないことを確認したらしい。さらに、マンホールがないかどうかをチェックし始めた。

「……ない、なにもない」

「ちょっと待ってください、そこ」

 俺は行き止まりの左隅に、なにか穴のようなものを見つけた。

 笠井さんはそこへ近づくと、念入りに懐中電灯で照らした。

「これは……排水路の側溝だね」

「そこから逃げたんじゃないですか?」

 笠井さんは足を突っ込もうとした。

「……ムリだね」

 ここからではよく見えないが、かなり狭いものらしい。

「犬なら通れるかもしれないけど、人間じゃムリだよ」

 ここで、京香が口を挟んだ。

「フェンスを乗り越えたんじゃないですか?」

 当然の疑問に思えたが、笠井さんは首を左右にふった。

「フェンスを乗り越えたなら、音が聞こえるはずだろう」

 たしかに、金網を掴んだり乗り越えたりする音は、まったく聞こえなかった。

 高さは2メートル近くある。飛び越すのも不可能だった。

 笠井さんは大きく息をつくと、モデルガンを握ったまま、頬をかいた。

「いったい、どうやって消えたんだろうね……」


 バシャーン


「「「ッ!?」」」

 俺たち3人は身をかがめて、一斉に顔を見合わせた。

 京香は右往左往しながら、

「なに? 今の?」

 と、あたりをきょろきょろした。

 俺は「水しぶきじゃないか」と指摘した。

 笠井さんは懐中電灯を消して、

「透、京香ちゃん、そこでじっとしてな」

 と言い、耳をすませた。

 俺もマネをする──近くから、水の流れる音が聞こえた。

 川か? 俺はGoogleマップをもう一度チェックした。

「……この近くに、大きめの用水路がありますよ」

 俺が小声で言うと、笠井さんもうなずいた。

「そう言えば、このへんに農業用水路があったね」

 俺も記憶がよみがえる。京香と一緒に、ザリガニ釣りをした場所だ。

 かなり大きな用水路で、あとからおばあちゃんに怒られた。

「片桐が用水路を越えたんじゃないですか?」と俺。

 笠井さんは10秒ほど考え、

「なるべく離れてな。私が先頭を切る」

 と言い、脇道を出ると、そのまま用水路の方向へ突っ走り始めた。かなりの俊足で、俺たちは自然と遅れがちになる。ゴオゴオと水の音が大きくなって、すぐに用水路のまえに出た。

「透、顔を出すんじゃないよ」

 俺は、用水路のそばにある建物の角に待機した。京香も俺のそばに立つ。京香はかなり興奮しているらしく、鼻息が荒かった。

「大丈夫なの、これ?」と京香。

「さあな……こうなったら、絶対追いつめて……」

 ん? 俺は用水路のそばに、白い靴を見つけた。それはきちんと揃えられて、街灯に照らされていた。笠井さんも気づいたのか、あたりを警戒しつつ、その靴に歩み寄った。

 そして顔をゆがめた。

「遺書……?」

 俺はそれを聞いて、思わず飛び出した。

「遺書ってなんですか?」

「こら、出てくるな」

 笠井さんは俺を建物のほうへ押し返した。

 ポシェットから携帯を取り出し、電話をかける。

「……もしもし、笠井かさい清美きよみです。北区の用水路で、事件発生。近所で、発砲音のようなものを聞いた、という通報がありました。応援を願います……いえ、容疑者は不明です。ただ……」

 笠井さんは、そこで言葉をにごした。

「自殺した可能性があります。現場に遺書が落ちていました。住所は……」

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